雨すごかったですな
──すごかったなー。もう(台風)すぎたかな
すぎたみたいですな。もう大丈夫でっせ。
──あ、そうか。
* * *
──おっちゃん、ずっと京都?
京都……。もう40年ぐらいになりますかな。70やから、もう40年かな
──70歳か! 若いな。
何言うてますの(笑)。
──ずっと京都で働いてんの?
そうですな。
──タクシーはそんなに長くない?
ええ、タクシーは長くないですわ。
* * *
もとは和歌山。
──あ、和歌山な
親父が運送屋はじめて、そのてったい(手伝い)してましてん。それが始めのころはえらい儲かって、調子乗ったんですな。親父に怒られて、もう出ていけーちゅうて(笑)。ほな出てったるわーいうて、それからですわ。
親父亡くなるまで帰りませんでした。
ちょうど京都に兄貴がおったんで、そこに転がり込んで。
いろんなことありました。いろんなことしました。
四条に、ハンカチ、アパレルの。ハンカチの会社。入って、いろいろ教えてもろて。修行して。自分でも会社おこしたんですわ。
自分の会社はアパレルやのうて、ケミカル。ケミカルシューズ。
──ヘップサンダルとか?
そうそう、ヘップサンダルとかな。それが、95年の震災で。
──ああ、震災な……
あのとき、商売仲間から電話来まして。朝。おまえテレビつけてみいいうて。つけたら、あんなんですわ。これどないすんのいうて。長田に、ようけ取引先の工場がありましてん。
次の日、仲間と行ったんですわ、車で。ほんだら、2号線通れしません。途中から。
三宮の手前から、ぐるっと六甲まわって長田に出る道があるんですわ。えらい遠回りして、そこ通って長田に。
──焼け野原?
もう、まだ煙出てるようなときですわ。
そしたら、ケミカルの社長。丁稚から何十年も苦労して、やっと自分とこのビル建てて、建てたと思ったらこれでっしゃろ。
泣いてたなあ……。
こんなん傾いてな。ビル。
九州から出てきた社長さんやってんけど、えらい苦労して丁稚奉公して。長田にやっとビル建てた直後。
で、そのあと仲間と、もう歩いて帰ろうってなって、あの高速道路の高架が倒れてるとこ。あそこの道通って、歩いて。
途中でタバコ屋が、つぶれて、焼けて、がれきになってるところの、家の前をおばちゃんが掃除しとったんですわ。
あれは忘れんわ。
家の前にようけタバコ落ちてるんですわ、散乱してて。
おばちゃん、これお金置いとくさかい、ひとつもらうでって言うたら、お金いらんからなんぼでも持ってって。ぜんぶ持ってって、って。
いや、んな訳にはいかんわいうて、おばちゃんここお金置いとくからなーって。いうてんのに、お金いらんから全部持ってってー、って。あのさみしそうな顔、ほんと忘れんなあ。
──ほんで会社どうしたん?
つぶれてませんで。自分から、自分からもうやめますーいうて。やめた。
ほで、ぶらぶらして遊んでたら、知り合いが、お前遊んでるんやったらウチ来いって。MKタクシー。
──ああ、MK
ほんでも、もう2年で嫌になって。(決まりごとが)うるさいうるさい(笑)。
──MKなー、はいといいえしか言わんからな(笑)
いらん話すると怒られるんですわ(笑)。それから(はずっと)タクシー。
──そうかー。
しかし都議選えらいことなりましたなー
──なったなー。なんか大阪の維新の会のとき思い出したわー
あー維新もなあ。橋下もええこと言うてんやけど。
──そうか(笑)
[ここでタクシーは西院の駅に着く。]
──おっちゃんありがと。あここでええわ。領収書ちょうだい。
ありがとうございました、お忘れ物ないように。
──ありがとー。
このやりとり、え~ですわ~
関西から福岡に移り住んで10年近いんですが、
たまに関西に出張とか行くと元気が出るんです。
特に環状線に乗ったときの大阪弁の喧騒の心地よいこと ♡
それはともかく、このタクシーのおっちゃんの、いろいろあった
人生のにじみ出た、ふくよかながら軽やかな関西弁のやりとりを
こんなにリアルに再現してくださって、ありがとうございます~
ふと立ち寄ったブログで、ほんまにほっこりさせてもらいました