お好み焼きは主食かおかずか

もうそろそろ、大阪の人ってお好み焼きとご飯を一緒に食べるんでしょ? それって炭水化物と炭水化物だよねーという、ほんとうにくだらない、ありきたりなネタについて最終的な回答を与えておきたい。今後、またこのネタを引っ張り出したひとがいた場合には、どうかこう言ってあげていただきたい。

お好み焼きは炭水化物ではない。それは、刻みキャベツと肉と卵を少量の水溶き小麦粉や長芋をつなぎとして焼いたものに、ソース・マヨネーズ・青海苔・鰹節をまぶしたものだ。

もっと簡単に言えば、お好み焼きとは、肉と野菜と卵を焼いて固めたものなのである。

したがって、ご飯のおかずとしておかしくない、どころか、これ以上ご飯がすすむおかずはないといってもよい。ご飯にぴったりのおかずである。

関西以外でお好み焼きと称する何かを食べると、いつも重くて湿ったブヨブヨの何かがでてきて驚く。水溶き小麦粉の生地が多すぎるのである。あきらかに、「何かの具をちょっと混ぜて、小麦粉を焼いて食う」というイメージで作っている。

違う。違うのだ。

わかりやすい画像を探したのだが、ちょうどよいものが少ない。しかしこれなんかは、ひとつのヒントを与えてくれる。1946年に大阪の玉出で創業し、現在は国内だけでなく世界に広がる一大お好み焼きコンツェルンをつくりあげた「ぼてぢゅう」グループのウェブサイトのトップに置いてある短い動画である。

http://www.botejyu.co.jp/index1.html

思ったよりも生地が少なく、お好み焼きの主体はあくまでもキャベツ・肉・卵であることが、この数秒のフラッシュ動画からもうかがい知ることができるだろう。

今後は、お好み焼きは立派なおかずであるということを認識していただきたい。

まあでも焼きそばでご飯食べるときもあるけど。それは炭水化物に炭水化物やなあ……。


スナック「プロファイラー」の夜

たまにスナックに行く。

一見さんでふらっと入るとだいたい、「お客さんお仕事何ですか?」と聞かれる。

そういうときはやっぱりスナックっぽい返しをしないといけない。うざいおっさんキャラで、「何に見えるぅ?」とか聞き返す。

話は変わるが、こないだ若作りしてDr.マーチンの靴を買った。形はマーチンっぽいが夏なのでキャンバスの素材のやつを買った。色は黒。

黒いキャンバス地の靴で大学で授業をしていると、チョークの粉がめっちゃ付いて取れない。しかたないので、白い染みがついたまま履いている。

スナックで。

ママ「お客さん、お仕事何してる方なの?」

おれ「何してるように見える~?」

ママ「えーと、そうですね………その靴の白い染みは……チョークの粉だな? ということは学校の教員だな。そしてそのラフな服装と無精髭……中学や高校ではないな……わかったぞ! 貴様、大学の教員だな!!」

みたいなことになるかもしれんなと思って履いている。


ゴッホは絵がうまい

ふっと思い出したんだけど、もう20年以上も前だけど、大阪のどこかの美術館に「大ゴッホ展」みたいなのが来た。どこの美術館でもそうだと思うけど、こういう「大シャガール展」とか「大ピカソ展」とかって、めちゃめちゃ集客する。

そのときもその美術館は超満員だった。私はもうゴッホ見に来たんだか人見にきたんだかわからんようになって、もうざあっと眺めてはよ帰ろうと思ってたら、会場にぎゅうぎゅうになってる大阪のおばちゃんの集団が、大声で喋りながらゴッホの絵を見てた。おばちゃんたちは口々に、

「ゴッホ、絵うまいな。さすがやな!」

「ほんまに上手やなーゴッホ」

と言いながら見てた。

なんか知らんけどめっちゃ思い出す。ゴッホは絵がうまい。なんか知らんけどものすごい大事なことに思える。そうだよな、そういうもんだよな。アートとか芸術とかっていっても。みんなそんなもんだよな。


スポーツって何ですか

なんかスポーツができる人間だったら、もうちょっといまとは違う人生だったかな、と思う。

スポーツ何もかもできないし、できないだけじゃなくて、見てても何やってるかわかんない。バスケもサッカーも、ひととボールがランダムにあっちいったりこっちいったりしてるようにしか見えない。ボクシングとかのすごい試合をyoutubeで見ても何やってるか理解できないし、マラソンの中継とかを長時間テレビで見続けられるのが信じられない。走ってるところみてどこが面白いのか理解できない。

これほど徹底的にスポーツができない、できないだけじゃなくて見ててもルールすら理解できない人間じゃなくて、もうちょっと人並みに体を動かすことができたら、もうちょっと違う人生だっただろうか。

とにかく普通に走ったり、ボール投げたりができない。特に球技がまったくできない。飛んできたボールを受け止めることもできない。20m走ると息が切れるのは、子どものときに喘息だったからだろうか(病院とかもいかないぐらい軽いものだったけど)。

体を動かして、その体を動かすということ自体が楽しい、と思ったことが一度もない。子どものころに、まわりに合わせてそういうゲームを一緒にやったりしたことは何回かあるけど、心から楽しんだことは一度もない。勝ったとか負けたとか、競う、ということの面白さも、あんまりわからない。

とくにわからないのが「ひいきのチームがいる」という状態で、たとえば全員大阪生まれの大阪人で構成されたチームが、全員京都生まれの京都人で構成されたチームにボロ勝ちする何かのゲームがあれば、そういうチームに感情移入することもわからないでもないが、チームの中身である個人が入れ替わっているのに、それでもそのチームを応援し続けるというロジックがわからない。

もっとわからないのが戦術とか作戦とかいうやつで、それはたまたま強い個人が多かったチームが勝つならまだ理解できるが、なにかの作戦とか戦術とかでゲームの行方が変わるということがまったくわからない。というか、そもそも、さきも書いたようにサッカーもバスケも、人がランダムに動いているだけのブラウン運動にしか見えない。だから、監督という存在の意義がわからない。たとえばプロ野球の話を聞いていて、あそこであの選手を出したのがまずかったとかよかったとかそういうことがよく言われるけれども、それがどういうことなのか理解できない。たまたまそういう結果になっただけじゃないですか。誰が何をやっても上手な個人が多いほうのチームが勝つんじゃないですか。

     *  *  *

ただ、いま体をまったく動かしていないかというとそうでもなくて、週に1度か2度は3時間ぐらい大阪の街をゆっくりと歩く。あと、若くてヒマなときは、沖縄の離島でひたすらたったひとりでシュノーケルをしていた。歩くのが好きなんじゃなくて大阪の知らない街並みを見るのが好きで、泳ぐのが好きなんじゃなくて(そもそも泳げない)、海に潜るときの、あの音や温度の変化や水圧の感じが好きで、もちろん何よりも沖縄の美しい青い海そのものが好きなので、ひとりでひたすら素潜りしていた。

実はボールを投げたり打ったり受け取ったりすることができないだけではなくて、ゆっくりふらふら飛んでいる蚊を叩くこともめったに成功しないので、なにか体と脳をつなぐ配線が、どこか何本か切れているんだろうと思う。

その配線がうまくいっていて、体の動きも統合できていたら、なにかもっと肯定的な、楽しみの多い人生だったかもしれないと思う。