科学と政治

先日、扁桃腺がめちゃくちゃ腫れて痛くて眠れなかったのでFBの方に書いたメモ。

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ポストコロニアルの「当事者の証言」の話や、解放社会学系の構築主義のライフストーリー論、それから臨床社会学に導入されたナラティブ論なんかをぱらぱら読んでると、実証主義を批判する議論がけっこう多い。

例えば、沖縄の集団自決の規模や形態、実際のプロセスや指揮系統などについて、事実のレベルで争うことは、証言者の「語る権利」や、もっといえば「思い」みたいなものを裏切ることになる(あるいはそれ自体が「権力=暴力の作用である」)ので、われわれはそうした語りに「共感的態度」で臨むべきだとされる。

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ときおり左翼というか「解放的認識関心w」のもとで研究してる人たちは、実証主義や科学のことを忌み嫌う。まず科学というものは「支配階級のイデオロギー」であるとされる。次に、なにかを科学的研究の対象とすることは、それを切り刻み、脱感情化し、その「価値」を否定し、きれいに脱色消毒消臭してカテゴリーのなかに並べ替えることだとされる。

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科学が政治的である、というのは、それはそうだろうと思う。それはいろんなレベルにおいてそうだろうし、そうでない科学はないだろう。でも「科学は政治である」といえるだろうか。

(1) 科学は政治的イデオロギーに左右される
(2) 科学的研究の対象にすることは、対象に対する暴力である

確かに、どちらも「そうである場合もありうるし、実際に歴史的にそうであったことも少なくない」とは言えるだろう。

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私たちは、「AはBである」ということを日々決定しながら社会を動かしているのだけど、たとえば「ある行為がセクハラである」ということが、どのように決定されるのだろうか。

私は実は、ある大学での人権問題担当(!)の教授がセクハラをおこしてクビになったときに、及ばずながら被害者の側の支援に回ったことがある。そのときわかったのは、セクハラの定義は「被害者がそれをセクハラだと思った行為」というように組み立てるしかないのだが、実際にある行為がセクハラであると「認定」されるまでには、かなり膨大な「社会的な手続きと相互作用」を経てなされるしかない、ということだ。

被害者が勇気を出して申し立て、良心的な弁護士が横につき、周辺に支援の輪が広がって、学内の良心的な教員も見方について、フォーマルな申し立て手続きに入ると、大学側にも調査委員会が立ち上がり、複数回の慎重な調査がなされ、繰り返しおこなわれる会議に何十時間も費やされる。

もちろんやる気のない大学も多いし、実際はもみ消されたりすることの方が多いと思うし、逆に冤罪でハメられた運の悪い教員もいるだろうとは思うけど、それでも「ああこうやって物事は『社会的に決定』されていくんだな」ということがよくわかった。

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このプロセスはまぎれもなく「社会的」で、おそらくはかなり「政治的」でもあったはずだが、それでもとにかく何らかの「結論」に到達していった。繰り返すが、この結論はまるっきり間違っていることもありえただろうし、被害者加害者双方にとって納得のいくものではまったくなかったであろうことも考えられるのだけど、それでも他のやり方によって何らかの結論に至るということは考えられないし、とにかく私たちはこういうやり方によって社会を動かしてきたのである。

そして、これは私個人の無根拠な信念かもしれないが、個々のケースのレベルにおいては、膨大なもみ消しや冤罪その他の「社会的プロセスの挫折」を含みながらも、全体としては少しずつ進歩していて、社会全体としてセクハラというものに敏感にはなってきているのである。

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もしこうした「物事の決め方」が、恣意的で政治的なもの「でしかない」のなら、それは私たちの歴史をすべてひっくるめてその全部を否定することになる。

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デイヴィドソンの「寛容の原則」を、「社会的に決定すること」にまであてはめることはできるだろうか。もちろんそのときは「意味」(あるいは「真理」)という概念の意味をかなり変えないといけないけど。

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私たちは自由に何でもやってるんだけど、でもそれはいつも必ず何かの規範や規則に従っている。熟練した音楽家のように。

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まず、社会的に決定されるということと、恣意的な政治によってどんなふうにでも決定できるということとは別のことである、ということがちゃんと言えるなら、たぶん上記の(1)のような考え方は成り立たなくなるだろう。

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(2)に関して何が言えるかは、今はちょっとまだわからない。

しかし、もし私たちが「解放的認識関心w」を持っていて、たとえば沖縄の集団自決について、それが真実であり、旧日本軍に相当の責任があるということを主張したいのなら、それは「公共の空間」で主張される必要がある。そうするとその「それがそうかどうかについての決定」は、通常の決定と同じ程度には、完全に普通の通常の世俗的な「社会的な手続きと相互作用」のなかにおいてなされなければならない。

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(別に左翼の業界に公共性がないとまで言いたいわけではない。)

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性暴力犯罪の裁判における被害者の扱われ方が参考になるかもしれない。顔をかくす、ついたてを立てる、ビデオで証言する、などなど。これは「当事者の語りをまるごと受け入れて共感する」ということからはほど遠いが、しかし「当事者に直接の傷を負わせないためにできることを何でもする」ということではある。世俗的ではあるが、だからといって効果がないということはないだろう。

そういえば「当事者の語りをどれくらい尊重したか」についての基準を作ろうと言い出したひとをまだ私は知らない。

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「公共の場での議論」にコミットする気なら、「当事者の思いにまるごと共感する」ことよりも、「いかに当事者の気持ちを直接傷つけずに公共の議論の場で勝利するか」を考えたほうがいいんじゃないかと思うけど、これってやっぱり乱暴なんだろうか。冷たい奴だと言われちゃうのかな。

でも、公共の場での議論を歴史修正主義にリードされて定義権を握られてしまったのが、ここ10年ぐらいに起きたことじゃなかっただろうか。特にネットでは。

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まあ(2)についてはちょっとあとで考えるとして、まず(1)について、「科学的に決定される」ことと「社会的に決定される」がそんなに違わないことを両方の意味で述べることが必要なのかな。両方っていうのは、「科学的なことは社会的ですよ」と、「社会的なことも(けっこう)科学的なんですよ」っていうことを両方っていう意味である。

あとはまあ、規範や規則に従った行為の話とか、あと何かな。要するに私は、「ちゃんと事実のレベルで争いましょうよ」ということを言いたいのだが、そのために何が必要なのかは、ちゃんと理論的な勉強をしたことがないのでぜんぜんわかりません! 以上です!

おぼえることと忘れること

数年前、大学んときのジャズ研の後輩のてっちゃん、超大手ゲーム会社でサウンドディレクターやったあといま東京で独立してばりばり仕事してる、ちなみに超イケメン、と一緒にバンドやってたとき、スタジオに向かう車のなかで小曽根真のソロピアノを二人で聴いてて、気持ち悪いぐらい上手いなこいつ。間違えたりせえへんのか?って聞いたら、自身もピアニストであるてっちゃんが「たぶん僕らのわからんレベルでたくさん間違えてると思いますよ」って言って、おおなるほどと思ったことがある。本人的には「あーここ間違えた」「失敗した」とかたくさん思っておられるんだろうけど、俺にそれを聞き取る能力がないっていうことだな。

ジャズっていうのは要するに「特定のコード進行の繰り返し」である。D・サドナウの本でもそんな記述があったと思うが(忘れたが。なかったかも)、よくやる曲のコード進行を何度も何度も練習していると、そのうちそのコード進行を「覚えこんで」しまって、個々のCm7だのE7+だのD∆7/F#だのというコードを意識せずにその音を出すようになる。

そのときに、演奏してる側の意識はどうなってるかというと、個々のコード進行の記号はもう頭に浮かばない。ただその音だけが浮かんでる感じになってる。

つまり、「ああ1小節目がCm7で次がF7、そのあとBbからEbに上がって、あとはGmに ll – V で下りていって」って思ってるうちはまだその曲を覚えてることにはならなくて、いま自分が弾いてる音だけが脳内に鳴ってる感じ。これ、誰が鳴らしてるのかほんとに不思議なんだけど。自分は受け身でそれを聴いてるっぽい。

あー俺はそこまでのレベルにはぜんぜん行ってませんよ、自分の乏しい経験から類推してるだけで。僕は慣れた曲でもよく間違えるし自分がいまどこにいるのか見失います。音楽的方向音痴。

まあでもさすがに「Fのブルース」とか枯れ葉とか、もう何万回もやった曲は、さすがに間違えなくなってます。完全に無意識でもちゃんとコードを追っている。

このへんの「間違えなくなる」っていうのは、もちろん完全にじゃないだろうけど、脳って面白いなあと思います。例えば、人の名前を言い間違ったりはみんなしょっちゅうあると思うけど、自分の名前を「うっかり言い間違える」ってことは極端に少ないと思う。

あるいは、「机」を指差して「アメリカ」って言い間違えたりはしないでしょ。通常の状態で「そこのアメリカの上にある俺のiPhoneとってー」と言い間違えるのはかなり考えにくい。もちろんなんらかの原因があってそうなる場合は別ですよ。

前に、あるプロのジャズミュージシャンの方とお話ししてるときに、プロの定義を聞いたら「間違えないこと」と仰っていた。

たぶん最初に書いたすごいレベルにまでいってる音楽家が、私らが気付くような間違いをほとんどめったにしないのは、要するにこの「わざとでないかぎり間違ったりしないようになっちゃうレベル」がものすごく高いっていうことなんだよな。ちょっと想像もつかんところのレベルで体で覚えこんでる。

「体で覚える」ってのも面白い表現だな。

そういえばこないだジャズ熱再発について書いたあと、どうしてもたまらんくなってYAMAHAのサイレントウッドベース買っちゃったんですが(笑)、もちろん毎日練習してもまだまだぜんぜん弾けませんけども、基本的なフォームやポジションは「体が覚えてる」。これはたぶん、ふだん自転車に乗らないひとでも子どものときに乗れていれば何十年したあとでも乗れちゃうのと同じだと思います。体で覚えている。

それで、ものすごく面白かったのが、数年前に学生つれて沖縄で調査実習をやったときに、沖縄の民謡歌手や舞踊家の方々にお話をお伺いしたんですが、そのなかで非常に有名な女性の琉球舞踊の方が、インタビューのなかで「半分は覚えるために練習し、残りの半分は忘れるために練習しています」と仰っていた。これ聞いて私はとても感動したのだが(学生さんたちはあんまりピンとこなかったみたいだけど(笑))、ジャズでも伝統文化でもみんな同じだな。スポーツや車の運転でも同じなのかな(俺にはまったく想像つかんけど)。

半分は覚えるために練習し、残りの半分は忘れるために練習する。

これがたぶん「体で覚える」っていうことなんだろうな。体で覚えてるっていうことは、頭では忘れてるっていうことだよね。コード進行でも言葉でも舞踊でも何でも、頭で覚えてるうちは間違う可能性があるんだけど、体で覚えてしまうと、もう意識的に間違えないかぎり「うっかり」間違ったりはしない。行為と規則が一体化してるっていうことかな。完全に自由にやっていてもちゃんと規則に従っている。

告知:全国大学同和教育研究協議会 シンポジウム

告知です。以下のシンポで喋ります。「申し込み不要」ということですので、どなたでもお越しください。

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全国大学同和教育研究協議会
シンポジウム
法終了後10年目を迎えた都市部落の現在(いま)を考える

 1990年代半ば以降、全国各地で実施された部落実態調査の結果から、経済的安定層の流出と不安定就労者の流入による新たな貧困化が都市部落で顕在化しつつあるという傾向がみられるようになりました。そして、2002年3月の「地対財特法」の終了以降、こうした貧困化がさらに進んでいるとの指摘もあります。
 今回のシンポジウムでは、2009年に大阪市の日之出地区の実態調査を行われた岸政彦さん、法終了後の都市部落の変容を部落内から見てこられた住田一郎さんをお招きし、法終了後10年目を迎えた都市部落の現在について考えます。なお、お二人の報告に対するコメントを水内敏雄さんにお願いしました。

□ 日時  2011年6月12日(日)  午後1時半~5時(午後1時より受付開始)
      

□ シンポジウム
報告1 「複合下層」としての都市型部落
 岸 政彦(龍谷大学)
報告2 法終了後、大阪の都市部落はどのように変容したのか
 住田 一郎(関西大学人権問題研究室委嘱研究員)
コメンテーター 水内 敏雄(大阪市立大学)
司会 石元 清英(関西大学)

□ 参加費 1,000円

□ 会場  関西学院大学大阪梅田キャンパス(梅田アプローズタワー14階) 1406教室 大阪市北区茶屋町19-19  TEL06-6485-5611

阪急「梅田駅」茶屋町口より北へ徒歩5分、JR「大阪駅」御堂筋出口から徒歩10分、地下鉄御堂筋線「梅田駅」から徒歩7分。
ホテル阪急インターナショナルや梅田芸術劇場が入っている34階建てのビルの14階です。関西学院大学大阪梅田キャンパスの地図を同封しています。

* 申し込みは不要です。当日、会場に直接お越しください。
お問い合わせ:06-6368-0705(石元) ishimoto@kansai-u.ac.jp

続報・仁義なき商店街

すんません原稿の締め切り重なっていろいろワヤなってるんで一言だけ。いやあ下で書いた商店街ですがいろいろヤバいことになってます。ガールズバーだけじゃなくて「体張ってます」系のひとたちがいろいろ入り込んで妙なことやってるんですが、昨日見た車は怖かった(笑)夜中に人が歩いてるのにスピードあげて商店街に突っ込んできて、大きな改造クラウンか何かですが、アーケード街のど真ん中に停めたら中からもう明らかにそっちのスジの人たちが下りてきて、釜ヶ崎でもよく見かけますが同世代ぐらいのそれ系のひとたちって本当に怖いですね脂のってて! 元気いっぱいって感じで! Vシネでよく見る(見ませんが)肩パッド入ったソフトスーツにオールバックとかそういう昭和なスタイルじゃなくて、もっと平成スタイルというか、レイバン+カステルバジャックとかのゴルフウェア+ドルガバとかのハードゲイ系+ユニクロのジャージ+キティちゃんのサンダルで酒の匂いぷんぷんさせて4人ぐらい車から下りてきました! もちろん脇にへばりついて道を譲りましたとも!

しかしどうなってるんだろうかここ……再開発の噂がずっとあって、それもあって商店街組合と銀行がモメてたみたいなんですけども、さいきん静かになったと思ったらこれ系のひとたちが急に増えて、占有屋さんなのか? ずっと自分たちでまっとうな商売せずに行政の補助金とか外部のコンサルに頼り切って対症療法にもならんような自称「まちづくり」ばっかりしてるから、自治能力を失ってこういうときに面倒な連中につけ込まれるんだよ、などと、事情をわからんまま勝手なこと言うてますけども、書くと特定されてしまうので書きませんが、実はものすごく良いお店も数軒あり、駅前だしもうちょっとうまいことやればなんぼでも人が集まると思うんですが……。中崎町とまではいわんが、中津の商店街も寂れてるけど何軒か若いひとがリノベしてやってるおされな店もあるし、いまでは福島(大阪の福島な)よりも盛り上がってる天満界隈のあの集客力をみるとたいへんにはがゆいというかもったいないもったいない。

おカネはどこからやってくるのか

ここでも何回か書いてますけどもちょっと歩いたとこにある小さな古い商店街。

いくつかの古い店は細々と営業しているようだがかなり寂れてしまってシャッター街になるのも間近という状態になっていたのだが、どうもこういう昔ながらの商店街には大阪市や府などの行政からかなりの補助金がおりるみたいで、くだらないオリジナルキャラやオリジナルのテーマソング(あまりに同じ曲ばかり流していたので近所から苦情が殺到したらしい(笑))、しょうもないイベントやお祭りばかりやっていて、汚いアーケードの下にきれいな無料休憩所作ったけど誰も座ってないとか、ああそうか、こういうところに税金使うんだと、いろんな意味で勉強になった。

そのうちひとつだけ商店街に残っていた小さなスーパーが撤退し、その跡地の処理をめぐって商店街と銀行が対立しだして、商店街にはえらい勇ましいスローガンが書かれた立て看板が置かれたりして、行政から補助金もらったり何かに反対運動したり町内会で親睦旅行したりと、そういうことには熱心なんだけど肝心の商売の方はまともに客も来ないような店ばっかりで、これはもう完全なシャッター街になるのも時間の問題だなと思っていた。

イオンやジャスコ(同じ?)は、まあときどき買い物には行きますが、あんまり好きな場所じゃなくて、どっちかというと台北のごちゃごちゃした屋台街みたいなところが好きなので、こういうレトロな商店街には切実に残ってほしいんだけど、いかんせんいちばん大事な商売がおろそかになっていては客足が戻るわけがない。大店法とか郊外化とかそういうことじゃなくて、商売のやる気がないんだろうと思っていた。そのわりには親睦旅行や反対運動や行政との交渉ばっかり一生懸命だなあと思っていた。

こういう行政から落ちてくるお金目当ての業者もたくさんあって、そのうち妙なコンサル会社が介入してきたのか商店街が呼び込んだのか、まあ詳しくは書けないけどいろいろ妙なことをしていた。ああもうこの商店街も終わりだなあと思っていた。

状況が一変したのは半年ほど前、寂れたシャッター通りの真ん中にぽつんと小さな小さな立ち飲みの居酒屋が開業してからだ。その店はただの居酒屋ではなく、ハタチぐらいの黒いジャージで金髪のヤンキーの女の子が二人カウンターに入っていて、要するにあれは「ガールズバー」の場末立ち飲み居酒屋バージョンなんだろうか。あれこんな店にこんな女の子が、と思っていると開店当初からもう店に入りきれないぐらいのブルーカラーのおっさんが(笑)店から押し出されたおっさんはそのまま店の外で飲んでて、女の子はそういうおっさんにもやさしく明るく相手しているのであった。どうでもいいけどものすごいタバコの煙。

すげえ、いまこの界隈でいちばん盛り上がってるやん、と思っていると、みるみるうちにすぐ隣に同じような形態の店が三軒ぐらいばたばたと増えた。みんなベニヤの安普請で、ひどい店なんかは壁すらなく、透明のビニールを張って営業している。どこの店も大盛況で、もうこのへんの近所のおっさんの7割ぐらいが集まっているのではないかというぐらいの混み方で、しかし奥さん連中からすればええ歳した自分とこの旦那がこんなとこでハタチぐらいのヤンキーの女の子にデレデレしてるの見たらイヤやろな(笑)

さらにそこから新たな展開が、つい先日あったのだが、さすがにこれ以上詳しく書くと特定されてしまうしいろいろとヤバいこともあるので書きませんけども、なんかちょっとあれはどうかという方々が入り込んで、どうも聞くところによると○○○とそこの○○○をめぐって○○○してる○○○○が○○○○○○○○○○○○○○○○(略

さて、場末ガールズバーに関しては個人的にはまずめったに行かないような種類の店だけど、行政の補助金に頼り切ったヌルい経営してる商店街が高齢化にともなってシャッター街になっていって、そこに妙なコンサルが入り込み、補助金を使ってなんか妙なことしてるなあと思ったら、今度はまったく異なる人たち、なんとなく「海千山千」「腕一本」「体張ってます」という感じの方々が入り込んできて、急にカオスでアナーキーでヴァナキュラーでスポンテニアスな再開発というか安普請の新規出店がばたばたと続いて、それなりに商店街に活気が戻りつつあり、女の子を使った商売についてはやっぱりあんまりいい気分はしないけど、カネというものがどういうもので、それを回すにはどうしたらいいか、どうして行政が介入すると商売が絶対に上手くいかないのか、商売が上手くいってるときに内包されるさまざまな「あんまりよくないもの」がどこからやってくるのか、いろいろほんとに勉強になって、このエリアから目が離せない。

天王寺公園、大阪市立美術館、雨上がり

というわけで雨上がりの日、仕事は山積みだけどGWはまだ始まったばかりなので、歌川国芳展に行ってきた。

歌川国芳 – Google 検索

没後150年 歌川国芳展[ Kuniyoshi: Spectacular Ukiyo-e Imagination ]

雨上がり

雨上がり

P1010156

天王寺駅。大規模再開発中。さいきんの大阪はどこも工事。

天王寺駅。大規模再開発中。さいきんの大阪はどこも工事。

天王寺公園はしょうもないオブジェでいっぱい……

天王寺公園はしょうもないオブジェでいっぱい……

どうしてフンコロガシをここに作ろうと思ったのか……しかもいっぱいあった

どうしてフンコロガシをここに作ろうと思ったのか……しかもいっぱいあった

都会の真ん中の公園

都会の真ん中の公園

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大阪市立美術館。渋い。

大阪市立美術館。渋い。

P1010183

画集や写真集を自由に閲覧できる素敵なスペース

画集や写真集を自由に閲覧できる素敵なスペース

P1010189

食堂も素敵だった

食堂も素敵だった

新緑の茶臼山

新緑の茶臼山

お城だ……。

お城だ……。

というわけで、歌川国芳の作品も素晴らしかったし、よい休日であった。展覧会は前後半に分かれていて、展示物が入れ替わるそうなので、終わるまえにもう一度行く予定です。

ジャズ再開

みくしで書いたんだけどこっちにも書く。いつにもまして個人的な話。

いろんなひとと出会ったり別れたりするのが人生で、「さよならだけが人生だ」という言葉もありますが、「はじめまして」や「さいきんしょっちゅう会うよね」や「やあ、久しぶり。元気?」という人生もあります。

幼稚園ぐらいの頃からエレクトーンやったりギターやったりしてはすぐやめちゃって、音感が悪いのはその頃からわかってたんですが、中学生のときにエレキベースを初めて高校のときはもうロックバンド一色の3年間で、おかげでせっかく進学校に入ったのに卒業時には学年で下から3番目という成績だった。大学に入ってすぐウッドベースを買ってジャズを始めて、2回生ぐらいからギャラを貰って演奏するようになり、卒業するころにはけっこうそれでメシ食うっていうと大袈裟だけど月10万ぐらいの稼ぎにはなっていた。練習ばっかりして大学の授業もほとんど出たことがないので、いまだに自分の授業のやり方がこれで合ってるのかどうかわからんわ。

ただ、最初にウッドベースを習った北川潔という偉大な師匠に比べると自分の音楽の才能の無さはどうしようもなく、早々に見切りをつけて大学院に入ることに決めたんだけど、その頃に一緒によく演奏していたのがピアノのSさんで、大阪の若手では一番好きなピアニストだった。ピッチも悪くて下手糞な俺をなぜか気に入ってよくブッキングしてくれたのがうれしくて、いまはなきDonShopとかでしょっちゅうやってたな。音楽のこともいろいろ教えてもらっていた。

ある日、いつものようにSさんから電話があって、新しい店でハコ(レギュラー)で入ってくれっていうオファーだったんだけど、学者を目指して大学院に入ります、でもジャズは続けたいので、ハコの仕事はできませんが、トラ(誰かの替わり)の仕事があったら回してくれませんかって言ったらえらい叱られて、アホか学者になろうと決めたんだったらベースなんかしてたらあかんやろ。音楽やめてちゃんと勉強に専念しろやって叱られた。いちおう学部生のときからジャズと並行して院への進学も考えていろいろ読み漁っていたので、そのペースで音楽も続けられると思っていたんだけど、なんかハッとして、ウッドベースを後輩に売り払って仕事としては辞めちゃった。そしてそれ以来Sさんとも連絡を取ることもなく、もう一生二度と会わへんやろなと思っていた。もちろんその他の関西のジャズ関係の人ともすっぱり縁が切れてしまった。

でも音楽をまったく止めることはできなかったので、ひとりで完結できるボサノバに転向してギターを細々と今でもやってるけど、どうしても最近ジャズへの回帰の念が抑えきれなくなってきて、去年だったか、ちょっとしたあぶく銭が入ったときにひっさびさにエレベ買ってひとりでちまちま弾いてたんだけど、こないだ那覇でいつもお世話になっているカマンタさんの演奏に(泥酔して)乱入したときに予想外にお褒めいただいて調子に乗ってしまい(その節はありがとうございました)、昔の仲間と大阪でスタジオに入ったりしていたのだが、家の近所のジャズのライブハウスの情報を検索していて見つけたのがSさんの名前。

おさいも誘ったんだけど風邪ひいてたのでひとりで行ってきた。20年ぐらいぶりにSさんのピアノ聴いた。あいかわらず素晴らしいピアノだった。

最初は話しかける勇気がぜんぜんなかったんだけど、聴きながらひとりでぐいぐい酒飲んで、酔っぱらって思い切って話しかけてみたら、20年ぶりだったのに俺のことをちゃんと覚えていてほんとにほんとに驚いた。ちなみに上記の説教は覚えていなかった(笑)。

ちょっとスティーブ・キューンがもっと渋くなったような、あいかわらず素敵なピアノだった。しかも俺と会ったことを後日ブログにも書いてくれてて、うれしいなあ。

というわけでウッドベースを再開しようかなどとアホなことを考えていて、5月末の某店のジャムセッションの日に乱入しようなどと、ヤバいなこれますます仕事できねーわ。

しかし20代でいろんなことやってたのがいま全部つながってきたなあ。

で、まあ、結局最初の受験で落ちたり、あとその後も博士課程に進むときに教授が亡くなったりして建築労働者に……。合計して4年ぐらいドカタの時代を経ているわけですが、そんときの経験を書いた論文が『ソシオロジ』に載ったけど、しかし寄り道と遠回りばっかりしてるな俺。

2011年の桜

ずっとぎっくり腰で寝てるんですが、今日は無理して近所に桜を見に行きました。歩いて5分のところです。桜ノ宮っていう地名が気に入って、ここに住んでもう4年近くになります。毎年桜が楽しみです。

日常の写真、写真の日常(「2011年の桜」)

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ブラジル人学校のための「素人向け」日本語教材

私がかかわっている、ブラジル人学校の日本語識字教室のための教材を公開するためのページを新たに作りました。

私は2010年度より、龍谷大学社会学部学会から助成を受け、滋賀県愛荘町にあるブラジル人学校「コレジオ・サンタナ」の子どもたちに、ボランティアで日本語を教えています。20名ほどの有志学生たちも、毎週交替で来てくれます。

不景気でブラジル人社会も打撃を受けていて、とくに子どもたちはたいへん深刻な状況にあります。でもまあ、毎週学生たちと子どもたちとで、わいわい楽しくやっております。

下記ページでは、ブラジル人学校の現状と、オリジナル教材について、簡単に書いてあります。教材へのリンクはページのいちばん下にあります。まだぜんぜん揃ってませんが、今後、随時揃えていきます。

お時間のある方はどうかご覧になって、ご批判やアドバイスをいただきたいと思います。よろしくお願いします。

ブラジル人学校のための「素人向け」日本語教材

子どもたちと学生たち

子どもたちと学生たち