沖縄社会学会第7回大会のお知らせです。
日時:2024年12月15日(日)9:30~16:00
会場:名桜大学 看護学科棟 講義室1(沖縄県名護市為又1220-1)
開催方式:対面とzoomオンライン配信のハイブリッド
※ 大会に参加する場合は以下のリンクより、申込みください。前日にzoomのリンクを送ります。
※ 参加無料、途中退席/参加可です。
予約申込はこちらからお願いします。
https://forms.gle/go9eEubQGtdUzSBU7
第1部 個人報告(9:30~12:30)
9:30 第1報告
岸 政彦(京都大学)
「人生についての信念――沖縄戦と戦後の生活史から」
10:15 第2報告
玉城 尚美(所属なし)
「A市の人事配置と管理職登用から考察するジェンダー格差」
11:00 第3報告
池尾 靖志(立命館大学 非常勤講師)
「南西諸島における国民保護と住民避難」
11:45 第4報告
石川 勇人(大阪大学 大学院)
「元白梅学徒隊中山きくの記録活動のはじまり――広島在住時代のライフヒストリーを基軸に」
12:30〜13:30 休憩
第2部 シンポジウム/パネルディスカッション(13:30~16:00)
13:30
「米軍統治下沖縄の公衆衛生政策――ハンセン病政策と公衆衛生看護婦制度から」
≪主旨≫
今年、沖縄社会学会が初めて開催される山原に、86年前(1938年)、ハンセン病患者隔離政策の拠点として愛楽園が開設された。戦前から行われていたハンセン病隔離政策は、米軍統治下沖縄においても継続した。愛楽園に隔離されて暮らした人々は、公衆衛生看護婦(以下、公看)が医療や公衆衛生を担った米軍統治下の沖縄の人々とともにあった。
米軍によって性病予防の担い手として1951年に導入された公看は、慢性的な医療人材・施設不足に悩まされていた沖縄において、地域医療の重要な担い手となった。占領下沖縄では1950年代〜60年代にかけて結核が蔓延しており、公看の業務の多くも結核に関するものだった。公看の仕事のハンセン病患者に関する割合は少なかったが、ハンセン病隔離政策において、公看が果たした役割は大きい。
本シンポジウムでは、米軍統治下沖縄におけるハンセン病政策及び公衆衛生看護婦制度を、米軍統治の歴史や冷戦の文化政治という世界史的文脈に位置づけて示した上で(増渕)、愛楽園の歴史を概観し、ハンセン病患者・回復者・家族にとってハンセン病政策がどのような経験であったのか検討する(鈴木)。こうした作業を通して、米軍と衛生政策の関係という現在にも続く問題を考えるための視座を提示する。
報告
増渕 あさ子 (同志社大学政策学部助教。専門は沖縄占領史・医療史)
鈴木 陽子 (沖縄愛楽園交流会館学芸員、立命館大学生存学研究所客員研究員)
進行
山城 紀子 (ジャーナリスト 元沖縄タイムス記者)
16:00 終了