「私は別にいいと思うけど」

こんなことを言ったひとがいた。

「学生がデモに参加したら、就職できないかもしれない。べつにデモに参加するなとは言わないけど、世の中そんなに甘くないから。そういう会社も多いからね」

うまく言えないけど、こういう語り方に似てるものはたくさんある。

社会学者の野口道彦(大阪市大人権問題研究センター名誉教授)の主著『部落問題のパラダイム転換』(明石書店、2000年)に、こんな語りが紹介されている。部落問題に関するアンケートの自由記述部分を集めて分析している章のなかで引用されているもののひとつの、そのまたごく一部だけど、こういうもの。

「差別はいけないことだと思っていても、もしも我が子が被差別部落の人とつきあったりということになると、悩んでしまうかもしれないというのが現状です」

部落の人と結婚しようとする我が子に対して、自らの結婚差別を正当化する語りとして、親からよく語られる、ある種の語りのパターンがある。

例えばこんな感じ。

「わたしは差別はよくないと思うけど、でもあなたが部落のひとと結婚すると、つぎに結婚するあなたの妹やいとこに迷惑がかかるじゃない? だからもっと慎重に考えて」

共通して対比されているのが「現実の世界」と「仮定の世界」で、そしてそこで選択すべきなのは「仮定の世界」だとされている。なにか、ほんとうにそうなるかどうかもわからないような仮定の話で、現実に起きているいろいろなことが否定されたり、抑圧されたりする。そういうときに、こういう語りが使われる。

そして、ここで何かを決定しているのは、語っている本人ではなく、どこかにいる知らない他人、つまり「世間」だとされる。

こういう語り方は、よくある。なにかをあらわしていると思う。

自分が責任を負わずに、ひとを抑圧するやりかた。


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