なんかスポーツができる人間だったら、もうちょっといまとは違う人生だったかな、と思う。
スポーツ何もかもできないし、できないだけじゃなくて、見てても何やってるかわかんない。バスケもサッカーも、ひととボールがランダムにあっちいったりこっちいったりしてるようにしか見えない。ボクシングとかのすごい試合をyoutubeで見ても何やってるか理解できないし、マラソンの中継とかを長時間テレビで見続けられるのが信じられない。走ってるところみてどこが面白いのか理解できない。
これほど徹底的にスポーツができない、できないだけじゃなくて見ててもルールすら理解できない人間じゃなくて、もうちょっと人並みに体を動かすことができたら、もうちょっと違う人生だっただろうか。
とにかく普通に走ったり、ボール投げたりができない。特に球技がまったくできない。飛んできたボールを受け止めることもできない。20m走ると息が切れるのは、子どものときに喘息だったからだろうか(病院とかもいかないぐらい軽いものだったけど)。
体を動かして、その体を動かすということ自体が楽しい、と思ったことが一度もない。子どものころに、まわりに合わせてそういうゲームを一緒にやったりしたことは何回かあるけど、心から楽しんだことは一度もない。勝ったとか負けたとか、競う、ということの面白さも、あんまりわからない。
とくにわからないのが「ひいきのチームがいる」という状態で、たとえば全員大阪生まれの大阪人で構成されたチームが、全員京都生まれの京都人で構成されたチームにボロ勝ちする何かのゲームがあれば、そういうチームに感情移入することもわからないでもないが、チームの中身である個人が入れ替わっているのに、それでもそのチームを応援し続けるというロジックがわからない。
もっとわからないのが戦術とか作戦とかいうやつで、それはたまたま強い個人が多かったチームが勝つならまだ理解できるが、なにかの作戦とか戦術とかでゲームの行方が変わるということがまったくわからない。というか、そもそも、さきも書いたようにサッカーもバスケも、人がランダムに動いているだけのブラウン運動にしか見えない。だから、監督という存在の意義がわからない。たとえばプロ野球の話を聞いていて、あそこであの選手を出したのがまずかったとかよかったとかそういうことがよく言われるけれども、それがどういうことなのか理解できない。たまたまそういう結果になっただけじゃないですか。誰が何をやっても上手な個人が多いほうのチームが勝つんじゃないですか。
* * *
ただ、いま体をまったく動かしていないかというとそうでもなくて、週に1度か2度は3時間ぐらい大阪の街をゆっくりと歩く。あと、若くてヒマなときは、沖縄の離島でひたすらたったひとりでシュノーケルをしていた。歩くのが好きなんじゃなくて大阪の知らない街並みを見るのが好きで、泳ぐのが好きなんじゃなくて(そもそも泳げない)、海に潜るときの、あの音や温度の変化や水圧の感じが好きで、もちろん何よりも沖縄の美しい青い海そのものが好きなので、ひとりでひたすら素潜りしていた。
実はボールを投げたり打ったり受け取ったりすることができないだけではなくて、ゆっくりふらふら飛んでいる蚊を叩くこともめったに成功しないので、なにか体と脳をつなぐ配線が、どこか何本か切れているんだろうと思う。
その配線がうまくいっていて、体の動きも統合できていたら、なにかもっと肯定的な、楽しみの多い人生だったかもしれないと思う。
>チームの中身である個人が入れ替わっているのに、それでもそのチームを応援し続けるというロジックがわからない。
わかる。
このロジックが分からない感覚、よく分かります。
僕も球技と格技とダンスが全くだめで、しかも蚊を叩こうとするとやたら力が入っちゃって左右の手のひらが半分くらいずれます。(蚊に命中しない)
スポーツをするときって、お手本の動作を見て、自分の身体に置き換えて想像し、真似する。
その想像力がすごく貧弱で、真似してるつもりで全く中途半端な角度でしか手足が動いてない、それの積み重ねが今、って感じです。
そして僕も、まさに岸さんが仰ってるような感覚で、スポーツ観戦もよく分かりませんでした。
(小さい頃はよくプロ野球をTVで放映してた世代ですが)
でもおっさんになってから、いろいろなスポーツを観戦しだし、今はひいきのチームや選手がたくさん居ます。
なかでも最もよく見て感情移入してるのは日本のプロ野球と、ヨーロッパ中心に行われてる自転車競技、フィギュアスケートなどです。
それよりちょっと浅く好きなのが、アメリカで行われてるアメフトです。
どのスポーツも、最初のきっかけは、妻が、誰か一人の選手だったり、応援マスコットだったりに興味を持ったことから、僕もいやいや観戦しはじめました。(妻も運動がダメ人間です)
そのうち、チーム内でどんな人間関係があるのかを知っていくと、なんか全員の人となりが分かってきて、いつの間にか身内みたいな感覚に陥ったりしています。
もちろん向こうから見たら五万と居るファンの一人なんですが、何かの折にフレンドリーに話して貰ったりすると、ますます応援にも熱が入ります。
さて、
集団スポーツを応援してる人が、選手個人を好きとかでなく、組織が好きで個人が入れ替わっても関係ないように見える現象ですが、これは2つの状況があると思ってます。
まず一つは、チームの構成員が入れ替わると感情移入の対象も変わっていくので、結果として組織を好んでいるように見える状況。
この場合は入れ替わりに出て行ったり引退した選手の行く末も気になりますので、感情移入の対象が徐々に増えていきます。
もう一つは、チームの選手全員知ってるほど詳しくはないけど強いから好き、とかの場合だと、好きなスター選手が居なくなると感情移入の対象はなくなるものの、それまでの流れでそのチーム(組織)を見続け応援しつづけてる、っていう状態があります。
僕の場合、後者のパターンで好きなのがアメフトです。
アメフトを見てて、例えば、一人の選手が怪我や不調で引退したりクビになったとしても、特にその選手の身の上について深く案じたりはせず、チームが今後どうなるかをメインに考えます。
(でもこれが、日本のプロ野球や自転車競技のひいき選手だったとしたら、チームがどうとかよりも、まずその選手個人のことを心配します。)
この「アメフトパターン」はまさに「中の人がどうなろうと関係なく、形として組織を応援する」って状態です。
どのプロスポーツにも、このように選手個人への感情移入を(わざと)避けて、むしろチームにとって役に立つかどうかを好き嫌いの基準にしてるファンが居ますが、同じチームを応援してても、そういう人とは話が合いません・・・