先日、コロンビアで、ひとりの成績優秀な少年が投身自殺した。16歳だった。彼はゲイで、クラスメートの男子生徒と付き合っていることが学校にバレて、退学まで追い込まれた。そして恋人の両親が、彼を自分たちの息子に対するセクハラで告訴した。彼が自殺したあと、校長は彼の死を悼むどころか、「アナーキストの無神論者の同性愛者」と罵った。葬儀に参加したクラスメートたちは、学校を無断欠席した罰として土曜日の補講を言い渡された。
あまりにも悲痛なこの事件の記事を、友人のきじぇーろ君(@quilleroinjpn)が日本語に翻訳しました(日本語の文章表現は私が多少手直ししました)。
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「セルヒオ君の証明」
─セクハラで訴えられた息子の名誉を挽回するため両親が動く。16歳のセルヒオ君の自殺の経緯。
エル・エスペクタドール紙
2014年9月7日 11:28 AM
http://www.elespectador.com/noticias/bogota/pruebas-de-sergio-articulo-515085
「私の元恋人の両親が、セクハラで私を訴えました。そのことで、いくつか明確にしておきたいことがあって、手紙を書きます。手紙のかたちにするのは、私はもう自殺しているからです。私は、私の16年間の人生に、嘘に満ちた黒い汚点を残したくないのです。」
これは、セルヒオ・ウレーゴ君が自殺する1時間前に自宅に遺した遺書の冒頭部分だ。8月4日に彼は、ボゴタの北東部にあるショッピングモールで投身自殺した。世界中で40秒ごとに1人が自殺しているが、セルヒオ君もWHO(世界保健機構)が発表するこの無機質な数字のなかに入ってしまった。ただ彼は、そうする前に、ゲイであることで学校で受けた差別が、自分の自殺の原因であることを手紙に書き残したのだ。
まだ息子の死の傷の痛みが癒えないなか、彼のご両親、アルバ・レジェスさんとロベルト・ウレーゴさんが、この事件の詳細を話してくれた。
「私のセクシュアリティは私が背負う罪ではなく、私の楽園です」このメッセージは、いまだにセルヒオ君のFacebookのウォールで読むことができる。この青年はそう信じていた。彼にとって、愛は性別の問題でも、結婚して子供を産む男女の問題でもなかったのである。彼は6年前から、約600人の中流・上流階級の子供が通うGimnasio Castillo Campestreという、「平和を希求し、価値観を取り戻す」ことをうたうカトリック校に通っていた。
セルヒオ君は地元の小学校を特待生で卒業した。両親の希望で、地域の学校よりも規模が大きくて設備が整ったこの学校に入学した。彼は今年、11年生[日本でいう高校3年生]になっていて、クラスの同級生と恋人同士だった。
ことの発端は2014年5月。セルヒオ君の携帯を没収した教師が、彼が恋人とキスをしている写真を見つけてしまい、これを上司に報告した。2人はすぐに呼び出され「心理的な指導」を受けさせられた。
その場で「学校内外で、わいせつで、グロテスクで、下品な愛情表現を行うこと」を禁じた学校規則に違反していることを告げられ、彼らの交際は両親が認めたものでなければならないとも告げられた。
セルヒオ君と恋人は何度も学校の心理士(イボン・アンドレア・アコスタ氏)のところに呼び出された。心理士は、学校のワーカーと4人の教師とともに、その交際について説明させるために、彼らを6月12日に呼び出した。さらに、両親ともそのことを話し合うために、6月20日に呼び出すことを伝えさせた。クラスの生徒によると、このことで、セルヒオ君と恋人の二人はとても不安を感じていたという。セルヒオ君は、勇気を振り絞り、まずは信頼していた父親に話し、つぎに母親とも話した。両親は、全面的にセルヒオ君をサポートすると言って、性的指向が何であろうと息子であることに変わりはないと、何度も彼にくり返した。しかし、恋人のほうは、こうはいかなかった。彼の両親はショックをうけ、彼を閉じ込め、学校にも通わせなくなった。
6月20日に、セルヒオ君の母親アルバ・レジェスさんが学校に足を運んだ。到着するやいなや、校長のアマンダ・アスセナ・カスティージョ氏が、父親はどこにいるかと尋ねた。仕事の関係で来れなかったと言うと、校長が、セルヒオ君の父親と話すまでは登校を認めないことを告げた。「ぼくが教育を受ける権利を侵害するんですか?」とセルヒオ君が尋ねると、校長がきっぱりと、「そうだ」と答えた。
うちひしがれたアルバ・レジェスさんとセルヒオ君は、クンディナマルカ県の教育委員会に苦情を申し立てた。その申し立てのなかでは、何度も学校から出された、意味のわからないお金の請求や、息子の性的指向が原因で受けた差別について述べられていた。また、校長がセルヒオ君の成績表を渡そうとしないことについてもふれられている。
本紙(エル・エスペクタドール紙)がクンディナマルカ県教育委員会委員長のピエダード・カバジェロ氏に取材したところ、この苦情に対してはまだ何の措置も取られていないことが判明した。しかし、委員会は何度か学校を訪問し、苦情の内容を確認していたらしい。委員会の職員の報告書では、セルヒオ君が家族から放置されている子どもであると記されていて、学校からの根拠のないお金の請求や差別については一切触れられていなかった。カバジェロ氏は、お金の請求の件についてはまだ調査中であるとしているが、セルヒオ君が所属していたUnión Libertaria Estudiantil(学生自由連合)という「アナーキズム組織」から、セルヒオ君の自殺をきっかけに学校に圧力がかかっているとして、学校側から委員会の訪問調査を一時中断するように要請されているとのことだった。
学校側とセルヒオ君の両親が最後に面談したのは、7月12日。出席者は理事長、校長、心理士と1人の教師。
面談では、学校側は、セルヒオ君の性的指向を差別していることを否定した。異性愛者の恋愛が発覚した場合にはここまでの対応はしていないにもかかわらずである。そしてこの件で、セルヒオ君が逆にセクハラの苦情を申し立てられていて、そのために通常とは異なる対応を取らざるをえなかったと説明した。
セルヒオ君はセクハラを驚いて否定した。両親は証拠を求めたが、カスティージョ校長は今は手元にないと言い、卒業するまでの毎月、心理鑑定の提出が卒業を認めるための条件だと警告した。
7月14日の月曜日に父親がこの鑑定書を学校に提出。しかし、次の日セルヒオ君が通学用のバスを待っているときに学校の心理士から電話があり、提出された鑑定書が要求される条件を満たさないため通学を認めないことを告げられる。「心理士に電話して、学校側に投稿を認めてもらうための鑑定書の訂正を必死に頼みました。そのあいだセルヒオは、とても不安そうにしていました」とアルバ・レジェスさんは言う。
そんななか、検察からロベルト・ウレーゴさんに電話があり、セクハラの告訴が実際になされたことを伝えられる。告訴したのはセルヒオ君の恋人の両親。7月22日の告訴状では「セルヒオ君が息子の意思に反して公の面前で愛情表現を行い、強制的に交際している状況をつくりあげた」と述べられている。「その告訴で、セルヒオの心は砕け散った」と父親は言う。両親はセルヒオ君をその学校から退学させ、以前に通っていた学校へ再入学させた。
同級生は彼にメッセージを書いた色紙を渡して見送った。再入学した小さな学校の校長で教師を務めるオルガ・ミレーナ・ヤンコヴィッチ氏は、セルヒオ君のことを、自分の教え子の中で一番出来のいい子で、彼から事件のことを相談されたと話している。彼はただ単に卒業したかっただけだと。
7月28日に両親は、退学の申立書に、学校側から受けた差別と屈辱的な扱いについても記し、卒業資格の再認定と納付済証明を求めた。学校側は8月1日に、卒業パーティーの予約と、開催費用の納付がすでになされたことを理由にこれらの要求を拒否した。
悪夢はさらに続く。アルバ・レジェスさんがカリ市に住んでいて、セルヒオ君がボゴタで90歳の祖母と2人暮らししていることを根拠に、ネグレクトとして児童相談所に告発される。「私はそのとき行けなかったけど、児童相談所の職員が家庭訪問を行い、セルヒオにいくつか質問して、最終的にこの件は虐待とは全く関係ないと結論づけた」とアルバ・レジェスさんは言う。
8月3日、登録の関係で、セルヒオ君は、退学した学校の名前でIcfes試験[コロンビア教育評価委員会試験。センター試験のようなもの]を受験した。アルバ・レジェスさんは次の日、カリに戻り、勤務先の支店長に、児童相談所に寄せられた告発で息子から離されたくないため、もうカリまで戻れないことを伝え、ボゴタに戻った。アルバささんが帰宅したとき、食卓に「問題が発生した。学校には戻れない」と書かれたメモを発見する。不思議に思いセルヒオ君の部屋まで行くと、そこに2つめのメモを発見する。「ここにある物はお母さんかお父さんしか触れてはいけません。封のしてある物は開封せずにそのまま渡すこと。」メモの横には何冊かの本と友人へ宛てたメモがあった。
そしてそこには、愛情をもって両親と祖母に別れを言う、もっとも悲しい、絶望的な手紙が入っていた。
「どうぞ、ここにある死人の言葉を読んでください。その死人は、いままでもずっと死んでいたのです。元気いっぱいの幸せそうな、愚かな男の子や女の子の横を歩きながら、ずっと自殺することばかり考えていた人物の言葉を。希望していたほど本が読めなかったのは残念なことです。多くの音楽が聴けなかったこと、たくさんの絵、写真、イラストなどを見れなかったことも、とても残念です。たぶんこれからは、ただ永遠の『無』をみることになるのです。」そうセルヒオ君は書いた。そして、臓器を提供する意思があることと、神父や祈りのあるような葬式は不要であることを書いたあと、彼の自殺は、学校で最近起こった出来事が原因であると告発していた。
母親の化粧台にあった3枚目の手紙は、「関係者へ」という書き出しで始まり、恋人の両親が起こしたセクハラの告訴に反論している。「携帯のメモリーに、私と彼のWhatsapp[LINEのようなアプリ]のスクリーンショットが入っている。それをみれば、恋人を追いつめるようなことなんてしていないことがはっきりするし、恋人が友だちとWhatsappでした会話で、彼が両親に性的指向をカミングアウトしたときの母親のリアクションが、彼を深く悩ませたこともわかる。また、彼が私たちの行動を証言してくれる。私はセクハラなんて一切したことありません。セクハラは非難に値する行為だと思う。」
8月4日。セルヒオ君は19時にシャワーを浴び、祖母の世話をしている人に新しい学校の制服を見せて、夕食を食べずに家を出た。ティタン・プラザ・ショッピングモールに行き、友人らにお別れのメッセージを送ったあと、そのテラスから身を投げた。3時間後に病院で脳死が宣告され、8月8日に葬儀が行われた。匿名を希望する彼の同級生が、その日にクラスの42人中40人が出席したと証言している。
8月26日に生徒が学校で集められ、学校の心理士から、セルヒオ君の死に関して誰にも何も言うなという要請があった。校長からは、生徒たちが無断で欠席して葬儀にでたため、土曜日が補講になることが告げられた。校長からはセルヒオ君の死を悼む発言は一切なかった。そのかわり彼を「アナーキーな無神論者の同性愛者」呼ばわりした。本紙は5回にわたってこの件で校長と連絡とることを試みたが、校長が会議に出席しているとのことで話ができないと繰り返された。
セルヒオ君を知り、親しくしていた人は、校長の発言に関してとくに悪いことはなく、彼がクラスでトップの成績を誇っていたのと同時に、ゲイであり、アナーキストであり、学生自由連合に所属していたことは自明のことだったと証言した。彼が批判的かつ不遜なスタイルで宗教を非難していたこと、また、セクシュアリティに関してとてもオープンでそれを表現していたと。
セルヒオ君は、卒業したあと、オーストラリアで英語を勉強して、そのあと環境工学を勉強したいといっていた。彼の父親は、すすり泣きながら、彼が自殺したのは抗議の意味もあったと言う。
母親は彼の名誉を挽回するまであきらめないと言っている。そのためにコロンビア・ディベルサ[コロンビアのLGBTI団体]から支援を受け、来週にも法的な訴えをおこす。セルヒオ君の友人や親族は、通っていた学校と、彼が自殺したショッピングモールとで、抗議運動を展開することを予定してる。
セルヒオ君は、彼が遺した3通の手紙の中で、祖母にお別れを言っている。彼女の手、彼を見る目、彼女の夢、いつまでも若くあろうとするところを恋しく思うと書いている。「彼女より先に死にたくはなかった。けど、もうたくさんだ。本当に申し訳ない。」
彼の死は、私たちの心に深く刺さる。彼の死は、こんな教育制度にあらわれているような自由の少ない社会に対して、多くの深刻な教訓を残したのではないだろうか。