シューカツと就活のあいだ

大学生の就職率があいかわらず悪い。ウチの学生たちもみんな苦戦している。しかしおかげさまで俺のゼミ生はそんな状況でもかなり調子がいい。企業のみなさまありがとうございます。

それでも数名は進路が決まらないまま卒業していく。心配なのでたまにメールしているのだが、今年卒業したメンバーは、実家に帰って公務員や資格の試験の浪人をする、などの場合をのぞき、ほとんど内定を得ることができた。卒業してからも3名ほど内定をもらっているのだが、どこで見つけたのかいろいろ聞くと、普通にハローワークに行ったらしい。

それにしても就活大変やな。特にここ数年はほんとうにみんな苦戦している。3回生の夏にインターン行ってから卒業まで1年半も就活続けるやつがいる。教員としてはほんとうに悔しいし腹立たしい。

それでも既卒を中心にハロワですぐに内定取るやつがたくさんいて、話をきくと確かに地味な中小が多いがなかなかのんびりした昭和な感じの会社も多くて、もうこれは職探しの手段としてはハロワ最高ちゃうん、って思って、苦戦してる学生にめっちゃ勧めてるんだけど、あれっと思うほど反応が悪い。

やっぱり社会学勉強してる身としてはすごい興味があるから就活の話や卒業してからの仕事の話はほんとうによく聞くんだけど、だいたいものすごいブラックなとこって、誰もがあこがれるサービス業の最前線、たとえばブライダルとかそういうところに多いような気がする。そういうところはみんなあこがれるし、リクナビなんかでも人気があるし、エントリもものすごい数が来るらしい。でも、もちろん全部じゃないけど、カスタマーと直接接するところの仕事はほんとうにクレームも多くて社内教育も厳しく、労働条件も悪いところがたまにある。

もちろんハロワで見つかる会社にブラックがぜんぜんないっていう話ではぜんぜんなくて、そうなんじゃなくて、どうせ同じならムダに苦労することないと思うんだけど、っていうことやねんけども。やたらと競争率の高いところに行こうとして無理して長い期間しんどい就活しなくても、給料に差は無いんだから、ハロワで地元の中小企業探して、あとはのんびりと最後まで学生生活楽しんだらいいと思って、かなりアツくハロワ推しをしてるんだが、なんかあんまり反応がない。

それで学生たちになんでハロワ行かないのって聞いたら、まあ聞いたらなるほどって思いましたけども、「ハロワに行くのって『職探し』って感じがするんですよー」って言われたときはびっくりした。いやお前らいまやってるの職探しやろ。違うのか。

いろんな学生に聞いたら、ハロワについてはだいたいこんな答えがかえってきた。俺が「こんな感じ?」って聞いて「そうそう」ってかえってきたやつも含む。

・ハロワが紹介してるような中小企業に「感情移入」できない
・そういうところに行くモチベーションがわかない
・「50代ぐらいのおっさんがいくとこ」っていうイメージ
・「ガチの失業者がいくとこ」っていうイメージ
・そもそも最初から選択肢に入っていない
・「お役所」っていう感じ
・まわりの誰も行ってない

たいへん興味深い。じゃあ逆に、おまえらにとって就活って何なん? って聞いたら、

・大学の行事
・みんなで一緒にやるもの
・大学の授業の一環
・サークルみたい

もちろん「じゃないことはわかってるけどそんな感じ」っていうことなんやけど、これはもうほんとに「はああああああ、なるほどなああああ」って思った。

だいたい就活っていうと、スーツ買って写真とって履歴書の書き方勉強して、リクナビやら何やらの大手サイトに登録して、SPIかなんかの勉強して、大学主催の業界セミナーとかいろいろ参加して、大きななんちゃらドームでやってる「就職博覧会」みたいなん行って(意味ないから行くなって言うてるけど)、ゼミでもサークルでも集まるともう就活の話ばっかりして、GWすぎぐらいから病んで女子は「専業主婦になりたい」とか言いだして、まわりの友だちがひとりずつイチ抜けしていくのにやきもきして、とかそんな感じなんだけど、なんかハタで見てるとほんとに「みんなで一斉に同じことしてる」って感じがする。ぜんぜんひとりで個人としてやってないっていうか。

詳しく書かなくてもわかってもらえると思うけど、たしかにそのまっただ中にいる学生にとっては、「一斉に始まって一斉に動く」就活は、もちろん企業側の動きも含めて、「大学のカリキュラム」に含まれているように感じられるに違いない。

ぜんぜんひとりになってない……。企業の側も「ひとりの人間」を採ろうとしてない。なんか学生も企業も集団で一斉にタイミングを合わせてやってる感じ。だから乗り遅れるとダメージがでかい。1年や2年ちょっとのんびり勉強しよかなと思っても許されない。

蝉か。

こういう就活を続けて内定取れなかったやつが、方向を変えてハロワであっさり就職先を見つけていくのを見るにつけ、そしてそして、大多数の学生がしんどいことを長期間やって貴重な学生生活が削られてるのを見るにつけ、ほんとうにもったいないと思う。

ただこれは、強調タグを付けて言いますが、学生が贅沢に選り好みしている結果ではない

企業側が新卒一括採用にこだわって「年中行事」みたいな採用しかしないから、学生たちがつくりあげる「中間集団」において、ほんらいは合理的・個人的におこなわれるべき就職活動が「シューカツ」と呼ばれ、非常に非合理的・集団的な意味付けがされてしまうのである。

経済的状況や政治、歴史などのマクロな構造とその変動は、個人に直接届くわけではなく、かならず家族や友だち、学校、会社、地域社会などの「中間集団」における解釈と実践がフィルターになっている。われわれは個人でなにもかも行動したり判断したりできるわけではなく、例えば特定の行為が、その個人にとってどれくらい利益をもたらすものであるかよりもむしろ、そういう中間集団においてどのような意味付けがされているかのほうが大事だったりする。

学生に限らず、われわれはみな、こういう中間集団における意味付けによってがんじがらめに縛られているのである。

これを図に表すと以下のようになる。

というわけで、「シューカツ」というものは合理的な求職活動ではなく、企業側の「新卒一括採用」という謎の慣習によって、学生側の中間集団によってまるで「大学のカリキュラムのひとつ」のような意味付けがされてしまっていて、なかなか「よくあるパターン」から外れたことがしにくいのである。というわけでもっと大学のキャリアもハロワや中小企業推したらええと思うんだけど、なんか大学の「就職率自慢ページ」でも大企業の名前ばっかり出てくるし、なんかもう企業も学生も大学も、みんなもっと合理的になれ! 

まあでも学生わるくない。学生わるくないよ、ほんと。

大阪の「空気」(2)──行政都市の毛細血管

私たちがふだん住んでいる街って、どんな街だろうと思う。どんなっていうか、この街は「なにから」できているのか。

適当に見つけたワンルームか2LDKぐらいのマンションを借りて住んで、休日はIKEAとか無印で買い物する。朝起きたら電車やバス、車に乗り、出勤する。あるいは家の掃除をして近所のスーパーで買い物をしたあとスタバかドトールでお茶を飲む。仕事が終われば同僚や友人、恋人と待ち合わせして一杯やりにいく。あるいはまっすぐ帰る道でツタヤに寄ってDVDを借りる。家に帰ったら風呂に入ってビール飲んで、テレビやネットを見てから寝る。

たとえば、帰り道で立ち寄った居酒屋で、店員がなにか失敗をしたとする。何でもよい、グラスを倒したり、オーダーが通ってなかったり。私たちも大人だからむやみに怒鳴ったりしない。にこにこ笑ってグラスを取り替えてもらう。店員だけでなく、店長が出てきて謝ることもある。かなりひどい粗相の場合は怒ることもあるけど、だいたいの場合は店側が客を怒らせないように謝ってその場をおさめようとする。

私たちはこの街で、カネをもらったりカネを払ったりして暮らしている。カネは払うほうがえらいけど、だいたいの場合はカネを払うだけの人というのはいなくて、一日のうちにカネをもらう立場になったり払う立場になったりする。だからちゃんとした大人は店員がなにか失敗したぐらいで怒ったりしない。お互いさまだからだ。

こうやって私たちはカネを払ったりもらったりして毎日を暮らしている。

こういう街、こういう世界で私たちは暮らしているんだけど、たまにまったく異質の論理で動いている世界に触れることがある。しかもその世界は触れたくないものは触れなくてもよいというわけにはいかない。強制的に私たちの暮らしのなかに入ってくるのである。お役所である。

お役所、あるいはお役所的な場所(銀行とか学校)の窓口で不愉快な思いをしたことがないひとは、おそらくひとりもいないだろう。俺は最近そういうところで怒らなくなったけど、これは諦めてるだけであって、ときどきあるいはしょっちゅう、区役所や銀行の窓口で怒鳴っているひとを見かけることがある。

もうあの役所の窓口の態度はいったい何だろうと思う。窓口だけじゃなくて、仕事柄いろんな「長」がつくひとと会うこともあるんだけど、良心的で誠実で熱心なひとも多いけど、まあアレだ、「お役人」はしょせん「お役人」だな。

私たちが住んでいるこの街で、私たちが従っているロジックにまったく従わないひとたちがいる。私たちからカネをもらっておいて、わけのわからない決まりごとを勝手に作って、絶対に謝らなくてもクビにならないひとたちがいる。

素朴に考えるとこれはもうものすごい、大変におかしなことである。

公務員に対する素朴な反発というのは、もちろん雇用が守られ、給料も高くて、仕事もラク(そんなことないけど本当は)な存在に対する妬みや恨みもあると思うんだけど、ふつうの人びとのふつうの感覚でいうと、こういう不愉快な体験がかなりもとになってるんじゃないかと思う。

そして実は、私たちが暮らしているこの街のなかのそういう「異質な部分」は、思っているよりもずっとずっと広がっていて、都市のもうひとつの顔を形成しているのである。

「行政都市」っていうと意味が違ってくるんだけど(キャンベラとかブラジリア?)、何ていえばいいんだろうか。大阪でいえば、大阪市長の下に中之島の巨大な大阪市役所があり、それが各区役所に枝分かれしていくんだけど、フォーマルな公務員の世界はここまでだが、実はこの先にさらに「毛細血管」のように広がっているものがある。

たとえば、どこでもいいから大阪の各区のウェブサイトを見ると、たくさん書いてある。地元生まれの作曲家をしのぶミニコンサートが開かれました。連合振興町会で防災マップを作成しました。□□商店街振興組合主催のジャズフェスティバルがおこなわれます。淀川河川敷公園の清掃ボランティア募集中です。○○区運営会議を開催しました。医師会館講堂にて健康づくり講演会を開きます。△△区地域福祉アクションプランの基本テーマは「住民みんながいきいきできる安心の街づくり」です。

普通に暮らしていたらこういう世界には触れることがないと思うけど、膨大な数の市民がこういう「毛細血管」から「養分」を補給されているようにみえる。(もちろんここでいう養分とは単純にカネのことをさしているわけではない)

橋下ブームの底流に公務員へのルサンチマンがあることはよく言われるけど、ただそれは、非常に曖昧なかたちではあるが、もうちょっと大きな都市の構造と結びついているような気がするのである。

まあ「気がする」っていうだけだけど。てへぺろ☆ (最近覚えた)

たとえば、大学や高校を卒業して普通にバイトや会社員やOLとして一人暮らしをしていたら、こういう行政都市というか都市行政の姿は絶対に見えない。結婚してタワーマンションを購入したりしても、たぶんまだ縁がないと思う。地べたに一戸建てを買うか、古い街の小さなマンションを買うか、あるいはいちばん確実なのは子どもを産んで育てることだと思うけど、そういうことをして「地域に根をおろして」はじめてわかる都市の顔なのである。

こういう毛細血管を伝って養分がすみずみにまで行き渡っていくのだが、町会なんかによくありがちなんだけど、いや俺はべつによくは知らんけど、一般論ですよ一般論。たとえば10年も20年も同じおっさんが町会長やってて、いろいろよくない噂があったりとか、あそこの町会は今年は大晦日の火の用心の巡回も中止になったらしいけど、どうもその予算を幹部が云々だとか、そこらじゅうに「小さな飛鳥会」みたいなものがある話をよく聞くのである。

もちろんそういう町会ばかりではなく、地域のために全力で頑張っているところも多いのだが、問題なのはそういう町会や町会長が「退場」してくれないことである。他にも、「なぜこの予算をこの団体が……?」と首をかしげることもある。このあたりのロジックはまことに異質である。10年も20年も私腹を肥やしているともっぱらの噂の町会長がいまだに町会長だったりする。みんな知ってるのに何も言わないし言えない。市や区ももちろん何もしない。村落共同体かお前ら。

おそらくこういう「地域の中間集団」との付き合いに苦労しているひとは多いと思う。

おそらくこういうさまざまな市民団体のかたちをとって都市の隅々にまで広がる「税金再分配のための毛細血管」のシステムにうんざりしているひとは多いと思う。

橋下の支持層が「共産党と公務員をいっしょくたにして税金泥棒扱いする」ときに、その言葉を文字通りに受けとってはいけない。それが「実際には」何を意味しているのかを考えたほうがよい。

もういいかげん長くなってしまった。他にももっと書きたいことはたくさんあるけど、結論を急ごう。

(1) 私たちは橋下がなぜ75万票取ったかだけではなく、なぜ平松が50万票も集めることができたのかを考えるべきである。この票はどのような「毛細血管」を伝って中央に集まってきたのか。
(2) 伊丹空港や御堂筋や柴島浄水場をゼネコンに売り飛ばすことで橋下がやろうとしていることは間違いなく、この世界を巨大な資本とバラバラな個人でできている世界にすることである。そこでは仕事も教育も保障されないし福祉も医療も何にもない。それはカネを払うひととカネをもらうひとだけでできている世界である。そしてその世界は、私たちにとって非常になじみがある。
(3) 私たちは橋下が作り出すような世界に住みたくない。それはスラムと巨大タワービルでできている世界である。だが、もし市役所がこれまで通り税金を再分配するとすれば、そのルートは間違いなく従来通りの「毛細血管」になるだろう。私たちはすでにそのような「行政都市」のありかたにうんざりしている。

要するに、ゼネコンとスラムでできた世界と、公務員と町会でできた世界のどちらかを選べと迫られているのである。そんな選択は勘弁してほしい。それでは「反橋下」的な運動は、何を構想すべきだろうか。

なんかうまくまとめられなくてごめんなさい。

大阪の「空気」(1)

(タイトル変更しました)

せっかくGWで家にいるのに仕事もはかどらないのでオチを考えずに適当に書く。せんじつ、橋下の支持層についてついったでいろいろ書かれたことが話題になっていたが(うしろ先生のこれな)、実証系/計量系のひとたちからえらい叩かれていたが、まことに計量の道は修羅の道。あんまり適当なことは言わんほうがいいのである。ただまあ、この問題についてはいろいろ自由に議論すべきだと思うし、うしろ先生のこのとげったも、そういう議論のためのよいきかっけにはなったと思う。どうでもいいけどうしろ先生ははやく本を送れ。

確かに橋下の支持層がどういうプロフィールなのかは、やっぱり気になるところではある。しかしまあ、いまのところは特定の階層や学歴に集中しているという証拠はないし、そもそもどの世論調査でも圧倒的な支持率なので、すべての階層・集団でまんべんなく支持されていると思ったほうがいいだろう。

大阪府知事・大阪市長同日選挙における有権者の特性と投票行動については、この調査があるので、そろそろ出るはずの分析結果を待ちたい。
府民の政治・市民参加と選挙に関する社会調査

ものすごい大雑把な結果報告なら出ているようだ。
コンフリクトの人文学国際研究教育拠点 大阪大学グローバルCOEプログラム japanese | 大学院生調査研究助成
大阪府知事・大阪市長同日選挙の支持対立に潜在する 住民コンフリクトの実証研究(pdf)

調査の結果、おおよそ次のようなことが明らかとなった。橋下大阪市長は過半数の支持を得ているということ(「支持する」「ある程度支持する」の合計で 80%程度)、また各政党の支持者(無党派層を含む)から多くの支持を得ていること、それに対して大阪維新の会の支持率は、既存の政党に比べて特別高いとは言えないこと、有権者は投票する際に「候補者の政策」を重視していること、などである。今後は有権者の社会経済的地位と支持政党・投票行動の関係について、詳細に分析する予定である。

80%という驚くべき支持率であるが、これをみると完全に橋下ひとりの人気であり、小泉ブームとそのあとの惨状、民主党ブームとそのあとの惨状を思い出せば、なかなか数年後には「あれはいったい何やってんやろ」となっているかもしれない(日本の公選首相/大統領になっているかもしれないけど)。

橋下の人気に関してはいまのところ誰も勝てるやつはいない。大阪に住んでいるとわかるのだが、彼はほんとうにめちゃくちゃ人気がある。市の職員ですら心酔してるひとが多い。関係ないですが、こないだ市民オンブズマン的なひとと喋ったんだけど、「むかしは市の組合の連中が偉そうにしとったけど、橋下に変わってから急に態度が変わって、いちおう話だけは聞いてくれるようになった」と言うておられた。

やはり橋下を支持するにしても批判するにしても、彼が誰と何をやっているのかをよく見届けないといけないと思うんだけど、なかなか行政の細かいところまでの話は入ってこない。「ハシズム」みたいなバカな批判の仕方してて勝てるわけがない。事実が大事なのである。そんななか、赤旗がよい仕事をしている。

橋下「改革」の危険 4年の実態に見る/市長になっても 全世代への負担増

いやあ、すごいなあ(笑)全文引用したいぐらい。たいへんよいまとめだと思う。ここまで列挙されるとなんというか、壮観というか、すごい削り方やな。個人的には学生のときに何度も通った万博公園の児童文学館が廃止されたのは一生忘れないと思う。あとクレオ大阪もほんとうに閉館するんだろうか。DVのとき誰に相談したらいいんだろう。

ただ、こういう切り捨て方は、実はもう10年以上前からの既定路線であって、橋下ひとりが暴走して独裁的コストカッターになっているわけではない。市内の被差別部落での解放会館や高齢者施設などはもうずいぶん前から廃止の方向になっていたし、その他にも(クレオのことはよく知らなかったが)府のほうのドーンセンターについては非常に厳しい状況にあるということはよく聞いていた。

勝手に推測するんだけど、市の幹部連中は橋下大歓迎なんじゃないかと思う。いろんなしがらみがあって切れなかった予算、歴代市長もなかなか削減できなかった部分を、圧倒的な支持率を背景にぜんぶ泥かぶってばっさばさ切ってくれるのだからな。だいたいいくら選挙で選ばれたとはいえ官僚が動かない限り何も動かないのであって、その意味で表向き公務員をいじめているように見えてはいても、実際には少なくともトップの官僚の連中とはうまくやっているのではないかと思う。

さて、橋下の支持層の話に戻るが、特定の階層や集団に集中しているのならそれはどのような集団かを問うことができるが、それができないぐらいまんべんなく支持されている。いったいどういうロジックで、どういう感覚で支持されているのだろうか。

ちょっと前はこういう「普通の感覚」をうかがい知るために携帯サイトを巡ったりmixiのコミュや公開日記を見てまわったりしていたのだが、今ならtwitterとfacebookである。特にfacebookのほうは、全体公開のものであればプロフィールや友人関係まであわせて読むことができていろいろ便利である。まあ覗き見趣味かもしれないが、時間かけてじっくりやれば本当に勉強になる。

たまたま見つけたところで非常に示唆的なというか、おもしろい書き込みがあった。別にネトウヨということもない普通の若い一般のひとが、橋下の支持者のひとだったんだけど、共産党の悪口を書いているなかで、「こいつら大阪市の税金を湯水のように使いやがって!」と書いていたのである。まあ確かに共産党系の組合もあるし、つながってる部分もあるんだろうけど、それにしても共産党をdisるのに公務員といっしょくたにして税金泥棒よばわりとは、これはなかなか驚いた。

もちろんこれが正しいか間違っているかは問題ではなく、ここで「そういう人たちを一緒くたになってdisっている感覚」について考えないといけないのである。

で、ここまで書いてもう疲れたので、続きは明日にでも書くのである。次は都市の構造の「ある部分」について書きたい。それが、公務員と共産党を一緒くたにdisる感覚のもとになっていると思うのである。

2012年の桜

近所の桜ノ宮でちょっとだけお花見してきました。お寿司やさんでおいなりさん買って食べた。駅前はすごい人だった。みんなバーベキューして楽しそうだった。おおぜいの中国人の集団の真横で、日の丸かかげたネトウヨっぽい男の子たちが萌えキャラの日本酒ならべてお花見してました。ほかにもいろいろ、なんか桜を見るより人を見てたほうが楽しかったな。ついったで検索してみたらゲイのひとたちもたくさん集まってお花見してたみたい。お花見って楽しいなあ。

大阪社会調査研究会のお知らせ

第2回 大阪社会調査研究会のお知らせです!

テーマ「生活史調査の方法論(仮)」
2012年5月19日(土)
報告者 朴沙羅氏(京都大学)
場所 龍谷大学大阪梅田キャンパス
時間 14:00〜18:00
参加無料・予約不要

京都大学の朴沙羅さんに、ライフヒストリー調査の方法論についてご報告いただきます。ライフヒストリー、口述史、ナラティブなどに関する研究史から最新の動向まで、さらにご自身の研究についてもご紹介いただきます。3〜4時間かけてじっくりとやります、ライフヒストリーについてイチから勉強するチャンスです! 研究者じゃない方もお気軽にどうぞ。来られる方はご一報くださると幸いですが、当日都合がついたから飛び込み参加も歓迎です。 kisiあっとまーくsociologbook.net

facebookのイベントページはこちらです〜

ショットバーを開店しました。

告知です。このたび、6年勤めた大学を辞職し、かねてからの夢だったショットバーを開店することになりました。お近くにおこしの際はぜひお立ち寄りください。なお、全席禁煙です。

http://sociologbook.net/domingo/

—————————————

追記。いやあ……思いつきのネタでこんなにマジでだまされるひとが続出するとは思わんかった……メールやFBメッセージ、あとケータイに直接電話してきたりとか……今日の午後はずっと謝っておりました。みなさますみませんでした。

まあでも禁煙ショットバーはそのうちほんまにやりたいです。本当に開店したらまた告知しますので、みなさまおこしくださいませ。告知は4/1以外の日にします……。

ブラジル人学校プロジェクトが大学のウェブサイトに掲載されました

ここ数年にわたって実施している、滋賀県のブラジル人学校「コレジオ・サンタナ」との交流ですが、大学の地域連携事業のひとつとして、ウェブサイトに掲載されました。

龍谷大学 地域連携事例集第3版 ブラジル人学校の日本語識字教室

学部単位や全学レベルでやってる事業と並んで、この小さなプロジェクトが掲載されて、とてもうれしく思います。あいかわらずブラジル人学校の(そしてブラジル人社会の)状況はたいへん厳しいですが、できることをできる範囲でコツコツやっていきます。

今年は教材を印刷・製本して無料で配布しようと思います。どんくまが世界に広がります(笑)

きょうのおはきな

久しぶりにちょっとだけおはぎときなこ。クリックすると大きくなります。

おはぎです。
きなこです。

きょうもげんきです。

揚げ足とりと吊るし上げの国

今日、東京でおこなわれた東日本大震災の一周年追悼式で、野田首相が以下のようなスピーチを述べたらしい。記事が消えてしまう前に以下に全文を引用する。新聞社の記事ではあるが首相のスピーチなので問題はないと思う。

 本日ここに、天皇、皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、東日本大震災1周年追悼式を挙行するに当たり、政府を代表して、謹んで追悼の言葉を申し上げます。

 多くの尊い命が一時(いちどき)に失われ、広範な国土に甚大な被害をもたらした東日本大震災の発生から、1年の歳月を経ました。

 亡くなられた方々の無念さ、最愛の家族を失われたご遺族の皆様の深い悲しみに思いを致しますと、悲痛の念に堪えません。ここに衷心より哀悼の意を表します。また、今もなお行方の分からない方々のご家族をはじめ、被災された全ての方々に、心からお見舞いを申し上げます。

 亡くなられた方々の御霊(みたま)に報い、そのご遺志を継いでいくためにも、本日、ここに三つのことをお誓いいたします。

 一つ目は、被災地の復興を一日も早く成し遂げることです。

 今もなお、多くの方々が、不自由な生活を余儀なくされています。そうした皆様の生活の再建を進めるとともに、生まれ育ったふるさとをより安全で住みよい街として再生させようとする被災地の取り組みに最大限の支援を行ってまいります。

 原発事故との戦いは続いています。福島を必ずや再生させ、美しいふるさとを取り戻すために全力を尽くします。

 二つ目は、震災の教訓を未来に伝え、語り継いでいくことです。

 自然災害が頻発する日本列島に生きる私たちは、大震災で得られた教訓や知見を、後世に伝承していかなければなりません。今般の教訓を踏まえた全国的な災害対策の強化を早急に進めてまいります。

 三つ目は、私たちを取り結ぶ「助け合い」と「感謝」の心を忘れないことです。

 被災地の復興には、これからも、震災発生直後と同様に、被災地以外の方々の支えが欠かせません。また、海外からの温かい支援に「恩返し」するためにも、国際社会への積極的な貢献に努めていかなければなりません。

 我が国の繁栄を導いた先人たちは、危機のたびに、よりたくましく立ち上がってきました。私たちは、被災地の苦難の日々に寄り添いながら、共に手を携えて、「復興を通じた日本の再生」という歴史的な使命を果たしてまいります。

 結びに、改めて、永遠に御霊の安らかならんことをお祈り申し上げるとともに、ご遺族の皆様のご平安を切に祈念して、私の式辞といたします。

<東日本大震災>野田佳彦首相の式辞 1周年追悼式 毎日新聞 3月11日(日)15時28分配信

すっかすかの中学生の作文みたいで正直驚いた。別に気の利いたフレーズや美辞麗句で飾り立てる必要はないが、それにしてもこのスピーチの中身の無さはどうだろう。紋切り型ばかりで、ありきたりで、記憶にも印象にも残らない、ほんとうにどうでもいい文章である。

マーチン・ルーサー・キングとはいわんが、たとえばオバマ大統領の就任演説や、スティーブ・ジョブズの有名なスピーチと比べると、一国の首相としてこれはないだろう、と思う。「せいいっぱい頑張ります」ゆうて、高校野球の選手宣誓ちゃうねんから。

とうぜんここは一国の首相であるから、優秀なスピーチライターが後に控えているだろうから、野田首相本人の文才がないという話ではなく、非常に優秀なライターなり官僚なりが作った文章がこれだ、っていうことは、これは別にアホが適当に書いた文章ということではなく、賢いスタッフがいろいろ考えをつくして一生懸命書いて、必然的にこうなったんだろう。

ようするにこれは、だれかを感動させよう、自分がほんとうに思っていることを言おう、歴史に残るようなスピーチをしよう、ということではなく、右からも左からも、被災地からもそれ以外からも、原発推進派からも反対派からも、上からも下からも、アメリカからも国内からも、与党からも野党からも、どこからもツッコまれず文句も出ず、揚げ足もとられないような文章を、非常に優秀なライターや官僚が頭を振り絞って書いたということなのであろう。

その意味ではこれは文才と知性あふれる非常に優秀なスピーチなのである。

ようするに、われわれが政治家のくだらない失言の揚げ足をとって吊るし上げたりばっかりしているから、必然的にこうなっているのである。われわれがこういう政治家を、こういう演説をつくっているのである。

他方で、某市長のように、日本の戦争責任を公の場で、しかも被害にあった国の代表にむかって直接否定するようなことを発言しても、さすがに大きく報道はされたけど、国内的には何のおとがめもない、というのはいったいどういうことだろう。国によっては明白に法律違反になり一発でアウトになるような発言だと思うのだが、クビになったり辞職したり解散したりする気配もない。

だから何、ということもない小ネタではあるが、たとえば国際人権規約に批准しながら差別を禁止するまともな法律すらないこの国で、「人の心を傷つけるのはやめましょう」という啓発ポスターがやたらと地下鉄のトイレに貼ってあるのと、根っこのところでぜんぶつながってるなあと思った。