大事だけど、そのすべてではない

社会学者や評論家や作家で、ふだんリベラルなことを言うのに、性的な領域に関する話題になるととたんに「ロマンティシズム全開」になるおっさんがいる。

ふだんは個人主義的で合理主義的なことを発言するのに、「性」、あるいは「女」についてのことになると、とたんに「ただのおっさん」になる。

たとえば、労働市場における女性の不利な扱われ方についての議論をしているときに、こういうおっさんはよく、「女性を『男性なみ』にすることは、女性が本来持っている役割を否定することにつながる。悪しき平等主義だ!」とかいうことを言う。

古典的といえば古典的だが、いまだにこういうことを言うおっさんはとても多い。

最近笑ったのが、これ。

島地勝彦の「遊戯三昧」 「絆す」の読み方、わかりますか? 2人の伝説的編集者が明かす人間関係の奥義──第13回ゲスト:松岡正剛さん(後編)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48534?page=3 (3ページめ)

島地 そう、プールに行ったら必ず、250メートルは後ろ歩きします。

松岡 なんだ、案外、健康に気を使ってるんじゃないですか。

島地 健康というより、鍛錬です。シングルモルト、葉巻、肉、女。人生を充足させる4つの要素を楽しむための鍛錬とお考えください。

人生を充足させる4つの要素が「シングルモルト、葉巻、肉、女」であることにも笑ったが、そのためにしていることが「プールで後ろ歩き」である。おっさんというより完全におじいちゃんだ。段差に気をつけてね。

性的なもの、あるいは女性そのものに対するこうした「男のロマン」(笑)には、逆に、性的なものなしでは自分自身さえ保てないような、おっさんの過剰な思い入れが感じられる。

いつも思い出すことがある。

高校のときに、生物の先生が授業中、生殖の話をしてて、男子校だったこともあり教室がけっこうザワザワしたのだが、そのときにその先生が、いつも温厚な先生だったがそのときも穏やかに、語りかけるように、おまえらな、若いからしょうがないけどな。たしかに、性的なものは、大事なことだよ。だけど、人生にとって、性的なことなんて、ごく一部でしかないんだよ。それは大事なことで、おろそかにしちゃダメなことだけど、でもそれは、人生のぜんぶじゃないんだよ。

って言ったのが、ふだん授業なんてぜんぜん聞いたこともなくて、そもそも高校のときから授業なんかサボりまくってたけど、それでもなんか妙にそのとき感動して、だからいつまでも覚えてる。

とても大事な人生の一部だけど、でもそのすべてではない。

いまだによくわからないけど、なんか妙に、その一言を、ずっと覚えている。