揚げ足とりと吊るし上げの国

今日、東京でおこなわれた東日本大震災の一周年追悼式で、野田首相が以下のようなスピーチを述べたらしい。記事が消えてしまう前に以下に全文を引用する。新聞社の記事ではあるが首相のスピーチなので問題はないと思う。

 本日ここに、天皇、皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、東日本大震災1周年追悼式を挙行するに当たり、政府を代表して、謹んで追悼の言葉を申し上げます。

 多くの尊い命が一時(いちどき)に失われ、広範な国土に甚大な被害をもたらした東日本大震災の発生から、1年の歳月を経ました。

 亡くなられた方々の無念さ、最愛の家族を失われたご遺族の皆様の深い悲しみに思いを致しますと、悲痛の念に堪えません。ここに衷心より哀悼の意を表します。また、今もなお行方の分からない方々のご家族をはじめ、被災された全ての方々に、心からお見舞いを申し上げます。

 亡くなられた方々の御霊(みたま)に報い、そのご遺志を継いでいくためにも、本日、ここに三つのことをお誓いいたします。

 一つ目は、被災地の復興を一日も早く成し遂げることです。

 今もなお、多くの方々が、不自由な生活を余儀なくされています。そうした皆様の生活の再建を進めるとともに、生まれ育ったふるさとをより安全で住みよい街として再生させようとする被災地の取り組みに最大限の支援を行ってまいります。

 原発事故との戦いは続いています。福島を必ずや再生させ、美しいふるさとを取り戻すために全力を尽くします。

 二つ目は、震災の教訓を未来に伝え、語り継いでいくことです。

 自然災害が頻発する日本列島に生きる私たちは、大震災で得られた教訓や知見を、後世に伝承していかなければなりません。今般の教訓を踏まえた全国的な災害対策の強化を早急に進めてまいります。

 三つ目は、私たちを取り結ぶ「助け合い」と「感謝」の心を忘れないことです。

 被災地の復興には、これからも、震災発生直後と同様に、被災地以外の方々の支えが欠かせません。また、海外からの温かい支援に「恩返し」するためにも、国際社会への積極的な貢献に努めていかなければなりません。

 我が国の繁栄を導いた先人たちは、危機のたびに、よりたくましく立ち上がってきました。私たちは、被災地の苦難の日々に寄り添いながら、共に手を携えて、「復興を通じた日本の再生」という歴史的な使命を果たしてまいります。

 結びに、改めて、永遠に御霊の安らかならんことをお祈り申し上げるとともに、ご遺族の皆様のご平安を切に祈念して、私の式辞といたします。

<東日本大震災>野田佳彦首相の式辞 1周年追悼式 毎日新聞 3月11日(日)15時28分配信

すっかすかの中学生の作文みたいで正直驚いた。別に気の利いたフレーズや美辞麗句で飾り立てる必要はないが、それにしてもこのスピーチの中身の無さはどうだろう。紋切り型ばかりで、ありきたりで、記憶にも印象にも残らない、ほんとうにどうでもいい文章である。

マーチン・ルーサー・キングとはいわんが、たとえばオバマ大統領の就任演説や、スティーブ・ジョブズの有名なスピーチと比べると、一国の首相としてこれはないだろう、と思う。「せいいっぱい頑張ります」ゆうて、高校野球の選手宣誓ちゃうねんから。

とうぜんここは一国の首相であるから、優秀なスピーチライターが後に控えているだろうから、野田首相本人の文才がないという話ではなく、非常に優秀なライターなり官僚なりが作った文章がこれだ、っていうことは、これは別にアホが適当に書いた文章ということではなく、賢いスタッフがいろいろ考えをつくして一生懸命書いて、必然的にこうなったんだろう。

ようするにこれは、だれかを感動させよう、自分がほんとうに思っていることを言おう、歴史に残るようなスピーチをしよう、ということではなく、右からも左からも、被災地からもそれ以外からも、原発推進派からも反対派からも、上からも下からも、アメリカからも国内からも、与党からも野党からも、どこからもツッコまれず文句も出ず、揚げ足もとられないような文章を、非常に優秀なライターや官僚が頭を振り絞って書いたということなのであろう。

その意味ではこれは文才と知性あふれる非常に優秀なスピーチなのである。

ようするに、われわれが政治家のくだらない失言の揚げ足をとって吊るし上げたりばっかりしているから、必然的にこうなっているのである。われわれがこういう政治家を、こういう演説をつくっているのである。

他方で、某市長のように、日本の戦争責任を公の場で、しかも被害にあった国の代表にむかって直接否定するようなことを発言しても、さすがに大きく報道はされたけど、国内的には何のおとがめもない、というのはいったいどういうことだろう。国によっては明白に法律違反になり一発でアウトになるような発言だと思うのだが、クビになったり辞職したり解散したりする気配もない。

だから何、ということもない小ネタではあるが、たとえば国際人権規約に批准しながら差別を禁止するまともな法律すらないこの国で、「人の心を傷つけるのはやめましょう」という啓発ポスターがやたらと地下鉄のトイレに貼ってあるのと、根っこのところでぜんぶつながってるなあと思った。

“揚げ足とりと吊るし上げの国” への2件の返信

  1. 大衆の抱える悪さを大衆自身が少しは認識する仕組みが必要だなと常々感じます

  2. なにを言うかだけではなく、なにをするかも大事かなあ‥なんて思いました。

    がっ、結局なにをするでもなく、ただ事なかれなのは、要はこれも本質‥根っこは同じ。‥なんでしょうね。

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