ショットバーを開店しました。

告知です。このたび、6年勤めた大学を辞職し、かねてからの夢だったショットバーを開店することになりました。お近くにおこしの際はぜひお立ち寄りください。なお、全席禁煙です。

http://sociologbook.net/domingo/

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追記。いやあ……思いつきのネタでこんなにマジでだまされるひとが続出するとは思わんかった……メールやFBメッセージ、あとケータイに直接電話してきたりとか……今日の午後はずっと謝っておりました。みなさますみませんでした。

まあでも禁煙ショットバーはそのうちほんまにやりたいです。本当に開店したらまた告知しますので、みなさまおこしくださいませ。告知は4/1以外の日にします……。

ブラジル人学校プロジェクトが大学のウェブサイトに掲載されました

ここ数年にわたって実施している、滋賀県のブラジル人学校「コレジオ・サンタナ」との交流ですが、大学の地域連携事業のひとつとして、ウェブサイトに掲載されました。

龍谷大学 地域連携事例集第3版 ブラジル人学校の日本語識字教室

学部単位や全学レベルでやってる事業と並んで、この小さなプロジェクトが掲載されて、とてもうれしく思います。あいかわらずブラジル人学校の(そしてブラジル人社会の)状況はたいへん厳しいですが、できることをできる範囲でコツコツやっていきます。

今年は教材を印刷・製本して無料で配布しようと思います。どんくまが世界に広がります(笑)

きょうのおはきな

久しぶりにちょっとだけおはぎときなこ。クリックすると大きくなります。

おはぎです。
きなこです。

きょうもげんきです。

揚げ足とりと吊るし上げの国

今日、東京でおこなわれた東日本大震災の一周年追悼式で、野田首相が以下のようなスピーチを述べたらしい。記事が消えてしまう前に以下に全文を引用する。新聞社の記事ではあるが首相のスピーチなので問題はないと思う。

 本日ここに、天皇、皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、東日本大震災1周年追悼式を挙行するに当たり、政府を代表して、謹んで追悼の言葉を申し上げます。

 多くの尊い命が一時(いちどき)に失われ、広範な国土に甚大な被害をもたらした東日本大震災の発生から、1年の歳月を経ました。

 亡くなられた方々の無念さ、最愛の家族を失われたご遺族の皆様の深い悲しみに思いを致しますと、悲痛の念に堪えません。ここに衷心より哀悼の意を表します。また、今もなお行方の分からない方々のご家族をはじめ、被災された全ての方々に、心からお見舞いを申し上げます。

 亡くなられた方々の御霊(みたま)に報い、そのご遺志を継いでいくためにも、本日、ここに三つのことをお誓いいたします。

 一つ目は、被災地の復興を一日も早く成し遂げることです。

 今もなお、多くの方々が、不自由な生活を余儀なくされています。そうした皆様の生活の再建を進めるとともに、生まれ育ったふるさとをより安全で住みよい街として再生させようとする被災地の取り組みに最大限の支援を行ってまいります。

 原発事故との戦いは続いています。福島を必ずや再生させ、美しいふるさとを取り戻すために全力を尽くします。

 二つ目は、震災の教訓を未来に伝え、語り継いでいくことです。

 自然災害が頻発する日本列島に生きる私たちは、大震災で得られた教訓や知見を、後世に伝承していかなければなりません。今般の教訓を踏まえた全国的な災害対策の強化を早急に進めてまいります。

 三つ目は、私たちを取り結ぶ「助け合い」と「感謝」の心を忘れないことです。

 被災地の復興には、これからも、震災発生直後と同様に、被災地以外の方々の支えが欠かせません。また、海外からの温かい支援に「恩返し」するためにも、国際社会への積極的な貢献に努めていかなければなりません。

 我が国の繁栄を導いた先人たちは、危機のたびに、よりたくましく立ち上がってきました。私たちは、被災地の苦難の日々に寄り添いながら、共に手を携えて、「復興を通じた日本の再生」という歴史的な使命を果たしてまいります。

 結びに、改めて、永遠に御霊の安らかならんことをお祈り申し上げるとともに、ご遺族の皆様のご平安を切に祈念して、私の式辞といたします。

<東日本大震災>野田佳彦首相の式辞 1周年追悼式 毎日新聞 3月11日(日)15時28分配信

すっかすかの中学生の作文みたいで正直驚いた。別に気の利いたフレーズや美辞麗句で飾り立てる必要はないが、それにしてもこのスピーチの中身の無さはどうだろう。紋切り型ばかりで、ありきたりで、記憶にも印象にも残らない、ほんとうにどうでもいい文章である。

マーチン・ルーサー・キングとはいわんが、たとえばオバマ大統領の就任演説や、スティーブ・ジョブズの有名なスピーチと比べると、一国の首相としてこれはないだろう、と思う。「せいいっぱい頑張ります」ゆうて、高校野球の選手宣誓ちゃうねんから。

とうぜんここは一国の首相であるから、優秀なスピーチライターが後に控えているだろうから、野田首相本人の文才がないという話ではなく、非常に優秀なライターなり官僚なりが作った文章がこれだ、っていうことは、これは別にアホが適当に書いた文章ということではなく、賢いスタッフがいろいろ考えをつくして一生懸命書いて、必然的にこうなったんだろう。

ようするにこれは、だれかを感動させよう、自分がほんとうに思っていることを言おう、歴史に残るようなスピーチをしよう、ということではなく、右からも左からも、被災地からもそれ以外からも、原発推進派からも反対派からも、上からも下からも、アメリカからも国内からも、与党からも野党からも、どこからもツッコまれず文句も出ず、揚げ足もとられないような文章を、非常に優秀なライターや官僚が頭を振り絞って書いたということなのであろう。

その意味ではこれは文才と知性あふれる非常に優秀なスピーチなのである。

ようするに、われわれが政治家のくだらない失言の揚げ足をとって吊るし上げたりばっかりしているから、必然的にこうなっているのである。われわれがこういう政治家を、こういう演説をつくっているのである。

他方で、某市長のように、日本の戦争責任を公の場で、しかも被害にあった国の代表にむかって直接否定するようなことを発言しても、さすがに大きく報道はされたけど、国内的には何のおとがめもない、というのはいったいどういうことだろう。国によっては明白に法律違反になり一発でアウトになるような発言だと思うのだが、クビになったり辞職したり解散したりする気配もない。

だから何、ということもない小ネタではあるが、たとえば国際人権規約に批准しながら差別を禁止するまともな法律すらないこの国で、「人の心を傷つけるのはやめましょう」という啓発ポスターがやたらと地下鉄のトイレに貼ってあるのと、根っこのところでぜんぶつながってるなあと思った。

「りゅうだい」のこと

おれが雇われてるのも「りゅうだい」だけど(笑)、沖縄に学生を連れていくときに必ずいうのが、「沖縄で『りゅうだい』って言っても通じへんで。沖縄で『りゅうだい』いうたら100%琉球大学です」

学生の実習やら自分の調査やら会議やらライブやら(笑)で1年に3回も4回も沖縄行きますが(そのわりにマイル貯めてないですが)、もちろん琉大にもしょっちゅう行きます。

沖縄について勉強しているものとして、琉球大学は素朴にあこがれます。沖縄研究のメッカだし、そうそうたる研究者を輩出してる大学でもあるし。

もちろん、琉大といってもふつうの日本の大学なので、中に入ればそれはもういろいろでしょうが、それはわかったうえで、部外者から見た琉大の「大学としての雰囲気」について書きます。無責任かもしれないですが、俺はとってもこの大学の雰囲気が好きです。ちょっと短い文章で書くのが難しいですが。

あと、俺が知ってるのは法文学部の、とくに特定の学科が中心になってるんで、これが琉大全体じゃないかもしれないですが、でもたぶんそんなに的外れでもないと思います。

知らないと意外、知ってると当たり前ですが、琉大の学生の大半はうちなんちゅではなく内地出身者です。なんとなく自分の偏差値で入れる国公立がここしかなかったので、という学生さんも多いですが、何人かの琉大生は、わざわざ選んで沖縄に来ていました。個人的にしゃべった範囲内ですが、ある北海道生まれの女子は、「日本語で入れる、自分の家からいちばん遠い大学」という理由で選んだそうです。あと「東京には興味ないけどバンコクに住みたい」と言っていた学生とか。いちばん多いのが「どこか暖かいところに行きたかった」というものでした。

自分が受験生だったのはもうはるか昔、年号すら今と違う時代だったので、もううっすらとしか覚えていませんが、大学に入るということは、ことにそれが自分の生まれ育った街ではない場合、「外の世界」に行くという、妙な解放感をともなうものです。というか、でした。いまはどうなのか知りません。就職率で選ばれてるんでしょうか。

俺が接する琉大生には、「とにかく遠いところ、そしてできれば暖かいところ」に行きたかった、というやつが多いです。

あるとき、琉大生と飲んでて、けっこう遅くなったときに、いまからサブゼミやるんですよ、へー何それ。っていう話をきいて、面白そうだったので参加したことがある。どうも大学の公式のゼミともうひとつ、学生が自分たちで、自主的に読書会や勉強会をやっているらしい。

開始が夜中の12時から(笑)。ええかげん飲んでべろんべろんになりながら行ったところは、宜野湾の我如古っていうところにある、地下のショットバー。

浦添から宜野湾あたりは、那覇都市圏に含まれていて、ずっと市街地が続く。さすがに夜中はちょっと暗いけど、それでもいい店がぽつんぽつんと途切れずにある。そういうところを車で移動する。運転する学生は飲まない。飲んだら代行を呼ぶ。沖縄の、車社会と酒社会の矛盾を、みんないろいろやりくりして乗り切っている。

とにかく、夜中の12時にその地下のバーにおりていくと、もう何人か若い連中が集まっている。別に店を貸し切りにしているわけでもなく、他の客もいる。客に出てけとも言わないし客のほうもうるさいと文句を言うこともない。

着いたらすぐに映画の上映が始まった。え、いまから2時間も映画みるの、ダルいな、と思ったんだけど、酔っぱらって映画見るのって楽しいんだな。あっという間に最後まで見てしまった。

映画はディカプリオの「ザ・ビーチ」。とても怖い映画だった。

で、そのあと、この映画のテーマである、「どこか違う場所に憧れること」について、自由に議論になった。かなり活発な議論だった。たぶん、「いちばん遠くて暖かいところ」に来た自分たちを、重ねてたんだと思う。

もうそこにどんな学生がいて、どんな話をしたかぜんぜん思い出せないけど、俺もいつもどおり酔っぱらっていろいろ勝手な話をした。琉大生からしたら、いきなりあらわれた見ず知らずの関西弁のおっさんでしかない俺だったのだが、発言をさえぎられることも、身分を問われることもなかった。

ふらふらになってホテルに朝帰り。

非常に感銘を受けた。地方の国立大学にはまだこういう気風や文化が残っているんだろうか。琉大だけかな。

学生たちが自主的に集まって、夜中のバーで酒飲んだり映画見たりしながら、朝までがんがん議論する。これが大学じゃなくて、何が大学でしょうか。

他にもたくさんあるけど、この例は象徴的だと思う。

もちろんあんまり理想化するのはよくない。不登校になって休学したりひきこもりになる学生も少なくないと聞くし、就職率もかんばしくないです。

ただ、例えば琉大のあるゼミでは、オタク文化をテーマに10万字の卒論を書く学生がいたりして、その卒論も送ってもらって読んだけど、ああこういうのが勉強するっていうことだよなあ、と思う。世の中の役に立つとか、なにかの問題解決につながるとか、自分の知識が増えるとか、就活でアピールできるとか、そういうことを一切考えずに、4年間かけて10万字書く。これが勉強するっていうことだよな、と思います。

まあ、基地の問題とか、内地からのオリエンタリズムとか、沖縄県内での階層格差とか、いろいろありますけども。それはそれとして、こういう空間がいまの日本にまだ残っているというのは、これはもうほんとうに珍しい、希有なことです。奇跡といってもいいと思います。

ただ、やはりこれから大学そのもののあり方が厳しく問われる時代になっていくことは明らかです。琉球大学だけが、いつまでも外の世界と隔絶した「知的治外法権」ではいられないでしょうし、ちょっと世界のなかで居場所がない学生を集めて4年間面倒を見るという役割も、薄まっていくんだと思います。

だからこそ、こういう場所は貴重です。こういう空間はもうこの国からはどんどんなくなっていくと思いますが、せめて、昔は琉大はこういう雰囲気があったんだよと、伝えていきたいと思います。なんかちょっと悲観的なまとめですが。

最後が悲観的になっちゃったので琉大のキャンパスの写真を適当に載せます。行くのがいつも夏休みとか春休みなんで、ひとが写ってませんが、それでも素晴らしいキャンパスであることはおわかりいただけると思います。ちなみに生協食堂のカフェテラスのほうのハンバーガー、めちゃめちゃ旨いです。沖縄ってハンバーガー旨いよね。

いまを生き延びるための、非合理的な選択

おれみたいな下っ端のチンピラでも「これから大学はどうあるべきか」とか考えることもあるけど、何をどう考えても結局「入口の入試」と「出口の就活」に縛られて何もできないことに気付く。しかしこれだけ市場が縮小していくのがはっきりしてるのにいまだに昭和の入試-就活制度に横並びに縛られて何もできない。このままだとほんとにどうなるんだろうかと思う。

入試でいうと例えば、怖いことに価格競争が始まりつつある。すでに受験料にその兆しがある。ネット割引はウチも導入するみたいだし、そのうち「受験料1000円」「受験料タダ」みたいな禁じ手つかってくるところが必ず出てくる。そうするとあっというまにダンピング合戦になる。

だいたい受験料が大学の貴重な収入源になってること自体がおかしいんだけど、「もうそうなってしまっているから」という理由で誰も手が付けられない。でもどっかが値引きしだしたらすべての大学が一斉に値引きせざるをえなくなる。受験料が必要になってるために逆に受験料を安くせざるをえない、という悪循環。受験料が予算に組み込まれているから、なるべく大量の受験生を集めざるをえない。そのために逆にダンピング合戦になってしまうのだ。

いまの形での入試をやめればすむ話なんだけど、リスクが怖くて誰も手がつけられない。

他にも「特待生」という名前で学費を大幅に割り引く大学もかなりある。学費もそのうち値下げ合戦になると思う。

教員が生首を切られることはめったにないだろうけども、「民間がリストラしてるのに大学教員だけが特権を(略)」みたいなことになって、人件費や研究費が大幅に削られることになるだろう。自分の給料のことはほんとにどうでもいいが、優秀な若い学者にポストが与えられなかったり、必要な研究費が調達できなくなると、大学という組織は死ぬ、と思います。

いまの形での入試という制度が残ったままで市場が縮小していくと、他にもいろんなことが起こってくるだろう。「その状況をなんとか生き残る」ための短期的に合理的な選択が、長期的にみて非合理的なものになる。この状況に対処するためには「それぞれの大学が特色を出す」という当たり前のことが必要なんだけど、いまの入試を前提にしてたら、たいしたことができるわけがない。

もうそろそろ、18〜19歳の同じぐらいの年齢の学生ばっかり集めるのやめませんか。その層は急激に減少してくわけだし、大学も思いきって規模を縮小して、都心の小さなビルで、土日夜間に開講して、外国人でも高齢者でも誰でも純粋にものを考えたり勉強したりする場になりませんかね。もちろん単なるカルチャーセンターじゃなくて、正規の大卒資格を得ることができる、ちゃんとした厳しいカリキュラムで。

ということを考えてると、こんどはあの非合理的な「就活」という問題にぶちあたります。

就活と大学での勉強の関係については、いずれまた。

日常

さいきんのiPhone写真。

大阪社会調査研究会のお知らせ

研究会の告知です、おヒマな方はぜひどうぞ。

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http://www.facebook.com/events/280207335364512/

大阪社会調査研究会のお知らせです。

2012年2月4日(土) 15:00~18:00
龍谷大学大阪梅田キャンパスにて

高史明さん http://www.facebook.com/fumiaki.taka をお迎えして、「差別と偏見の社会心理学」というテーマで研究会を開きます。一般の方も歓迎。参加無料。懇親会あり。予約不要。差別と偏見についての国内外の最新の研究動向やご自身のご研究についてもご紹介いただきます。

場所はこちらです。ゴージャスすぎるビルですが、お気軽にどうぞ。エレベーターは先に階数ボタンを押してからでないと動きません。

http://www.ryukoku.ac.jp/osaka_office/access/index.html

研究会というより気楽な勉強会です。みなさまのご参加をお待ちしております~~~

放置される子どもたち──日系ブラジル人の教育問題──

某大学から依頼されて新入生用の人権パンフレットの原稿を書きました。そのうちの一部をこちらにも置いておきます。

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放置される子どもたち──日系ブラジル人の教育問題──

現在、日本に住む外国籍の住民はおよそ200万人、これは全人口の約1.5%にあたります。もっとも多いのが中国人で67万人、ついで(在日コリアンを含む)韓国・朝鮮籍の人びとが55万人。3番目に多いのが、知らないと意外に思うかもしれませんが、ブラジル人で、21万人です。リーマンショック以降の製造業不況や東日本大震災の影響などで、ブラジル人は若干その数を減らしていますが、日本経済の長引く低迷にもかかわらず、中国人を中心として、日本社会に暮らす外国人たちは着実にその数を増やしています。日本はすでに「多民族・多文化国家」になりつつあるのです。

大阪には非常に多くの在日コリアンの方々も暮らしていますが、ここでお話するのは、90年代以降に新しく日本にやってきた「ニューカマー」と呼ばれる人びとのことです。特に滋賀県に住む日系ブラジル人と、その子どもたちについてお話ししたいと思います。

ニューカマーの中国人や韓国人が比較的都市部に多く、留学生として大学や専門学校で勉強したり、飲食業などのサービス産業で働いているのに対し、日系ブラジル人たちは、どちらかといえば群馬県や静岡県、そして関西では滋賀県などの郡部で、大きな工場で派遣労働者として働いている人が多数をしめています。

時はバブル期にさかのぼります。1990年、人手不足に苦しんでいた製造業を救うために、日本政府はほんのちょっとだけ、外国人に対して門戸を開放しました。

ハワイや南米には、戦前の貧しい時代に日本から移民に渡った膨大な数の日本人移民とその子どもや孫たちが住んでいるのですが、この「日系」の人びとに対して「定住者」資格を与え、事実上日本国内での居住と労働を認めたのです。ただ、この定住者も、いわば「里帰り」のような名目で国内居住を認められたにすぎません。同じ南米人でも親族に日本人がいる場合に限られます。「ほんのちょっとだけ」というのはこういう意味です。

さて、このように日本の閉鎖的な門がほんのちょっとだけ開いたのですが、そのわずかなすきまから大量の日系南米人、特にブラジル人が入ってきました。もっとも多いときで30万人以上のブラジル人が日本で暮らしていました。ここ数年、不景気でややその数を減らしていますが、それでも20万人はブラジルに帰国せず、日本国内で暮らす道を選んでいます。なかには日本企業の正社員になり、マイホームを手に入れた人びともいます。ブラジル人の多くは、さきほども書いたように、日本の地方で自動車部品などを作る大きな工場で、派遣労働者として働いています。ブラジル本国から日本に連れてくるリクルート会社もたくさんあります。

ブラジル人の給料は日本人の派遣労働者とかわりありませんが、雇用の不安定さが生活ぜんたいの不安定さに結びつくリスクが、日本人と比べて非常に高いです。リーマンショックのときに多くの製造業が会社を守るために(日本人を含めた)労働者を切り捨てました。そのなかでもブラジル人たちは特に深刻な状況になりました。遠い国から単身や少人数の家族でやってきて、誰も頼る人もなく、住むところは会社の社宅、という人がたくさんいました。こういう状況で首を切られ、仕事や家族、住居まで、すべてを失うブラジル人が、いまでもいるのです。

日本には、外国人の出入国管理政策はあるが、外国人の定住政策は存在しないとよく言われます。「定住者」資格は与えられましたが、病気になったとき、失業したとき、家を失ったとき、家族が困ったとき、そのほか生活していくなかで誰でも遭遇するトラブルにたいする保障がまったくありません。日本の政策は「外国人を入れただけ」に等しいものがあります。

特に深刻な状況になっているのは、ブラジル人の子どもたちです。現在、日本には100近くのブラジル人学校があると言われていますが、そのほとんどすべてが私設の学校であり、日本政府からは補助金がおりず、学費がとても高くなります。基本的に授業はブラジルでの使用言語であるポルトガル語でおこなわれ、日本語教育は不十分なところがほとんどです。また、失業や給料切り下げなどで、ブラジル人学校の高い学費が払えず、子どもたちを学校に通わせられない家庭も少なくありません。私が知っているある小学生の女の子は、両親が工場で一日中働いているあいだ、たったひとりで家の中でテレビを見ているだけ、という暮らしを数ヶ月にわたって送っていました。そのあいだ彼女はずっと孤独に耐えていただけでなく、何も教育されず、言葉も覚えないままでいたのです。

それでは日本の学校に通えばいいのではないか、と思います。しかし、日本の公立小学校や中学校に外国人の子どもももちろん通うことはできますが、いまのところポルトガル語しか話せないブラジル人の子どもを受け入れて、いちから日本語をつきっきりで教え、いじめも多い学校のなかで友だちができるようにサポートしてくれるような学校は、ほとんどありません。

さきほどの例とはまた別の女の子は、まったく日本語ができないまま日本の公立小学校に入ったものの、ポルトガル語ができる教師が誰もいない学校で、ただ教室のいちばん後の席に座らさせられ、白い画用紙だけを与えられ、毎日1時間目から学校が終わる時間まで絵を描いているように言われたそうです。その子は耐えきれず一週間ほどで辞めてしまいました。みかねたブラジル人学校の校長先生が、学費が払えないのを承知したうえで、自分の学校に編入させ、いまでは元気に通っています。

そうしたブラジル学校が、日本全国にたくさんあるのですが、補助金もおりないためにどこも経営が非常に苦しく、閉鎖してしまったところもあります。設備も教材も祖末で、雇っている先生やスタッフに払う給料にも困っています。

こういう状況で、やはりもっともしわよせをくらっているのが子どもたちです。正式な日本語教育もポルトガル語教育も受けられないまま大きくなってしまう子たちもいます。「セミリンガル」や「ダブル・リミテッド」といいますが、日本語もポルトガル語も上達しないまま、つまり「どの言葉も正しく使えない」まま、大きくなってしまう子どもたちがいるのです。これは本当に、本当に恐ろしいことです。

滋賀県の愛荘町に「コレジオ・サンタナ」という小さなブラジル人学校があります。私は個人的にここの校長先生と出会ったことをきっかけに、龍谷大学から助成金をいただき、毎週学生有志を連れて、日本語教室のボランティアをしています。私はプロの日本語教師でもありませんし、教材も手作り、週に一回だけの授業ですから、たいしたことはできません。でも、学生たちがブラジル人の底抜けに明るい子どもたちと仲良くなり、言葉が通じないのにまるで家族のように仲良くなっていくのを見てきました。「小さなとこからコツコツと」私たちにできるのはこれしかありません。

閉鎖的な日本の政策や世論が、何の罪もない子どもたちを傷つけてしまうことは許されません。今後も、できる範囲ですが、支援活動を続けていこうと思っています。

社会が社会的なものに縛られる

冬山でたまに遭難するパーティがある。どこかで誰かが引き返そうよって言えなかったのかなと思う。

いつも思い出すのが、大学の生協食堂の話。ウチはものすごい不便な山奥にあって、まわりに店はおろか人家さえないから、昼休みの短い時間には生協食堂が超満員になる。長時間並ばないとレジにも行けなくて、苦情も多い。でも、混んでるのは昼休みになった直後だけで、休み時間の後半には割と空いてくるから、授業が終わったあと20分ぐらいどっかで時間つぶしてから食堂に行けばいいのに、って言うと、学生から、

「授業終わったらすぐにみんなでなんとなくだらだら移動するのがいつものことだから、そのときにみんなに『ちょっと20分待ってから行こうよ』なんて言えません」

って言われて、心から納得した。

大学の後輩が、名前を言えば誰でも知ってる超大手企業でケータイのOS作ってて、そのあと転職して、Googleの最終面接まで行ったのだが惜しくも落ちて、しかしそのあと、名前を言えば誰でも知ってるアメリカの超大手ソフトメーカー(本当に大手)の日本法人で、ものすごい中核的な仕事をしてたんだけど、たまたま部局ごとリストラにあって、いま転職活動中。

それだけのキャリアがあればどんな会社でもいつでも好きなとこに行けるやろ、って言ったら、

「いえ、日本の企業だと無理ですね。キャリア以前に年齢でハネられます。だから外資系中心にいま探してます」

会社によっては日本の企業でもそんなことないと思うけど、なんとなく深く納得した。

おさいが非常勤で授業してるある女子大は、大阪の下町にあるんだけど、学生がみんな地元の中小企業に入るのをものすごいイヤがってて、そういうところに正社員で入るぐらいなら居酒屋のバイトでもいい、と、せっかく大学を卒業しながらもったいないことをしてるらしい。

これも学生がちゃんと就活を考えてないっていうことなんだろうけど、大阪の下町の小さなメーカーとかを若い女子がなんとなく忌避する気持ちはなんとなくわかる。たぶん、そういうところでは、女の子はお茶汲みで、30過ぎたら退職して、仕事終わったら会社の飲み会があって、年に一回白浜あたりに慰安旅行に行くんだろう。

大学の後輩の話に戻るけど、あれだけのキャリアがあっても年齢でハネるところが(もちろん全部じゃないだろうけど)多いっていうのはもう、日本の経済はどーなるんだろうか、と思う。かわりにリクルートスーツの新卒に「即戦力」を求めたりして、もう何やってんのかぜんぜんわからん。

新卒一括採用やめたらいいのに、年齢で採用するのやめたらいいのに、男性と女性の待遇に差を付けるのやめたらいいのに、みんなでいっせいに学食行くのやめたらいいのに、って思うけど、やめられないんだろうし、人のことはぜんぜん言えなくて、俺をふくめて大学という組織でも、まったく同じことやってる。大学もいいかげん、18〜19歳のやつばっかり入れるんじゃなくて、夜間や土日にも開講して、50歳になっても60歳になっても、障害者でも貧困でも高齢者でも外国人でも、みんな自由に入ってきて、就活のことなんか考えずに好きな勉強できるようにすればいいのにと思う(そんなとこには誰も来ないかもしれないけど(笑))。

仕事してても遊んでても、要らん規則が多いな、といつも思う。俺たちの社会は、いつになったら、社会的なものから解放されるんだろうなあ。