村人たちの国

書斎の椅子をバランスチェアにかえてから腰の調子がかなりよかったのだが、ついこないだ2年ぶりぐらいに腰をいわしてしまい、休みに入って寝たきりになっている。いぜんは毎年恒例だったのだが……久しぶりに強制スリープ状態である。ここぞとばかり家事も仕事もサボりまくってベッドの中で好きなことをしている。そんな近況であるがほんまに今年はついったーのせいでブログの更新が減ってしまった。ついったーも、まあいろんな人と知り合いになれたのでよかったことはよかったのだが、同時にネトウヨとか軍オタとか女嫌いとかペドみたいな連中が湧いてくることも多くて、徐々にネットに希望を持てなくなっている。まあただ単に俺が歳とっただけだが。とげったの問題でもそうだが、だいたいネットというのは悪意があって粘着質で陰険な奴が目立つようなアーキテクチャになってるな。

というわけで寝たきりだったのだが上半身を起こせるようになったので、ベッドのなかで特に何を書くか決めずになんとなく雑文を書こうと思う。

先日、学生の卒論の資料用に外国人労働者問題の一般向け書物を大量に買ったのだが、そのなかの一冊が面白かった。

Amazon.co.jp: ルポ 差別と貧困の外国人労働者 (光文社新書): 安田 浩一  (光文社新書)

90年代初頭にまず「定住」という在留資格が追加され、これによって日系南米人、特にブラジル人が大量に入国することになった。表向きは「里帰り」である。同じころ、実は戦後のはやい時期から行われていた「外国人研修生」という制度が整えられ、1年間の研修に引き続いて2年間の「技能実習生」が認められるようになった。表向きは「国際交流」である。バブル末期の人手不足の時期に、ブラジル人と中国人(研修生の多くは中国人だ)が単純労働者として国内に流入するようになったのだが、「定住者」にも「研修生」にも共通していえるのは、それが単純労働者であることを表向き否定された単純労働者であるということだ。かれらが労働者であることは公的に否定されているので、国としてかれらを守るような特別な施策はいっさい無い。例えば、失業したらどうするか、病気になったらどうするか、日本語教育をどうするか、生活保護等の行政サービスの告知や利用をどうするか、子どもの保育や教育をどうするか……

ブラジル人学校についてはまた改めて書こう。

よく言われることだが、この国には外国人の出入国を管理する政策はあっても、定住する外国人を包摂し市民権を保障するような「共生」のための政策はほとんど存在しない。政治レベルの話だけではなく、さいきんの中国や北朝鮮に対する、あるいは朝鮮学校無償化問題(いや、より正確にいえば、朝鮮学校無償化「除外」問題)に対する一般市民の感情的反応をみていても、そうした政策の実現が夢のまた夢であることを実感するばかりだ。

200万人を超える外国人が暮らすこの国において、表向き外国人労働者の法的存在すら否定されているということ自体、おそらく知らない人のほうが多いだろう。郊外の大工場ではブラジル人が働き、都心の居酒屋では中国人が生ビールを運んでいる。それでもこの国には「外国人労働者」は法的には存在しないのである。

……などなど、この国におけるブラジル人と中国人のあり方については、分けて議論するのではなく、一緒に考えた方が日本の外国人政策の場当たり的ないいかげんさと無為無策が明らかになって面白いのだが、まあそれはそれとして、この本のなかでも指摘されている「中国人研修生にたいするセクハラ」という問題について、いろいろ考えこんでしまった。

さまざまなセクハラ事件の詳しい部分に関しては本書をお読みいただくとして、日本人の側として思うのは、こういうことをするのが地元や家庭では真面目で信頼されている「普通のお父さん」なんだろうな、ということだ。

非常勤時代も入れるともう十年以上大学で学生たちと付き合っているが、たまに卒業した連中と飲むと、日本のサラリーマン社会における性の問題が浮き彫りになって面白い。

こないだも卒業してかなり立派な銀行に就職した奴が「なんで職場の先輩って後輩をすぐ風俗に連れていきたがるんやろうなあ」と笑っていた。

俺がこういう考え方なのはみんな知ってるので、「職場の風俗」の話をするときはみんなどこか申し訳なさそうにしているところが可愛い。でも俺は職場には職場の掟があることはわかっているので、別に教え子たちを責めることはしない。でも元ゼミ生のなかには職場のそういう誘いをぜんぶ断ってる奴もいて、逆に孤立しないか心配だ……でも「会社ってそういうとこだから仕方ないよ!どんどん行けよ!」とも言えないので、辛いところではある。「でも、でも、でも」だな、この問題は。

もちろん会社や職場にもよるのだが、「地元社会に根ざして何十年も地道にやってきた会社」ほどこういう「昭和な性規範」(と言っていいかどうかもわからんが)が残っているような気がする。関西であれば誰でもその名前を知っているような地元の超優良企業でも、毎月のように職場のメンバーで連れ立って京都や大阪の風俗街に繰り出すのだそうだ。

みんな普通の元気な若いサラリーマンや立派な部長さんだそうだ。

上記のルポのなかの、中国人研修生に対するひどいセクハラの事例を読みながら、ふと思ったのだが、こういうのがたぶん、普通の日本人の真面目な良いお父さんの、普通の感覚なのかもしれんな……。もちろん大多数の雇用主は真面目にやってるんだろうけど、その真面目さの影にこうした欲望がないとはいえないだろう。

たびたび同じ話を聞きすぎて感覚が麻痺していたのだが、ふとシラフで考えると、海外の事情についてまるで知識のない俺だが、教えてほしいのだが、他の先進国でもあるんだろうか、企業というフォーマルな場でいっしょに働く同僚たちが、仕事が終わってから連れ立って女を買いにいく、ということが。

仕事が終わってからスナックやキャバクラ、はては風俗やソープにみんなで一緒に行く、という習慣と、相手が中国人の若い女性なら何をしてもよい、という感覚は、どこか目に見えないところで強くつながっていて、確かに「この国のある一部分」を構成しているようにみえる。けっして語られないけど、どこにでも転がっていて、「見られてるけど気付かれてない」この国のマジョリティの姿だ。

簡単にいうとまあ、これもよくいわれることですが、公の場での性的表現や性的言動に対して異常なほど寛容だ、ということもあるけども、それよりもっと興味深いのは、これだけ風俗やセクハラが横行していながら、実際のセックスに関しては実に貧弱である、ということだ。

図録▽世界各国のセックス頻度と性生活満足度

ダントツで頻度も満足度も低いわ(笑)。

なんかこう、性的なことがらに関して、まだ名前がついてないような、非常に歪んだ抑圧が働いているような気がする(ここで「お前らもっと気軽にヤれよ」というと肉食系気取りのただの気持ち悪いおっさんになってしまうので言わない)。

あえて乱暴にまとめっぽいことを言えば、外国人労働者問題にせよ、公共空間での性的なことがらの問題にせよ、セックスの頻度と満足度の低さにせよ、なんかこう、「他者とコミュニケーションする」ということが徹底的に出来ないんだな俺たちは、と思う。俺たちはみんなムラビトなんだよ、いつまでたっても。


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