こんな大人になっても 夢の中の私は子供で
いつも道のすみに かくれている。
何が不安なんだろうと自分に聞けば
「ぜんぶ」
とゆう答えが返ってくる。
ただひたすら悲しい話が続く。わかっていても泣いてしまう。展開も結末もぜんぶわかっていても、それでも泣かされる。この作品では笑うところはないし、下層社会をのぞき見る面白さもない。ただひたすら悲しい。どうしてかっていうと、たぶん女たちの物語だからだ。これまで西原はいろんな人々を描いてきたけど、この作品ではほぼ女性しか登場しない。地方で下層で女性、となれば、もう笑うところはない。西原もこれ描いてて楽しかっただろうか。何を思いながら描いてたんだろうか。娯楽作品として成立しうるぎりぎりのところだ。
たぶん『ああ息子』『ああ娘』と合わせて読むと世界にひろがりが出るんじゃないでしょうか。西原の作品に出てくる男はみんなADHDで女はみんな共依存だ。
なんの価値もない自分を愛してあげるのは難しいし、人から愛してもらうのはもっと難しい。
恥ずかしながら持ってなかったので買ってみた。期待しすぎた。いやすごい面白かったんだけどね。ホームレス生活、日雇い生活、アルコール依存症生活の三つの部分に分かれてるが、そのうちの後の二つはよく知ってる世界なんだよな(笑)。残りのホームレスに関しても、あまり知られていない作品だが、
青木雄二の『さすらい』の方がリアルで面白い。作者の体験かどうかは作品としてはこの際関係ない。まあそんなことよりもちょっと気になることがある。あとがきのとりみき氏との対談で。
とり ……でも逆に、そういうのをギャグにしちゃわないで、パンツの中まで見せて、ドロドロした部分もさらけ出したほうが凄いとか言われがちじゃないですか。評論家とか、実作者でも。……僕はそれ、絶対に違うと思うんです。それを一旦ギャグにして出すという、その辛さ、芸として見せることのほうがいかに大変なことかと思うんですけど。(p.196)
「実体験」を描くときにどこまでナマっぽくするか、っていう問題は、表現者なら誰でも悩むところなんだろうけど、それにしても最近はこういう「ちょっと引くのが偉い」っていう話ばっかりじゃないですか? とりみき氏は逆だと考えてるみたいですが、「ドロドロした部分もさらけ出したほうが凄い」って言ってる評論家って、誰だ?
これは
花輪和一の傑作『刑務所の中』の、呉智英の解説文。(ハードカバーの方。文庫版の方は未入手のため収録されているかどうか不明)
……しかし、圧倒的に多いのは、……刑務所の抑圧性を批判し、獄吏の横暴を告発したものである。一冊の本にまとまったものではなくとも、左翼系の雑誌記事や小冊子には恒常的に見られる。/これらは決まって面白くない。……それでも判で押したような告発調の獄中記が次々に出るのは、政治的主張と個人の怨念からである。/花輪和一の獄中シリーズが異色なのは、これらの告発ものと全く無縁なところである。といって、刑務所に入って罪を悔い改めましたというのでもない。懲りてはいるだろうが、さして悔い改めているようにも見えない。いや、懲りてさえいないかもしれない。……/ここに見られるのは、細部の記録への執着と改悛でも償いでもない不思議な心情告白である。これが従来の獄中記にはなかった。(p.237-238)
芸術作品に安易に登場する実存的な辛さ、政治的主張、個人的怨念への嫌悪感はまあ理解できますが、それにしても私は「判で押したような告発調の獄中記が次々に出る」のを今まで見たことがないのですが、私の勉強不足でしょうか。それとも私の知らない間に書店では大量の「左翼系の雑誌記事や小冊子」が山のように平積みされ、「告発調の獄中記」が次から次へと売れまくっているのでしょうか。
仮想敵の仮想具合にもほどがある(笑)。
何なんでしょうか、政治的なものや実存的なものに対するこういう無意味な嫌悪感は。
「丸出しが凄い」なんて言うてる人、いまどきどこにもおらんよな。おかげで読むもん読むもんぜんぶ乾いて客観的で淡々としててユーモアがあって控えめのもんばっかりになってるような気がするんですが私の勉強不足でありましょうか。
いやほんと、『刑務所の中』なんて、ぜんぜん淡々としてないっていうか、あの圧倒的な絵の驚異的な情報量(記憶だけで描いたらしい)に比べると、『失踪日記』はいかにも物足りない。いや十分面白かったんですけどね。
それにしても青木雄二の『さすらい』は今読むとかなり新鮮ですよ。
いやところで関係ないですが、いまどき左翼なんて批判しても、ぜんぜん面白くもないし新しくもない。むしろいまどき左翼や朝日新聞やフェミニズムや解放同盟なんて、どんなバカでも悪口が、いくらでも好きなだけ、安全な立場から言えるやん。面白いかそういうの。
作品そのものと関係ないこと書いてごめん。いやほんとに面白かったですよ。
あいかわらず手が早い(失礼)。ちょうど読みたいなあと思ったタイミングで読みたいものを出してくるねこの人は。ハマる人とハマらない人の違いは最後までわからなかったけど、さいきん猖獗を極めるスピリチュアル詐欺についてはたいへん勉強になりました。
ところでこの本の主人公のエハラさんとかいう人だが、面白かったのは、まだ売れないころの著作では社会性というか利他的な倫理を説いていたらしいんだけど、売れるために/売れてからは次第に世俗性というか利己的な現世利益に傾いていったらしい。それが最近になって、ご本人もいろんなインタビューや対談なんかでぼちぼちと原点に帰りたいなんて発言されてるみたいなんだけど、エハラ氏のファンはそれにはぜんぜん関心がなくて、相変わらずものすごい世俗的な現世利益ばっかり求めてくる、とか書いてあって面白かった。エハラさんご本人に少しだけ興味を持ちました。
編集はこのお方だそうです。いい仕事してはります。本って半分以上は編集が作るんだよね。
浜井と芹沢の主張がコンパクトに読めてお得な一冊です。中身に関しては何も言うことはない。犯罪は減少して治安は良くなってる(
たとえばこれ)のに「体感治安」だけアホみたいに悪くなってる。学生に強制的に読ませるリストに入れました(笑)。
『ニートって言うな』がもひとつ面白くなかったのは、というよりはあの後の議論が続いていかなかったのは、
いなばさんがいじめたからひとつには専門家が一般市民の間違いを指摘するだけに終わってしまって新しい社会問題を描けなかったことにあると思いますが、本書は一般市民の思い込みや間違いを専門的な立場から正しながらも、「不安」という新たな社会問題に目を向けさせてるのが上手い。もちろん安易な時代診断は他ならぬ本書の著者たちによって厳しく批判されてるんだけど、それでもあえていえば、ここで描かれているような「虚構の体感治安」という問題は、単なる一時的なものなのか、いつの時代にも起こっている普遍的なものなのか、それとも新たな社会変動を予感させるものなのだろうか。
ここで気になるのが、本書でも何度か登場する、犯罪被害者たちの政治権力への影響力だ。法廷や役所が、法の枠組みの中で紛争を調停する場所ではなく、何らかの道徳的な「善」を実現する場所として期待されるようになってきている。なんとなく戦後の浅田テーゼ以後の解放同盟を思い出させるような展開だが、これからどうなっていくんだろうか。犯罪被害という「絶対に癒すことができないもの」に基づいた社会運動は、これからどのような歴史を作っていくんだろう。
被害者たちが声をあげたことが大きな要因となって、世論が「加害者像の理解」から「被害者体験への共感」へとシフトしているようにみえる。他にも、個人的な印象だが、動物虐待や児童虐待に対する世間の理解も、ここ数年で劇的に進んだように感じる。これはあくまでも俺の個人的な直感なのだが、例えば児童虐待や子供への犯罪に対する感受性の深まりと、非婚化・晩婚化・少子化とは、マクロ社会学的につながっているように思える。犯罪への空虚な不安や、監視カメラへの素朴な信頼も、同じひとつの「流れ」のなかにあるのだろうか。
まあまあでした。