第8回 社会調査研究会(A研)大和冬樹・筒井淳也

次の研究会のお知らせです(今回から研究会の名称から「大阪」がなくなっております)。東京大学大学院生の大和冬樹さんにご報告いただきます。コメンテーターは立命館大学の筒井淳也先生です。

詳しくは以下を御覧ください。都市の貧困、統計的因果推論、近隣効果論などがキーワードです。まだあまり日本に導入されていない、米国の最新の統計技法についてご関心がある方は、お誘いあわせの上、ぜひぜひご参加ください。せっかくの交流の機会なので、院生さんも連れてきてください!

それではよろしくお願い申し上げます。参加自由・予約不要です。

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第8回 社会調査研究会(A研)

〈日時〉

2017年10月7日(土)14:00~18:00

〈場所〉

「コモンルーム中津」6階セミナールーム
地下鉄御堂筋線「中津」3番出口すぐ/阪急「梅田」駅(茶屋町)から徒歩10分
大阪市北区豊崎3-15-5
http://cr-nakatsu.com/

〈報告者〉

大和冬樹(東京大学大学院)

〈コメンテーター〉

筒井淳也(立命館大学)

〈報告タイトル〉

「近隣効果論とは何か ―米国都市貧困研究の達成と課題―」

〈概要〉

 近年米国の都市貧困研究では、近隣効果(Neighborhood Effect)論が隆盛を見せている。近隣効果とは、個人の社会経済的属性を超え、貧困が集中した空間の特性それ自体が貧困現象に影響を与えているのではないかとの仮説のもと、居住地それ自体が持つ効果を探求する研究プログラムである。本発表では、将来的な日本の貧困研究への応用を見据え、この近隣効果論のレビューを行う。まず、米国での発展動向を紹介した上で、この近隣効果論の方法論上の特徴と既存研究に比して優れている点、また、近隣効果論が研究プログラムとして抱えている問題点を指摘する。そして、日本において近隣効果論を導入する際はどのような点に留意すべきかを検討する。

〈報告者からの一言〉

 次回研究会は、「近隣効果論とは何か―米国都市貧困研究の達成と課題―」ということで、米国の貧困研究で近年隆盛を見せている近隣効果(Neighborhood Effect)論についてご紹介します。この近隣効果論は、貧困が集中した空間の特性それ自体が、個人の社会経済的属性を超え、貧困現象に影響を与えているのではないかとの仮説のもと、居住地それ自体が持つ効果を探求する研究分野です。米国では1980年代末より進展してきた分野なのですが、本邦ではほぼ未導入なのが現状です。

 近隣効果論は、米国で蓄積されてきた大規模パネルデータや移住実験データを元に、統計的因果推論を用いることで、貧困が集中する都市空間をいかに分析しうるかという点で方法論的に大きな示唆を持ち、日本の貧困研究の応用可能性を秘めています。その一方、米国で行われている近隣効果研究をそのまま日本に移植するには困難な点があり、また近隣効果論自体の方法論上の限界も存在します。本発表では、それらの点も含め近隣効果論について鳥瞰図的なレビューを行いたいと思います。


白と黒の大阪

イルフォードとかいうとこの「白黒写るんです」を買った。

https://www.amazon.co.jp/dp/B00AKTSQ98?th=1

撮ってみたら、ボケボケ(笑)暗い(笑)なんか昔懐かしい、ねっとりした味わい。

しかも現像するのもめっちゃ時間かかった。CDに焼いてもらおうと思ったらまたさらに時間がかかるので、とりあえず紙に焼いてもらって、手作業でスキャンした。

このいそがしいときに何やってんだ俺は……

大阪のいろんなところを散歩して、適当にぱしゃぱしゃ撮りました。愛想もないし工夫もない写真ですが。

フィルム楽しいねえ。

 


雨すごかったですな

雨すごかったですな

──すごかったなー。もう(台風)すぎたかな

すぎたみたいですな。もう大丈夫でっせ。

──あ、そうか。

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──おっちゃん、ずっと京都?

京都……。もう40年ぐらいになりますかな。70やから、もう40年かな

──70歳か! 若いな。

何言うてますの(笑)。

──ずっと京都で働いてんの?

そうですな。

──タクシーはそんなに長くない?

ええ、タクシーは長くないですわ。

     *  *  *

もとは和歌山。

──あ、和歌山な

親父が運送屋はじめて、そのてったい(手伝い)してましてん。それが始めのころはえらい儲かって、調子乗ったんですな。親父に怒られて、もう出ていけーちゅうて(笑)。ほな出てったるわーいうて、それからですわ。

親父亡くなるまで帰りませんでした。

ちょうど京都に兄貴がおったんで、そこに転がり込んで。

いろんなことありました。いろんなことしました。

四条に、ハンカチ、アパレルの。ハンカチの会社。入って、いろいろ教えてもろて。修行して。自分でも会社おこしたんですわ。

自分の会社はアパレルやのうて、ケミカル。ケミカルシューズ。

──ヘップサンダルとか?

そうそう、ヘップサンダルとかな。それが、95年の震災で。

──ああ、震災な……

あのとき、商売仲間から電話来まして。朝。おまえテレビつけてみいいうて。つけたら、あんなんですわ。これどないすんのいうて。長田に、ようけ取引先の工場がありましてん。

次の日、仲間と行ったんですわ、車で。ほんだら、2号線通れしません。途中から。

三宮の手前から、ぐるっと六甲まわって長田に出る道があるんですわ。えらい遠回りして、そこ通って長田に。

──焼け野原?

もう、まだ煙出てるようなときですわ。

そしたら、ケミカルの社長。丁稚から何十年も苦労して、やっと自分とこのビル建てて、建てたと思ったらこれでっしゃろ。

泣いてたなあ……。

こんなん傾いてな。ビル。

九州から出てきた社長さんやってんけど、えらい苦労して丁稚奉公して。長田にやっとビル建てた直後。

で、そのあと仲間と、もう歩いて帰ろうってなって、あの高速道路の高架が倒れてるとこ。あそこの道通って、歩いて。

途中でタバコ屋が、つぶれて、焼けて、がれきになってるところの、家の前をおばちゃんが掃除しとったんですわ。

あれは忘れんわ。

家の前にようけタバコ落ちてるんですわ、散乱してて。

おばちゃん、これお金置いとくさかい、ひとつもらうでって言うたら、お金いらんからなんぼでも持ってって。ぜんぶ持ってって、って。

いや、んな訳にはいかんわいうて、おばちゃんここお金置いとくからなーって。いうてんのに、お金いらんから全部持ってってー、って。あのさみしそうな顔、ほんと忘れんなあ。

──ほんで会社どうしたん?

つぶれてませんで。自分から、自分からもうやめますーいうて。やめた。

ほで、ぶらぶらして遊んでたら、知り合いが、お前遊んでるんやったらウチ来いって。MKタクシー。

──ああ、MK

ほんでも、もう2年で嫌になって。(決まりごとが)うるさいうるさい(笑)。

──MKなー、はいといいえしか言わんからな(笑)

いらん話すると怒られるんですわ(笑)。それから(はずっと)タクシー。

──そうかー。

しかし都議選えらいことなりましたなー

──なったなー。なんか大阪の維新の会のとき思い出したわー

あー維新もなあ。橋下もええこと言うてんやけど。

──そうか(笑)

[ここでタクシーは西院の駅に着く。]

──おっちゃんありがと。あここでええわ。領収書ちょうだい。

ありがとうございました、お忘れ物ないように。

──ありがとー。


明石と須磨

1日だけ休みをとって、ぶらっと電車乗って、明石と須磨に行ってきた。近いところにある、遠い昭和。

はじめてちゃんと明石焼きを食べた。あれはうまい食いものだな。ついつい、ビール。

また電車乗って須磨へ。ロープウェーに乗った。

ずっと昔からある昭和。いつでもそこにある。ちょっと電車に乗ったら、いつでもそこへ行ける。手に触れることもできる。

楽しかったから、調子に乗って「写るんです」で撮りすぎて、すぐにフィルムが切れてしまって、須磨のロープウェーの次に乗ったリフトの写真とかを撮れなかった。

写るんです、楽しいな。そのへんのコンビニとかでぱぱっと買って、これだけ持って、また電車乗ってどこか近所にある遠い昭和を見にいこう。

 

 


写したんです。

最初に鈴木育郎さんとお会いしたのは太田出版の『atプラス』の「生活史特集号」の撮影のときで、なぜか私の写真が表紙になるということで、恥ずかしかったけど、どうせならと撮影場所には大阪の京橋という下町の盛り場をお願いした。

はじめて会った鈴木さんは、背の高い、男臭い、ボクサーみたいなかっこいい人で、真っ赤なコートを来て、手ぶらで京橋駅の改札に現れた。「え、手ぶらなんですか」って聞くと、ポケットからボロボロの古いニコンを出して、これ一台だけです、レンズもこれだけで十分ですと言った。やられた、この人かっこいい。

撮影も楽しかったけど、フィルムで撮られた写真がほんとうに、とても素敵で、そのときの写真はいまでもときどきプロフィール写真として使わせてもらっている。

いいよなあ、フィルム。

もちろん鈴木さんの足元にもおよばないけど、なんとなく自分でも遊んでみたくなって、よく見ると近所のコンビニや写真屋さんで、いまだに写ルンですが売られている。聞けば、「リアルにインスタみたい」ということで、また流行ってるらしい。ええことや。

というわけで、15年ぶりぐらいに写ルンですで遊んでみた。

なつかしかった。最初にシャッターを押すとき、どうやって対象物を確認するのか、わからなかった。ファインダーを覗くという身体動作自体を忘れていたのだ。

フィルムは27枚しか入ってないので、iPhoneみたいにばしゃばしゃ撮れない。1枚ずつ大事にシャッターを押す。撮り終わったあとも、なんとなくめんどくさくてデスクの上に置きっぱなしになってて、やっとついこないだ写真屋さんに持ち込んだ。すでに15年前からあるサービスだったけど、いまでもCD-ROMとか他のメディアにデータを焼いてくれる。

そして現像を待つのも2、3日かかる。なんてのんびりしてるんだろう。

ひさしぶりに撮った写ルンですの写真は、とても「個人的」な写真だった。


その村の人びとはみんな同じ日に生まれた

沖縄に流れる独特の時間を共有することは、私たち内地の人間にとっては、ほんとうに難しい。先日、那覇で乗ったタクシーのおっちゃんから、面白い話を聞いた。そのおっちゃんは50代後半ぐらいだったんだけど、その両親が、かなり歳の差が離れているにもかかわらず、同じ誕生日なのだという。

私は最初、わけがわからなくてぽかんとしていたのだが、よく聞くとこういうことだった。戦後、彼の両親の村は焼け野原になった。そのために、村の人びとの戸籍をもういちど作り直すことになった。そういうことは、戦後の沖縄ではよくあったらしい。

そのときに、当時の区長(自治会長)が、村の人びと全員の誕生日をあらためて調べるのが面倒だったので、すべて「自分の誕生日で」申請してしまったという。

だから、その地区の住民は、若いひとも年寄りも、男も女も、すべて同じ生年月日なのだ。

こういう感覚。

こういう感覚は、いちど焼け野原にならないと、生まれないのではないか。焼け野原になって、そして日本やアメリカのはざまでいいように扱われ、ふみつけにされた土地でないと、こういう感覚は生まれないのではないか。

     *  *  *

「沖縄的なもの」について、社会学者は好んで語りたがるが、また一方で、そうした沖縄的なものの語りのなかにひそむ素朴な本質主義の危険性についても語られている。私たちは、沖縄の人びとの暮らしのなかの「独特の感覚」を語るとき、ついそれを文化的DNAだの、独特の風土などという、くだらない、無内容のものに還元してしまう。

しかしまた、それを批判する人びとは、「沖縄的なもの」は単なる語り、あるいは「カテゴリー」で、そのつどのその場の会話のなかでやりとりされ、「構築される」ものにすぎないと言ってしまう。そのときそれは、ただの嘘、フィクションになる。

私は、沖縄的なものは、「ほんとうにある」と思っている。あるいは、もっと正確にいえば、ほんとうにあるのだということを私自身が背負わないと、沖縄という場所に立ちむかうことができないような気がしている。

でもそれは、文化的DNAとか気候風土とか、そういうことじゃなくて、おそらくはもっと世俗的なものと関係があると思っている。また、そのように世俗的に語らなければならない、と思っている。特に、ナイチャーとしての私は。

     *  *  *

こういうことについて、ある沖縄戦体験者の語りから、私は短い文章を書いた。

「海の小麦粉──語りにおける複数の時間」
現代思想2017年3月号 特集=社会学の未来
http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3018

これは、現在のなかに折りたたまれている過去についての物語であり、あるいは、不意に海から流れてよせてくるものについての物語である。

この論考は、いずれ出ることになっている、『生活史の理論』という本のなかに再録されますが、お読みいただけたらうれしいです。


ここが、トイレです

先日、たまたま降りた小さな駅でトイレに行ったら、誰もいない無人のトイレで、機械の声がエンドレスで流れていた。

ここが、トイレです。右が男性用、左が女性用です。

ここが、トイレです。右が男性用、左が女性用です。

誰もいないトイレで、意思をもたない機械が、その電源が続く限り、ここがトイレだと、世界に向かってつぶやき続けている。その言葉が誰かに届くかどうか思い悩むこともなく、誰かに届けと祈ることもなく、ただここがトイレですよと、右が男性用で、左が女性用だと教えているのだ。

そして、視覚障害者の方だけでなく、そのときの私のような、たまたま通りがかった者もまたこの声を聞き、そうか、ここがトイレか、そして右が男性用で、左が女性用なのだなと、知ることができる。

あのトイレの声は、今日もまた、これを書いている今も、ここがトイレですと、誰もいない宇宙に向かって、大事な言葉を送っているのだろう。

そういう言葉が、この世界のそこら中に存在する。ただ純粋に、自分の言葉が誰かに届くかどうかすら気にせず、ここがトイレですと教える声。

ここが、トイレです。右が男性用、左が女性用です。

ついこないだ、飲み会でこの話をしていたら、デイリーポータルZの林雄司さんが間髪をいれず、

そして、男性用トイレでは、誰もいないときにでも水が流れるんですよね。

と言った。私は、自分の声が確かに誰かに届いたことを知った。

さすが林さん。

女性の方はご存じないかもしれないが、男性用の小便器には、「汚れ防止のメンテナンスのために、誰もいないときに水が流れることがあります」と小さく書いてあるのだ。故障だと勘違いするひとがいるので、わざわざこう書いてある。

誰もいない無人のトイレで、意思をもたない声が流れる。ここが、トイレです。右が男性用、左が女性用です。

そしてそのとき、メンテナンスをするという意思も持たないただの機械が、小便器を清潔に保つための水を流す。そこには誰もいないのに。

みなさん、その駅に降りたら、トイレに行ってみてください。左右のトイレのどちらが男性用でどちらが女性用か、私たちは知ることができます。でもその声は、自分の言葉が誰かのところに届いたかどうかすら、永遠に知ることがないんです。


第6回 大阪社会調査研究会のお知らせ

ひさしぶりに大阪社会調査研究会(A研)を開催しますので、みなさまぜひふるってご参加ください。

今回は、大阪の被差別部落を中心として、大正期から戦後に至るまでの同和政策と解放運動を歴史社会学的に分析した、矢野亮さんの『しかし、誰が、どのように、分配してきたのか──同和政策・地域有力者・都市大阪』を取り上げ、著者ご自身にご報告いただきます。そして、コメンテーターお二人からコメントをいただき、著者からのリプライを経たうえで、全体討議をおこないたいと思います。

第6回 大阪社会調査研究会(A研)

2017/01/29(日)13時~

龍谷大学大阪梅田キャンパス研修室

『しかし、誰が、どのように、分配してきたのか──同和政策・地域有力者・都市大阪』書評セッション

著者報告

・矢野亮(著者/日本福祉大学)

コメンテーター

・宇城輝人(関西大学)

・前川真行(大阪府立大学)

出版社の詳しい紹介ページ

http://www.rakuhoku-pub.jp/book/27248.html

アマゾン

https://www.amazon.co.jp/dp/4903127249

もちろん、読んでない方でも自由に参加してください(笑)。予約不要です。終了後は懇親会をおこなう予定です。

みなさまのご参加をお待ちしております!!!


さようなら

みんなが雨宮まみさんの文章で救われました。

救われる、ということは、どういうことでしょうか。誰が、何から救われるのでしょうか。

私たち読者は、雨宮さんの文章を読むことで、自分自身から救われるのかもしれません。自分の憎悪や不安や恐怖から解放されるんです。

そういう負の感情を解毒する力を持った文章だったと思います。あなたは悪くない、ということと、でも正面から努力することも必要、ということを、誰も傷つけない形で書くことはほんとうに難しいことです。しかしそれをやってのける力を持ったひとでした。

みんなが雨宮さんのいろんな文章で、ネガティブな感情から解放される経験をしました。そうやって私たちは雨宮さんに頼ってきました。でももう、この世界からいなくなってしまいました。私たちのそういう感情の爆発を押しとどめてくれるような文章を書ける書き手がひとり、いなくなってしまったのです。

ついこのあいだの、『早稲田文学』の「新入生にすすめる本」という特集で1冊おすすめしてくださいと言われ、雨宮さんの『女子をこじらせて』を選びました。この本がいかに素晴らしい本かを述べた、その短い文章の最後に、私はこう書いたのです。

「私たちには、雨宮まみがいる。」

もちろん、本を開けばそこにいつも雨宮さんがいて、私たちはいつでも会うことができます。でももうその本は、続きを書かれることはありません。

私たちはこの厳しい時代に、雨宮まみがいないまま、生きていかなければならないのです。

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私が対談で浮気を否定したとき、雨宮さんが冗談で私に、浮気したほうがいいですよと何度も言うから、何でやねんと言ったら、作品に深みが出ますよ! って言ったから思わず笑いながら、作品が浅くて悪かったな! と言いました。

ほんとうに、キツい冗談をあっさりと上手に言えるひとでした。

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宝塚と女子プロレスが好きなひとでしたが、インスタやFacebookを見ていると、ほんとうに宝塚の舞台のような、キラキラした美しいものに囲まれた写真がたくさん載っています。

(これ、今でも見れますし、これからもずっとネットで見ることができるんですね。不思議です。そのうちふっと更新されるんじゃないかと思ってしまいます。)

宝塚と女子プロの共通点って何かなと思います。それはもしかしたら、女が、女であるままで、強くてかっこいいところ、なのかもしれません。

もちろん、雨宮さんの毎日の生活は、普通に地味なものだっただろうけど(知らないけど)、それでも雨宮さんにとっては東京は、劇場であり、またリングでもあったのでしょう。

雨宮さんは東京そのものでした。私は、雨宮さんとの対談集『愛と欲望の雑談』のコラムで、最初に雨宮さんと阪急電車の梅田駅で待ち合わせしたとき、遠くのほうからまるで「東京が歩いてくる」ように見えた、と書きました。

私の友だちには、東京そのものっていうひとが何人かいて、雨宮さんはそのひとりで、特にその代表みたいなひとで、だから私にとっては東京は、雨宮さんが生きている街でした。でも、もうこの東京には雨宮さんはいません。何か、東京の魅力がずいぶん減ったような気がします。

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女子プロレスがそんなに好きなら、書いたらええやん、と言うと、もっと詳しいひと多いし、だいたい読者がすごく少ないよ! 友だちに女子プロの魅力を熱弁するんだけど、そのときの反応がいつもすっごい薄いのー、と笑っていました。

でもたぶん、女子が堂々と、真面目に、何にも左右されずに自分らしく生きる物語として女子プロレスを書いてくれていたら、女子プロのファンも激増してブームになってたんじゃないかと、ほんとうに真剣に思っています。

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八重洲ブックセンターでの対談が、雨宮さんに会った最後になりましたが、そのときに以前よりもめちゃめちゃ痩せてたので、実はとても心配していました。実際に、体の調子も悪かったみたいですね。

体に気をつけてとか、なにかひとこと声をかけたらよかったのかなと思います。たぶん、雨宮さんに少しでも関わりのあるひとは、全員同じことを思ってるでしょう。

間に合わなかった一言があって、でも、間に合った一言もたくさんあると信じたいです。ちょうどいいタイミングでかけられるちょうどいい一言が、実は、自分たちも気づいてないだけで、この世界にはあふれてるんじゃないでしょうか。それが間に合ってくれたおかげで、私たちはその存在に気づかないだけなんです。ほんとうはそういう一言がたくさんあって、それで私たちは何とかやっていけているのだろうと思います。

自分たちでも気づかない、そういうことがたくさんあって、この世界が成り立っている。そう信じたい。

でもたまに、ほんとうに間に合わないことがあります。

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雨宮さんがいなくなってしまったことを、純粋に悲しもうと思います。断固たる決意で、堂々と、正面から、誠実に、真面目に、悲しもうと。そう、雨宮さんの文章のように。いつも真面目で誠実な文章を書くひとでした。だから、せめて読者のひとりとして、あの文章がもう二度と読めなくなってしまったことを、真面目に悲しみたいと思います。

怒りとか、悔しさとか、そういうのもありますが、でももうしかたがないです。私たちにできるのは、悲しむことぐらいです。

みんな、もっと泣いていいんですよ。目がパンパンに腫れて、同僚や家族や友人から笑われるぐらい、泣きましょう。これは、他ならない、私たち自身の悲しみです。

私たちには、泣くことが必要なんです。いまはただ、背中を丸めて、拳を握って、顔をくしゃくしゃにして、鼻をすすって、ぼろぼろ泣きましょう。いくらでも泣いていいと思います。

いろんなことがあって、いろんな感情がたくさん湧いてくるのは、別に恥ずかしいことじゃないし、悪いことでもない。私は雨宮さんの文章から、そのことを学びました。

あと何日か、いや何週間でも何年でも、思い出すたびに泣こうと思っています。それがたとえひとまえでも。別におっさんがひとまえで泣いてても、キモいとか、恥ずかしいなんてことはないです。たぶん雨宮さんなら、そう言ってくれるんじゃないでしょうか。

たぶん雨宮さんなら、そういうときは泣いていいんですよ! もっと泣きましょう! と、言ってくれるはずです。

変な話ですが、雨宮さんがいなくなったことを、雨宮さんに相談したいと思ってしまいます。あの美しい人生相談の本を書いた雨宮さんなら、どんなお茶を出してくれるだろうか、どんな言葉をくれるだろうかと思います。

雨宮さんがいなくなってどれだけみんなつらい思いをしているかを、雨宮さんに相談して、雨宮さんに一緒に泣いてほしいです。

そしてそれを一冊の本にしてほしい。出版されたら、お祝い会をみんなでしましょう。

いまはただ、純粋に、しっかりと、真面目に悲しみたいと思います。

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雨宮さん、毎日エゴサーチしてるんですか? 俺も一日に三回ぐらいするよと言ったら、「少ねえ…」と言われました。

雨宮さん、お葬式の日、『女子をこじらせて』が、Amazon全体で二桁まで行ってましたよ。俺が見たときは50位ぐらいに入ってました。

Twitterはもう、悲鳴ばかり並んでます。みんな、受け入れられないんです。「自分の寿命を削って雨宮さんにあげたい」っていうひとまでいましたよ。

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亡くなった次の日に何人かの方から連絡をいただいて、17日のお別れ会に参加してきました。近親者だけ、ということでしたが、5、60人の方が集まっていて、ほんとうにみんなから愛されていたんだなと思いました。

みんなもう、めちゃくちゃ泣いてました。あんなに参列者が泣くお葬式って、初めて見ました。お棺のなかの雨宮さんを見てみんな、その場で固まったまま、わんわん泣いてました。

そのあと雨宮さんは灰になりました。

あのお別れ会の場にいたひとたちも、その場にいなかったひとたちも、いちども会ったこともないひとたちもみんな、「自分にとっての雨宮まみ」を持っていると思います。雨宮さんとの思い出とか、会話の記憶とか、つらいときにその文章を読んで救われた経験とか、そういうものをみんな持っているんです。

どうしてかわからないですが、雨宮さんと話すと、なんか「話を聞いてもらえてる」っていう感じがするんです。雨宮さんだけじゃなくて、たまにそういうひとはいますが、雨宮さんは特に、そういう、「聞く力」を持ったひとだったと思います。その力は、実際に会話しなくても、その文章を読むだけで感じることができます。

だからこんなに雨宮ファンが多いんだと思います。

たぶん、みんな同じことを感じてると思いますが、雨宮さんの文章を読んでるときって、ひとが書いてることを読んでいる、というよりも、「自分の話を雨宮さんに聞いてもらってる」っていう感じがするんです。

これはほんとうに、不思議なことです。ひとの文章を読んでるのに、自分の話を聞いてもらってるような気がするんです。

自分のことが書いてある本。それを読むだけで、信頼できるひとにちゃんと話を聞いてもらえてるような気になる本。それが雨宮さんの本でした。

だからみんな、一度でも雨宮さんに会ったり、その文章を読んだりしたら、雨宮さんのことが好きになるんです。

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私がいちばん好きな雨宮さんの写真です。こんなに子どもみたいな、かわいらしい笑顔は、これまでのインスタやFacebookのほかの写真では見たことなかったので、びっくりしました。でもこれ、ほんとに直前の写真なんですね。

https://www.instagram.com/p/BMooTn6gJBm/

対談のときに、いままでもらってうれしかったプレゼントの話してて、バラの花束100本もらったときはうれしかった、と言っていたので、お別れ会のときに新宿のマルイの、青山フラワーマーケットで、小さなバラを5本だけ買いました。あの対談のときに、じゃあいつか俺も100本のバラの花束贈りますわと約束したのに、少なくてすみません。あと95本は、そのうち分割で配送します。

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しかしほんとに、亡くなったというよりも、「生きていた」んだなと強く思います。あんなに本気で自分の人生を生きていたひとはいないと思います。自分はどれくらい本気で生きているだろうかと思います。

お別れ会のあとご自宅にお邪魔して、形見分けの品をいただいてきました。

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氷砂糖みたいなやつは、たぶん何かの結晶とか何かそういう石です。意外なほどパワーストーンみたいな石がたくさん置いてありました。仲の良いお友だちのみなさんと一緒にお邪魔したのですが、みんな「まみって意外にスピリチュアルなんだよね」「スピッてるよねー」と笑ってました。

小さくてキラキラしててきれいで雨宮さんっぽかったので、無理をいってひとついただいてきました。

『東京を生きる』は、もちろんもう2冊ぐらい持ってますが、あらためて雨宮さんの本棚から連れて帰りました。

これが雨宮さんの本でいちばん好きです。女子ネタからなにかひとつ突き抜けた、大人の人生を書くことに挑戦した本です。作家として、ひとつの大きな壁を乗り越えた、記念碑的な作品です。ほんとうに、仕事の絶頂期に、ほんとにちょうどこれからというところでいなくなってしまったんだなと思います。

ちょっと個人的なことを書きますが(ぜんぶ個人的な話ですが)、2年ぐらい前にある出版社から「大阪について書いてください」という依頼を受けて、勢いで三日ぐらいで4万字ぐらい書いて、そこでストップして続きが書けなくなってしまった原稿がありました。

それからだいぶ経ってから、こないだその草稿を無理をいって雨宮さんに読んでもらったら、ものすごく褒めてもらって、これすばらしいです、何度も泣きました、これ絶対に出版してくださいねって言われました。じゃあもし出版できたら、帯の推薦文を書いてくださいとお願いしました。

雨宮さんは、そのときには、私の『東京を生きる』と合わせて、東京と大阪でブックフェアやりましょうって約束してくれました。

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バラの花束や東京と大阪のブックフェアの他にも「文化互助会」(お互いに自分の好きな本とCDを相手に無理やり買わせて、売り上げに貢献する)とか、いろいろ果たせなかった約束があります。

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雨宮さん、さようなら。また会いましょう。


両手を濡らす

前から不思議だったんですが、片手だけ濡らしてタオルで拭くとものすごく気持ち悪い。濡れてないほうの手をわざわざ濡らして、両手がともに水で濡れてる状態にしてから、両手でタオルで拭いたりする。なぜかわからないけど、片手だけ水に濡れてる状態って、意外に気持ち悪い。俺だけか。

自宅でも出張先のホテルでも、裸足のときはスリッパなんか要らない。ホテルの部屋に土足で入って、靴と靴下を脱いで、そのまま同じ床で裸足で過ごしてもぜんぜん平気だ。でも、秋冬の寒いときに、靴下をはいた状態だと、部屋用のスリッパをはかないと気持ち悪い。なぜかはまったくわからない。これも俺だけだろうか。

ということを書いていると、身近なあるあるネタのブログだと思われてしまう。

だから、大きなことも書こう。宇宙ってホログラフなんだってね。こないだ発見されたんだって。

すごいなあ。