みんなが雨宮まみさんの文章で救われました。
救われる、ということは、どういうことでしょうか。誰が、何から救われるのでしょうか。
私たち読者は、雨宮さんの文章を読むことで、自分自身から救われるのかもしれません。自分の憎悪や不安や恐怖から解放されるんです。
そういう負の感情を解毒する力を持った文章だったと思います。あなたは悪くない、ということと、でも正面から努力することも必要、ということを、誰も傷つけない形で書くことはほんとうに難しいことです。しかしそれをやってのける力を持ったひとでした。
みんなが雨宮さんのいろんな文章で、ネガティブな感情から解放される経験をしました。そうやって私たちは雨宮さんに頼ってきました。でももう、この世界からいなくなってしまいました。私たちのそういう感情の爆発を押しとどめてくれるような文章を書ける書き手がひとり、いなくなってしまったのです。
ついこのあいだの、『早稲田文学』の「新入生にすすめる本」という特集で1冊おすすめしてくださいと言われ、雨宮さんの『女子をこじらせて』を選びました。この本がいかに素晴らしい本かを述べた、その短い文章の最後に、私はこう書いたのです。
「私たちには、雨宮まみがいる。」
もちろん、本を開けばそこにいつも雨宮さんがいて、私たちはいつでも会うことができます。でももうその本は、続きを書かれることはありません。
私たちはこの厳しい時代に、雨宮まみがいないまま、生きていかなければならないのです。
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私が対談で浮気を否定したとき、雨宮さんが冗談で私に、浮気したほうがいいですよと何度も言うから、何でやねんと言ったら、作品に深みが出ますよ! って言ったから思わず笑いながら、作品が浅くて悪かったな! と言いました。
ほんとうに、キツい冗談をあっさりと上手に言えるひとでした。
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宝塚と女子プロレスが好きなひとでしたが、インスタやFacebookを見ていると、ほんとうに宝塚の舞台のような、キラキラした美しいものに囲まれた写真がたくさん載っています。
(これ、今でも見れますし、これからもずっとネットで見ることができるんですね。不思議です。そのうちふっと更新されるんじゃないかと思ってしまいます。)
宝塚と女子プロの共通点って何かなと思います。それはもしかしたら、女が、女であるままで、強くてかっこいいところ、なのかもしれません。
もちろん、雨宮さんの毎日の生活は、普通に地味なものだっただろうけど(知らないけど)、それでも雨宮さんにとっては東京は、劇場であり、またリングでもあったのでしょう。
雨宮さんは東京そのものでした。私は、雨宮さんとの対談集『愛と欲望の雑談』のコラムで、最初に雨宮さんと阪急電車の梅田駅で待ち合わせしたとき、遠くのほうからまるで「東京が歩いてくる」ように見えた、と書きました。
私の友だちには、東京そのものっていうひとが何人かいて、雨宮さんはそのひとりで、特にその代表みたいなひとで、だから私にとっては東京は、雨宮さんが生きている街でした。でも、もうこの東京には雨宮さんはいません。何か、東京の魅力がずいぶん減ったような気がします。
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女子プロレスがそんなに好きなら、書いたらええやん、と言うと、もっと詳しいひと多いし、だいたい読者がすごく少ないよ! 友だちに女子プロの魅力を熱弁するんだけど、そのときの反応がいつもすっごい薄いのー、と笑っていました。
でもたぶん、女子が堂々と、真面目に、何にも左右されずに自分らしく生きる物語として女子プロレスを書いてくれていたら、女子プロのファンも激増してブームになってたんじゃないかと、ほんとうに真剣に思っています。
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八重洲ブックセンターでの対談が、雨宮さんに会った最後になりましたが、そのときに以前よりもめちゃめちゃ痩せてたので、実はとても心配していました。実際に、体の調子も悪かったみたいですね。
体に気をつけてとか、なにかひとこと声をかけたらよかったのかなと思います。たぶん、雨宮さんに少しでも関わりのあるひとは、全員同じことを思ってるでしょう。
間に合わなかった一言があって、でも、間に合った一言もたくさんあると信じたいです。ちょうどいいタイミングでかけられるちょうどいい一言が、実は、自分たちも気づいてないだけで、この世界にはあふれてるんじゃないでしょうか。それが間に合ってくれたおかげで、私たちはその存在に気づかないだけなんです。ほんとうはそういう一言がたくさんあって、それで私たちは何とかやっていけているのだろうと思います。
自分たちでも気づかない、そういうことがたくさんあって、この世界が成り立っている。そう信じたい。
でもたまに、ほんとうに間に合わないことがあります。
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雨宮さんがいなくなってしまったことを、純粋に悲しもうと思います。断固たる決意で、堂々と、正面から、誠実に、真面目に、悲しもうと。そう、雨宮さんの文章のように。いつも真面目で誠実な文章を書くひとでした。だから、せめて読者のひとりとして、あの文章がもう二度と読めなくなってしまったことを、真面目に悲しみたいと思います。
怒りとか、悔しさとか、そういうのもありますが、でももうしかたがないです。私たちにできるのは、悲しむことぐらいです。
みんな、もっと泣いていいんですよ。目がパンパンに腫れて、同僚や家族や友人から笑われるぐらい、泣きましょう。これは、他ならない、私たち自身の悲しみです。
私たちには、泣くことが必要なんです。いまはただ、背中を丸めて、拳を握って、顔をくしゃくしゃにして、鼻をすすって、ぼろぼろ泣きましょう。いくらでも泣いていいと思います。
いろんなことがあって、いろんな感情がたくさん湧いてくるのは、別に恥ずかしいことじゃないし、悪いことでもない。私は雨宮さんの文章から、そのことを学びました。
あと何日か、いや何週間でも何年でも、思い出すたびに泣こうと思っています。それがたとえひとまえでも。別におっさんがひとまえで泣いてても、キモいとか、恥ずかしいなんてことはないです。たぶん雨宮さんなら、そう言ってくれるんじゃないでしょうか。
たぶん雨宮さんなら、そういうときは泣いていいんですよ! もっと泣きましょう! と、言ってくれるはずです。
変な話ですが、雨宮さんがいなくなったことを、雨宮さんに相談したいと思ってしまいます。あの美しい人生相談の本を書いた雨宮さんなら、どんなお茶を出してくれるだろうか、どんな言葉をくれるだろうかと思います。
雨宮さんがいなくなってどれだけみんなつらい思いをしているかを、雨宮さんに相談して、雨宮さんに一緒に泣いてほしいです。
そしてそれを一冊の本にしてほしい。出版されたら、お祝い会をみんなでしましょう。
いまはただ、純粋に、しっかりと、真面目に悲しみたいと思います。
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雨宮さん、毎日エゴサーチしてるんですか? 俺も一日に三回ぐらいするよと言ったら、「少ねえ…」と言われました。
雨宮さん、お葬式の日、『女子をこじらせて』が、Amazon全体で二桁まで行ってましたよ。俺が見たときは50位ぐらいに入ってました。
Twitterはもう、悲鳴ばかり並んでます。みんな、受け入れられないんです。「自分の寿命を削って雨宮さんにあげたい」っていうひとまでいましたよ。
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亡くなった次の日に何人かの方から連絡をいただいて、17日のお別れ会に参加してきました。近親者だけ、ということでしたが、5、60人の方が集まっていて、ほんとうにみんなから愛されていたんだなと思いました。
みんなもう、めちゃくちゃ泣いてました。あんなに参列者が泣くお葬式って、初めて見ました。お棺のなかの雨宮さんを見てみんな、その場で固まったまま、わんわん泣いてました。
そのあと雨宮さんは灰になりました。
あのお別れ会の場にいたひとたちも、その場にいなかったひとたちも、いちども会ったこともないひとたちもみんな、「自分にとっての雨宮まみ」を持っていると思います。雨宮さんとの思い出とか、会話の記憶とか、つらいときにその文章を読んで救われた経験とか、そういうものをみんな持っているんです。
どうしてかわからないですが、雨宮さんと話すと、なんか「話を聞いてもらえてる」っていう感じがするんです。雨宮さんだけじゃなくて、たまにそういうひとはいますが、雨宮さんは特に、そういう、「聞く力」を持ったひとだったと思います。その力は、実際に会話しなくても、その文章を読むだけで感じることができます。
だからこんなに雨宮ファンが多いんだと思います。
たぶん、みんな同じことを感じてると思いますが、雨宮さんの文章を読んでるときって、ひとが書いてることを読んでいる、というよりも、「自分の話を雨宮さんに聞いてもらってる」っていう感じがするんです。
これはほんとうに、不思議なことです。ひとの文章を読んでるのに、自分の話を聞いてもらってるような気がするんです。
自分のことが書いてある本。それを読むだけで、信頼できるひとにちゃんと話を聞いてもらえてるような気になる本。それが雨宮さんの本でした。
だからみんな、一度でも雨宮さんに会ったり、その文章を読んだりしたら、雨宮さんのことが好きになるんです。
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私がいちばん好きな雨宮さんの写真です。こんなに子どもみたいな、かわいらしい笑顔は、これまでのインスタやFacebookのほかの写真では見たことなかったので、びっくりしました。でもこれ、ほんとに直前の写真なんですね。
https://www.instagram.com/p/BMooTn6gJBm/
対談のときに、いままでもらってうれしかったプレゼントの話してて、バラの花束100本もらったときはうれしかった、と言っていたので、お別れ会のときに新宿のマルイの、青山フラワーマーケットで、小さなバラを5本だけ買いました。あの対談のときに、じゃあいつか俺も100本のバラの花束贈りますわと約束したのに、少なくてすみません。あと95本は、そのうち分割で配送します。
しかしほんとに、亡くなったというよりも、「生きていた」んだなと強く思います。あんなに本気で自分の人生を生きていたひとはいないと思います。自分はどれくらい本気で生きているだろうかと思います。
お別れ会のあとご自宅にお邪魔して、形見分けの品をいただいてきました。
氷砂糖みたいなやつは、たぶん何かの結晶とか何かそういう石です。意外なほどパワーストーンみたいな石がたくさん置いてありました。仲の良いお友だちのみなさんと一緒にお邪魔したのですが、みんな「まみって意外にスピリチュアルなんだよね」「スピッてるよねー」と笑ってました。
小さくてキラキラしててきれいで雨宮さんっぽかったので、無理をいってひとついただいてきました。
『東京を生きる』は、もちろんもう2冊ぐらい持ってますが、あらためて雨宮さんの本棚から連れて帰りました。
これが雨宮さんの本でいちばん好きです。女子ネタからなにかひとつ突き抜けた、大人の人生を書くことに挑戦した本です。作家として、ひとつの大きな壁を乗り越えた、記念碑的な作品です。ほんとうに、仕事の絶頂期に、ほんとにちょうどこれからというところでいなくなってしまったんだなと思います。
ちょっと個人的なことを書きますが(ぜんぶ個人的な話ですが)、2年ぐらい前にある出版社から「大阪について書いてください」という依頼を受けて、勢いで三日ぐらいで4万字ぐらい書いて、そこでストップして続きが書けなくなってしまった原稿がありました。
それからだいぶ経ってから、こないだその草稿を無理をいって雨宮さんに読んでもらったら、ものすごく褒めてもらって、これすばらしいです、何度も泣きました、これ絶対に出版してくださいねって言われました。じゃあもし出版できたら、帯の推薦文を書いてくださいとお願いしました。
雨宮さんは、そのときには、私の『東京を生きる』と合わせて、東京と大阪でブックフェアやりましょうって約束してくれました。
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バラの花束や東京と大阪のブックフェアの他にも「文化互助会」(お互いに自分の好きな本とCDを相手に無理やり買わせて、売り上げに貢献する)とか、いろいろ果たせなかった約束があります。
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雨宮さん、さようなら。また会いましょう。
こんにちは。
何と無くここにたどり着き、先生の文章を読んで、なるほど、と自分に納得しました。雨宮さんの文章は、人を安心させる力があるのですね。
昨日、雨宮さんの訃報を知って、泣きました。実は、きちんと本を購入した読者でも何でもない、ネットで雨宮さんが連載していたものを読んでいた、私はそんな程度の人間ですが、なぜか涙があふれて声を出して泣きました。
「 雨宮さんは一生懸命に生きた、だから、赤の他人が不幸に思う事も泣く事もない」
雨宮さん、ありがとう、さよなら。
素敵なひと、かけがえのないお友だちだったんですね
今はお辛いと思いますが、対面で共に時間を過ごせたこと、羨ましいです
ご冥福をお祈りします
雨宮まみさんの訃報で喪失感で一杯だったが、文章で通勤中に泣きました。会ったこともないファンだけれど。
雨宮さんをこんなにも的確に表現し、優しく温かいお別れの言葉に出会えて幸せです。
雨宮さんの心が今少し楽になっていればいいな。
一読者なので直接会ったことはありませんでしたが、雨宮さんの文章をお風呂の中で1人読んだり、帰りの電車の中で読んだり、何度も励まされて来ました。
雨宮さんのことを素敵な文章で書いて下さり、ありがとうございました。
何度も読み返しました。
書いていただきありがとうございます。
私も今年の5月に大切な人を亡くして、ワンワン泣きました。今でも思い出しては泣いてます。でもとことん悲しんで我慢なんてしなくていいと思ってます。忘れる事なんてできないし、元気になろうだなんて無理なんです。
雨宮さんとはお会いした事がないですが、私のここまでの悲しみは、あの雨宮さんのたくさんの言葉で繋がる事ができていたからだとひしひしと感じています。
自分の仕事が残るって素晴らしいですね。
雨宮さんの作品、これからも大切に読ませていただきます。
雨宮さんは、子供を産まない独身女性は役立たずだ、という揶揄や偏見に対して迷惑をかけないように早く死にたいと思ってる、
と言う文章を書かれてました
色々原因はあるのでしょうがここ最近の日本社会の異常なほどの
子供を産まない女性への圧力も一因だった気がしてなりません
こんばんは 雨宮さんとはお会いしたことはなく、本を少しずつ読み進めているただの一ファンでしたけど、昨日の夜中に訃報を知り、泣きました。
今日このブログに出会い涙の訳を知ることができたように思います。
お二人の対談に行きたかったのですが、バタバタした生活を理由にして
「次にしよう。。」とお二人に会いに行きませんでした。
私が雨宮さんの何かを癒せる訳ではありませんが
間に合わなかったのだと思いました。
雨宮さんの本に書いてあった京都の古着屋さんに11月の初めに行ってきました。次に京都に行った時に。。と漠然と考えていましたが
突然行く機会に恵まれました。
オーナーさんから雨宮さんのお話しを聞かせて頂いたりしました。
今ふと
「間に合った部分」がここだったのだと感じました。
今日このような文章と出会えてとても嬉しく思います。私は雨宮さんの本を
まだ少ししか読んでいないので、これから少しずつ雨宮さんのカケラを知っていけるのだなと。。雨宮さんと岸さんに感謝しながら読んでいきたいと思います。
ご冥福をお祈り申し上げます。
文章にしていただいてありがとうございます。ただ一介のファンでしかない私も泣いていいんだ、めちゃくちゃ悲しんでいいんだと思えて、怒りや不満のどれでもない感情をちゃんと涙にすることができました。死のうと思っていた時に雨宮まみさん出会って、救われた命だと思っていました。これからどうしたらいいんだろうと思っていて、やっと心の収拾をつけられました。ありがとうございました。
まみさんの読者です。
ただの読者で、イベントでお話を聞いたことがあるだけで、直接お話したことはないのに、なんだか、とても親しいひとをなくした気持ちです。
なんでこんなに涙がとまらないのと、自分でも不思議だったのですが、先生の文章を読んでとてもよく、わかりました。
初めてまみさんの読んだ時のことを思い出しました。
まみさんが書いてくれた文章が死によって輝く、そういうことはなくて、
ただ、「生きていた」まみさんが「生きていた」私に届けてくれたものなのだと、
そうやって大事に持っていたいと思います。
「間に合わなかった一言があって、でも、間に合った一言もたくさんあると信じたいです。ちょうどいいタイミングでかけられるちょうどいい一言が、実は、自分たちも気づいてないだけで、この世界にはあふれてるんじゃないでしょうか。それが間に合ってくれたおかげで、私たちはその存在に気づかないだけなんです。ほんとうはそういう一言がたくさんあって、それで私たちは何とかやっていけているのだろうと思います。」
というところ、とても強くうなづきました。まみさんの言葉、友人の言葉、誰か知らない人の言葉や存在、美しいもの、面白いもの、来週の楽しい予定、そういうもので、これからもずっと生きていこうと、そんな風に思っています。
今も涙はとまりませんが、先生の文章を読むことができてよかったです。ありがとうございました。
形見分けされた石は、方解石(メキシコ産)です。じつは私が毎年8月に行っている展示「鉱物Bar」で、今年、雨宮さんが購入してくださっなものです。(拙著を読んでくださって、3年くらいにも展示に来てくださいました)
スピリチャルというより、単純に方解石の透明感、美しさに惹かれて〜と選ばれていらっしゃいました。(私自身がアンチスピリチャル、アンチパワーストーン派で、自然の造形美としての鉱物世界が好きを公言しているから、そうお話しくださったのかもしれませんが)
話しといえば、同業のよしみで私が書くことはツライと言ったとき、雨宮さんは「書かないことのほうが辛い」と、すぐ返されたことも強く印象に残っています。
雨宮さんとは、たった2回、展示に来てくださった時にお会いしただけですが、纏う空気の華やかさと繊細さが印象的で、今回の訃報にショックを受け、ブログに辿り着いた次第です。そのなかで、方解石について触れられていたので、さらに驚き、石を選ばれた時の雨宮さんのことを知っていただけたら…と、コメントさせていただきました。
心より、ご冥福をお祈り申し上げます。
鉱物アソビ・フジイ キョウコ拝
雨宮さんの文章のファンでした。
昨年福岡のイベントで拝見したとき、そのエレガントさ、美しさ、温かさに感激してからはファッションアイコン的に・アイドル的にも大ファンなりました。かつてコンプレックスの塊だったという雨宮さんの綺麗なお姿や愛するものをインスタで垣間見るたびに、心が潤って 勇気づけられて 痛快で…。《美しさとは、他人からの評価ではなく、自分自身が自由に解放されること》。上っ面な言葉でなく、本当に腑に落ちて救われた気持ちになったのです。40歳を迎えられて、この先50代・60代…どんな文章を書き、どんな美しさを見せてくれるのだろうと《楽しみ》というよりは、《だから大丈夫。雨宮さんがいるもの》と感じていました。それが、ある日突然途絶えてしまうなんてほんとうに悲しくてやり切れません。ここ数日、心が掻き乱れて何も手がつかない状態でしたが、岸先生のお別れの言葉を読んで少しホッと落ち着きました。ありがとうございます。
悲しいです。泣きました。
泣いて、今、うつ病なので、
死にたくなりました。
今も迷ってます。
私の知らず知らずに独身アラフォー女性をロールモデルに感じてたから。
雨宮さんも、雨宮さんのお友達もフォロして、会話をみてたりして、仲間みたいに感じてたから、本も買ってないしネットのコラムしか読んでないのに、
こんなに悲しいのかな。
独身でも強く、社会が平等でないことを痛いほどわかってて、弱くてもなんとかやってるところに、
悲壮感が全くなかった。
だから、これから、素敵な40代を過ごして欲しかった。
ただ、生きててほしかった。
私を穴の底で待ってて欲しかった。
私のロールモデルの一人は雨宮まみなのだから。
また、読み直して、本も買って、追悼します。
雨宮まみ様
素敵な文章をありがとうございました。
ご冥福を心よりお祈りいたします。
天国でもアマゾンで買い物してください。
書いて下さって有り難うございます
只の一ファンでお会いした事すらありませんが喪失感で一杯で辛いです
まみさんの文章、もっと読みたかったよ
なんで、、、もっと聞きたかった
辛いです 悲しいです
もっと生きてて欲しかったです
我が儘でしょうがもっと生きてて欲しかったです!
Twitterのほうからいらっしゃらない方のために、Instagramの鉱物のページのリンクおいておきます。https://www.instagram.com/p/BJQBx97A1hg/
素敵な追悼文ありがとうございました。
『私たちには、雨宮まみがいる』。
これぞまさに!と思ってしまいました。
どちらかというと「私たちのこころの中に、雨宮まみがいる」のかもしれないな、と思ったり。
初めて雨宮さんの『女子をこじらせて』を読んだ際には、決して私自身と雨宮さんの境遇は同じではありませんでした。
ですが、心の中の葛藤や、「女」であることに一人のライターとして苦悩する場面、性的なことにも「なんでこの人は私のことがわかるのだろう」「自分が隠していた痛さをこの人は真正面から文にしている!」とあまりのショックで涙が出たほどです。
改めて雨宮さんが書いていたブログやWebの連載、本を読んでいて、雨宮さんは本当に「真摯に真正面から誰かと向き合う」人なのだと思いました。
実際のところは、お会いしたことがないのでわかりません。
ですが、あれだけの熱量で「誰かと向き合う」ことができる希少なライターさん、文章を書く方がもういないという事実がまだどこか信じられません。
しかしながら、本を開ければ、「弟よ!」を見たら、やはり雨宮さんが「いる」んです。
雨宮さんは「椎名林檎になりたい」と言っていたそうですが、私は「雨宮まみになりたい」です。
同じには決してなれないですが、私は私で少しでも人に、自分に「真正面から」向き合いたいと思いました。
インスタの笑顔が本当に可愛らしくって「いいなぁ」と思いました。
心から雨宮まみさんのご冥福をお祈りいたします。
長文、大変失礼いたしました。
13年くらいまえから雨宮さんのファンです。
直々にメールを送ったり、SNSで交流したこともありました。
本当に残念で、言葉がありません。成仏なんかしないで
俗世間に帰ってきて!と思ってしまいます。
ぽつ、ぽつ、とアスファルトに落ちる雨粒を見ているように、
「断片的なもの」をすくいあげて、
この社会の果ての静かな地平線を感じさせてくれた岸先生が、
こんなに動揺して、悲しんでいる。
突然の死というのは、残されたものに、
驚きと、悲しみと、そして複雑な思いを残してゆくものですね。
石英のお話もうれしかった。
ひとは生まれながらに、その構成物が決まっていて、できるのは、その純度を高めることだけだ、なんて、
昔どこかで読んだことがあった。彼女は石英だったのか。
鉱物は腐らない。
私たちは、壊れたり、枯れたり、腐ったりする生きものなのに。
私は、雨宮さんの最近の文章を読むと、怖くてならなかった。
まさにキラキラと、視線は、美しいものや輝くものに吸い寄せられていて、それが拡大鏡で見るように、美しさはより際立たせられていたけれど、不安や孤独感もまた拡大されて、
東京という万華鏡の中をぐるぐる回っているように感じられたから。
本人は書ける、と言っていたけれど、
それは躁状態の宙吊りの中で、であって、
また次に来るだろう、劇鬱を連想させたから。
東京「を」生きるなんて、なんて挑み方だろう。
東京に生きる、と言えば
銃というよりも、戦略を持つことになろうし、
東京で生きる、と言えば、
したたかな、帰る場所のある人のもののような。
雨宮さんをあと十年、生かしたかった。
半世紀生きると、ひとは「肉眼」を持つ、って、
東京生まれの詩人が言ったように。
彼女のまなざしも、遠くや足元に届いたろうに。
彼女が会ったばかりの松任谷由美さんが、
新聞コラムで、ツアーのときは生活でも張り切る、と、
ワイヤーハンガーにTシャツを干す様子を書いてた。
まだ若いひと、雨宮まみが好きな女子たち。
こじれようが、よじれようが、四十歳からです、人生は。
泣きながら、笑いながら、生きてください。
確かに、生きることに意味はない。めんどくさい。
けれども、生きてみる甲斐とか価値とかがないわけじゃない。
って、すみません。これ、岸先生を飛ばしてます。
ほんとは「断片的なものの社会学」に感謝を伝えるはずが、
アラフォー女子へのエールになってしまった。
雨宮さん、だれも連れてゆかないで。
岸先生、ありがとう。