「じゃあ買うか」と言われたらたぶん買わないけどiPad
- 2010.01.31 Sunday 00:10
いやーしかしもうかなり昔の話だが、高齢の親父がパソコンを始めたいとか言うてなぜか経営する小さな町工場(完全に破産して今では跡形もないが)にとつぜんMacが導入されたことがあって、「お前教えろ」ということで現地にいって、手取り足取り親父にMacの使い方を教えようとしたのだが、
おれ「じゃあえーと、このアイコンを」
親父「アイコンて何」
おれ「……このほら、この四角いの」
丸いアイコンもあったりして、「これもアイコン」「さっき四角いのがアイコン言うたやんか」とか言うてもう話ぐちゃぐちゃ。予想以上に作業は難航したのである。それこそまったく言葉が通じないヨーロッパの宣教師と江戸時代の日本人が果物をひとつずつ指差して「みかん!」「mikan!」言うてるような状況で、蝸牛が這う速度でたとえば「ブログのコメントが炎上」みたいな話にいくまでに百年ぐらいかかりそうやな、と思ってて、
(なんかのダイアログが出て)
おれ「OKOK、じゃあその『YES』っていうボタン押して」
親父「(ぐいっ)」
おれ「……いやいや直接画面を指で押すんじゃなくて。気持ちはわかるけど」
実話である。このあたりで「もうやめようか」みたいなことに自然になったのであるが、ここから本題である。iPadの話だ。まあいろんな人がいろんなこと言うてるので俺みたいなアホがいまさらですが、なにげに地味だが大きく期待しているのがiWork for iPad だ。
モニター(関係ないけどいま「モニータ」とタイプミスした)の前で思わず「おう」言うてしもた。全面タッチパネルだろ。それで表計算とかワープロするんだろ。てことは数字とか文字とかオブジェクトを「直接触れる」っていうことだよな。
悪かった親父。俺が悪かった。親父が正しかったのだ。時代がやっと親父に追いついてきたのである。
前のエントリで学生のことをネタにしてしまって申し訳なかったのだが、こちらも同じだ。ようするに俺たちが間違っていたのである。どうして面倒なケーブルやマウスを使わなければならないのか。なんでこっちの身体をこんな小さな箱に合わせないといけないのか。
思えばどうだろう、パソコンというものがようやく「実用的」になったのって、ここ2、3年じゃないだろうか。俺はMacしか触ったことがないのでウィンドウズとかいう世界のことはわからんが、iTunesとiPodで音楽を聴いて、iPhotoに写真を溜め込んで、屋内の無線LANで家中のMacをネットワークでついないでファイルやりとりして、ブラウザとメーラで情報をやりとりしたり収集したり、ということが本当に自然にできるようになったのは、実にここ数年のことである。
30代以上ならみんなわかると思うけど、昔はアレだ。ネットにつなぐのにまず大変だったからな。今みたいにつねにつなぎっぱなしなんて夢みたいな話で、低速のモデムを電話につないで「MacPPP」みたいなソフトで、テレホ(関係ないけど最近の若い奴って居酒屋の飲み放題のこと「ノミホ」っていうよね)の時間になると必死でかけつづけたもんだ。でもずっと話し中でなかなかつながらなくて、プロバイダに何度も苦情を言ったもんだ。デジカメもとても実用に耐えるレベルじゃなかったし(おはきな写真集の初期の頃を見よ)、だいたいデジカメでもプリンタでもUSBじゃなくてスカジーとか何とか言うてたごっついケーブルで、しかもつないだあと再起動せなあかんとか、そういえばインターネットの設定も普通の人間にはまず無理なレベルだったな。今だとほんまに出張先のホテルでもLANケーブルをさせば自動的にDNSやら何やら全部自動でやってくれる。
冷静に考えるとアホである。なんでそこまでしてやってたんだろうか。それは「楽しかった」からなんだけど。ふつうに考えると、ふつうの人はそんなことしないよね。手動でネットの設定とか。バカじゃね。
前のエントリで学生がデジカメの写真をパソコンに落とさずにデジカメに入れっぱなしにしてることに驚いたっていう話を書いたけど、よく考えたらどっちが「人として」(笑)当たり前かというと、当たり前だが学生たちである。無意識にやってるけど同じUSBケーブルでも「オス」だの「メス」だの「A」だの「B」だの「4」だの「6」だの、こんなもの工業製品じゃねえ。
だから、デジカメで撮った写真でも、そりゃ裏側に液晶付いてたら、それで見ようかっていう話になるだろ当然。ケーブルでパソコンとつなぐとか、しかもドライバがどうのこうのっていう話になったら、そんなもん機械に合わせるほうが人として間違ってるよなあ。
それがここ数年、見違えるように状況が改善されてきていて、あとはアレだ、せめてUSBのケーブルだけでも一種類に統一してほしいところだが、とにかくデジカメの画質も格段に良くなったし、iPodも慣れると手放せなくなる。で、気がつくと、本はぜんぶアマゾンで買うようになってたりするのだ。
機械って、それが機械であることを意識させているうちは、まだ機械として未熟だよな。成熟した機械っていうのは、かぎりなく自然に近づいていくもんだ。要するに、みんな俺の親父みたいになっていくっていうことだよ。よく考えると、俺たちの世代はみんな、こんなにたくさんの種類のケーブルやコネクタを習得して使いこなしていたのだが、あれがぜんぶUSBになり、そのうちUSBもなくなって全部無線になると、何百万人もの俺たちの世代の連中がやっていたあの複雑でややこしくて非人間的で(そして寝るのを忘れるほど楽しかった)「努力」は、ぜんぶムダだったっていうことになるわけだ。
もっと極端にいえば、ここ数十年、人類はマウスとキーボード越しに情報を集めたり何かを表現したりしてきたのだが、そのうちこんなもの全部時代遅れになるにきまっている。
たぶん、iPadの次はiMacが全面タッチパネルになって、机に垂直に置くのではなく、机の面に水平に、ちょうどいまキーボードやマウスが置かれているところに置くタイプのやつが出てくると思うよ。表面が手垢でべとべとになりそうだけど。それか、本体は今のままで(その方が映画とか見やすいからな)、キーボードが消滅して、かわりにコンテクストによって異なるボタンやキーボードが表示される、iPadぐらいの大きさの操作パネルになるかもしれない(それに近い製品はすでにある)。
まあたぶん、すでにおんなじようなことは言い尽くされてるんだと思いますけども。いやーしかしiPad を見てまっさきに思い出したのが上記の親父との会話だ。同時に、デジカメに写真を入れっぱなしにしてる学生のことも思い出した。でも、親父や学生は「遅れてる」んじゃなかったんだよ。機械の方が未熟なだけだったんだ。
まあでも学生さんたちはもうすこしパソコン使った方がええと思いますけども。
おれ「じゃあえーと、このアイコンを」
親父「アイコンて何」
おれ「……このほら、この四角いの」
丸いアイコンもあったりして、「これもアイコン」「さっき四角いのがアイコン言うたやんか」とか言うてもう話ぐちゃぐちゃ。予想以上に作業は難航したのである。それこそまったく言葉が通じないヨーロッパの宣教師と江戸時代の日本人が果物をひとつずつ指差して「みかん!」「mikan!」言うてるような状況で、蝸牛が這う速度でたとえば「ブログのコメントが炎上」みたいな話にいくまでに百年ぐらいかかりそうやな、と思ってて、
(なんかのダイアログが出て)
おれ「OKOK、じゃあその『YES』っていうボタン押して」
親父「(ぐいっ)」
おれ「……いやいや直接画面を指で押すんじゃなくて。気持ちはわかるけど」
実話である。このあたりで「もうやめようか」みたいなことに自然になったのであるが、ここから本題である。iPadの話だ。まあいろんな人がいろんなこと言うてるので俺みたいなアホがいまさらですが、なにげに地味だが大きく期待しているのがiWork for iPad だ。
モニター(関係ないけどいま「モニータ」とタイプミスした)の前で思わず「おう」言うてしもた。全面タッチパネルだろ。それで表計算とかワープロするんだろ。てことは数字とか文字とかオブジェクトを「直接触れる」っていうことだよな。
悪かった親父。俺が悪かった。親父が正しかったのだ。時代がやっと親父に追いついてきたのである。
前のエントリで学生のことをネタにしてしまって申し訳なかったのだが、こちらも同じだ。ようするに俺たちが間違っていたのである。どうして面倒なケーブルやマウスを使わなければならないのか。なんでこっちの身体をこんな小さな箱に合わせないといけないのか。
思えばどうだろう、パソコンというものがようやく「実用的」になったのって、ここ2、3年じゃないだろうか。俺はMacしか触ったことがないのでウィンドウズとかいう世界のことはわからんが、iTunesとiPodで音楽を聴いて、iPhotoに写真を溜め込んで、屋内の無線LANで家中のMacをネットワークでついないでファイルやりとりして、ブラウザとメーラで情報をやりとりしたり収集したり、ということが本当に自然にできるようになったのは、実にここ数年のことである。
30代以上ならみんなわかると思うけど、昔はアレだ。ネットにつなぐのにまず大変だったからな。今みたいにつねにつなぎっぱなしなんて夢みたいな話で、低速のモデムを電話につないで「MacPPP」みたいなソフトで、テレホ(関係ないけど最近の若い奴って居酒屋の飲み放題のこと「ノミホ」っていうよね)の時間になると必死でかけつづけたもんだ。でもずっと話し中でなかなかつながらなくて、プロバイダに何度も苦情を言ったもんだ。デジカメもとても実用に耐えるレベルじゃなかったし(おはきな写真集の初期の頃を見よ)、だいたいデジカメでもプリンタでもUSBじゃなくてスカジーとか何とか言うてたごっついケーブルで、しかもつないだあと再起動せなあかんとか、そういえばインターネットの設定も普通の人間にはまず無理なレベルだったな。今だとほんまに出張先のホテルでもLANケーブルをさせば自動的にDNSやら何やら全部自動でやってくれる。
冷静に考えるとアホである。なんでそこまでしてやってたんだろうか。それは「楽しかった」からなんだけど。ふつうに考えると、ふつうの人はそんなことしないよね。手動でネットの設定とか。バカじゃね。
前のエントリで学生がデジカメの写真をパソコンに落とさずにデジカメに入れっぱなしにしてることに驚いたっていう話を書いたけど、よく考えたらどっちが「人として」(笑)当たり前かというと、当たり前だが学生たちである。無意識にやってるけど同じUSBケーブルでも「オス」だの「メス」だの「A」だの「B」だの「4」だの「6」だの、こんなもの工業製品じゃねえ。
だから、デジカメで撮った写真でも、そりゃ裏側に液晶付いてたら、それで見ようかっていう話になるだろ当然。ケーブルでパソコンとつなぐとか、しかもドライバがどうのこうのっていう話になったら、そんなもん機械に合わせるほうが人として間違ってるよなあ。
それがここ数年、見違えるように状況が改善されてきていて、あとはアレだ、せめてUSBのケーブルだけでも一種類に統一してほしいところだが、とにかくデジカメの画質も格段に良くなったし、iPodも慣れると手放せなくなる。で、気がつくと、本はぜんぶアマゾンで買うようになってたりするのだ。
機械って、それが機械であることを意識させているうちは、まだ機械として未熟だよな。成熟した機械っていうのは、かぎりなく自然に近づいていくもんだ。要するに、みんな俺の親父みたいになっていくっていうことだよ。よく考えると、俺たちの世代はみんな、こんなにたくさんの種類のケーブルやコネクタを習得して使いこなしていたのだが、あれがぜんぶUSBになり、そのうちUSBもなくなって全部無線になると、何百万人もの俺たちの世代の連中がやっていたあの複雑でややこしくて非人間的で(そして寝るのを忘れるほど楽しかった)「努力」は、ぜんぶムダだったっていうことになるわけだ。
もっと極端にいえば、ここ数十年、人類はマウスとキーボード越しに情報を集めたり何かを表現したりしてきたのだが、そのうちこんなもの全部時代遅れになるにきまっている。
たぶん、iPadの次はiMacが全面タッチパネルになって、机に垂直に置くのではなく、机の面に水平に、ちょうどいまキーボードやマウスが置かれているところに置くタイプのやつが出てくると思うよ。表面が手垢でべとべとになりそうだけど。それか、本体は今のままで(その方が映画とか見やすいからな)、キーボードが消滅して、かわりにコンテクストによって異なるボタンやキーボードが表示される、iPadぐらいの大きさの操作パネルになるかもしれない(それに近い製品はすでにある)。
まあたぶん、すでにおんなじようなことは言い尽くされてるんだと思いますけども。いやーしかしiPad を見てまっさきに思い出したのが上記の親父との会話だ。同時に、デジカメに写真を入れっぱなしにしてる学生のことも思い出した。でも、親父や学生は「遅れてる」んじゃなかったんだよ。機械の方が未熟なだけだったんだ。
まあでも学生さんたちはもうすこしパソコン使った方がええと思いますけども。




















































