なんどか書いてるけど大学の3回生ぐらいから卒業してすぐぐらいまで、ジャズミュージシャンの真似事をしておりました。音楽の才能がぜんぜん無かったのでそっちの道はすぐにあきらめたんですが。神戸の元町のポートタワーホテルとか中山手通のサテンドールとか、大阪の中津の今はなき東洋ホテルとか、梅田の今はなきDonShopとか、北新地の名前忘れたけどなんとかいう店とか、京都の木屋町の名前忘れたけどなんとかいう店でウッドベースを弾いておりまして、それでメシ食ってたぜとはとても言えないですが、まあトラ(臨時の代理)の仕事も含めて月10万ぐらいにはなっておりました。
学生のバイトとしてはわりと実入りがよかったです。時代はバブルで、そこらじゅうに生演奏の店があり、またそういうところに彼女を連れていくのがおしゃれとされていた時代で、ちょっと背伸びして今日はジャズでも聴きにいこうかというお客さんがわりといて、チャージが3000円ぐらいでも商売が成り立っておりました。
当時のギャラはほとんどが固定制でした。だいたい高級な店だと1万円ぐらい、DonShopが業界最安値と言われていて(笑)、よく覚えてますが6000円でした。40分3ステージぐらいやってこの値段でした。ハコで週3、あと1日ぐらいトラの仕事を入れたら、だいたい月10万ぐらいにはなりますね。
しかし今から考えたら、毎日まいにちあの重くてでかいウッドベースを電車で神戸や京都や梅田まで、よく運んでたもんだと思います。毎日です。店によってはスーツの場合もあるし。神戸元町のポートタワーホテルは、スーツ着用のうえにベースアンプまで持ち込みで、右肩にウッドベースを背負って左手でベースアンプを手持ちして、駅まで徒歩20分の下宿から電車乗って神戸まで、真夏でも行ってました。若かったな。当時は当たり前のことだったんですが。
さて、大学時代はほとんど授業には出ずに音楽漬けになっておりまして、その延長でジャズの仕事もとっても楽しかったんですが、いつのまにか卒業ということになって、在学中からずっと社会学の研究をするか音楽で生きるか迷ってたんですが、師匠の北川潔氏があまりにも偉大だったこともありましたが、自分の音楽の才能の無さにほとほと嫌気がさし、とっととやめてしまいました。
そのあと20年以上たって、最近またぼちぼち音楽活動を本格的に再開したんですが(こないだは天満の「じゃず家」で出演させていただきました)、20年ぶりにジャズの業界に接して、大学時代の後輩とか久しぶりにお会いした当時いっしょにさせていただいていたミュージシャンの方々とかにお話をきいて、この間の業界の変貌ぶりに驚きました。
デフレですよ、デフレ。景気悪いです。関西ローカルの音楽業界でも、この20年は「失われた20年」だったようです。
まず、固定ギャラ制度がほとんど崩壊しているようです。客の入りにかかわらず1万円なら1万円のギャラをもらっていましたが、今はほとんどがチャージバックだそうです。チャージ2000円で客が10人なら2万円。これを3人で演奏したら3人で分けます。しかし「チャージの半分バック」というのも多くて、これだと1万円は店の取り分になって、残りの1万円を演奏者で分けるということになります。
まあ、店や演奏内容によっていろいろ変わるんですが、だいたいどこの店でもチャージバックになっているようです。
それで、もっと驚いたのが、そもそも「お客さん」自体が激減したということです。たとえば、友人のミュージシャンで、一時期名古屋に引っ越したひとがいました。もう大阪のお客さんはこういう生のもんにはお金を出さへん、名古屋ならまだそういうお客さんがいる、ということだったそうです。東京ならかなり客もいるけど、そのかわり演奏家も多くてむしろあぶれている状態だ、ということも聞いたことがあります。私が演奏していた時代の関西は、店の数、演奏家の数、お客さんの数がちょうどよいバランスだったような気がします。それが、もっとも大事なお客さんがめっちゃめちゃ減ってしもた、ということです。
もうアレですね、いまの若いひとなんかは、彼女とデートするときにええかっこしてジャズの生演奏とか、そういうの興味ないみたいですね。お金もないし。ワタミで飲んでジャンカラ、最後にプリクラとラーメン、とかそういう感じなんだと思います。
そんなジャズのお店でも、ときどき満席になることがあります。それは何かというと、ジャムセッションの日です。
これも非常に驚いたことです。昔はそんなにセッションの日ってなかったけどなあ……。いまでは毎週やってる店もあるし、なかにはもう毎日セッションしてて、要するにジャムセッション専門の店になっちゃったところもいくつかあります。
これはすごいいいことだなあと思います。気楽に演奏できる場が増えるということは、いいことです。
ただ、時代は変わったんだな、と思います。純粋にお客さんとして、消費者として、生演奏にお金を払ってくれるひとはかなり減りました。かわって増えたのが、自分も演奏するひとたちです(俺もそうですが)。そういうひとたちからお金を取って「演奏していってもらう」というのが、ジャズの生演奏がウリのお店の、重要な収入源になりつつあるようです。
昔は客と演奏家がかなり明確に分かれていて、客からお金をもらって演奏家に支払う、というお金の流れがありましたが、いまはどちらかといえば、客として聴きにいきたいというひとよりも、自分で演奏したいというひとの方が多いのかもしれません。そうすると、お店で演奏してもらって、そこからお金をもらうという流れになるのは自然なことです。
文化ビジネスのモデルがかわってきたんだな、と思います。商品としての生演奏を、消費者としての客に売る、ということではなく、演奏の機会を与えることでお金をもらう。客からではなく演奏家からお金を取るようになったのです。そのかわりそれは素人の演奏でもいいわけです。セッションのときは、店の客はほぼ全員が演奏するために来た客ですから。
何かに似てるな、と思ってましたが、これってコミケに似てるんじゃないか、って思い当たりました。でも大規模なコミケでは純粋に買いにくるお客さんのほうがはるかに多いので、単純に同じだとはとても言えませんが、でも売る側と買う側が容易に入れ替わって、基本的に買うひとは自分でも売る(あるいは描く)場合も多いし、両者の間の垣根も限りなく低いと思います。そして、店というか企画側は、そこで何かを売って儲けるのではなく、そこで何かを表現したいひとに対して「場」を提供することでビジネスになるのです。そのへんが似ていると思います。
ジャズに限らず、文化ビジネスのひとつのモデルとして、こういう形が多くなっているように思うのですが……。もちろんこれは、単にデフレのせいでお客さんが減ったということだけが要因なのではありません。なんかもうちょっと大きい構造が変化しているような気がする。だいたい景気不景気に関係なく、これだけレベルの高いもんがネットでなんぼでもタダで見れるのに、お前の演奏にチャージ2000円の価値があるのかと言われると、いえそれはそんなことないですとしか言いようがない。
たとえば、これは景気に関係なくずっと以前から、演歌の世界がそうなってます。大阪だけでも演歌歌手というひとは膨大にいますが、純粋に自分の歌をどこかで聴いてもらってそれで収入を得るというのはごく一部で、だいたいはカラオケスナックを経営していて、そこでカラオケ教室を開いて、それで生活をされている方も多いようです。ゴルフでいえば「全員がレッスンプロ」っていう感じでしょうか。
ただ、こういう「同人化する文化」のモデルも、完全に表現者と受容者の垣根がなくなってしまっているわけではなく、どこかで無意識のうちにそれが前提とされていて、それで「一時的に」その垣根が低くなったときにビジネスが発生するのかなあと、漠然と考えています。
なんかもう、結局不景気が原因なのかそうじゃないのかよくわかんない話になりましたが、まあ結論を一言でいうと、セッション楽しいので、またちょくちょく「じゃず家」とかのセッションの日に通おうと思ってます(笑)。演奏って楽しいですよね。
でもほんとに、お客さんがお金を払わなくなった、っていうのは、時代の流れですね。「それでメシを食っている」人びとにとっては深刻だと思います。