政治と「社会」

生まれて初めて本当に戦争になるんじゃないかと思っている。

たぶん次の戦争は国民を総動員するような全面戦争にはならないだろう。国民全員の精神や身体を管理しなくても、一部の「戦争装置」によって、一般の市民にリアリティが伝わらない方法でひっそりとおこなわれるにちがいない。

それはたぶんはじめに「被害者面した絶対的な正しさ」を押し付けてくる。いま領土を守らなかったらこの国がやられる。いま先手を打って攻めていかないと平和が守れない。おそらくそんなふうに、反論しにくいようなロジックで、感情に訴えかけるやりかたで。

いますぐではないかもしれないが、数年のうちには憲法も改悪されてしまうだろう。人権に関する条文は大幅に後退し、かわりに国家があらゆる権力を掌握してしまうだろう。

だが、国民の精神や身体をまるごと抱え込んで統制するのではなく、国民を分断することによって、よりスムーズに戦争は遂行されていくだろう。一方で、東京や大阪では、数百万人規模の戦争反対デモが巻き起こる。しかし同時に他方で、数万人規模の熱狂的な志願兵たちが先を争って「戦地」へ向かうだろう。世論は二分されるが、結局は戦争は「一部の専門家たちによって」粛々と淡々とおこなわれるにちがいない。

* * *

維新が大阪で実権を握ったときから、職業的インテリだけでなく、良心的な人びとのあいだで絶望感が広がっている。かれらを選んだのは間違いなく一般市民だから。橋下に対する批判がすべて無効化されてしまうのは、少なくとも現時点では、一般市民から熱狂的に支持されているからである。もちろん今回の国政選挙では、大した議席は獲得できないだろう。しかし大阪という街はあいかわらずかれらの支配下に置かれつづけることになるだろう。それもこれも、市民が支持しているからである。

そして、今回の選挙では、堂々と戦争を訴える政党が単独で過半数を占める勢いである。みんながこの政党を支持しているのだ。

戦後日本で曲がりなりにも根付いてきた民主主義が、今回の選挙で終わってしまうのだろうか。日本の社会はこれで「終了」してしまうのだろうか。

私はそう思いたくない。政治的には愚かな選択ではあると思うが、日本の「社会」そのものが「終わってしまった」わけではないと思う。もちろん政治的に愚かな選択はしばしば「社会」そのものに対して破滅的な影響を及ぼすのだが、まだ「社会」というものが終わってしまったと考えるのは早すぎる。

はっきりした根拠があるわけではないけれど、自分の身の回りの実感としてそう思う。たとえば学生たちは、私たちが学生だったときより、格段に真面目に、熱心に、優秀に、合理的に、近代的に、大人になっている。それから、嫌いなひとたちには興味のないことかもしれないけど、俺にとっては大事なことなんだけど、犬や猫の飼い方の、ここ10年ぐらいのあいだに起こった急激な変化は、大きな希望をもたらしてくれている。昔の飼い方ってほんとひどかったよね。

他にも、大学でのセクハラやパワハラなんて、ほんとに普通のことだったけど、最近はかなり難しくなっている。児童虐待の相談件数が増えていることも、虐待そのものが増えたというよりも、「社会全体が虐待を許さなくなっている」と解釈すれば、それはある意味でとても「良いこと」でもある。

なんとなくここ10年ぐらいで日本社会全体が息苦しく、杓子定規に、建前ばっかりになってる感じもするけど、それが近代化するっていうことだと思ってるから、それ自体は悪いことじゃないと思う。

ほんとうにこれは、間違った、根拠のない、楽観的すぎるバカな考え方かもしれないけど、政治的に愚かな選択をしているからといって、「社会」そのものが間違った方向に行ってるとは限らないと思いたいんだよ。俺はバカだけど、バカなりにいろんなことについて勉強したり、調査したり、人に会ったりした結果、「社会」は少しずつだけど確実に「進歩」してると思うようになったんだよ。どんなにそれが小さいものでも、この進歩を否定することは、歴史そのものを否定することになる。

めったにデモも抵抗運動も起きない社会だけど、それでもみんな自分の持ち場で頑張ってる。デモや運動をしないのは、俺たちが飼いならされた愚かな奴隷になってるんじゃなくて、ただ単にそういう文化や習慣がないだけだ。デモがないから日本の市民はダメだっていうやつは、たぶんフランスかぶれか何かなんだろう。自分の持ち場で地道に自分の仕事をしてるひと、手の届く他人を助けようとするひとは、本当にほんとうにたくさんいる。

いろんなことを勉強してて思うのは、まだまだめちゃくちゃな社会だけど、それでもちょっとずつ、ほんとうにちょっとずつ、いろいろなことが改善されてきていることもまた確かなことだ、ということだ。ほんとうに不十分で、ちょっとずつでしかないけど。

だから、橋下や石原や安倍に投票する人びとのことを、バカだとか愚かだとか思いたくないし、少なくとも社会科学にたずさわるひとがそんなこと言い出しちゃったら、それは学者としては失格だと思う。

もうほんとうに、はかない無根拠な信仰でしかないけども、たとえ今回間違った選択をしてしまって、この国の一部が取り返しのつかないことをしてしまったとしても、この「国」に対して絶望することはあるかもしれないけども、俺はこの「社会」全体にたいして絶望したくはない。市民をバカにするところからは、たぶん何も生まれない。俺のまわりの奴はみんないい奴なんだよ。

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