ブラジル人学校プロジェクトが大学のウェブサイトに掲載されました

ここ数年にわたって実施している、滋賀県のブラジル人学校「コレジオ・サンタナ」との交流ですが、大学の地域連携事業のひとつとして、ウェブサイトに掲載されました。

龍谷大学 地域連携事例集第3版 ブラジル人学校の日本語識字教室

学部単位や全学レベルでやってる事業と並んで、この小さなプロジェクトが掲載されて、とてもうれしく思います。あいかわらずブラジル人学校の(そしてブラジル人社会の)状況はたいへん厳しいですが、できることをできる範囲でコツコツやっていきます。

今年は教材を印刷・製本して無料で配布しようと思います。どんくまが世界に広がります(笑)

きょうのおはきな

久しぶりにちょっとだけおはぎときなこ。クリックすると大きくなります。

おはぎです。
きなこです。

きょうもげんきです。

揚げ足とりと吊るし上げの国

今日、東京でおこなわれた東日本大震災の一周年追悼式で、野田首相が以下のようなスピーチを述べたらしい。記事が消えてしまう前に以下に全文を引用する。新聞社の記事ではあるが首相のスピーチなので問題はないと思う。

 本日ここに、天皇、皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、東日本大震災1周年追悼式を挙行するに当たり、政府を代表して、謹んで追悼の言葉を申し上げます。

 多くの尊い命が一時(いちどき)に失われ、広範な国土に甚大な被害をもたらした東日本大震災の発生から、1年の歳月を経ました。

 亡くなられた方々の無念さ、最愛の家族を失われたご遺族の皆様の深い悲しみに思いを致しますと、悲痛の念に堪えません。ここに衷心より哀悼の意を表します。また、今もなお行方の分からない方々のご家族をはじめ、被災された全ての方々に、心からお見舞いを申し上げます。

 亡くなられた方々の御霊(みたま)に報い、そのご遺志を継いでいくためにも、本日、ここに三つのことをお誓いいたします。

 一つ目は、被災地の復興を一日も早く成し遂げることです。

 今もなお、多くの方々が、不自由な生活を余儀なくされています。そうした皆様の生活の再建を進めるとともに、生まれ育ったふるさとをより安全で住みよい街として再生させようとする被災地の取り組みに最大限の支援を行ってまいります。

 原発事故との戦いは続いています。福島を必ずや再生させ、美しいふるさとを取り戻すために全力を尽くします。

 二つ目は、震災の教訓を未来に伝え、語り継いでいくことです。

 自然災害が頻発する日本列島に生きる私たちは、大震災で得られた教訓や知見を、後世に伝承していかなければなりません。今般の教訓を踏まえた全国的な災害対策の強化を早急に進めてまいります。

 三つ目は、私たちを取り結ぶ「助け合い」と「感謝」の心を忘れないことです。

 被災地の復興には、これからも、震災発生直後と同様に、被災地以外の方々の支えが欠かせません。また、海外からの温かい支援に「恩返し」するためにも、国際社会への積極的な貢献に努めていかなければなりません。

 我が国の繁栄を導いた先人たちは、危機のたびに、よりたくましく立ち上がってきました。私たちは、被災地の苦難の日々に寄り添いながら、共に手を携えて、「復興を通じた日本の再生」という歴史的な使命を果たしてまいります。

 結びに、改めて、永遠に御霊の安らかならんことをお祈り申し上げるとともに、ご遺族の皆様のご平安を切に祈念して、私の式辞といたします。

<東日本大震災>野田佳彦首相の式辞 1周年追悼式 毎日新聞 3月11日(日)15時28分配信

すっかすかの中学生の作文みたいで正直驚いた。別に気の利いたフレーズや美辞麗句で飾り立てる必要はないが、それにしてもこのスピーチの中身の無さはどうだろう。紋切り型ばかりで、ありきたりで、記憶にも印象にも残らない、ほんとうにどうでもいい文章である。

マーチン・ルーサー・キングとはいわんが、たとえばオバマ大統領の就任演説や、スティーブ・ジョブズの有名なスピーチと比べると、一国の首相としてこれはないだろう、と思う。「せいいっぱい頑張ります」ゆうて、高校野球の選手宣誓ちゃうねんから。

とうぜんここは一国の首相であるから、優秀なスピーチライターが後に控えているだろうから、野田首相本人の文才がないという話ではなく、非常に優秀なライターなり官僚なりが作った文章がこれだ、っていうことは、これは別にアホが適当に書いた文章ということではなく、賢いスタッフがいろいろ考えをつくして一生懸命書いて、必然的にこうなったんだろう。

ようするにこれは、だれかを感動させよう、自分がほんとうに思っていることを言おう、歴史に残るようなスピーチをしよう、ということではなく、右からも左からも、被災地からもそれ以外からも、原発推進派からも反対派からも、上からも下からも、アメリカからも国内からも、与党からも野党からも、どこからもツッコまれず文句も出ず、揚げ足もとられないような文章を、非常に優秀なライターや官僚が頭を振り絞って書いたということなのであろう。

その意味ではこれは文才と知性あふれる非常に優秀なスピーチなのである。

ようするに、われわれが政治家のくだらない失言の揚げ足をとって吊るし上げたりばっかりしているから、必然的にこうなっているのである。われわれがこういう政治家を、こういう演説をつくっているのである。

他方で、某市長のように、日本の戦争責任を公の場で、しかも被害にあった国の代表にむかって直接否定するようなことを発言しても、さすがに大きく報道はされたけど、国内的には何のおとがめもない、というのはいったいどういうことだろう。国によっては明白に法律違反になり一発でアウトになるような発言だと思うのだが、クビになったり辞職したり解散したりする気配もない。

だから何、ということもない小ネタではあるが、たとえば国際人権規約に批准しながら差別を禁止するまともな法律すらないこの国で、「人の心を傷つけるのはやめましょう」という啓発ポスターがやたらと地下鉄のトイレに貼ってあるのと、根っこのところでぜんぶつながってるなあと思った。

「りゅうだい」のこと

おれが雇われてるのも「りゅうだい」だけど(笑)、沖縄に学生を連れていくときに必ずいうのが、「沖縄で『りゅうだい』って言っても通じへんで。沖縄で『りゅうだい』いうたら100%琉球大学です」

学生の実習やら自分の調査やら会議やらライブやら(笑)で1年に3回も4回も沖縄行きますが(そのわりにマイル貯めてないですが)、もちろん琉大にもしょっちゅう行きます。

沖縄について勉強しているものとして、琉球大学は素朴にあこがれます。沖縄研究のメッカだし、そうそうたる研究者を輩出してる大学でもあるし。

もちろん、琉大といってもふつうの日本の大学なので、中に入ればそれはもういろいろでしょうが、それはわかったうえで、部外者から見た琉大の「大学としての雰囲気」について書きます。無責任かもしれないですが、俺はとってもこの大学の雰囲気が好きです。ちょっと短い文章で書くのが難しいですが。

あと、俺が知ってるのは法文学部の、とくに特定の学科が中心になってるんで、これが琉大全体じゃないかもしれないですが、でもたぶんそんなに的外れでもないと思います。

知らないと意外、知ってると当たり前ですが、琉大の学生の大半はうちなんちゅではなく内地出身者です。なんとなく自分の偏差値で入れる国公立がここしかなかったので、という学生さんも多いですが、何人かの琉大生は、わざわざ選んで沖縄に来ていました。個人的にしゃべった範囲内ですが、ある北海道生まれの女子は、「日本語で入れる、自分の家からいちばん遠い大学」という理由で選んだそうです。あと「東京には興味ないけどバンコクに住みたい」と言っていた学生とか。いちばん多いのが「どこか暖かいところに行きたかった」というものでした。

自分が受験生だったのはもうはるか昔、年号すら今と違う時代だったので、もううっすらとしか覚えていませんが、大学に入るということは、ことにそれが自分の生まれ育った街ではない場合、「外の世界」に行くという、妙な解放感をともなうものです。というか、でした。いまはどうなのか知りません。就職率で選ばれてるんでしょうか。

俺が接する琉大生には、「とにかく遠いところ、そしてできれば暖かいところ」に行きたかった、というやつが多いです。

あるとき、琉大生と飲んでて、けっこう遅くなったときに、いまからサブゼミやるんですよ、へー何それ。っていう話をきいて、面白そうだったので参加したことがある。どうも大学の公式のゼミともうひとつ、学生が自分たちで、自主的に読書会や勉強会をやっているらしい。

開始が夜中の12時から(笑)。ええかげん飲んでべろんべろんになりながら行ったところは、宜野湾の我如古っていうところにある、地下のショットバー。

浦添から宜野湾あたりは、那覇都市圏に含まれていて、ずっと市街地が続く。さすがに夜中はちょっと暗いけど、それでもいい店がぽつんぽつんと途切れずにある。そういうところを車で移動する。運転する学生は飲まない。飲んだら代行を呼ぶ。沖縄の、車社会と酒社会の矛盾を、みんないろいろやりくりして乗り切っている。

とにかく、夜中の12時にその地下のバーにおりていくと、もう何人か若い連中が集まっている。別に店を貸し切りにしているわけでもなく、他の客もいる。客に出てけとも言わないし客のほうもうるさいと文句を言うこともない。

着いたらすぐに映画の上映が始まった。え、いまから2時間も映画みるの、ダルいな、と思ったんだけど、酔っぱらって映画見るのって楽しいんだな。あっという間に最後まで見てしまった。

映画はディカプリオの「ザ・ビーチ」。とても怖い映画だった。

で、そのあと、この映画のテーマである、「どこか違う場所に憧れること」について、自由に議論になった。かなり活発な議論だった。たぶん、「いちばん遠くて暖かいところ」に来た自分たちを、重ねてたんだと思う。

もうそこにどんな学生がいて、どんな話をしたかぜんぜん思い出せないけど、俺もいつもどおり酔っぱらっていろいろ勝手な話をした。琉大生からしたら、いきなりあらわれた見ず知らずの関西弁のおっさんでしかない俺だったのだが、発言をさえぎられることも、身分を問われることもなかった。

ふらふらになってホテルに朝帰り。

非常に感銘を受けた。地方の国立大学にはまだこういう気風や文化が残っているんだろうか。琉大だけかな。

学生たちが自主的に集まって、夜中のバーで酒飲んだり映画見たりしながら、朝までがんがん議論する。これが大学じゃなくて、何が大学でしょうか。

他にもたくさんあるけど、この例は象徴的だと思う。

もちろんあんまり理想化するのはよくない。不登校になって休学したりひきこもりになる学生も少なくないと聞くし、就職率もかんばしくないです。

ただ、例えば琉大のあるゼミでは、オタク文化をテーマに10万字の卒論を書く学生がいたりして、その卒論も送ってもらって読んだけど、ああこういうのが勉強するっていうことだよなあ、と思う。世の中の役に立つとか、なにかの問題解決につながるとか、自分の知識が増えるとか、就活でアピールできるとか、そういうことを一切考えずに、4年間かけて10万字書く。これが勉強するっていうことだよな、と思います。

まあ、基地の問題とか、内地からのオリエンタリズムとか、沖縄県内での階層格差とか、いろいろありますけども。それはそれとして、こういう空間がいまの日本にまだ残っているというのは、これはもうほんとうに珍しい、希有なことです。奇跡といってもいいと思います。

ただ、やはりこれから大学そのもののあり方が厳しく問われる時代になっていくことは明らかです。琉球大学だけが、いつまでも外の世界と隔絶した「知的治外法権」ではいられないでしょうし、ちょっと世界のなかで居場所がない学生を集めて4年間面倒を見るという役割も、薄まっていくんだと思います。

だからこそ、こういう場所は貴重です。こういう空間はもうこの国からはどんどんなくなっていくと思いますが、せめて、昔は琉大はこういう雰囲気があったんだよと、伝えていきたいと思います。なんかちょっと悲観的なまとめですが。

最後が悲観的になっちゃったので琉大のキャンパスの写真を適当に載せます。行くのがいつも夏休みとか春休みなんで、ひとが写ってませんが、それでも素晴らしいキャンパスであることはおわかりいただけると思います。ちなみに生協食堂のカフェテラスのほうのハンバーガー、めちゃめちゃ旨いです。沖縄ってハンバーガー旨いよね。