ベントナイトは地球の贈り物

うわーめっちゃほったらかしにしてた。まあすでにたぶんここ誰も見てないだろうからこっそり何か書いていく。うみのちかさんの話もそのうちまた気が向いたら書く。いまは気が向かん。

もう16年も前の話になるのか。実は関西では「阪神大震災復興景気」というものが一瞬だけあって、釜ヶ崎や大阪中の飯場のおっさんたちに仕事がたくさん回ってきてた時期があって、俺もちょうどそのころ修士の指導教官が亡くなって居場所を失ってしまい、何度目かの日雇い建築現場に戻ってきていたのだった。

いまでは当時にくらべて建設業界の市場が半分に減ってしまったそうで、雇用者も2/3だそうだ。市場が半分で雇用者が2/3ということは、ひとりあたりの賃金も下がっているはずで、たしかに俺がドカタをやっていたときは記憶では一日働いて1万円が相場だった。「ケタオチ飯場」という言葉がまだ生きていた時代で、日給が万の桁から千の桁に落ちると「ケタオチ」と呼ばれ、それは条件の悪いピンハネされる飯場という意味だった。いまでは一日中重い鉄筋を運んで5000円、という話も聞く。

ひさしぶりに飯場に入って(といっても学生時代からの下宿からの通いだったが)最初に通った現場は尼崎の超巨大鉄工所で、広大な敷地内を自家用電車が行き交い、工場のそこらじゅうから摂氏1000度(そんな話だったと記憶している)の蒸気が出ていますから気をつけてくださいとか言われるようなところだった。ほんとうに広い敷地のなかをちっぽけなマイクロバスでゆらゆらと連れられていった先は、まさにラスボスの悪魔が棲んでいるかのような天空にそびえたつ赤黒い魔城で、ああいう大工場っていうのはほんとうに建物みてるだけでドラマチックで物語的だよな。

あの現場には2週間ぐらい通ったかな。しょせん日雇いの雑役夫のおれたちがその悪魔城でやった仕事は、ひとつ40キロのベントナイトの袋を一日で200個とか300個とかを運ぶ仕事で、地面につんである袋をもちあげて肩にかつぎ(膝をうまく使うのがコツ)、100mほど歩いて運んで待機しているトレーラーに積み込む、という作業を、朝8時半から夕方6時までやった。

そういえばそのときにベントナイトという言葉を覚え、それから大阪市大の博士課程に入って結婚しておはぎときなこという可愛い猫を拾って飼いだしたときに、猫砂の原材料にベントナイトと書いてあって、なぜか笑いがこみあげてきた。

そのベントナイトは同じ敷地の別の建物の主柱が震災で傾いたので、その根元を固めるために使うということだったが、とにかく支給される弁当に箸がつかないほど毎日疲れ切って仕事をしていた。

ベントナイトについてはここを参照してほしい。

クニミネ工業株式会社 / ベントナイト
地球からの贈り物、と書いてある。

まあ特にオチとかも考えずに書いてますけども、そういえばいま思い出したけど、おなじ飯場のチームにすごいおっさんがおったわ。すごいおっさんっていっても、当時20代の終わりでもうすぐ30手前というところだった俺からしたらすごいおっさんだったんだけども、たぶんいまの俺と同じぐらいの歳なのかな。

身長がマジで2mぐらいあって、もう毛むくじゃらのゴリラみたいなおっさんだった。ムキムキのでかい体で、あとなんかちょっと言葉がうまく伝わらないというか、まあそういうおっさんだった。とにかくやたらと体がでかくて力が強くて、飯場の誰からも恐れられていた。

あるときその鉄工所の帰りに(そういえばこのおっさん、ベントナイトの袋をふたつずつかついでいたな)、そのおっさんの「何かのスイッチ」が入ったみたいで、マイクロバスのなかで大声でわめいて騒ぎ出して、えらいことになった。何かわからんけど大声で何かを叫びながらゲラゲラ笑ってる。他のみんなはもう、とにかく一緒になって笑ったりして、なだめようなだめようとしていた。運転手のじじいは黙り込んでいた。

いまから考えても不思議でならないんだけど、たまに俺はそういうことをするんだけど、なんか疲れてたしうるさいし、とっさに「うるさい!」と叫んだ。

マイクロバスのなかがシーンと。

そこから飯場までの帰り道、ひとりも、ひとこともしゃべらなかった。

完全にシーンとしたまま、車は飯場へ帰ってきた。

車をおりると、そのおっさんが近寄ってきて、おだやかな声で

「明日も来てね」

チームの全員が、顔から顎が外れるほど驚愕した表情をしていた。

そのときに俺がどう思っていたかというと、なんかどっかぶっ壊れてるんじゃないか俺、と思うけど、べつに怖くもなんともなく、ただうるさかったので、一言注意したら静かになったからよかったなと、きわめて穏やかな気持ちでいたので、

「はい! 明日もよろしくお願いします」

と答えて、さっそうと自転車で下宿に帰ったのであった(もちろん日給をちゃんともらってから)。しかしアレだな、いまから考えると、たぶんチームの全員が「あの若いやつ殺される」と思っていたことだろう。

まあ、だからどうということもない、オチも何もない話だけど、震災復興で建設業というと、悪魔城とベントナイト、ゴリラのおっさんを思い出す。

しかしあのゴリラのおっさん、なんで俺をしばかへんかったんやろか。そのときはほんまに俺は何とも思ってなくて、これぜんぶ後から「こうだったのではないか」と推測した話なんだけど、ひょっとして俺、気に入られてたのかなあ。

おっさん元気かな。

ベントナイトは地球の贈り物だそうだ。

あとアレだ。この話、まえにも書いたな。

謎のおっさんのフーガ

俺の友人の父親だが、許可を得ないまま勝手に書きますが、ときどき失踪するおっさんがいて、半年ぶりに帰ってきたときには奥歯がぜんぶなくなってて、魚のさばき方が異常に上手くなっていたらしい。

この話をきいて爆笑してしまったのだが、いったい何をしていたのだろうか。マグロ漁船かな……あと、このおっさん時々失踪するんだが、大阪の中央卸売り市場で働いているらしいとか、犬を飼ってるらしいとか、断片的に伝わってくる情報が面白すぎて、いつもわくわくしながら聞いている。もちろんご家族のみなさんはご苦労されていることだろうが、幸いいまのところ経済的にしんどいということはなく、父親なしでもちゃんと家計が成り立っているということなので、改めてそういう立場におかれた母親のたくましさと、「謎のおっさん」というものの存在のおかしさについてしみじみしている。

新婚時代は住吉区という、大阪の南の外れの住宅地に住んでいた。ここに小さな小さな居酒屋があって、一階は5人もすわればいっぱいのカウンターだけだったんだけど、しょっちゅう通って、二階の6畳2間ぐらいのスペースでよくみんなで宴会していた。3000円でフルコース飲み放題、酒とビールは二階の冷蔵庫から勝手に出して飲んでもよくて、飯は安くて量がいっぱいで旨いという、この上なく素晴らしい居酒屋だったのだが、後からよく聞いたらそのスペースは普通にその店のおっさんとおばちゃんが寝るスペースだったらしい。12時を過ぎてもわいわい飲んでるとたまに「そろそろ眠いから帰れ!」と言われることがあったが、そうだったのか……。

店を切り盛りしてたのは60歳ぐらいの夫婦だったが、料理を作ったり仕入れをしたり帳簿を付けたりするのは全部おばちゃんの方がやってて、おっさんは何もせず、ただ料理を二階に運んだり、客と一緒に飲んだくれたりしていた。そしてあるとき突然、このおっさんがいなくなったのである。

俺の記憶だとまず最初にいなくなったのはおばちゃんの方で、おばちゃんがいないときに飲み会をしたときの、おっさんが用意した料理がひどすぎて、でもいつも良心的な経営をしていることは常連の俺たちはよく知ってたから、爆笑しながら「炒めただけのウィンナー」とか「ぐちゃぐちゃの卵焼き」とかを楽しんでいた。そして後日、そのうちおばちゃんが復活したと思ったらこんどはおっさんがいなくなった。

おっさんがいなくなった店はいつもの安くて旨い店に戻って、二階で飲んでるときに料理を下まで取りにいかなきゃいけなくなった以外に以前と変わりはなく、いかにあのおっさんがこの店の経営に貢献していなかったかを改めて思い知ったわけだが、驚いたのはこの夫婦、実は夫婦でも何でもなく、あのおっさんも夫でも何でもなく、数年前にふらりとどこかから現れてあの店の二階に住みつき、おばちゃんの仕事を手伝って養ってもらいながら暮らしていた、という事実だった。後から聞いたんだけど、ほんとにびっくりした。

おっさんは、数年前に自転車でどこからともなく現れて、店に居着き、そして数年後、また自転車にのってどこへともなく消えてしまったのであった。

その店はこないだきれいに改装して、今もまだ営業してるけど、まだ同じおばちゃんがやってるかどうか知らない。もうあの店に行くこと自体なくなってしまった。

その他、おさいの友人の父親も失踪癖があったりとか、あと西原理恵子の亡くなった元旦那も子どものころからどこかへ行っちゃう癖があったりとか、まあいろんなところでこういう「謎のおっさん」の同じ話をよく聞く。

沖縄でもよく聞くわ……だいたい女がそのあと居酒屋とかスナックとか開いて、女手一つで子どもを育てて、いつか男が帰ってくるのを待ってるとか、そういう話はほんとうによく聞く。

精神医学の領域で「解離性遁走」という症状があるらしいのだが、これだと精神的外傷からのがれるために記憶ごとなくしてどっかへ行っちゃうというもので、たぶんこういう「謎のおっさん」たちとは違うと思うね! 謎のおっさんがどうしてどっかへ行っちゃうかっていうと、それはたぶん「飽きたから」だと思うよ!

あと、数年前に卒業した学生が書いた卒論で、ホームレスを経験した生活保護の中高年男性に聞き取りをしたものがあって、それはとてもとても面白い優秀な卒論だったんだけど、個人的にものすごい面白かったのは、そのなかのひとりのおっさんで、プライバシーのこともあるからディテールを書くわけにはいかんが、名古屋かどっかで真面目に働いて結婚もして、アパートも借りて真面目に所帯を持っていたのに、ある日とつぜん全てを捨てて大阪に出てきて釜ヶ崎にまで流れ着いたひとの生活史があって、これは面白かった。釜ヶ崎で本格的に調査をしたことはないけど、たぶんあそこにはそういうおっさんが山のように海のようにたくさんいることと思う。

なんていうか、ちょっと憧れることはある。会議だ書類だ内規だ決まりだと、組織の中の糞面倒なことがらにうんざりしているということももちろんあるけども、それよりもっと純粋に、いまの全てを捨ててふらりと知らない街にいって知らない人に囲まれて違う人生を送りたい、という欲望は強烈にある。家も家族もカネもなんにも要らんから、ただカップ酒でも飲んでスナックのおばちゃんからかって、あとは狭いアパートで古本読んだり近所の川の土手をのんびり散歩したり野良猫に餌をあげたり、飽きたらまた自転車に乗ってふらりと消えてしまう。老後はまあ、そのへんで野たれ死にだ。

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追記です。いちばん最初に書いたおっさんの件ですが、最新情報が届きました(笑)。こないだまた失踪してたんだけど、「喧嘩で人殴ってその示談金を稼ぐためにフラフラしてた」んだそうです。「ために」の前後の文章がまったくつながってないような気がします……。

村人たちの国

書斎の椅子をバランスチェアにかえてから腰の調子がかなりよかったのだが、ついこないだ2年ぶりぐらいに腰をいわしてしまい、休みに入って寝たきりになっている。いぜんは毎年恒例だったのだが……久しぶりに強制スリープ状態である。ここぞとばかり家事も仕事もサボりまくってベッドの中で好きなことをしている。そんな近況であるがほんまに今年はついったーのせいでブログの更新が減ってしまった。ついったーも、まあいろんな人と知り合いになれたのでよかったことはよかったのだが、同時にネトウヨとか軍オタとか女嫌いとかペドみたいな連中が湧いてくることも多くて、徐々にネットに希望を持てなくなっている。まあただ単に俺が歳とっただけだが。とげったの問題でもそうだが、だいたいネットというのは悪意があって粘着質で陰険な奴が目立つようなアーキテクチャになってるな。

というわけで寝たきりだったのだが上半身を起こせるようになったので、ベッドのなかで特に何を書くか決めずになんとなく雑文を書こうと思う。

先日、学生の卒論の資料用に外国人労働者問題の一般向け書物を大量に買ったのだが、そのなかの一冊が面白かった。

Amazon.co.jp: ルポ 差別と貧困の外国人労働者 (光文社新書): 安田 浩一  (光文社新書)

90年代初頭にまず「定住」という在留資格が追加され、これによって日系南米人、特にブラジル人が大量に入国することになった。表向きは「里帰り」である。同じころ、実は戦後のはやい時期から行われていた「外国人研修生」という制度が整えられ、1年間の研修に引き続いて2年間の「技能実習生」が認められるようになった。表向きは「国際交流」である。バブル末期の人手不足の時期に、ブラジル人と中国人(研修生の多くは中国人だ)が単純労働者として国内に流入するようになったのだが、「定住者」にも「研修生」にも共通していえるのは、それが単純労働者であることを表向き否定された単純労働者であるということだ。かれらが労働者であることは公的に否定されているので、国としてかれらを守るような特別な施策はいっさい無い。例えば、失業したらどうするか、病気になったらどうするか、日本語教育をどうするか、生活保護等の行政サービスの告知や利用をどうするか、子どもの保育や教育をどうするか……

ブラジル人学校についてはまた改めて書こう。

よく言われることだが、この国には外国人の出入国を管理する政策はあっても、定住する外国人を包摂し市民権を保障するような「共生」のための政策はほとんど存在しない。政治レベルの話だけではなく、さいきんの中国や北朝鮮に対する、あるいは朝鮮学校無償化問題(いや、より正確にいえば、朝鮮学校無償化「除外」問題)に対する一般市民の感情的反応をみていても、そうした政策の実現が夢のまた夢であることを実感するばかりだ。

200万人を超える外国人が暮らすこの国において、表向き外国人労働者の法的存在すら否定されているということ自体、おそらく知らない人のほうが多いだろう。郊外の大工場ではブラジル人が働き、都心の居酒屋では中国人が生ビールを運んでいる。それでもこの国には「外国人労働者」は法的には存在しないのである。

……などなど、この国におけるブラジル人と中国人のあり方については、分けて議論するのではなく、一緒に考えた方が日本の外国人政策の場当たり的ないいかげんさと無為無策が明らかになって面白いのだが、まあそれはそれとして、この本のなかでも指摘されている「中国人研修生にたいするセクハラ」という問題について、いろいろ考えこんでしまった。

さまざまなセクハラ事件の詳しい部分に関しては本書をお読みいただくとして、日本人の側として思うのは、こういうことをするのが地元や家庭では真面目で信頼されている「普通のお父さん」なんだろうな、ということだ。

非常勤時代も入れるともう十年以上大学で学生たちと付き合っているが、たまに卒業した連中と飲むと、日本のサラリーマン社会における性の問題が浮き彫りになって面白い。

こないだも卒業してかなり立派な銀行に就職した奴が「なんで職場の先輩って後輩をすぐ風俗に連れていきたがるんやろうなあ」と笑っていた。

俺がこういう考え方なのはみんな知ってるので、「職場の風俗」の話をするときはみんなどこか申し訳なさそうにしているところが可愛い。でも俺は職場には職場の掟があることはわかっているので、別に教え子たちを責めることはしない。でも元ゼミ生のなかには職場のそういう誘いをぜんぶ断ってる奴もいて、逆に孤立しないか心配だ……でも「会社ってそういうとこだから仕方ないよ!どんどん行けよ!」とも言えないので、辛いところではある。「でも、でも、でも」だな、この問題は。

もちろん会社や職場にもよるのだが、「地元社会に根ざして何十年も地道にやってきた会社」ほどこういう「昭和な性規範」(と言っていいかどうかもわからんが)が残っているような気がする。関西であれば誰でもその名前を知っているような地元の超優良企業でも、毎月のように職場のメンバーで連れ立って京都や大阪の風俗街に繰り出すのだそうだ。

みんな普通の元気な若いサラリーマンや立派な部長さんだそうだ。

上記のルポのなかの、中国人研修生に対するひどいセクハラの事例を読みながら、ふと思ったのだが、こういうのがたぶん、普通の日本人の真面目な良いお父さんの、普通の感覚なのかもしれんな……。もちろん大多数の雇用主は真面目にやってるんだろうけど、その真面目さの影にこうした欲望がないとはいえないだろう。

たびたび同じ話を聞きすぎて感覚が麻痺していたのだが、ふとシラフで考えると、海外の事情についてまるで知識のない俺だが、教えてほしいのだが、他の先進国でもあるんだろうか、企業というフォーマルな場でいっしょに働く同僚たちが、仕事が終わってから連れ立って女を買いにいく、ということが。

仕事が終わってからスナックやキャバクラ、はては風俗やソープにみんなで一緒に行く、という習慣と、相手が中国人の若い女性なら何をしてもよい、という感覚は、どこか目に見えないところで強くつながっていて、確かに「この国のある一部分」を構成しているようにみえる。けっして語られないけど、どこにでも転がっていて、「見られてるけど気付かれてない」この国のマジョリティの姿だ。

簡単にいうとまあ、これもよくいわれることですが、公の場での性的表現や性的言動に対して異常なほど寛容だ、ということもあるけども、それよりもっと興味深いのは、これだけ風俗やセクハラが横行していながら、実際のセックスに関しては実に貧弱である、ということだ。

図録▽世界各国のセックス頻度と性生活満足度

ダントツで頻度も満足度も低いわ(笑)。

なんかこう、性的なことがらに関して、まだ名前がついてないような、非常に歪んだ抑圧が働いているような気がする(ここで「お前らもっと気軽にヤれよ」というと肉食系気取りのただの気持ち悪いおっさんになってしまうので言わない)。

あえて乱暴にまとめっぽいことを言えば、外国人労働者問題にせよ、公共空間での性的なことがらの問題にせよ、セックスの頻度と満足度の低さにせよ、なんかこう、「他者とコミュニケーションする」ということが徹底的に出来ないんだな俺たちは、と思う。俺たちはみんなムラビトなんだよ、いつまでたっても。

布施から玉造まで(3)

というわけでやっとこれで最後。けっこうアップロードするのも手間じゃわい。3〜4年前のルミックスでも十分きれいに撮れる。

大阪市東部の昭和の街並みをどうぞ。

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布施から玉造まで(2)

散歩写真の続きです。まあなんということもない大阪の路地裏ですが、だんだんこういう街並みも貴重なものになりつつある。よく思うんだけど、駅前の再開発ってだいたい失敗してるよね。イオンとかそんなんばっかりで、何にもないとこえんえん歩かされるだけになっている。

どうしてこういう路地って、人口的に作れないんだろうか。こういう路地って、いちどなくなったらもう二度と手に入らないんだろうか。

古い和洋菓子屋さん

古い和洋菓子屋さん

えんえん続く商店街

えんえん続く商店街

一本入るとさびれてる

一本入るとさびれてる

街のおもちゃ屋さんも健在。トイザラスなんかに負けるな!

街のおもちゃ屋さんも健在。トイザラスなんかに負けるな!

こういうのあるよな

こういうのあるよな

布施駅の裏手、謎の空間

布施駅の裏手、謎の空間

こういう路地がいつまでも存在してほしい

こういう路地がいつまでも存在してほしい

風雪に耐えて

風雪に耐えて

美しい路地

美しい路地

どうしてほしんだ。

どうしてほしいんだ。

ひとが暮らしている

ひとが暮らしている

人生のように

人生のように

玄関先の庭園

玄関先の庭園

猫が逃げていった

猫が逃げていった

みごとな連なり

みごとな連なり

幾何学

幾何学

白い

白い

暖かい冬の日

暖かい冬の日

人食い

人食い

布施から玉造まで(1)

実に久しぶりにゆっくり散歩した。東大阪の布施まで電車で行ってから大阪市内環状線の玉造まで戻ってきた。3時間か4時間ぐらい歩いたかな。カネもかからんし楽しいし、最大の娯楽である。

布施駅裏周辺は古くからの繁華街で、かつては東大阪の中心地であった。今ではすっかりさびれてしまったけど、昔はさぞかしにぎやかだっただろう。スナックや韓国パブや風俗や小さなストリップ小屋が、古い商店街のまわりに集まって、ほそぼそと営業している。ところどころ更地になってるけど、なんだか地上げも力入ってないかんじ。

路地裏という路地裏をくまなく歩いた。

昭和な商店街

昭和な商店街

つぶれたゲーセン跡

つぶれたゲーセン跡

レトロな街だが人は多かった

レトロな街だが人は多かった

スナック街が駅裏にひろがっていた

スナック街が駅裏にひろがっていた

こういうところには必ず猫がいる。猫がいる街は良い街である

こういうところには必ず猫がいる。猫がいる街は良い街である

なんとこの路地の奥に店がある

なんとこの路地の奥に店がある

朝9時から元気に営業中

朝9時から元気に営業中

スーパーボディコン

スーパーボディコン

スナックの横が更地に

スナックの横が更地に

なぜだかなつかしい

なぜだかなつかしい

ひきずりこまれて二度と出られない路地

ひきずりこまれて二度と出られない路地

「かおり」の裏の顔

「かおり」の裏の顔

小さなストリップ小屋。昼間から営業中

小さなストリップ小屋。昼間から営業中

なんか妙な名前のスナックが多い

なんか妙な名前のスナックが多い

ベニヤ一枚、裏は事務所

ベニヤ一枚、裏は事務所