おれが雇われてるのも「りゅうだい」だけど(笑)、沖縄に学生を連れていくときに必ずいうのが、「沖縄で『りゅうだい』って言っても通じへんで。沖縄で『りゅうだい』いうたら100%琉球大学です」
学生の実習やら自分の調査やら会議やらライブやら(笑)で1年に3回も4回も沖縄行きますが(そのわりにマイル貯めてないですが)、もちろん琉大にもしょっちゅう行きます。
沖縄について勉強しているものとして、琉球大学は素朴にあこがれます。沖縄研究のメッカだし、そうそうたる研究者を輩出してる大学でもあるし。
もちろん、琉大といってもふつうの日本の大学なので、中に入ればそれはもういろいろでしょうが、それはわかったうえで、部外者から見た琉大の「大学としての雰囲気」について書きます。無責任かもしれないですが、俺はとってもこの大学の雰囲気が好きです。ちょっと短い文章で書くのが難しいですが。
あと、俺が知ってるのは法文学部の、とくに特定の学科が中心になってるんで、これが琉大全体じゃないかもしれないですが、でもたぶんそんなに的外れでもないと思います。
知らないと意外、知ってると当たり前ですが、琉大の学生の大半はうちなんちゅではなく内地出身者です。なんとなく自分の偏差値で入れる国公立がここしかなかったので、という学生さんも多いですが、何人かの琉大生は、わざわざ選んで沖縄に来ていました。個人的にしゃべった範囲内ですが、ある北海道生まれの女子は、「日本語で入れる、自分の家からいちばん遠い大学」という理由で選んだそうです。あと「東京には興味ないけどバンコクに住みたい」と言っていた学生とか。いちばん多いのが「どこか暖かいところに行きたかった」というものでした。
自分が受験生だったのはもうはるか昔、年号すら今と違う時代だったので、もううっすらとしか覚えていませんが、大学に入るということは、ことにそれが自分の生まれ育った街ではない場合、「外の世界」に行くという、妙な解放感をともなうものです。というか、でした。いまはどうなのか知りません。就職率で選ばれてるんでしょうか。
俺が接する琉大生には、「とにかく遠いところ、そしてできれば暖かいところ」に行きたかった、というやつが多いです。
あるとき、琉大生と飲んでて、けっこう遅くなったときに、いまからサブゼミやるんですよ、へー何それ。っていう話をきいて、面白そうだったので参加したことがある。どうも大学の公式のゼミともうひとつ、学生が自分たちで、自主的に読書会や勉強会をやっているらしい。
開始が夜中の12時から(笑)。ええかげん飲んでべろんべろんになりながら行ったところは、宜野湾の我如古っていうところにある、地下のショットバー。
浦添から宜野湾あたりは、那覇都市圏に含まれていて、ずっと市街地が続く。さすがに夜中はちょっと暗いけど、それでもいい店がぽつんぽつんと途切れずにある。そういうところを車で移動する。運転する学生は飲まない。飲んだら代行を呼ぶ。沖縄の、車社会と酒社会の矛盾を、みんないろいろやりくりして乗り切っている。
とにかく、夜中の12時にその地下のバーにおりていくと、もう何人か若い連中が集まっている。別に店を貸し切りにしているわけでもなく、他の客もいる。客に出てけとも言わないし客のほうもうるさいと文句を言うこともない。
着いたらすぐに映画の上映が始まった。え、いまから2時間も映画みるの、ダルいな、と思ったんだけど、酔っぱらって映画見るのって楽しいんだな。あっという間に最後まで見てしまった。
映画はディカプリオの「ザ・ビーチ」。とても怖い映画だった。
で、そのあと、この映画のテーマである、「どこか違う場所に憧れること」について、自由に議論になった。かなり活発な議論だった。たぶん、「いちばん遠くて暖かいところ」に来た自分たちを、重ねてたんだと思う。
もうそこにどんな学生がいて、どんな話をしたかぜんぜん思い出せないけど、俺もいつもどおり酔っぱらっていろいろ勝手な話をした。琉大生からしたら、いきなりあらわれた見ず知らずの関西弁のおっさんでしかない俺だったのだが、発言をさえぎられることも、身分を問われることもなかった。
ふらふらになってホテルに朝帰り。
非常に感銘を受けた。地方の国立大学にはまだこういう気風や文化が残っているんだろうか。琉大だけかな。
学生たちが自主的に集まって、夜中のバーで酒飲んだり映画見たりしながら、朝までがんがん議論する。これが大学じゃなくて、何が大学でしょうか。
他にもたくさんあるけど、この例は象徴的だと思う。
もちろんあんまり理想化するのはよくない。不登校になって休学したりひきこもりになる学生も少なくないと聞くし、就職率もかんばしくないです。
ただ、例えば琉大のあるゼミでは、オタク文化をテーマに10万字の卒論を書く学生がいたりして、その卒論も送ってもらって読んだけど、ああこういうのが勉強するっていうことだよなあ、と思う。世の中の役に立つとか、なにかの問題解決につながるとか、自分の知識が増えるとか、就活でアピールできるとか、そういうことを一切考えずに、4年間かけて10万字書く。これが勉強するっていうことだよな、と思います。
まあ、基地の問題とか、内地からのオリエンタリズムとか、沖縄県内での階層格差とか、いろいろありますけども。それはそれとして、こういう空間がいまの日本にまだ残っているというのは、これはもうほんとうに珍しい、希有なことです。奇跡といってもいいと思います。
ただ、やはりこれから大学そのもののあり方が厳しく問われる時代になっていくことは明らかです。琉球大学だけが、いつまでも外の世界と隔絶した「知的治外法権」ではいられないでしょうし、ちょっと世界のなかで居場所がない学生を集めて4年間面倒を見るという役割も、薄まっていくんだと思います。
だからこそ、こういう場所は貴重です。こういう空間はもうこの国からはどんどんなくなっていくと思いますが、せめて、昔は琉大はこういう雰囲気があったんだよと、伝えていきたいと思います。なんかちょっと悲観的なまとめですが。
最後が悲観的になっちゃったので琉大のキャンパスの写真を適当に載せます。行くのがいつも夏休みとか春休みなんで、ひとが写ってませんが、それでも素晴らしいキャンパスであることはおわかりいただけると思います。ちなみに生協食堂のカフェテラスのほうのハンバーガー、めちゃめちゃ旨いです。沖縄ってハンバーガー旨いよね。