sociologbook

いまH急メンズ館が(ある意味)熱い!

  • 2008.02.29 Friday 17:48
さいとうが妙に「H急メンズ館」に行きたがっていたのだが、断固拒否していた俺だ。だって嫌やんそんなとこ! オトコの癖に服とかかまってんじゃねーよ! いや俺だって服好きだけど、そういうのは一人で孤独に楽しむものであって、大人は「メンズ館」みたいないかにもお誂えされたみたいな恥ずかしい場所には行かないもんだよ! とか言うてたら、いま研究室にいるんですが、梅田で買い物してるさいとうから携帯メールが飛び込んできて、「きしどんが行きたがらなかったの正解! いまH急メンズ館にいるんだけど、歩いてる男の人がみんな面白すぎ!」だと! 

電話で詳しく聞くと、四十代とか五十代のいい大人がピッチピチのジーパン履いてチョッキ着てるし、若い男の子が男性向けエステやコスメのカウンターに群がってるし、いかにも「俺キメてるんだぜ」みたいな人ばっかりだそうで、さいとうは笑いをこらえるのに必死だったそうです。

というわけで、俺は絶対に足を踏み入れませんけど、誰か勇気のある人、詳しいレポートしてくれませんか? できれば写真付きで。しかしこの国はどこへ向かっているのだろうか←別にどこへも向かってませんよ。





大後悔時代

  • 2008.02.27 Wednesday 01:39
科研の出張で沖縄に行って資料収集をしたのだが夜はマリーンだらけのコザのライブハウスでテキーラ飲んで泥酔したりとか(ちなみに夜中の3時ぐらいまで飲んだんだけど、その夜が明けるとマリーンが二人逮捕されていてまた問題になっていた(笑))、その直後にゼミの卒業旅行で台湾に行ってなぜかさいとうもついてきて学生ほったらかして二人でこっそりうまいもの食ったりとかしてるあいだに、ふと気がつくとすっかりここの更新を忘れていた。ミクシもついったーも放置していた。沖縄でも台湾でもくだらないものばかり写真に撮ったのでそのうち載せますが、えーと明日は関大時代の元学生さんが遊びにくるので明後日かな。まあそれはさておき! 聞いてくださいよ! もろもろの旅行から帰ると雑用が山積みしてるわけですよ。それで書評も2本ほど書かないと行けないんですが、今日は昼からその仕事しようと思って、それで研究室がある山奥大学秘境学部まで片道1時間半以上かかるし、家の近所でどっか落ち着ける場所で仕事しようと思ってさいとうと一緒に近くのネットカフェに行ったんですよ資料も持って! そしたら3時間パックの最初から最後まできっちりウシジマくんを読み耽ってしまいましたよ! そのあと帰ってきて家事労働してたら夜中ですよ! ほんと俺って仕事できねーわ! 死ねばいいのに! うそ。永遠に生きるぞ。

いやーウシジマくん面白いよね。貧困の殺伐とした感じがよく出てるよね。ああいうの社会学で描けないよね。貧困とか差別とかストレートにエスノグラフィーで書いちゃうと「カテゴリー化」とか言われるので、嘘でも抵抗とかコミュニティの連帯とか人々のたくましさとかっていうオチにしないとダメなのよね。でも貧困って殺伐とするもんなんだけどね、本当はね。俺は知ってるんだよ(笑)。そーいや昔 Social Problems でそんな論文あったなあ。ヒスパニックの移民社会の参与観察で、コミュニティ万歳のよくある研究を批判して、ヒスパニック社会の「カネの切れ目が縁の切れ目」な事例を山ほど集めて、「お前ら移民社会がゲマインシャフトだとか共同体だとか一次集団だとか連帯だとかきれいごとばっかり言いやがって、エスニック・マイノリティの社会も結局カネなんだよ!」っていう論文。俺にとってはめちゃめちゃ面白かったけど、書いた人の名前をそのあと見ない(笑)。

マンガといえばアレだ、ハチクロの人がいま新しく将棋の話描いてるだろ。あれ面白いよな。それで1巻を買ったあと、連載されている『ヤングアニマル』とかいう雑誌を買ったのよ。さいとうが。DMC目当てという意味もあるんですが。ふだんマンガといえば田亀源五郎(柴崎教授のゼミに入りたい!)とか早見純(読むに耐えないのに買っちゃって、やっぱり読まずに隠してあるけど、やっぱりまた買っちゃう)とかグレゴリ青山(昔みたいにバックパックネタでまた描いてほしい)とか花輪和一(ここんとこ刑務所ネタばっかり使い回しさせられて可哀相)とか福満しげゆき(『生活』予想外に面白い。ガロ系の正統継承者)とか西原理恵子(愛してます)とかばっかり読んでて、下々の、もとい、最近の普通の若い衆が読んでるマンガからまったく離れてて、唯一例外は『鈴木先生』ぐらいかな。なんかでもアレ、教員が読むとリアルすぎてしんどいねんな。それでたまたま羽海野チカが連載してるヤングアニマルをさいとうが買ってきて読んだら、すげーーな!! さいきんの若い連中はこんなしょうもないもん読んでるのか!! 何にびっくりしたかというと『ふたりエッチ』。読んでて腰抜かしたぞおっさん。しかもウィキによると10年前から連載されていてコミックは37巻を超えその売り上げは累計2000万部!! いや知らんかった。うっかりしてましたおっさんは。あまりにもくだらなさすぎて逆にいろいろ考えた。フェミ的にはどうなんでしょうか。早見純ばっかり集めてる場合じゃねーな。とりあえず明日また近所のネットカフェで全巻読破してきます。だから仕事は?





今日の府知事

  • 2008.02.09 Saturday 20:22
おもしろい人だなあ。すぐムキになるタイプやな。正義感が強過ぎて、ついつい死刑とか核保有とか言うてしまうんやろなあ。まあ自爆せんように頑張りや。

産経関西-生放送でNHKを“口撃” 橋下知事、遅刻指摘され

生放送でNHKを“口撃” 橋下知事、遅刻指摘され
 大阪府の橋下徹知事は8日、NHKの「かんさい特集」に生出演した。番組は大阪市の平松邦夫市長らと討論する形で進められたが、女性アナウンサーの進行のやり方にキレて、ほかの出演者からたしなめられる一幕があった。

 番組はこの日午後7時半スタート。国会などへの就任あいさつのため東京を訪れていた橋下知事は、約30分遅れてスタジオ入りした。

 アナウンサーが「およそ30分の遅刻で到着されました」と冗談めかして紹介すると、「遅刻といってもこちらの責任じゃない。公務を優先していた」と表情をこわばらせて釈明。「もともと、番組の最初には間に合わないと申し上げていた」と声をあらげた。

 さらにアナウンサーが財政再建策にからみ、人件費削減の具体策についてしつこく質問すると、「決まっていた予算を数日でひっくり返し、検討しているので、そこまで言及できない」と不快感をあらわに。

 「NHKのインサイダー問題だって(内部調査に)どれだけかかってるんですか」と、今年1月に発覚したNHK記者らのインサイダー取引問題を引き合いに出し、やり返した。

 (2008/02/09 10:00)


asahi.com:橋下知事初会見、強気の姿勢で応酬1時間 - 政治

橋下知事初会見、強気の姿勢で応酬1時間
2008年02月06日23時14分

 「戦場のつもりで記者会見に臨む」「無意味な質問は容赦なく論破したい」。知事としての初めての記者会見。橋下知事は強気の姿勢で次々と記者の質問に答え、1時間あまりの会見を終えた。

 会見冒頭、橋下知事は「財政非常事態宣言」を読み上げ、「私の掲げた重点施策も計上できない」と表明した。選挙戦で掲げた公約をあっさり見送り、「お金のかからない範囲で公約実現に取り組みたい」と語った。

 記者の質問が殺到したのが「府債発行ゼロ」方針。既に地方交付税で補われる臨時財政対策債などは容認姿勢を打ち出し、発言に揺らぎが見える分野だ。橋下知事は会見で建設事業のための府債も「必要性と根拠を吟味したい」と起債容認ともとれる発言をしつつ、「原則は認めない」との姿勢は崩さなかった。

 一方、歳出削減の焦点となる人件費削減については「具体的な指示はしていない」と明言を避け、大幅な歳出削減の方法ははっきりしないまま。以前、口にした予算編成の知事査定の公開も「どの段階から公開するか明確にしないといけないので基準を明確化していく」と語るのみだった。

 「私は52代目の知事。51代目までの政治方針は今日を持って大転換した」。威勢のいい「橋下節」の実行度は今後、週1回の記者会見で徐々に明らかにされていく。


asahi.com:橋下知事、石原都知事に就任あいさつ - 政治

橋下知事、石原都知事に就任あいさつ
2008年02月09日03時32分

 大阪府の橋下徹知事は8日、東京都庁に石原慎太郎知事を訪ね、就任のあいさつをした。橋下知事は約35分にわたって「石原流」の知事の心構えや役人操縦術を聞き、「一言一句すべて勉強になった。ノートにとったのはもう何十年ぶりか」と絶賛。今後、東京都との連携を強めていく考えも示した。

 府によると、石原知事との面会は橋下知事の要望で実現。内容は明らかにされていないが、石原知事が経験に基づいた様々な助言をしたという。

 面会後、橋下氏は「東京が一人勝ちのような状態。東京と大阪、東日本と西日本が盛り上がることで日本が盛り上がる。できる限り東京都と連携したい」と語った。

 一方、石原知事はこの日の定例会見で「官僚出身や学者出身の知事はダメ。前の知事は通産(省)出だから、役所に気兼ねして言えない。弁護士は融通無碍(ゆうずうむげ)というか臨機応変だから。期待している」と語った。ただ「(役人に)早くもだまされているところがある」と就任3日目の橋下知事に心配顔も見せた。

 橋下知事はその後、外務省も訪問し、「大阪はアジアの外交の窓口」と協力を要請。大阪出身の中山泰秀外務政務官、薮中三十二事務次官が出迎え、今後、月1回をめどに「お好み焼き」で懇親を深めるという。


この2ショット嫌や〜〜(笑)





「回復」はイデオロギーか?

  • 2008.02.08 Friday 09:54
ここんとこずっとそれなりに忙しく(いや外資系とかマスコミほどじゃないですが)、本来の研究テーマである沖縄やら差別やら以外はおろそかになってしまい、摂食障害の業界からも遠ざかっていた。

摂食障害の業界から遠ざかっていたのはもうひとつ理由があって、そこがあまりにも「癒し」と「スピリチュアル」な文化に染まっていたからだ。最初はこういうのも必要なもんなんかと思ってたけど、あまりにあまりだったのでそのうち違和感を感じるようになった。違和感っていうか、腹立たしさというか。

パステルカラーの癒し文化に完全に占拠された摂食障害の業界では、皮肉にも当事者主権を訴える医者が大きな権力を握り、それに群がる癒し商売の業者がぼろ儲けをしている。必死になっている当事者や、それとおなじぐらい必死になっているその親たちにつけこんで、いつのまにか「業界」というものができあがっているのだ。

かなりあしょっぷのような良心的な自助グループも存在するのだが、ちょっとずつ関わっているうちに業界全体に強い違和感を抱くようになり、調査や研究がしんどくなって、自然と遠のいてしまった。

という業界の全体像を俺に教えてくれたのが、この人。

ぷにっき

前の方をちょっとずつ読んでいくとわかりますが、癒し文化と闘う摂食障害研究者っていうか活動家っていうか。抵抗するかなりあちゃん。大阪市大のマスターをこの春修了。

ついに修論が完成! さっそく読ませてもらった。

文章もぎこちないし分量も少ないし調査も不十分だし、理論的考察や先行研究のレビューも足らんし、何より話があっちこっちいって飛躍しまくってたけど、何より面白かった。昔から感動すると爆笑する妙な癖があるのだが、たとえばショスタコーヴィッチのバイオリン協奏曲1番とかチェロ協奏曲1番なんかゲラゲラ笑いながらでないと聴けないんですが、この修論も仕事帰りのJRの中でゲラゲラ笑いながら読んだ。さいきんはどうもアレだ、プロの学者が書いたものよりも、学生の卒論とかこういう修論とかの方が勉強になってるような気がする。いやほんと、こういう荒削りだが社会学的アイディアに満ちあふれたテクストを誰よりも先に読めるというのは幸せな体験である。

「詳しく書くな!」って言われてるから簡単にご紹介。一言でいえば、上で書いたような摂食障害業界が抱える問題点を厳しく批判したのがこの修論だ。なんでここまで強烈に批判するのかっていうのは、外から見てる人にはよくわかんないかもしれない。ちょっとググればなんとなく雰囲気はわかると思いますが。

摂食障害の先行研究をレビューしながら、
・ジェンダーの視点はあるが階級の視点がない。実際にアンケート調査したところ、6割以上が不安定就労層。今後は摂食障害と貧困との問題について議論が必要。
・先行研究はどれも「回復モデル」を提示しているが、それは危険。
ということを主張。

前者の点については残念ながら指摘しただけで終わってしまって、議論がぜんぜん発展してないけど、面白かったのは後者の点。

著者は、(俺もついついやってしまっていた)摂食障害の研究における「回復プロセスのモデル化」というもの自体を強烈に批判する。それは「回復のイデオロギー」なのである。

どういうことか。以下は俺の(創造的(笑))解説。

回復という概念がどうしてイデオロギーとして働くかというと、そもそもその実体が存在しないからだ。摂食障害という「病」は、精神的な病気として捉えられているが、その原因も治療法も存在しない。それどころか、食事行動の異常という以外にこの「病」の典型的な症状像さえまだ確立していないのである。

こういう状況においては、「回復とは何か」「どうすれば回復できるのか」と問いかけた瞬間に、どう言うたらええかな、ある種の「社会学的トラップ」にはまりこんでしまうのである。

回復というものは、そもそも問うまでもない自明なものであるべきだ。誰も風邪について、何が回復か、どういう状態になれば回復したのかと問う人はいない。でも、摂食障害では、まさしくこのことがおこなわれている。医学がまったく役に立たないのである。

さて。それについて問う、ということは、誰かがそれを定義しなければならない事態になる、ということである。

もう少し正確にいうと、さまざまなプレイヤーが回復の定義というゲームに参加するようになる、ということかもしれない。

そうしたゲームのフィールドでは、回復の定義は誰もができることではないから、必然的に権力を握るものが定義をおこなうことになる。そうするとどうなるかというと、とりあえず現時点で最も大きな権力を持っている医者が、摂食障害からの回復を自分の都合のいいように解釈し放題になる。治療というものも同じように何でもありになってくるから、東洋医学や代替医療、はては怪しげな癒し系セラピーやらスピリチュアルなんとかみたいなものがセットになってくる。

そして、こういう「薄められた医療」は、皮肉なことに当事者主権やコミュニケーションの重視、あるいは「近代医学に対する批判」(笑)みたいなものと仲良く手を取り合っていることさえある。摂食障害の治療は「全体的」(ホーリスティック?)なものであって、患者をメスで切り刻むような近代主義医学とは違いますよ、というわけだ。なんか知らんけどいつもこれを「全体主義」と読み間違えるんだけど(笑)。

ここから、「治らないことも回復のプロセスの一部」のような馬鹿げた話が出てくるわけだ。こういうナラティブは、ちょっと検索すればいくらでも出てくる。もはや摂食障害の業界ではスタンダードな解釈になりつつある。

たとえば、なかなか回復しないと、「今のあなたには(食行動の異常は)必要なプロセスなんですよ」とか言われる。つまり、摂食障害は「自己」の何らかの障害だと考えられているのだが、その自己が成長なり回復なりする過程において、拒食や過食が「必要」な通過地点だとされてしまうのである。もしこの考え方が正しいとすると、治っても回復、治らなくても回復ということになり、どっちにしても医者は自分たちの権威を守ることができる。ここでは「医療過誤」「医療ミス」というものははじめから存在しないのである。

あるいは、摂食障害を「コミュニケーション上の障害」と捉えてしまうと、治らないからといって医者に対して抵抗すると、「他者に対する信頼が足りない」という症状の一部として解釈されてしまう。「それだけ他者(この場合は要するに医者だが)を信頼できないから、いつまでたっても摂食障害が治らないんですよ」と言われてしまうのである。

ていうか、医者が当事者にむかって公の場でこれと同じことを発言する現場を俺自身何度も見た。たとえば被差別部落民に「差別に対して怒ったりするから、よけい差別されるんですよ」と、公の場で市長なり知事が発言している、という場面を想像してほしい。現実社会だったらまず一発でアウトだが、摂食障害の業界では不思議とこういうことを言うと「あの方は良いお医者さん」と言われてしまう。

回復がこのように広く定義されてしてしまうと、もう権力に対抗する手段はない。われわれが医療に対して抵抗できるのは、治らなかったとき、つまり支出に見合うサービスが得られなかったときだが、治っても治らなくても回復とされてしまうと、われわれの側から医療を批判することは原理的にできなくなるのである。

そのうえ、こうした広すぎる回復の定義は万能であって、たとえば治らないことを患者のせいにすることもできる。このときに、上記の「薄められた医療」は、一見すると当事者主権やコミュニケーションの重視のような口当たりのよいことを主張してるんだけど、いったん患者が抵抗してくれば、すぐさま「だからあなたは治らないのよ」と反撃してくるのだ。摂食障害の医療が当事者主権やコミュニケーションの重要さを声高に主張するのは何も当事者のことを思ってのことではなく、医療に当事者を参加させることによって患者に連帯責任を押し付ける、医者にとってはまことに都合のよいことなのだ。最初から権力の範囲が限定されていないのである。

ていうか医者嫌いが症状だっていうんならそれも治せ(笑)。

回復というイデオロギーは何も医者によって独占されているわけではなく、一般の自助グループにも浸透しているし、社会学者も往々にしてこういうことを言ってしまう。でも、もう長くなってきたのでこのへんの議論は端折りますが、回復のプロセスについてどういう言い方をしても、当事者にとってはある種の押しつけになってしまって、そうすると必死で回復を模索することが、なんか逆に重い負担になっちゃったりして、このへんはほんと難しいですな。でもそういうときに東洋医学とか安易に持ってくる医者が「無理に回復をめざしたらダメですよ」という命令を出したりして、もっすごいダブルバインドていうか、お前は禅か(笑)。医者が当事者に回復を目指すなとか言うて、訳わからんわ。

さてさて。以上のように、近代医学によって「病」として処理できない部分がどうしても残る摂食障害だが、そのことが医者の権力を限定するのではなく、むしろ逆に、症状や回復の定義を都合のよいように操作することによって医者の権力が無限定に強くなる。そしてこのことはもうひとつの帰結を生む。癒し業者とスピリチュアル業者による「摂食障害の商業化」「摂食障害ビジネスの誕生」である。

これは保健医療の自由化ともからむ問題なのだが(実際に俺は「中の人」から、摂食障害を診察する医療機関や関係業者の団体が必死に医療の自由化を要求しているということを聞いたことがある)、有効な治療法がまったく確立されていない状態でも医者が何らかの治療法を提示せざるをえないとき(それはそれで医者も可哀相だなあとは思うが)、代替医療はまことに都合の良い選択肢となりうる。実際に、全国規模でおこなわれる摂食障害のシンポジウムのロビーで、アロマだのレイキだのの癒し業者やスピリチュアル業者のブースが何百と設置されて、旺盛な商売をしているのを何度も見たことがある。

でもまあ、癒しやスピリチュアルに関しては、最近では細木も江原も叩かれているようであるし、そのうちマシな状態になると思いますけど、今でもけっこう怪しい業者が堂々とそういう場に食い込んだりはしてます。

全体として、回復の定義を握る医者には、少なくとも回復を目指す限りは絶対に抵抗できないようになっているし、家族との葛藤も治療プロセスのなかで儀式化されて「母親との対立は回復にとって必要な段階云々」みたいな言い方で毒を抜かれ、そこへ持ってきて(かなりあ以外の)一部の自助グループはミーティングにおけるコミュニケーションに様々な規制をかける(例えば「言いっぱなし聞きっぱなし」のルールなど)ことで多様性や翻訳不可能性や確執やトラブルに蓋をする。どうしても辛くて我慢できなくなっても、それは「まだあなたの『自己』が傷ついているからですよ云々」とか言われて、アロマセラピーに連れていかれて「さあここでいい匂いでも嗅いで我慢してね」。親はそれぐらいで治るんなら、と100万単位のカネを出す。

すげえよな、カウンセリングとか診察とか自助グループとか、当事者の話を聞く体制がこれだけできあがっているのに(笑)。

しかしアレだな、この話してるとキリがないっていうか、次から次にいろんなネタが出てくるなあ。例えば「摂食障害の女性は豊かな家庭の美人が多い」という都市伝説。なんか劇団とかやってる精神科医が新書で堂々とこれを書いてるのをみてガックリきたことがありますが、美人かどうかはおいといて(笑)、豊かな家庭が多いようにみえてるのは、まともな治療法がないのに医者や業者に言われるままにカネを払うことができるのがそもそも豊かな家庭の娘でしかないからだ、ということが、何でわからんのかね? この修論のアンケート結果からみても、貧困層がけっこう含まれてるんだけど、そこを治療しても儲からんから、そもそも目にも入らないんだろうか。

ということだ。いやしかし過激な修論であった。面白かったぞ、よく書いたな。

まあ、実は俺の感想というか不満というか批判はたくさんある。たとえば回復という概念をイデオロギーとしてまるごと批判しちゃうと、そのあといろいろしんどいぞ、とか。あと、権力に抵抗する必然性というかその効用もよくわからん、実は。ただ、「なんかあんまり好ましくないことが現場で起こっているんだなあ」ということは、これ読めば想像できる。

しかし一番の問題は、こういう過激な議論は、回復を目指して必死になっている当事者から最も抵抗されるんだろうなあということですな。このへんのことは自分でも自助グループなどを運営している著者さんはいちばんよくわかってると思うんだけど。

えーとこれ出版するべきだと思うんですが、どうですかね、出版社の方。さいきんスピリチュアルとかよく批判されてるし、それと摂食障害とつなげて、医療システムの矛盾を批判するとかって、うけると思うんですが、どうですか。

ちなみに著者は、さいきんプレカリアート論で有名になって現代思想やインパクションでよく登場している櫻田和也氏の配偶者でもある。いま「日本で一番面白い夫婦」かもしれない。