ブラジル人学校の支援をしていた。去年まで毎週月曜日、3年間ずっと通って、日本語教室のボランティアをしたが、いまはいろんな事情があって、お休みさせてもらってる。そのうちまた再開したいと思う。
いろんな思い出がある。みんな、日本語がほとんどできないのに、いっしょうけんめいそれぞれのやりかたで、気持ちを伝えてくれた。
いま、なんとなく思い出したので、いくつか書きます。
ある小学生の女の子は、他の学校にうつるときに、たどたどしい文字で書かれた手紙をくれた。一緒に、タオルをくれた。タオルには、私の名前が刺繍されていた。
「きし」
いつも「きし先生」と言っていたので、ファーストネームと思ったようだ。
ある男の子は、とてもやんちゃで、ほんとに言うことを聞かないやつだったのだが、どつきあってるうちに仲良くなり、友だちみたいになった。
あるとき、ノートにふたりの男のひとの絵を書いて、これお父さん、これきし先生、って言った。そして、「pareser」とノートに書いた。「似ている」、と言いたかったようだ。
彼の父親はさきにブラジル本国へ帰っている。もう長いあいだ会っていない。
「でも、きしのほうが、背が高い」
また、あるとき、みんなで歌おうと思って、ギターを持ってきた。あらかじめ、何の曲をしようかと、みんなに、「どんな歌が好き?」って聞いた。
ブラジルはまさに「音楽大国」で、サンバやボサノバのような日本でも有名なものから、セルタネージョやアシェなど、地元のひとびとが大好きな、さまざまな音楽がある。
私も、ほんとに下手ではあるが、多少サンバやボサノバをギターで弾いたりする。
そういうわけで、みんなでサンバの有名な曲を一緒に歌えたらいいなと思って、「どんな歌が好き?」って聞いたら、みんなが口々に、
「レディー・ガガ!」
結局、セルタネージョ(ブラジルの演歌みたいなロックみたいな歌謡曲)の、有名な曲にしました。
ブラジル人学校については、いくつかここでも書いてます。http://sociologbook.net/?s=%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%83%AB