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最後の沖縄にいつか行く

今年も夏休みにおこなう学生の調査実習の段取りで、ある離島に行ってきた。もう、とにかく、人も親切で、集落も美しく、そして海がほんとうにきれいだった。

最初に沖縄に行ってから、もう25年ぐらい経って、たぶん4、50回は通っている。友だちも知り合いもたくさんいる。

いままで沖縄でいろんな人に出会ったこと、いろんな店でべろべろに泥酔したことなど、すべてよく覚えている。

さいきんよく思うんだけど、最初の沖縄があれば、最後の沖縄もあるんだろうなあと思う。そのうち大学の仕事も退職して学生を連れていくこともなくなり、研究者としての調査や研究で行くこともなくなり、あとは個人的に友だちに会いに行ったり純粋に沖縄に行きたくなって行くようになるんだろうけど、そのうち、70歳か80歳かしらないけど、だんたん体も動かなくなってきて、それも行かなくなり、そして死ぬ直前に、ああいま思えば、あのとき行った沖縄が最後の沖縄だったんだなあ、と思うんだろう。最初の沖縄は「これが最初だ」ってはっきり思いながら行くけど、最後の沖縄はそれとは気付かずに行くから、行ってる最中は最後だってわかんない。死ぬときになってやっと、あのとき行った沖縄が最後の沖縄だったんだ、と思うんだろう。

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戦争と女

 それでまぁ、俺ら子どもって、17(歳)か。だからある程度は、引き揚げに対してなんかいろいろなことがあるだろうなぁと、暴動が列車襲ったり、な、することもあるだろうなって、子ども心に思っとったんや。

 17のとき。列車、貨物列車やで。日本でも走ってるやろ。貨物列車にな、何両あったかな、結構長かった。10両くらいあったかな。お互いにこうわかれて乗って引き揚げてきたんや。

 子ども心に何かあるだろうな〜って、何か暴動でもけーへんかなーっ思いよった。そしたらそんなにないんや、最初のうちはな。かえってな、駅に止まるでしょそしたら、チャイナ、いうたら怒られるけど、向こうの原住民がいろいろと物を持って売りに来るわけや。いろいろとね、食べ物を。あれ買ってくれこれ買ってくれやって。まだ日本人金もっとったから、ようみんな買って食べよった。

 俺はそんな持ってなかったけど。それがな親父がな、負けたときに何かあったら困るから、あんとき、あそこの価格で1000円か。兄弟に、これ持っとけよと。間違いあったらこれで生活しろよって。で終戦になって金を貰たんだけど、その金をな、性格通りあほやからな、その金をな、いらんことに使ってもうて。

 持ってへんかったけど、引き揚げの最中は金要らないから、一銭も俺らは。結局弁当買うのにも何買うのにもまんじゅう買うのにも親父が出してくれよったからな。だから、金使うことはなかったけどな、最初はそういう調子やったからな、「あぁ引き揚げってそんなたいしたことない」って思っとった。

 そしてあるときな、途中で、一晩列車のそばで寝たことがある。列車が動かんから。で、中国の兵隊さんが来て、今晩一人女をだせっていうてきたんや。それで初めて「負けたんだな」「負けたらこういうことがあるんだな」。

 女だせったって、簡単にあんた行ってくれ、こっち来てくれって言えへんやろ?

 そしたら、引き揚げる前に遊郭をしてた、ここでいう飛田みたいなとこ、そういう子が、まぁどんな話をしたんかしらんけども「じゃー行ってきます」いうて、一晩中国、中国軍の政府軍の兵隊の、こう、夜伽みたいなもんで一晩泊まったわけ。「あぁやっぱりな」っと思ってな。

—————————————

17歳で満州からの引き揚げを経験した元ホームレスの男性の語りです。今年出版される(予定の)私のインタビュー集に掲載される生活史の、ほんの一部です。

ある政治家の発言の影響で、戦争と性暴力が話題になっていたので、ふと思い立って掲載しました。書店に並んでいたら買ってください(笑)

差別的な表現も含まれていますが、語られたまま記録しました。

戦争、戦時性暴力、あるいは性暴力一般、さらにセックスワークの問題についてここで議論はしませんが、例の発言やそれに続く論争を見ていて、「戦争とはそういうものだ」「男とはそういうものだ」という一言で片付けたりせず、野蛮なものは野蛮だと、嫌なものは嫌だと、言いつづけることが大事なのかもしれない、と思いました。

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第4回 大阪社会調査研究会

**追記/会場に変更はありません、予定通りおこないます**

第4回大阪社会調査研究会のお知らせです。

日時:2013年5月18日(土)13時~
場所:龍谷大学梅田キャンパス

報告:齋藤直子(大阪樟蔭女子大学非常勤講師)

テーマ:「部落問題の現在──都市部落の変容と結婚差別を中心に」

部落問題の基礎的な知識から、最新の調査結果を踏まえた都市部落の実態、若者の暮らし、結婚差別の現状まで、詳しく議論します。

部落問題についてイチから学ぶチャンスです! 参加無料、予約不要。

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エレベーターを待つあいだ

こないだ大学の研究室から授業に行くときにエレベーターが来るのを待ってて、このエレベーターがクソほど遅い。時間が迫ってたのでイライラしてた。イライラしながら一瞬、しょうもない空想をしてた。

これ、1階から2階や3階に行く学生がたくさん乗ってくるんだよな。だからどうしても授業の合間の、ちょうどこっちも乗らないかんときにノロノロ運転になって、こっちは仕事なのに、いつもイライラさせられるんだよな。

学生がエレベーター乗るの禁止しろって教授会で言うたろか。

(笑)アホか、通らんわそんな話。ていうか学生かわいそうだし。

でも、もし通ったら、そっちのほうが怖いっていうか、学生がかわいそうなことになるな。

学生にエレベーターの使用を禁止したときに、やっぱりたまたまそのとき体調が悪いとか、体に障碍があるとか、いろんな事情でどうしてもエレベーターを使わないといけない学生が、いちじるしい不利益を蒙るよね。それは避けないといけない。

だから、たぶん、もしどうしても事情があってエレベーターを使いたい学生がいたらどうするの。っていう話になるな。

たぶん、教授会で誰かが「教務課で使用許可を出せばいい」って言い出すんじゃないかな。で、「エレベーター使用許可願い」みたいな書類の様式ができて、使いたい学生はいちいち教務課に申請に行くの。理由書とか、そのつど一筆書かされて。さらに、やっぱり官僚組織のことやから「診断書出せ」とか言いかねん。

身体障碍のある学生はどうするの。医師による「障碍証明書」とか。事務で手帳を見せる?

で、教務課で朝イチで「エレベーター使用許可願い」を出したら、その学生にはネームプレートみたいなものが貸し出されて、学生はそれを首からかけてエレベーターに乗るねん。で、たまにそれをかけ忘れてたりとか。教員とか職員は、ネームプレートを首から下げてない学生がエレベーター乗ってきたら注意しないといけない。

友だちと一緒にいても、許可を得た学生しかエレベーター乗れないから、他の学生たちは階段を使わないといけない。

車椅子を使用する学生には「定期券」みたいなのが支給される。その学生はずっとそれを表示してないといけない。車椅子乗ってるのに。

授業の最中に急に気分が悪くなった学生が、許可申請せずにエレベーターに乗って、それを見とがめて叱った教員とトラブルになって、ハラスメントの訴え起こされるとか。

もう、手にとるようにわかる。目に見える。

そこまで勝手に空想して心底うんざりしたところでエレベーターが来た。

組織が苦手です。

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橋下徹は美魔女である

美魔女っていうひとたちがいるらしく、まあ広告会社がなんかやってるだけだと思うんだけど、たまに雑誌に載ったりネットで流れてきたりする。めっちゃおもしろいし、なかには「すごい!」っていうひともいる。

で、こういうエクストリームな企画(笑)は反発されることも多く、そこらじゅうで陰口叩かれてたりする。そういうのも織り込み済みで企画してるんだろう。

なんとなくだけど、さらっと見ただけの印象だけど、なんとなく40過ぎても若くて可愛いままでいたい、っていうだけじゃなくて、ほとんどの美魔女タレントさんが、自己実現とか成長とか出会いとか、そういう要素というか属性というか主張というか、そういうものを混ぜてるみたいだ。

このへんが支持されるところでもあり、反発をくらうところでもあるんだろうと思う。

あるゼミ生女子が「女子力」という言葉で面白い卒論を書いたんだけど、ここ20年ぐらいの雑誌の記事や広告を調べ上げて、「女子力」ということばのなかに、ただ女として可愛くてモテるっていうだけじゃなくて、同時に仕事ができてコミュ力も高い、っていう意味が含まれてることを書いていた。面白いと思う。女も社会参加しないといけなくなってるんだけど、でもそれは「女であるままに」そうなんだろうか。

「商品」としての、あるいは「つくりもの」としての美魔女タレントが言う自己実現についてマジレスしてもしょうがないと思うが、だいたいこういうときの自己実現って、「心理学を学ぶために社会人大学院に入学する」ならかなりまともだけど、なんかちゃらちゃらしたカタカナ横文字の、何の役に立つのかもひとつわかんないような資格取るためのスクールに通うとか、そんな感じで、金持ちのお遊び感が半端ない。

いま「半端ない」ってブログで初めて使いましたけども。

ゼミの学生、とくに女子学生でも、美魔女企画に対して違和感をもつやつが多くて、雑談のときにいろいろ話を聞いてると面白い。どのへんがイヤなの? って聞くと、ものすごい答えに困ってる。

違和感あるっていう学生から出てくることばが、「いい歳してみっともない」とか、そんなんだったりする。で、それは言うたらあかんのちゃうかな、それって「25すぎた女には価値はない」とか、そういう言い方とどこが違うんやろ? っていうと、よけい困ったりしてる(笑)

美魔女への違和感の面白さって、うまく言語化できないところにあるんだよね。俺もうまく言えない。こういう一見ちゃらちゃらしてるようにみえる自己実現だって、それ自体は別に悪いことじゃないし。

どっかもやもやした、なんかウソっぽいなっていう感覚があって、それを言語化しようとすると、とたんに「単なる保守的な意見」になっちゃう。たとえば「いい歳してミニスカはくな」とか。でもミニスカートははきたきゃいくつになってもはけばいいんだよ。ほんとはね。「でも、そのミニスカはないんちゃうか」っていうのが、すごく言語化しにくい。けっきょく「いい歳してみっともない」みたいな言い方になっちゃう。

それはたぶん、美魔女タレントの企画が、いま現在俺たちを縛ってる規範への抵抗っていう形をまとってるからかな、って思う。

美魔女っていうのは、「年齢でひとからの評価がまったく変わってしまうことはイヤだ」とか、「主婦とかキャリアOLとかっていう不自由な枠組みから抜け出して、ほんとの自己実現をめざしたい」とか、それじたいはすごくみんなが共感するようなところから出発してるんだよね。

でも、なんとなくそこで言われてる自己実現って、ほんとにそれでいいのかな、って思うようなことが多いし、あと「いくつになっても女でいたい」っていうのは、ものすごく正当で真っ当な、肯定すべき欲望だと思うけど、でもそれは20代の女性と同じ体型を維持して同じ服着て同じ巻き髪にするっていうだけのこととは違うんじゃないかなあ、って思うことも多い。

だから、俺たちがそれに対する違和感を表明するときに、一周回って、俺たちを縛ってる規範と同じような言い方になっちゃうのかもしれない。

美魔女のほうは「抵抗の仕方が保守的」だし、それに対する違和感も「批判の仕方が保守的」になってしまう。こういう事態って、もし俺の妄想じゃなければ(笑)、どうやって一言で表現したらいいんだろう。

ここからむりやりに橋下維新の会の話になるんだけど……「保守的な抵抗」、っていえば、やっぱりさいしょに思い浮かぶのがこの人たちだ。官僚制打破とか、既得権益粉砕とか、そういう革命的なことを言ってるんだけど、やってることはものすごい保守的だったりする。日の丸君が代強制とか。

それに対して批判するときに、共同体を解体するなとか、教育現場の独立性を守れとか、どうしてもそういう話になるんだけど、町内会や自治会、商店街が地元でどんなことをしてるかについて、個人的事情から(笑)よく知ってる俺は、なんかちょっとそれも違うなあと思うし(このへんのことはちょっとだけここで書いたことがありますが)、ものすごく独立した教育現場で体罰やらセクハラやらいろんな問題が起きてるんだなっていうことは、もうほんとにみんな思ってることだと思うんだよね。だから橋下に対する批判がなかなか票につながらないのも、そういうことなんだと思う。批判するときに持ち出してくるのが、めっちゃ古い、時代遅れのものだったりするよね。組合とか。まあ組合大事だけど。

「なんとなく似てる」以上のたいしたオチがあるわけではないので、以上で簡単ではございますが私のエントリとかえさせていただきます。タイトルは釣りです。

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今年もよろしくお願いします。

喪中なのですが……。今年はようやく(ほんとうにようやく)沖縄関係の本が一冊出ます。続いて、部落の本と、個人的なインタビュー集が出る予定です。またこちらで告知させていただきます。

去年からはじめた、沖縄での階層にかんする調査も、今年2年目でなんとか形をつけたいと思います。来年にはこれも出版したいなあと思っております。

来年は1年間のサバティカルをいただく予定になっております。家に引きこもって、方法論の勉強をちゃんとしたいと思います。

というわけで、今年と来年は、他の仕事を減らしてでももうちょっとまともに研究に取り組みたいと思っております。

酒も飲みますが。

みなさま、今年も1年、よろしくお願いします。

おはぎときなこも、元気です。

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政治と「社会」

生まれて初めて本当に戦争になるんじゃないかと思っている。

たぶん次の戦争は国民を総動員するような全面戦争にはならないだろう。国民全員の精神や身体を管理しなくても、一部の「戦争装置」によって、一般の市民にリアリティが伝わらない方法でひっそりとおこなわれるにちがいない。

それはたぶんはじめに「被害者面した絶対的な正しさ」を押し付けてくる。いま領土を守らなかったらこの国がやられる。いま先手を打って攻めていかないと平和が守れない。おそらくそんなふうに、反論しにくいようなロジックで、感情に訴えかけるやりかたで。

いますぐではないかもしれないが、数年のうちには憲法も改悪されてしまうだろう。人権に関する条文は大幅に後退し、かわりに国家があらゆる権力を掌握してしまうだろう。

だが、国民の精神や身体をまるごと抱え込んで統制するのではなく、国民を分断することによって、よりスムーズに戦争は遂行されていくだろう。一方で、東京や大阪では、数百万人規模の戦争反対デモが巻き起こる。しかし同時に他方で、数万人規模の熱狂的な志願兵たちが先を争って「戦地」へ向かうだろう。世論は二分されるが、結局は戦争は「一部の専門家たちによって」粛々と淡々とおこなわれるにちがいない。

* * *

維新が大阪で実権を握ったときから、職業的インテリだけでなく、良心的な人びとのあいだで絶望感が広がっている。かれらを選んだのは間違いなく一般市民だから。橋下に対する批判がすべて無効化されてしまうのは、少なくとも現時点では、一般市民から熱狂的に支持されているからである。もちろん今回の国政選挙では、大した議席は獲得できないだろう。しかし大阪という街はあいかわらずかれらの支配下に置かれつづけることになるだろう。それもこれも、市民が支持しているからである。

そして、今回の選挙では、堂々と戦争を訴える政党が単独で過半数を占める勢いである。みんながこの政党を支持しているのだ。

戦後日本で曲がりなりにも根付いてきた民主主義が、今回の選挙で終わってしまうのだろうか。日本の社会はこれで「終了」してしまうのだろうか。

私はそう思いたくない。政治的には愚かな選択ではあると思うが、日本の「社会」そのものが「終わってしまった」わけではないと思う。もちろん政治的に愚かな選択はしばしば「社会」そのものに対して破滅的な影響を及ぼすのだが、まだ「社会」というものが終わってしまったと考えるのは早すぎる。

はっきりした根拠があるわけではないけれど、自分の身の回りの実感としてそう思う。たとえば学生たちは、私たちが学生だったときより、格段に真面目に、熱心に、優秀に、合理的に、近代的に、大人になっている。それから、嫌いなひとたちには興味のないことかもしれないけど、俺にとっては大事なことなんだけど、犬や猫の飼い方の、ここ10年ぐらいのあいだに起こった急激な変化は、大きな希望をもたらしてくれている。昔の飼い方ってほんとひどかったよね。

他にも、大学でのセクハラやパワハラなんて、ほんとに普通のことだったけど、最近はかなり難しくなっている。児童虐待の相談件数が増えていることも、虐待そのものが増えたというよりも、「社会全体が虐待を許さなくなっている」と解釈すれば、それはある意味でとても「良いこと」でもある。

なんとなくここ10年ぐらいで日本社会全体が息苦しく、杓子定規に、建前ばっかりになってる感じもするけど、それが近代化するっていうことだと思ってるから、それ自体は悪いことじゃないと思う。

ほんとうにこれは、間違った、根拠のない、楽観的すぎるバカな考え方かもしれないけど、政治的に愚かな選択をしているからといって、「社会」そのものが間違った方向に行ってるとは限らないと思いたいんだよ。俺はバカだけど、バカなりにいろんなことについて勉強したり、調査したり、人に会ったりした結果、「社会」は少しずつだけど確実に「進歩」してると思うようになったんだよ。どんなにそれが小さいものでも、この進歩を否定することは、歴史そのものを否定することになる。

めったにデモも抵抗運動も起きない社会だけど、それでもみんな自分の持ち場で頑張ってる。デモや運動をしないのは、俺たちが飼いならされた愚かな奴隷になってるんじゃなくて、ただ単にそういう文化や習慣がないだけだ。デモがないから日本の市民はダメだっていうやつは、たぶんフランスかぶれか何かなんだろう。自分の持ち場で地道に自分の仕事をしてるひと、手の届く他人を助けようとするひとは、本当にほんとうにたくさんいる。

いろんなことを勉強してて思うのは、まだまだめちゃくちゃな社会だけど、それでもちょっとずつ、ほんとうにちょっとずつ、いろいろなことが改善されてきていることもまた確かなことだ、ということだ。ほんとうに不十分で、ちょっとずつでしかないけど。

だから、橋下や石原や安倍に投票する人びとのことを、バカだとか愚かだとか思いたくないし、少なくとも社会科学にたずさわるひとがそんなこと言い出しちゃったら、それは学者としては失格だと思う。

もうほんとうに、はかない無根拠な信仰でしかないけども、たとえ今回間違った選択をしてしまって、この国の一部が取り返しのつかないことをしてしまったとしても、この「国」に対して絶望することはあるかもしれないけども、俺はこの「社会」全体にたいして絶望したくはない。市民をバカにするところからは、たぶん何も生まれない。俺のまわりの奴はみんないい奴なんだよ。

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2012年夏、那覇の空

2012年8月19日から9月8日まで、調査のために那覇に滞在しました。宿が西向きで8階だったので、見事な夕焼けを何度も見ることができました。夏のおわりの、いちばん暑くて、いちばん沖縄らしい、豪快な空の写真です。

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第3回 大阪社会調査研究会のお知らせ

第3回になりました、大阪社会調査研究会のお知らせです!

2012年10月20日(土)
12:00〜
龍谷大学大阪梅田キャンパス
参加無料、予約不要

打越正行(首都大学東京)
「沖縄の下層エスノグラフィー/暴走族、建築労働者、風俗嬢」

「日本のヴェンカテッシュ」打越正行氏のご報告です。方法論よりも、調査の中身の濃いお話が中心になります。驚愕のフィールドワークですよ!

また日程が近づいたら改めて告知させていただきます。

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「同人化」する文化

 なんどか書いてるけど大学の3回生ぐらいから卒業してすぐぐらいまで、ジャズミュージシャンの真似事をしておりました。音楽の才能がぜんぜん無かったのでそっちの道はすぐにあきらめたんですが。神戸の元町のポートタワーホテルとか中山手通のサテンドールとか、大阪の中津の今はなき東洋ホテルとか、梅田の今はなきDonShopとか、北新地の名前忘れたけどなんとかいう店とか、京都の木屋町の名前忘れたけどなんとかいう店でウッドベースを弾いておりまして、それでメシ食ってたぜとはとても言えないですが、まあトラ(臨時の代理)の仕事も含めて月10万ぐらいにはなっておりました。

学生のバイトとしてはわりと実入りがよかったです。時代はバブルで、そこらじゅうに生演奏の店があり、またそういうところに彼女を連れていくのがおしゃれとされていた時代で、ちょっと背伸びして今日はジャズでも聴きにいこうかというお客さんがわりといて、チャージが3000円ぐらいでも商売が成り立っておりました。

当時のギャラはほとんどが固定制でした。だいたい高級な店だと1万円ぐらい、DonShopが業界最安値と言われていて(笑)、よく覚えてますが6000円でした。40分3ステージぐらいやってこの値段でした。ハコで週3、あと1日ぐらいトラの仕事を入れたら、だいたい月10万ぐらいにはなりますね。

しかし今から考えたら、毎日まいにちあの重くてでかいウッドベースを電車で神戸や京都や梅田まで、よく運んでたもんだと思います。毎日です。店によってはスーツの場合もあるし。神戸元町のポートタワーホテルは、スーツ着用のうえにベースアンプまで持ち込みで、右肩にウッドベースを背負って左手でベースアンプを手持ちして、駅まで徒歩20分の下宿から電車乗って神戸まで、真夏でも行ってました。若かったな。当時は当たり前のことだったんですが。

さて、大学時代はほとんど授業には出ずに音楽漬けになっておりまして、その延長でジャズの仕事もとっても楽しかったんですが、いつのまにか卒業ということになって、在学中からずっと社会学の研究をするか音楽で生きるか迷ってたんですが、師匠の北川潔氏があまりにも偉大だったこともありましたが、自分の音楽の才能の無さにほとほと嫌気がさし、とっととやめてしまいました。

そのあと20年以上たって、最近またぼちぼち音楽活動を本格的に再開したんですが(こないだは天満の「じゃず家」で出演させていただきました)、20年ぶりにジャズの業界に接して、大学時代の後輩とか久しぶりにお会いした当時いっしょにさせていただいていたミュージシャンの方々とかにお話をきいて、この間の業界の変貌ぶりに驚きました。

デフレですよ、デフレ。景気悪いです。関西ローカルの音楽業界でも、この20年は「失われた20年」だったようです。

まず、固定ギャラ制度がほとんど崩壊しているようです。客の入りにかかわらず1万円なら1万円のギャラをもらっていましたが、今はほとんどがチャージバックだそうです。チャージ2000円で客が10人なら2万円。これを3人で演奏したら3人で分けます。しかし「チャージの半分バック」というのも多くて、これだと1万円は店の取り分になって、残りの1万円を演奏者で分けるということになります。

まあ、店や演奏内容によっていろいろ変わるんですが、だいたいどこの店でもチャージバックになっているようです。

それで、もっと驚いたのが、そもそも「お客さん」自体が激減したということです。たとえば、友人のミュージシャンで、一時期名古屋に引っ越したひとがいました。もう大阪のお客さんはこういう生のもんにはお金を出さへん、名古屋ならまだそういうお客さんがいる、ということだったそうです。東京ならかなり客もいるけど、そのかわり演奏家も多くてむしろあぶれている状態だ、ということも聞いたことがあります。私が演奏していた時代の関西は、店の数、演奏家の数、お客さんの数がちょうどよいバランスだったような気がします。それが、もっとも大事なお客さんがめっちゃめちゃ減ってしもた、ということです。

もうアレですね、いまの若いひとなんかは、彼女とデートするときにええかっこしてジャズの生演奏とか、そういうの興味ないみたいですね。お金もないし。ワタミで飲んでジャンカラ、最後にプリクラとラーメン、とかそういう感じなんだと思います。

そんなジャズのお店でも、ときどき満席になることがあります。それは何かというと、ジャムセッションの日です。

これも非常に驚いたことです。昔はそんなにセッションの日ってなかったけどなあ……。いまでは毎週やってる店もあるし、なかにはもう毎日セッションしてて、要するにジャムセッション専門の店になっちゃったところもいくつかあります。

これはすごいいいことだなあと思います。気楽に演奏できる場が増えるということは、いいことです。

ただ、時代は変わったんだな、と思います。純粋にお客さんとして、消費者として、生演奏にお金を払ってくれるひとはかなり減りました。かわって増えたのが、自分も演奏するひとたちです(俺もそうですが)。そういうひとたちからお金を取って「演奏していってもらう」というのが、ジャズの生演奏がウリのお店の、重要な収入源になりつつあるようです。

昔は客と演奏家がかなり明確に分かれていて、客からお金をもらって演奏家に支払う、というお金の流れがありましたが、いまはどちらかといえば、客として聴きにいきたいというひとよりも、自分で演奏したいというひとの方が多いのかもしれません。そうすると、お店で演奏してもらって、そこからお金をもらうという流れになるのは自然なことです。

文化ビジネスのモデルがかわってきたんだな、と思います。商品としての生演奏を、消費者としての客に売る、ということではなく、演奏の機会を与えることでお金をもらう。客からではなく演奏家からお金を取るようになったのです。そのかわりそれは素人の演奏でもいいわけです。セッションのときは、店の客はほぼ全員が演奏するために来た客ですから。

何かに似てるな、と思ってましたが、これってコミケに似てるんじゃないか、って思い当たりました。でも大規模なコミケでは純粋に買いにくるお客さんのほうがはるかに多いので、単純に同じだとはとても言えませんが、でも売る側と買う側が容易に入れ替わって、基本的に買うひとは自分でも売る(あるいは描く)場合も多いし、両者の間の垣根も限りなく低いと思います。そして、店というか企画側は、そこで何かを売って儲けるのではなく、そこで何かを表現したいひとに対して「場」を提供することでビジネスになるのです。そのへんが似ていると思います。

ジャズに限らず、文化ビジネスのひとつのモデルとして、こういう形が多くなっているように思うのですが……。もちろんこれは、単にデフレのせいでお客さんが減ったということだけが要因なのではありません。なんかもうちょっと大きい構造が変化しているような気がする。だいたい景気不景気に関係なく、これだけレベルの高いもんがネットでなんぼでもタダで見れるのに、お前の演奏にチャージ2000円の価値があるのかと言われると、いえそれはそんなことないですとしか言いようがない。

たとえば、これは景気に関係なくずっと以前から、演歌の世界がそうなってます。大阪だけでも演歌歌手というひとは膨大にいますが、純粋に自分の歌をどこかで聴いてもらってそれで収入を得るというのはごく一部で、だいたいはカラオケスナックを経営していて、そこでカラオケ教室を開いて、それで生活をされている方も多いようです。ゴルフでいえば「全員がレッスンプロ」っていう感じでしょうか。

ただ、こういう「同人化する文化」のモデルも、完全に表現者と受容者の垣根がなくなってしまっているわけではなく、どこかで無意識のうちにそれが前提とされていて、それで「一時的に」その垣根が低くなったときにビジネスが発生するのかなあと、漠然と考えています。

なんかもう、結局不景気が原因なのかそうじゃないのかよくわかんない話になりましたが、まあ結論を一言でいうと、セッション楽しいので、またちょくちょく「じゃず家」とかのセッションの日に通おうと思ってます(笑)。演奏って楽しいですよね。

でもほんとに、お客さんがお金を払わなくなった、っていうのは、時代の流れですね。「それでメシを食っている」人びとにとっては深刻だと思います。

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