しょくみんち

いろんなところでいろんな方にお会いして話を聞いてると、いろんなお話を耳にする。それこそまさに聞きたかった話だ、というお話もあるし、こちらのちっぽけな解釈枠組みをひっくり返すようなお話を聞くこともある。また、安易な解釈をよせつけないような、おもわず黙り込んでしまうようなお話もある。

ずっと前、沖縄で聞き取り調査をしているときに、地元の、当時50代の男性に聞き取りをしていて、復帰当時のお話になって、復帰運動なんかは参加されていましたか、と聞いたら、あれは公務員の遊びだよ、あれは日当もらってデモやってるよ、と、笑いながら話されたことがあった。その方は中卒で、本土で出稼ぎをしていたこともある方だった。

わりと最近、沖縄のまた別の調査のときに、たまたま乗ったタクシーの運転手の、かなり高齢のおじいとしゃべってて、嘉手納の生まれで、いまでもずっと嘉手納に住んでると聞いたので、ああ、じゃあ爆音たいへんでしょう、って聞いたら、いやいや、あんなものは、慣れたらしまいです。

こういう語りを聞いたからといって、私の「政治的意見」は変わらないけれども、それでも、研究者以前にひとりの「ナイチャー」(本土の人間)として、さまざまな語りがある沖縄というものを、そのまま受け入れるしかないと思う。

あるいはまた、こういうこともある。

ある女性の方に長時間インタビューしたときのこと。その方は、聞き取りの場で、生まれたころから沖縄には基地があるし、米軍が身近にいることに何の違和感もない、むしろ、そういういろんな人を受け入れて、多文化、多国籍になっていくのが、沖縄のいいところだと思いますと語った。

インタビューも終わり、そのあとそのまま一杯飲みながら、いろいろ話をしているうちに、あれは何の話でそうなったのかどうしても思い出せないけど、その方がぽつりとこう言った。そのとき、ああ、沖縄って、ほんとに植民地なんだなって思いました。

あのときの、基地の存在に違和感ないし、アメリカ人にも友だち多いです、と語った方がふと洩らした、しょくみんち、という言葉が、耳から離れない。

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