大阪の「空気」(1)

(タイトル変更しました)

せっかくGWで家にいるのに仕事もはかどらないのでオチを考えずに適当に書く。せんじつ、橋下の支持層についてついったでいろいろ書かれたことが話題になっていたが(うしろ先生のこれな)、実証系/計量系のひとたちからえらい叩かれていたが、まことに計量の道は修羅の道。あんまり適当なことは言わんほうがいいのである。ただまあ、この問題についてはいろいろ自由に議論すべきだと思うし、うしろ先生のこのとげったも、そういう議論のためのよいきかっけにはなったと思う。どうでもいいけどうしろ先生ははやく本を送れ。

確かに橋下の支持層がどういうプロフィールなのかは、やっぱり気になるところではある。しかしまあ、いまのところは特定の階層や学歴に集中しているという証拠はないし、そもそもどの世論調査でも圧倒的な支持率なので、すべての階層・集団でまんべんなく支持されていると思ったほうがいいだろう。

大阪府知事・大阪市長同日選挙における有権者の特性と投票行動については、この調査があるので、そろそろ出るはずの分析結果を待ちたい。
府民の政治・市民参加と選挙に関する社会調査

ものすごい大雑把な結果報告なら出ているようだ。
コンフリクトの人文学国際研究教育拠点 大阪大学グローバルCOEプログラム japanese | 大学院生調査研究助成
大阪府知事・大阪市長同日選挙の支持対立に潜在する 住民コンフリクトの実証研究(pdf)

調査の結果、おおよそ次のようなことが明らかとなった。橋下大阪市長は過半数の支持を得ているということ(「支持する」「ある程度支持する」の合計で 80%程度)、また各政党の支持者(無党派層を含む)から多くの支持を得ていること、それに対して大阪維新の会の支持率は、既存の政党に比べて特別高いとは言えないこと、有権者は投票する際に「候補者の政策」を重視していること、などである。今後は有権者の社会経済的地位と支持政党・投票行動の関係について、詳細に分析する予定である。

80%という驚くべき支持率であるが、これをみると完全に橋下ひとりの人気であり、小泉ブームとそのあとの惨状、民主党ブームとそのあとの惨状を思い出せば、なかなか数年後には「あれはいったい何やってんやろ」となっているかもしれない(日本の公選首相/大統領になっているかもしれないけど)。

橋下の人気に関してはいまのところ誰も勝てるやつはいない。大阪に住んでいるとわかるのだが、彼はほんとうにめちゃくちゃ人気がある。市の職員ですら心酔してるひとが多い。関係ないですが、こないだ市民オンブズマン的なひとと喋ったんだけど、「むかしは市の組合の連中が偉そうにしとったけど、橋下に変わってから急に態度が変わって、いちおう話だけは聞いてくれるようになった」と言うておられた。

やはり橋下を支持するにしても批判するにしても、彼が誰と何をやっているのかをよく見届けないといけないと思うんだけど、なかなか行政の細かいところまでの話は入ってこない。「ハシズム」みたいなバカな批判の仕方してて勝てるわけがない。事実が大事なのである。そんななか、赤旗がよい仕事をしている。

橋下「改革」の危険 4年の実態に見る/市長になっても 全世代への負担増

いやあ、すごいなあ(笑)全文引用したいぐらい。たいへんよいまとめだと思う。ここまで列挙されるとなんというか、壮観というか、すごい削り方やな。個人的には学生のときに何度も通った万博公園の児童文学館が廃止されたのは一生忘れないと思う。あとクレオ大阪もほんとうに閉館するんだろうか。DVのとき誰に相談したらいいんだろう。

ただ、こういう切り捨て方は、実はもう10年以上前からの既定路線であって、橋下ひとりが暴走して独裁的コストカッターになっているわけではない。市内の被差別部落での解放会館や高齢者施設などはもうずいぶん前から廃止の方向になっていたし、その他にも(クレオのことはよく知らなかったが)府のほうのドーンセンターについては非常に厳しい状況にあるということはよく聞いていた。

勝手に推測するんだけど、市の幹部連中は橋下大歓迎なんじゃないかと思う。いろんなしがらみがあって切れなかった予算、歴代市長もなかなか削減できなかった部分を、圧倒的な支持率を背景にぜんぶ泥かぶってばっさばさ切ってくれるのだからな。だいたいいくら選挙で選ばれたとはいえ官僚が動かない限り何も動かないのであって、その意味で表向き公務員をいじめているように見えてはいても、実際には少なくともトップの官僚の連中とはうまくやっているのではないかと思う。

さて、橋下の支持層の話に戻るが、特定の階層や集団に集中しているのならそれはどのような集団かを問うことができるが、それができないぐらいまんべんなく支持されている。いったいどういうロジックで、どういう感覚で支持されているのだろうか。

ちょっと前はこういう「普通の感覚」をうかがい知るために携帯サイトを巡ったりmixiのコミュや公開日記を見てまわったりしていたのだが、今ならtwitterとfacebookである。特にfacebookのほうは、全体公開のものであればプロフィールや友人関係まであわせて読むことができていろいろ便利である。まあ覗き見趣味かもしれないが、時間かけてじっくりやれば本当に勉強になる。

たまたま見つけたところで非常に示唆的なというか、おもしろい書き込みがあった。別にネトウヨということもない普通の若い一般のひとが、橋下の支持者のひとだったんだけど、共産党の悪口を書いているなかで、「こいつら大阪市の税金を湯水のように使いやがって!」と書いていたのである。まあ確かに共産党系の組合もあるし、つながってる部分もあるんだろうけど、それにしても共産党をdisるのに公務員といっしょくたにして税金泥棒よばわりとは、これはなかなか驚いた。

もちろんこれが正しいか間違っているかは問題ではなく、ここで「そういう人たちを一緒くたになってdisっている感覚」について考えないといけないのである。

で、ここまで書いてもう疲れたので、続きは明日にでも書くのである。次は都市の構造の「ある部分」について書きたい。それが、公務員と共産党を一緒くたにdisる感覚のもとになっていると思うのである。

2012年の桜

近所の桜ノ宮でちょっとだけお花見してきました。お寿司やさんでおいなりさん買って食べた。駅前はすごい人だった。みんなバーベキューして楽しそうだった。おおぜいの中国人の集団の真横で、日の丸かかげたネトウヨっぽい男の子たちが萌えキャラの日本酒ならべてお花見してました。ほかにもいろいろ、なんか桜を見るより人を見てたほうが楽しかったな。ついったで検索してみたらゲイのひとたちもたくさん集まってお花見してたみたい。お花見って楽しいなあ。

大阪社会調査研究会のお知らせ

第2回 大阪社会調査研究会のお知らせです!

テーマ「生活史調査の方法論(仮)」
2012年5月19日(土)
報告者 朴沙羅氏(京都大学)
場所 龍谷大学大阪梅田キャンパス
時間 14:00〜18:00
参加無料・予約不要

京都大学の朴沙羅さんに、ライフヒストリー調査の方法論についてご報告いただきます。ライフヒストリー、口述史、ナラティブなどに関する研究史から最新の動向まで、さらにご自身の研究についてもご紹介いただきます。3〜4時間かけてじっくりとやります、ライフヒストリーについてイチから勉強するチャンスです! 研究者じゃない方もお気軽にどうぞ。来られる方はご一報くださると幸いですが、当日都合がついたから飛び込み参加も歓迎です。 kisiあっとまーくsociologbook.net

facebookのイベントページはこちらです〜

ショットバーを開店しました。

告知です。このたび、6年勤めた大学を辞職し、かねてからの夢だったショットバーを開店することになりました。お近くにおこしの際はぜひお立ち寄りください。なお、全席禁煙です。

http://sociologbook.net/domingo/

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追記。いやあ……思いつきのネタでこんなにマジでだまされるひとが続出するとは思わんかった……メールやFBメッセージ、あとケータイに直接電話してきたりとか……今日の午後はずっと謝っておりました。みなさますみませんでした。

まあでも禁煙ショットバーはそのうちほんまにやりたいです。本当に開店したらまた告知しますので、みなさまおこしくださいませ。告知は4/1以外の日にします……。

ブラジル人学校プロジェクトが大学のウェブサイトに掲載されました

ここ数年にわたって実施している、滋賀県のブラジル人学校「コレジオ・サンタナ」との交流ですが、大学の地域連携事業のひとつとして、ウェブサイトに掲載されました。

龍谷大学 地域連携事例集第3版 ブラジル人学校の日本語識字教室

学部単位や全学レベルでやってる事業と並んで、この小さなプロジェクトが掲載されて、とてもうれしく思います。あいかわらずブラジル人学校の(そしてブラジル人社会の)状況はたいへん厳しいですが、できることをできる範囲でコツコツやっていきます。

今年は教材を印刷・製本して無料で配布しようと思います。どんくまが世界に広がります(笑)

きょうのおはきな

久しぶりにちょっとだけおはぎときなこ。クリックすると大きくなります。

おはぎです。
きなこです。

きょうもげんきです。

揚げ足とりと吊るし上げの国

今日、東京でおこなわれた東日本大震災の一周年追悼式で、野田首相が以下のようなスピーチを述べたらしい。記事が消えてしまう前に以下に全文を引用する。新聞社の記事ではあるが首相のスピーチなので問題はないと思う。

 本日ここに、天皇、皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、東日本大震災1周年追悼式を挙行するに当たり、政府を代表して、謹んで追悼の言葉を申し上げます。

 多くの尊い命が一時(いちどき)に失われ、広範な国土に甚大な被害をもたらした東日本大震災の発生から、1年の歳月を経ました。

 亡くなられた方々の無念さ、最愛の家族を失われたご遺族の皆様の深い悲しみに思いを致しますと、悲痛の念に堪えません。ここに衷心より哀悼の意を表します。また、今もなお行方の分からない方々のご家族をはじめ、被災された全ての方々に、心からお見舞いを申し上げます。

 亡くなられた方々の御霊(みたま)に報い、そのご遺志を継いでいくためにも、本日、ここに三つのことをお誓いいたします。

 一つ目は、被災地の復興を一日も早く成し遂げることです。

 今もなお、多くの方々が、不自由な生活を余儀なくされています。そうした皆様の生活の再建を進めるとともに、生まれ育ったふるさとをより安全で住みよい街として再生させようとする被災地の取り組みに最大限の支援を行ってまいります。

 原発事故との戦いは続いています。福島を必ずや再生させ、美しいふるさとを取り戻すために全力を尽くします。

 二つ目は、震災の教訓を未来に伝え、語り継いでいくことです。

 自然災害が頻発する日本列島に生きる私たちは、大震災で得られた教訓や知見を、後世に伝承していかなければなりません。今般の教訓を踏まえた全国的な災害対策の強化を早急に進めてまいります。

 三つ目は、私たちを取り結ぶ「助け合い」と「感謝」の心を忘れないことです。

 被災地の復興には、これからも、震災発生直後と同様に、被災地以外の方々の支えが欠かせません。また、海外からの温かい支援に「恩返し」するためにも、国際社会への積極的な貢献に努めていかなければなりません。

 我が国の繁栄を導いた先人たちは、危機のたびに、よりたくましく立ち上がってきました。私たちは、被災地の苦難の日々に寄り添いながら、共に手を携えて、「復興を通じた日本の再生」という歴史的な使命を果たしてまいります。

 結びに、改めて、永遠に御霊の安らかならんことをお祈り申し上げるとともに、ご遺族の皆様のご平安を切に祈念して、私の式辞といたします。

<東日本大震災>野田佳彦首相の式辞 1周年追悼式 毎日新聞 3月11日(日)15時28分配信

すっかすかの中学生の作文みたいで正直驚いた。別に気の利いたフレーズや美辞麗句で飾り立てる必要はないが、それにしてもこのスピーチの中身の無さはどうだろう。紋切り型ばかりで、ありきたりで、記憶にも印象にも残らない、ほんとうにどうでもいい文章である。

マーチン・ルーサー・キングとはいわんが、たとえばオバマ大統領の就任演説や、スティーブ・ジョブズの有名なスピーチと比べると、一国の首相としてこれはないだろう、と思う。「せいいっぱい頑張ります」ゆうて、高校野球の選手宣誓ちゃうねんから。

とうぜんここは一国の首相であるから、優秀なスピーチライターが後に控えているだろうから、野田首相本人の文才がないという話ではなく、非常に優秀なライターなり官僚なりが作った文章がこれだ、っていうことは、これは別にアホが適当に書いた文章ということではなく、賢いスタッフがいろいろ考えをつくして一生懸命書いて、必然的にこうなったんだろう。

ようするにこれは、だれかを感動させよう、自分がほんとうに思っていることを言おう、歴史に残るようなスピーチをしよう、ということではなく、右からも左からも、被災地からもそれ以外からも、原発推進派からも反対派からも、上からも下からも、アメリカからも国内からも、与党からも野党からも、どこからもツッコまれず文句も出ず、揚げ足もとられないような文章を、非常に優秀なライターや官僚が頭を振り絞って書いたということなのであろう。

その意味ではこれは文才と知性あふれる非常に優秀なスピーチなのである。

ようするに、われわれが政治家のくだらない失言の揚げ足をとって吊るし上げたりばっかりしているから、必然的にこうなっているのである。われわれがこういう政治家を、こういう演説をつくっているのである。

他方で、某市長のように、日本の戦争責任を公の場で、しかも被害にあった国の代表にむかって直接否定するようなことを発言しても、さすがに大きく報道はされたけど、国内的には何のおとがめもない、というのはいったいどういうことだろう。国によっては明白に法律違反になり一発でアウトになるような発言だと思うのだが、クビになったり辞職したり解散したりする気配もない。

だから何、ということもない小ネタではあるが、たとえば国際人権規約に批准しながら差別を禁止するまともな法律すらないこの国で、「人の心を傷つけるのはやめましょう」という啓発ポスターがやたらと地下鉄のトイレに貼ってあるのと、根っこのところでぜんぶつながってるなあと思った。

「りゅうだい」のこと

おれが雇われてるのも「りゅうだい」だけど(笑)、沖縄に学生を連れていくときに必ずいうのが、「沖縄で『りゅうだい』って言っても通じへんで。沖縄で『りゅうだい』いうたら100%琉球大学です」

学生の実習やら自分の調査やら会議やらライブやら(笑)で1年に3回も4回も沖縄行きますが(そのわりにマイル貯めてないですが)、もちろん琉大にもしょっちゅう行きます。

沖縄について勉強しているものとして、琉球大学は素朴にあこがれます。沖縄研究のメッカだし、そうそうたる研究者を輩出してる大学でもあるし。

もちろん、琉大といってもふつうの日本の大学なので、中に入ればそれはもういろいろでしょうが、それはわかったうえで、部外者から見た琉大の「大学としての雰囲気」について書きます。無責任かもしれないですが、俺はとってもこの大学の雰囲気が好きです。ちょっと短い文章で書くのが難しいですが。

あと、俺が知ってるのは法文学部の、とくに特定の学科が中心になってるんで、これが琉大全体じゃないかもしれないですが、でもたぶんそんなに的外れでもないと思います。

知らないと意外、知ってると当たり前ですが、琉大の学生の大半はうちなんちゅではなく内地出身者です。なんとなく自分の偏差値で入れる国公立がここしかなかったので、という学生さんも多いですが、何人かの琉大生は、わざわざ選んで沖縄に来ていました。個人的にしゃべった範囲内ですが、ある北海道生まれの女子は、「日本語で入れる、自分の家からいちばん遠い大学」という理由で選んだそうです。あと「東京には興味ないけどバンコクに住みたい」と言っていた学生とか。いちばん多いのが「どこか暖かいところに行きたかった」というものでした。

自分が受験生だったのはもうはるか昔、年号すら今と違う時代だったので、もううっすらとしか覚えていませんが、大学に入るということは、ことにそれが自分の生まれ育った街ではない場合、「外の世界」に行くという、妙な解放感をともなうものです。というか、でした。いまはどうなのか知りません。就職率で選ばれてるんでしょうか。

俺が接する琉大生には、「とにかく遠いところ、そしてできれば暖かいところ」に行きたかった、というやつが多いです。

あるとき、琉大生と飲んでて、けっこう遅くなったときに、いまからサブゼミやるんですよ、へー何それ。っていう話をきいて、面白そうだったので参加したことがある。どうも大学の公式のゼミともうひとつ、学生が自分たちで、自主的に読書会や勉強会をやっているらしい。

開始が夜中の12時から(笑)。ええかげん飲んでべろんべろんになりながら行ったところは、宜野湾の我如古っていうところにある、地下のショットバー。

浦添から宜野湾あたりは、那覇都市圏に含まれていて、ずっと市街地が続く。さすがに夜中はちょっと暗いけど、それでもいい店がぽつんぽつんと途切れずにある。そういうところを車で移動する。運転する学生は飲まない。飲んだら代行を呼ぶ。沖縄の、車社会と酒社会の矛盾を、みんないろいろやりくりして乗り切っている。

とにかく、夜中の12時にその地下のバーにおりていくと、もう何人か若い連中が集まっている。別に店を貸し切りにしているわけでもなく、他の客もいる。客に出てけとも言わないし客のほうもうるさいと文句を言うこともない。

着いたらすぐに映画の上映が始まった。え、いまから2時間も映画みるの、ダルいな、と思ったんだけど、酔っぱらって映画見るのって楽しいんだな。あっという間に最後まで見てしまった。

映画はディカプリオの「ザ・ビーチ」。とても怖い映画だった。

で、そのあと、この映画のテーマである、「どこか違う場所に憧れること」について、自由に議論になった。かなり活発な議論だった。たぶん、「いちばん遠くて暖かいところ」に来た自分たちを、重ねてたんだと思う。

もうそこにどんな学生がいて、どんな話をしたかぜんぜん思い出せないけど、俺もいつもどおり酔っぱらっていろいろ勝手な話をした。琉大生からしたら、いきなりあらわれた見ず知らずの関西弁のおっさんでしかない俺だったのだが、発言をさえぎられることも、身分を問われることもなかった。

ふらふらになってホテルに朝帰り。

非常に感銘を受けた。地方の国立大学にはまだこういう気風や文化が残っているんだろうか。琉大だけかな。

学生たちが自主的に集まって、夜中のバーで酒飲んだり映画見たりしながら、朝までがんがん議論する。これが大学じゃなくて、何が大学でしょうか。

他にもたくさんあるけど、この例は象徴的だと思う。

もちろんあんまり理想化するのはよくない。不登校になって休学したりひきこもりになる学生も少なくないと聞くし、就職率もかんばしくないです。

ただ、例えば琉大のあるゼミでは、オタク文化をテーマに10万字の卒論を書く学生がいたりして、その卒論も送ってもらって読んだけど、ああこういうのが勉強するっていうことだよなあ、と思う。世の中の役に立つとか、なにかの問題解決につながるとか、自分の知識が増えるとか、就活でアピールできるとか、そういうことを一切考えずに、4年間かけて10万字書く。これが勉強するっていうことだよな、と思います。

まあ、基地の問題とか、内地からのオリエンタリズムとか、沖縄県内での階層格差とか、いろいろありますけども。それはそれとして、こういう空間がいまの日本にまだ残っているというのは、これはもうほんとうに珍しい、希有なことです。奇跡といってもいいと思います。

ただ、やはりこれから大学そのもののあり方が厳しく問われる時代になっていくことは明らかです。琉球大学だけが、いつまでも外の世界と隔絶した「知的治外法権」ではいられないでしょうし、ちょっと世界のなかで居場所がない学生を集めて4年間面倒を見るという役割も、薄まっていくんだと思います。

だからこそ、こういう場所は貴重です。こういう空間はもうこの国からはどんどんなくなっていくと思いますが、せめて、昔は琉大はこういう雰囲気があったんだよと、伝えていきたいと思います。なんかちょっと悲観的なまとめですが。

最後が悲観的になっちゃったので琉大のキャンパスの写真を適当に載せます。行くのがいつも夏休みとか春休みなんで、ひとが写ってませんが、それでも素晴らしいキャンパスであることはおわかりいただけると思います。ちなみに生協食堂のカフェテラスのほうのハンバーガー、めちゃめちゃ旨いです。沖縄ってハンバーガー旨いよね。

いまを生き延びるための、非合理的な選択

おれみたいな下っ端のチンピラでも「これから大学はどうあるべきか」とか考えることもあるけど、何をどう考えても結局「入口の入試」と「出口の就活」に縛られて何もできないことに気付く。しかしこれだけ市場が縮小していくのがはっきりしてるのにいまだに昭和の入試-就活制度に横並びに縛られて何もできない。このままだとほんとにどうなるんだろうかと思う。

入試でいうと例えば、怖いことに価格競争が始まりつつある。すでに受験料にその兆しがある。ネット割引はウチも導入するみたいだし、そのうち「受験料1000円」「受験料タダ」みたいな禁じ手つかってくるところが必ず出てくる。そうするとあっというまにダンピング合戦になる。

だいたい受験料が大学の貴重な収入源になってること自体がおかしいんだけど、「もうそうなってしまっているから」という理由で誰も手が付けられない。でもどっかが値引きしだしたらすべての大学が一斉に値引きせざるをえなくなる。受験料が必要になってるために逆に受験料を安くせざるをえない、という悪循環。受験料が予算に組み込まれているから、なるべく大量の受験生を集めざるをえない。そのために逆にダンピング合戦になってしまうのだ。

いまの形での入試をやめればすむ話なんだけど、リスクが怖くて誰も手がつけられない。

他にも「特待生」という名前で学費を大幅に割り引く大学もかなりある。学費もそのうち値下げ合戦になると思う。

教員が生首を切られることはめったにないだろうけども、「民間がリストラしてるのに大学教員だけが特権を(略)」みたいなことになって、人件費や研究費が大幅に削られることになるだろう。自分の給料のことはほんとにどうでもいいが、優秀な若い学者にポストが与えられなかったり、必要な研究費が調達できなくなると、大学という組織は死ぬ、と思います。

いまの形での入試という制度が残ったままで市場が縮小していくと、他にもいろんなことが起こってくるだろう。「その状況をなんとか生き残る」ための短期的に合理的な選択が、長期的にみて非合理的なものになる。この状況に対処するためには「それぞれの大学が特色を出す」という当たり前のことが必要なんだけど、いまの入試を前提にしてたら、たいしたことができるわけがない。

もうそろそろ、18〜19歳の同じぐらいの年齢の学生ばっかり集めるのやめませんか。その層は急激に減少してくわけだし、大学も思いきって規模を縮小して、都心の小さなビルで、土日夜間に開講して、外国人でも高齢者でも誰でも純粋にものを考えたり勉強したりする場になりませんかね。もちろん単なるカルチャーセンターじゃなくて、正規の大卒資格を得ることができる、ちゃんとした厳しいカリキュラムで。

ということを考えてると、こんどはあの非合理的な「就活」という問題にぶちあたります。

就活と大学での勉強の関係については、いずれまた。