露骨なほど性的

しつこく承前。それで、そのままなんとなく朝のテレビをぼんやりと見ていたら、バラエティ的なやつで、高齢者の孤独死と「特殊清掃」の特集が(朝8時ぐらいから)やってて、なんとなく見てたら、スタジオにそのひと自身も高齢である男性の医者?が出ていて、こんなコメントをしていた。(うろおぼえ)

「僕たちが住んでる家の、空いてる部屋あるでしょう。そういう部屋に、看護学生の女子を住まわせて。もちろん無料で住んでもらっていいから、そのかわり面倒を見てもらってね。そしたら、卒業してからも、なんか新しい親戚みたいな感じで、いつも付き合いができていいと思うんですけどね」

横で見ていた連れ合いが大きな声で「ないわ! ないわ!」と叫んでいた。ネタじゃなくて真顔で言ってたんだけど、よくこんなこと考えるよなあと思った。

高齢者と若者、持てる者と持たざる者、男性と女性という、いろんな非対称的な関係性を、善意という真っ黒な布でくるんで、しあげに「大家族制度の幻想」でぎゅっと結んでる感じ。そして、露骨なほど性的。

なんか、朝から東京の小さなビジネスホテルで、いろんなこと考えた(笑)。

実在する東京

承前。出張しているとなぜかテレビをよく見る。自宅ではテレビを見ない、というか、そもそもテレビが無いのだが、ビジネスホテルの朝はやっぱりなんかちょっとさみしいので、朝のニュースやバラエティを見る。

いつも思うけど、いちばん東京を実感するのは、新宿や池袋で飲んでるときよりも、東京タワーの展望台に登ったときよりも(こないだ初めて行った、すごく楽しかったです)、実は朝、テレビを見ているときだ。

ほとんどのテレビ番組というのは東京でつくられている。出演しているのは半分ぐらいは関西の芸人だったりもするけど、でもみんな東京に住んでいるひとで、スタジオも東京にあって、話も東京の話をしている。

大阪でそういうテレビ番組を見るときは、どこか遠い遠い、ぜんぜん別の国から勝手にやって来る、現実感のない、ふわふわした感じだけど、東京で見るテレビ番組は、びしっとした緊張感や、がっちりとした現実感がある。ああ、この街でいま見ているこの番組は、同じこの街に住むひとたちが、同じこの街で作ってるんだなっていう実感がある。

早朝の、生放送のニュース番組に出ている、名前も顔も知らないアナウンサーも、この街の大学を出て、この街で暮らして、そしていま、俺がこれを見ているその同じ街で、テレビカメラの前にいるんだなと思うと、妙にそのアナウンサーが、実際に存在している、人格を持った、生きている人間のように見えてくる。

子どものころに読んだ筒井康隆のエッセイで、富士山に登るネタがあって、その結論が、「登ってみてわかった。富士山は実在する」っていうものだったけど、ものすごくよくわかる。東京もまた、よく知ってる、有名な場所だけど、行ってみるとあらためて、ああ本当に実在したんだな、と思う。

そして、なんか変な話だけど、朝のニュースに出てるひとたちも、ホテルの窓の外を歩いてるひとたちも、満員電車に乗って通勤していくひとたちも、みんな東京でがんばってるんだな、と思う。

12文字の切れ端

きのうまで東京に出張していた。

朝、目覚ましをかけた覚えはなかったのだが、たぶん前の宿泊客の設定のままになっていたのだろう、7時45分にとつぜん、枕元のラジオがたからかに鳴り響いた。

熟睡していても、不思議なことに、目覚まし時計(ラジオ)が鳴る直前って、なんとなく直感でわかる。たぶん機械的ななにかの都合で、鳴る直前に小さな音が出てるんだろう。

ラジオが鳴り響いたときにはすでに手をのばしていて、その瞬間に適当にそのへんを叩いて音を止めた。

だが、その一瞬のあいだに、女性アナウンサーが、朝に似つかわしいさわやかな声で、

「沖縄では、キジムナーという」

と言った。

24時間、365日、たくさんのラジオ局から、いろんな言葉が流れつづけている。1時間に、1日に、1年に、ぜんぶで何億字、何兆字の言葉が流れることだろう。たまたま泊まっただけの、東京の小さなホテルの部屋で、とつぜんその膨大な言葉の流れから、ほんの12文字の言葉が切り取られ、私の枕元にぽとんと落ちた。そしてすぐに静かになった。

しかも沖縄かよ。

前にも見たような気がする

病的なほどの方向音痴で、たとえば何十年と歩いている一本道で迷う。

こないだ、那覇でジャズのライブをする機会があって、(素人のくせに)わざわざ大阪からウッドベースを飛行機で運んだ。JALに問い合わせてみたら、なんと無料で貨物に入れてもらえるということで、喜んで空港に持っていったら、ひとが二人ぐらい入れる棺桶のような、巨大な銀色のジュラルミンのケースが、数人のスタッフの手によってうやうやしく運ばれてきて、そのなかに私の安物のウッドベースを収納すると、がっちゃんばったんと蓋を閉め、何重にも巻かれた黒いベルトでぎゅうぎゅう締めて、5人がかりで丁重に運ばれていって、心から申し訳ない気持ちになった。こんな素人の私のためにほんとうに申し訳ありません。せめてもっと練習します。

さて、那覇について(那覇空港からホテルまでウッドベースをタクシーで運ぶときもいろいろあったのだが)、夜になり、リハの時間になって、ウッドベースをよっこらしょと肩に担いで国際通り(一本道)を歩いているうちに道に迷った。

店はどこだろうときょろきょろしながら、ウッドベースを担いで歩いていると、地元のヤンキーの若者たちが、一杯飲んで上機嫌で、路上でわいわいと騒いでいる。たぶん観光で来た内地の女の子をナンパしに来たのだろう。その前を通り過ぎるときに、でかい楽器が珍しいのか、めっちゃじろじろ見られた。

だいぶ歩いて、どうも反対方向に来てしまったようだと気がついて、逆を向いてそれまで歩いてきた方向に戻っていった。

ヤンキーの諸君はまだ同じところでうだうだしていたが、ウッドベースを担いだ私が、こんどは逆の方向からもういちど歩いてくるのを、全員が目を丸くして見た。そんなにじろじろ見んなボケ、と、心のなかで思っていたら、そのうちのリーダー格のやつから大声で「デジャブ?」って叫ばれた、くっそー。

子猫とテニス

むかし。

電車のシートに座っていて、ぼおっとしていると、ミニスカートのきれいなねえちゃんが通路を通り過ぎていった。目の間を横切るミニスカートのねえちゃんを、いつもみたいに目で追いそうになって、ふっとそのとき気づいて、ねえちゃんじゃなくて、向かい側のシートに座ってるおっさんたちを見た。

全員が目で追っていた。

おお、そうか。俺もこのなかのひとりなのか。

一度、露出の高い女性とか、派手なおねえさんが歩いているときに、そのひとじゃなくて、まわりのおっさんたちを見ると面白いと思います。全員が目で追ってます。

目の前でおもちゃを動かされて、いっせいにそれを目で追う子猫たちの動画がよくあるよね。あんな感じ。

あるいは、テニスの試合を観戦している観客が、いっせいにボールを目で追うような。

あんな感じ。

ミニスカを見るおっさんは、ミニスカによって見られているのだ。違うか。

ミニスカを見るおっさんは、ミニスカを見るおっさんを見るおっさんによって見られているのである。

いそばが

いまロイホにMacBookAirを持ち込んで原稿を書いているんですが(21時すぎ)、隣りに若いお父さんと若いお母さんと3歳ぐらいの小さな女の子がいる。食事をしに来ているのだが、食事そっちのけで、お母さんがテーブルに紙をひろげて、ちょっとただごとでないような真剣な様子で、娘に問題を出している。何だろう、どこぞの付属幼稚園にお受験でもさせるのだろうか。

問題はことわざクイズになった。娘はぜんぜんやる気がなく、足をぶらぶらさせながら、ソファの上に流れ落ちる液体のような座り方をしている。

うまのみみに?

ねんぶつー。

ねこに?

……。

ねこに!?

こばんー。

かべにみみあり、しょうじに?

……。

しょうじに!?

…………。

しょうじに!!?

めありー。

いそばが?

……。

いそばが!?

……。

あのな、いそいで近道を歩いて、危ないめに合うこともあるやん。だから、まわり道をしてな、ゆっくり行ったほうがな、早いときがあるねん。いそばが?

まわれー。

そのあいだ、お父さんは、「俺がどれほどフライドチキンが好きか」という話しかしていない。

食事がぜんぶ運ばれてきて、もう受験勉強なんかどうでもよくなったのか、そのあとはふつうに和気あいあいと団欒しながら食事していた。

しばらく俺の頭のなかで「いそばが」がリフレインしていた。

ゼミさぼったやろ

バブルの時代、学生のとき、ジャズが流れるオトナな感じのショットバーでバーテンのアルバイトをしていた。当時ハタチとかそれぐらい。

そのバーは堂山の小さなビルの3階にあった。そのビルはそれから25年以上もたった今でもそこにあるけど、半ば廃墟のようになっている。

当時はかなり儲かっているバーだったのだが、俺が店を任されてから、常連が激減してしまった。嫌いな客には一切相手をしなかったからだ。俺も若くて融通がきかなかった。どうせ時給だし、とも思っていた。

でも、客のいない薄暗いバーで、ビル・エバンスなんかを流しながら、窓の外の梅田の夜景を見るのが好きで、堂山の街を通り過ぎるゲイのカップルや、水商売のねえちゃんや、タクシーの赤いテールランプを眺めて、大阪の街で暮らしている喜びをいつも感じていた。

あるとき、ロングヘアの、とてもきれいな女のひとがひとりでふらっと入ってきて、ジンライムを注文した。しばらくして、ぽつりぽつりと話が始まった。28歳で、九州から若いころに出てきて、ずっと北新地でホステスをやっている。さすがにタバコや酒を持つ手が美しい。今日はお休みで、なんとなく梅田をぶらぶらしていて、なんとなく看板のネオンにひかれてふらりと入ってきた。

おにいさんは? 出身どこ? 

僕ですか。まあ、北のほうで……。なんとなく、いろんなことをしてるうちに、こんなところまで流れて来ちゃいました。

ええやんか。私も似たようなもんやし。

そうですね。

このあとどないしてんの? このお店、何時まで?

そのとき、バーのドアが勢い良く開いて、大学のゼミの友だちの女子が3、4人でずかずかと、大声で、岸くんきょうゼミさぼったやろーとか言いながら入ってきた。

おねえさんはお勘定をして店を出ていってしまった。

それからしばらくして、常連の相手をちゃんとせずに店の売上げを激減させたというもっともな理由で、私はその店をクビになった。そのあとジャズの演奏の仕事が忙しくなったので、あれからバーテンはしていない。

いまこれ書いて気づいた。あのおねえさんもいまは50代なかばぐらいなんやなあ。俺ももう40代後半だしな。

外に出ること

かなり昔の教え子で、すばぬけて優秀で、繊細で、傷つきやすく、そして攻撃的なやつがいて、いちど彼女から飲みにいこうと誘われて飲みにいったときに、将来の話になって、だれともちゃんと付き合えない私の夢は、歳をとって、おばあさんになったときに、古い小さな団地でひとりで暮らして、窓際の植木鉢に水をあげながら、ああ、やっと雨があがったな、とつぶやくような、そういう暮らしです、と言っていた。

しばらく会わないあいだに、彼女はひとりの男性と出会い、一目惚れをされ、押し切られて、すぐに付き合うようになり、あっというまに結婚して妊娠して出産した。

みんなでお祝いしようということになって、彼氏と一緒に飲んだのだが、非常に背の高い、「男らしい」、かっこいい、スポーツマンタイプの男で、とにかく情熱的で、そして素朴で明るく、やさしくて、人柄が良い。

誰と付き合うべきとか、付き合うべきでないとか、こんなタイプがいいとか悪いとか、そもそも恋愛や結婚というものをしたほうがいいのかしなくてもいいのか、そういうことは、一般的なレベルでは、誰にも何も言えないが、彼女に関しては、彼女とはまるで真逆な、そういう男と付き合うことで、ひたすら自分自身のことを考える出口のないしんどさから抜け出すことができたんだなあ、まるで合わせ鏡のような自分と自分の迷路から、その男が強引に外に連れ出してくれたんだなあと思った。

そういうことがあるんだな。

それからまただいぶ経ってから、電車のホームでばったり会った。小さな子どもを連れていた。またみんなで集まって飲もうと約束した。

バスの歌声

こないだふと思い立って、連れ合いと一緒に関西空港から大阪湾を横切って神戸まで行く高速フェリーに乗った。

空港からフェリー乗り場まで行く連絡バスのなかは、大半が中国人観光客の団体で、多くは家族連れだった。

私たちのうしろの座席に座ったのは、6歳か7歳ぐらいの中国人の女の子3人で、途中でバスの外の風景にも退屈したのか、歌を歌い出した。

鳥肌が立った。夕暮れどきの、埋め立て地の殺伐とした港を走るバスの暗い車内のなかで、ひとことも意味のわからない言葉で、小さな子どもが声を合わせて歌う歌。とても美しかった。

バスはフェリー乗り場に着き、私たちは船に乗り込んだ。海は荒れていて、船もはげしく揺れ、私たちはひどく酔った。