先日、たまたま降りた小さな駅でトイレに行ったら、誰もいない無人のトイレで、機械の声がエンドレスで流れていた。
ここが、トイレです。右が男性用、左が女性用です。
ここが、トイレです。右が男性用、左が女性用です。
誰もいないトイレで、意思をもたない機械が、その電源が続く限り、ここがトイレだと、世界に向かってつぶやき続けている。その言葉が誰かに届くかどうか思い悩むこともなく、誰かに届けと祈ることもなく、ただここがトイレですよと、右が男性用で、左が女性用だと教えているのだ。
そして、視覚障害者の方だけでなく、そのときの私のような、たまたま通りがかった者もまたこの声を聞き、そうか、ここがトイレか、そして右が男性用で、左が女性用なのだなと、知ることができる。
あのトイレの声は、今日もまた、これを書いている今も、ここがトイレですと、誰もいない宇宙に向かって、大事な言葉を送っているのだろう。
そういう言葉が、この世界のそこら中に存在する。ただ純粋に、自分の言葉が誰かに届くかどうかすら気にせず、ここがトイレですと教える声。
ここが、トイレです。右が男性用、左が女性用です。
ついこないだ、飲み会でこの話をしていたら、デイリーポータルZの林雄司さんが間髪をいれず、
そして、男性用トイレでは、誰もいないときにでも水が流れるんですよね。
と言った。私は、自分の声が確かに誰かに届いたことを知った。
さすが林さん。
女性の方はご存じないかもしれないが、男性用の小便器には、「汚れ防止のメンテナンスのために、誰もいないときに水が流れることがあります」と小さく書いてあるのだ。故障だと勘違いするひとがいるので、わざわざこう書いてある。
誰もいない無人のトイレで、意思をもたない声が流れる。ここが、トイレです。右が男性用、左が女性用です。
そしてそのとき、メンテナンスをするという意思も持たないただの機械が、小便器を清潔に保つための水を流す。そこには誰もいないのに。
みなさん、その駅に降りたら、トイレに行ってみてください。左右のトイレのどちらが男性用でどちらが女性用か、私たちは知ることができます。でもその声は、自分の言葉が誰かのところに届いたかどうかすら、永遠に知ることがないんです。