バブルの時代、学生のとき、ジャズが流れるオトナな感じのショットバーでバーテンのアルバイトをしていた。当時ハタチとかそれぐらい。
そのバーは堂山の小さなビルの3階にあった。そのビルはそれから25年以上もたった今でもそこにあるけど、半ば廃墟のようになっている。
当時はかなり儲かっているバーだったのだが、俺が店を任されてから、常連が激減してしまった。嫌いな客には一切相手をしなかったからだ。俺も若くて融通がきかなかった。どうせ時給だし、とも思っていた。
でも、客のいない薄暗いバーで、ビル・エバンスなんかを流しながら、窓の外の梅田の夜景を見るのが好きで、堂山の街を通り過ぎるゲイのカップルや、水商売のねえちゃんや、タクシーの赤いテールランプを眺めて、大阪の街で暮らしている喜びをいつも感じていた。
あるとき、ロングヘアの、とてもきれいな女のひとがひとりでふらっと入ってきて、ジンライムを注文した。しばらくして、ぽつりぽつりと話が始まった。28歳で、九州から若いころに出てきて、ずっと北新地でホステスをやっている。さすがにタバコや酒を持つ手が美しい。今日はお休みで、なんとなく梅田をぶらぶらしていて、なんとなく看板のネオンにひかれてふらりと入ってきた。
おにいさんは? 出身どこ?
僕ですか。まあ、北のほうで……。なんとなく、いろんなことをしてるうちに、こんなところまで流れて来ちゃいました。
ええやんか。私も似たようなもんやし。
そうですね。
このあとどないしてんの? このお店、何時まで?
そのとき、バーのドアが勢い良く開いて、大学のゼミの友だちの女子が3、4人でずかずかと、大声で、岸くんきょうゼミさぼったやろーとか言いながら入ってきた。
おねえさんはお勘定をして店を出ていってしまった。
それからしばらくして、常連の相手をちゃんとせずに店の売上げを激減させたというもっともな理由で、私はその店をクビになった。そのあとジャズの演奏の仕事が忙しくなったので、あれからバーテンはしていない。
いまこれ書いて気づいた。あのおねえさんもいまは50代なかばぐらいなんやなあ。俺ももう40代後半だしな。