今年もまた四月がやってくる
- 2007.03.30 Friday 11:27
さようなら
いいなあコレ。俺は逆だったけどね。実家を離れるのが100%楽しみでしかなかった。年老いた犬とまだ若い黒猫を置いていくのだけが気がかりだった。特に猫は俺が拾って俺の部屋で飼ってたからなあ。半分外猫になってたけど。ちなみに「ねこ」っていう名前を付けた。年老いた犬っていうのは、日本に最初に入ってきたミニチュアシュナウザーの家族のひとり。まだ一般にはまったく知られていなくて、よく散歩中に「これなんて犬?」って聞かれたもんだった。犬は大学一回生のときに、猫は29歳のときに死んだ。
名古屋の実家で過ごした最後の夜のことは自分でもおかしいほど覚えていない。というか、そういう「最後の夜」があったはずだ、ということに、上記のエントリを読んで今はじめて気付いたぐらいだ。まったく受験勉強をしなかったのだが、不思議なことにいくつかの大学に合格した。東京の大学もいくつか合格してたけど、とにかく受験で訪れた大阪がすぐに好きになり、迷わず関西大学を選んだ。いまだにこの選択をした自分に感謝している。小学校のときから関西系の作家の小説ばかり読んでいたことも大阪を選んだ理由のひとつで、すでに引っ越す前から関西のだいたいの地理や歴史は頭に入っていた。とにかく都会で一人暮らしをするのが楽しみでしかたなかった。
大学では軽音に入ったがろくに楽器も弾けないような先輩が威張っているのに呆れ、友人数人で独立してジャズ研をつくった。このジャズ研は今でも存在する。同期には何人か天才がいて、今から考えてもレベルの高いサークルだったと思う。このサークルからは何人もプロのジャズミュージシャンが生まれている。二回生ぐらいから俺もいろんな店でギャラを貰ってウッドベースを弾くようになり、四回生ぐらいからしばらくはセミプロのような生活をしていた。でもベースを習った師匠があまりにも偉大すぎて100万年かかってもこの人を超えられないことに気付き、大学院をめざすようになった。
ジャズの仕事をする、ということは、大阪や京都や神戸の夜の世界に生きる、ということで、場末のキャバレーのバンドマンやミュージシャン仲間に連れられていろいろ怪しい店で飲んだくれて道頓堀や千日前や梅田や元町や木屋町あたりで朝を迎えるというのを週に二、三回、そういう大学生活だった。
カネはなかったけど、いつでも梅田やミナミに行けば誰か知り合いがいて、世界中の本が売られていて、何十年も前のヨーロッパの映画が上映されていて、店は朝まで開いていて、ホストや芸人やヤクザや娼婦や、あるいはもう何やってる人かよくわかんない人がたくさんウロウロしてて、北浜や中之島には美しい建物がいっぱいあって、十三や京橋や天王寺あたりはほんとに危ない雰囲気で、いろんな女の子と仲良くなって、いやあ楽しかったなあ。
今はもう、そういう都市との付き合い方はしなくなったけど、大阪に限らずやっぱり都会はいいですな。
この四月に都会へやってくる若者に、とにかく頑張れ、何かよくわかんないけどとにかく何か頑張れ、と言いたい。
いいなあコレ。俺は逆だったけどね。実家を離れるのが100%楽しみでしかなかった。年老いた犬とまだ若い黒猫を置いていくのだけが気がかりだった。特に猫は俺が拾って俺の部屋で飼ってたからなあ。半分外猫になってたけど。ちなみに「ねこ」っていう名前を付けた。年老いた犬っていうのは、日本に最初に入ってきたミニチュアシュナウザーの家族のひとり。まだ一般にはまったく知られていなくて、よく散歩中に「これなんて犬?」って聞かれたもんだった。犬は大学一回生のときに、猫は29歳のときに死んだ。
名古屋の実家で過ごした最後の夜のことは自分でもおかしいほど覚えていない。というか、そういう「最後の夜」があったはずだ、ということに、上記のエントリを読んで今はじめて気付いたぐらいだ。まったく受験勉強をしなかったのだが、不思議なことにいくつかの大学に合格した。東京の大学もいくつか合格してたけど、とにかく受験で訪れた大阪がすぐに好きになり、迷わず関西大学を選んだ。いまだにこの選択をした自分に感謝している。小学校のときから関西系の作家の小説ばかり読んでいたことも大阪を選んだ理由のひとつで、すでに引っ越す前から関西のだいたいの地理や歴史は頭に入っていた。とにかく都会で一人暮らしをするのが楽しみでしかたなかった。
大学では軽音に入ったがろくに楽器も弾けないような先輩が威張っているのに呆れ、友人数人で独立してジャズ研をつくった。このジャズ研は今でも存在する。同期には何人か天才がいて、今から考えてもレベルの高いサークルだったと思う。このサークルからは何人もプロのジャズミュージシャンが生まれている。二回生ぐらいから俺もいろんな店でギャラを貰ってウッドベースを弾くようになり、四回生ぐらいからしばらくはセミプロのような生活をしていた。でもベースを習った師匠があまりにも偉大すぎて100万年かかってもこの人を超えられないことに気付き、大学院をめざすようになった。
ジャズの仕事をする、ということは、大阪や京都や神戸の夜の世界に生きる、ということで、場末のキャバレーのバンドマンやミュージシャン仲間に連れられていろいろ怪しい店で飲んだくれて道頓堀や千日前や梅田や元町や木屋町あたりで朝を迎えるというのを週に二、三回、そういう大学生活だった。
カネはなかったけど、いつでも梅田やミナミに行けば誰か知り合いがいて、世界中の本が売られていて、何十年も前のヨーロッパの映画が上映されていて、店は朝まで開いていて、ホストや芸人やヤクザや娼婦や、あるいはもう何やってる人かよくわかんない人がたくさんウロウロしてて、北浜や中之島には美しい建物がいっぱいあって、十三や京橋や天王寺あたりはほんとに危ない雰囲気で、いろんな女の子と仲良くなって、いやあ楽しかったなあ。
今はもう、そういう都市との付き合い方はしなくなったけど、大阪に限らずやっぱり都会はいいですな。
この四月に都会へやってくる若者に、とにかく頑張れ、何かよくわかんないけどとにかく何か頑張れ、と言いたい。




