例の
裸祭りのポスターについて。
もちろん、「女性が不愉快だから」というのはおかしい。男性だってあからさまに性的なものを見させられると不愉快ですよ。
うーん、しかし、何よりも「面白い」話題ではあるんだけど、ちょっと考えるといろいろ複雑だなあ。俺はあんまりこういうものを電車のような公の場では見たくない。
まず最初に思い浮かぶのは、「表現の自由は守られるべき」ということだが、これは言うまでもなく論外だ。表現の自由は、それを見たくない人に対してまでも無理矢理見せつけることができるほど強い権利ではない。
次に「伝統芸能に対する抑圧ではないか」という意見。これもよくある議論だ。たとえば女子割礼に関する議論を思い出してほしい。あるいはイスラム世界での「名誉の殺人」。伝統的習慣だからといって何でも無条件で許されるというわけではない。そもそも部落差別は日本の伝統的習慣、特にケガレ意識と深く結びついている。この場合、優先されるべきは部落民の人権であって、伝統的習慣(に根ざした差別意識)ではない。もちろんこれは強調しておきたいのだが、あのお祭り自体に何も罪はない。というか面白そうなのでぜひ行きたい。問題はあのポスターをそれで擁護できるかどうか、という話。
あるいは、「性的な表現に対する神経症的な忌避と抑圧は人間性の否定」という、何というかいかにも左翼インテリな意見。これについてはセクハラの問題を考えればよい。いまや職場や学校のような公的な場では性的な表現は慎まれるべきだという方向で社会的な合意が形成されつつあるのである。もちろん個々の下ネタ的表現は自由だが、積極的に擁護されるようなものではないし、公的な場所での性的表現は基本的に不愉快なものだからこそ批判されているのではないだろうか。まあ俺もゼミとか講義中についつい下ネタ連発したりしてますがね。
同じような論点だが、「あれは性的な表現をしようと意図したものではない。したがってそれは性的表現ではない。それを性的なものとして受けとる方がおかしい」。これにも疑問の余地がある。確かにこのポスターは、まったく性的な行為では
ない行為を写真に撮ったものだが、編集によっては性的な
印象を与えるかもしれない、ということには当然気付くべきだ。実際、制作側がそれに気付いてあえてインパクトのある表現を選択したという推測も十分に可能だ。わかってやっているのではないか、ということだ(断定はできないが)。また、もしまったくわかってやっていないのなら、あんまりこういう言い方をしたくないのだが、まともな社会人としての判断力が疑われるだろう。また、性的に受けとる方がおかしい、という意見は、セクハラされた被害者に「気にするな」と言うのと同じだ。
あるいはまた、「同性愛者に対する差別だ」という考え方はどうだろう。もしこれを本気で言うのなら、少なくとも性的なものとしては認めていることになる。問題は、異性愛的であろうが同性愛的であろうが、とにかく性的な表現を公的な場所でやるのはやめてほしい、ということであって、この主張はまったく同性愛者に対する差別抜きでおこなうことが可能だ。ただ、このポスターについて、
単に男の胸毛だから気持ちが悪い、という言い方をすれば、それは立派な同性愛差別である。その意味で、この写真に写っている方本人に対しては何ら非難されるべきものは無い。もしあなたが男性で、女性の裸が掲載されているスポーツ紙を電車の中で堂々と読むことは何とも思わないのに、このポスターだけを否定するのなら、あなたは同性愛差別者である。ちなみに私は女性の裸の写真を公の場で見たいとはまったく思わない。
最後に「ああそうさ性的な表現さ。でも公的な場所であえて性的なものをさらすことで、近代的ジェンダー規範を乗り越え云々」という過激な意見。これはさすがにアナーキーすぎるが、そういう主張をする人々がいることは(職業柄(笑))知っているし、主張そのものも理解できないことはない。ここで「見たくない人の目からは隠されるべき」というゾーニングというかセグリゲーションをするとその主張のアナーキーさそのものが台無しになってしまうので、あえて不愉快な道を選ぶということなのだろう。ただ、それを不愉快に思う自由を侵害してまでもあえてそれをする根拠を十分に示すことができるかどうかは疑問。というか、ここまでくるともう完全にあのポスターは性的なものだと認めてるわな。
とまあ、ざっとこんなことを思うんだけど、そういう俺も性的な表現については真面目に追求しているし、そこらへんの奴よりもかなり詳しい方だと思う。学生に対してこういう表現を見せたりすることもある。ただ、それもすべてちゃんと同意と理解と納得があった上でのことで、たとえば都市部の混雑している電車の中吊り広告だと、ぎゅうぎゅう詰めになっている乗客にとっては「それを見ない」という選択肢は事実上与えられていない。だから、諸手をあげて検閲を認めるわけでは決して無いが、積極的にこのポスターを擁護する気にもならないのである。
とか言いながら、まだいろんなものがもやもやしている。やっぱり検閲は認めないという強い態度でいた方が、結果として今のご時世ではバランスが取れるのかもしれない、などと思ったりとか。なにかご意見があればぜひ。