被災地から人口が流出してることが「問題」だっていう語られ方と、都市部落から人口が流出してることが「問題」だっていう語られ方が似てるなあと思った。語ってるのは前者はマスコミや政治家、後者は内部の運動団体だけど。
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被災地からどんどん人が減ってしまうことが問題なんですよ、と、テレビの解説者や学者や政治家が語る。
ひとつのコミュニティや街が消えてしまうということは、そこに住んでた人たちや、その地域につながりがある人たちにとっては、悲しくて辛いことだろう。
だけど、さいきん何人かの政治家が、「ここにはもう人は住めない」とか「別の場所に住んだほうがよい」とか言って、激しく批判されるということが続いている。
なんだか、まるで津波なんかはじめから無かったかのような、完全に「元のままの街」にすることが「復興」だっていうことになってるみたいだ。
もとから人口が著しく減少している地域だし、高度成長期前みたいな活気のある漁師町に戻ることはかなり難しい。特に津波があった後では、それは本当に難しいことだろう。厳しい言い方をすれば、もともと斜陽だった産業を、これまでよりもはるかに多額の税金を注ぎ込んで保護するだけの結果になってしまうかもしれない。
さらに、被災地に限らず一般的に言っても、人口が減少する時代では、人びとは僻地に散らばって住むより、各地域ごとの中核都市に集まって住んだ方が、行政サービスも医療もビジネスも効率的なんじゃないかと思う。
もちろん、このままこの街に住み続けたい、という人びとの気持ちは最大限に尊重されるべきだし、そのために(経済ではなく)政治というものが存在するのだろう。
でも、元のコミュニティをそのままの形で再生することはできませんよ、ある程度の移動は仕方ないですよ、というと、感情的に批判されてしまう。
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他方で、都市部落でも、内部の運動団体に関わる何人かの人たち(全てではない)も、地域から人が減ってしまうことにものすごく危機感を持っていて、なんとかして「人口を増加させる」ことができないかを考えている。
都市部落の場合は被災地とはまったく逆に、これまでの運動や施策が成功して、学歴や階層を上昇させることができた人たちの多くが、周辺地域にマンションや建て売り住宅を購入して住んでいるので、「流出」といっても、どこかへ消えていなくなってしまうわけではない。都市部落の流出は、運動と施策の成功の結果という側面がある。
だが、一部の運動方針として、減ってしまった若年層や中間層を呼び戻そうと叫ばれることがある。そのために、特に流出した中流階級の人たちが戻ってこれるように、何らかの優遇策を打ち出すことが必要だと言われることもある。
確かに、いま都市部落に残っているのは貧困層と高齢者ばかりなので、「この人たちの面倒を誰が見るんだろう」と考えると、若年層や中間層が流出して運動団体が弱体化していくことには危機感を感じる。
しかし、人口流出と高齢者の滞留を前提にして街づくりをすべきだと言うと、やや感情的な反応をされることがある。私たちのコミュニティを「否定」するのですかと、まあさすがにそこまではっきり言われたことはないけど、まあでもそういうふうに思ってるみたいだな、と感じたことは何度もある。運動の最盛期だった60年代や70年代を知ってる人たちは特にそうだ。
でも、運動の最盛期のころのように、たくさんの人たちが地域に住んで運動に参加するように「人工的に」することは、たぶんもうものすごく難しくなっているだろう。60年代から今までのあいだにあった、マクロな社会変動や経済変動を、まったく無かったことにすることはできない。そういう変動の結果として地域の人口流出はあるのであって、それはミクロな優遇策とか啓発活動などで逆転させることはできない。
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なにかの大きな出来事があって、そのせいで、ある地域に大きな変化が生まれているときに、その変化に対応して適応しましょうよ、というと、その変化が起きるまえのコミュニティの「価値を否定」しているかのように解釈されてしまう。
このへんが似てるなあと思った。