瓢箪山

また天満のマッサージ屋の話ですが。

こないだまた台湾人の店長のHさんにぎゅうぎゅう揉まれてたら、ひとりのおっさんが入ってきて、「暑いから涼ませて! 休憩させて!」と大きな声で言った。スタッフは追い出そうとしたんだけど、Hさんは俺を揉みながら「いいですよ! どうぞどうぞ」と言った。なんていいひとなんだろう。

そのあとそのおっちゃんは、店の若い女性のスタッフをつかまえて、えんえん独り言のように喋り出した。

おっちゃん「ぼくは小説家なんやけどね。けっこう売れてるんですよ」

スタッフ「すごいですねー。又吉さんの『火花』とかすごいですもんね」

おっちゃん「あんなのたいしたことないで。俺の弟の本のほうが売れてるで」

弟か。

そのあと、そのスタッフの女の子に、瓢箪山にあるワンルームマンションがお得だからそこに住めとしつこくせまっていた。瓢箪山って知ってるか? いえ知りません。瓢箪山知らんのか! 近鉄や。近鉄奈良線や。こっからやったら鶴橋から乗り換えたらすぐやで。なんで? いまどこに住んでるの? どんな部屋? 家賃いくら? それやったら絶対ここのほうがええで。

そのうちどこかに携帯をかけだした。電話越しに誰かを喋ってる。するといきなり女の子に「ちょっとかわって」って言って携帯を渡した。

もうスタッフの女の子も困り果てている。でも仕方なく電話をかわると、なんか適当に、はい、いいえ、そうですか、はい、と返事していた。

電話を切って、おっさんがどうやった? って聞いたら、鶴橋から瓢箪山まで25分ぐらいかかって、そこからまた10分ぐらい歩くんですよ。

そのあたりから俺も聞いてなくて、覚えてない。

マッサージが終わって、トイレに行って、帰ってきたら、おっちゃんは奥の詰所みたいなところに隔離されていた。

店を出てから、腹が減っていたので、てんぷら定食屋に入ってカウンターに座り、てんぷら定食を頼んだ。隣に座っていた見ず知らずのおばちゃんが、とつぜん俺に「空(あ)くときは一気に空きますなあ」と言った。

それまでカウンターが満席で、ようやくひとつ空いてる席がそのおばちゃんの横で、そこに座ったのだが、俺が座ったとたん、カウンターに座っていたおっちゃんたちがまるで集団客のようにいっせいに食べ終わって立ち去っていって、カウンターががら空きになった。

がら空きのカウンターの、いちばん隅っこで、おれとおばちゃんは隣り合わせでくっついててんぷら定食を食べた。えび、とり、いか、茄子、かきあげ、玉子のてんぷらに味噌汁とご飯がついて750円。てんぷらは揚げたてのやつがひとつずつ皿に盛られる。

おばちゃんは「この店ずっと気になってましてん。いっつも並んでますやろ。今日はじめて入ったろと思って、20分ほど並んだのに、いまガラガラですわ」と言いながらてんぷら定食を食べていた。

先に食べ終わった俺はおばちゃんに、お先です、と挨拶して店を出た。

他人に対するハードルが低すぎる街である。

「私は別にいいと思うけど」

こんなことを言ったひとがいた。

「学生がデモに参加したら、就職できないかもしれない。べつにデモに参加するなとは言わないけど、世の中そんなに甘くないから。そういう会社も多いからね」

うまく言えないけど、こういう語り方に似てるものはたくさんある。

社会学者の野口道彦(大阪市大人権問題研究センター名誉教授)の主著『部落問題のパラダイム転換』(明石書店、2000年)に、こんな語りが紹介されている。部落問題に関するアンケートの自由記述部分を集めて分析している章のなかで引用されているもののひとつの、そのまたごく一部だけど、こういうもの。

「差別はいけないことだと思っていても、もしも我が子が被差別部落の人とつきあったりということになると、悩んでしまうかもしれないというのが現状です」

部落の人と結婚しようとする我が子に対して、自らの結婚差別を正当化する語りとして、親からよく語られる、ある種の語りのパターンがある。

例えばこんな感じ。

「わたしは差別はよくないと思うけど、でもあなたが部落のひとと結婚すると、つぎに結婚するあなたの妹やいとこに迷惑がかかるじゃない? だからもっと慎重に考えて」

共通して対比されているのが「現実の世界」と「仮定の世界」で、そしてそこで選択すべきなのは「仮定の世界」だとされている。なにか、ほんとうにそうなるかどうかもわからないような仮定の話で、現実に起きているいろいろなことが否定されたり、抑圧されたりする。そういうときに、こういう語りが使われる。

そして、ここで何かを決定しているのは、語っている本人ではなく、どこかにいる知らない他人、つまり「世間」だとされる。

こういう語り方は、よくある。なにかをあらわしていると思う。

自分が責任を負わずに、ひとを抑圧するやりかた。

板東英二

ちょっと前の話ですが。

よく髪を切りにいくところで、その日もうだうだ喋りながら髪を切ってもらってたら、ひとりの小柄なおっちゃんが店に入ってきて、待合のソファに座った。深く帽子をかぶって顔が見えないようにしていたが、それはどう見ても板東英二だった。

その次の日、いつもよく行くマッサージ屋で、台湾人のHさんにぎゅうぎゅう揉まれていたら、店中に響き渡る声で、板東英二が入ってきた。うつぶせになっていたので顔は見えなかったけど、あの声は聞き間違うことはないと思う。でかい声で関テレがどうしたこうしたと喋ってた。

その次の日、すこし離れた場所にあるジャズクラブで、とても好きなボーカルとピアニストが出演するので、おさいと聴きにいった。カウンターで飲みながらマスターと喋ったら、とつぜん「さっきまで板東英二さんが来てましてん」と言った。

いやこれほんまやって。ほんまの話やって。