ソニー損保だったと思うけど、CMの女のひとがすっごいアヒル口なのが気になる(別に好きというわけではない)
- 2006.08.29 Tuesday 16:00
1965年ごろだっけ、アメリカで「ヘッドスタート計画」ってのがはじまって、マイノリティや貧困層の子供たちに教育補償をしようってことになった。それで例えば何やったかというと、強制バス通学とか、これは白人の子供と黒人の子供を一緒にバス通学させるという、なんかよくわかんない政策だったりしますが、まあ子供の教育におけるアファーマティブ・アクションです。で、その後、ジェームズ・コールマンっていう教育社会学者が「コールマン・レポート」という報告書を出して、この補償教育政策が、黒人や貧困層の進学率や就職率の改善にほとんど役に立たなかったことを暴露しました。
日本でもありますよ。これも60年代からだったと思いますが、大阪や京都には通称「同和奨学金」っていうのがあります(ました)。もう長い歴史を持ってます。「同和対策事業(いわゆる同対事業)」の一環です。同対事業っていうのは、1967年の「同和対策審議会答申(いわゆる同対審答申)」に基づいて68年にできた「同和対策事業特別措置法(いわゆる同対法)」に基づくいろんな施策です。被差別部落のなかに団地作ったり人権センター作ったり福祉施設作ったり銭湯作ったり(それまで銭湯さえ無かった地域が多かった)してます。
この奨学金は、ずっと給付(返さへんでもよい)だったんですが、20年ぐらい前から貸与(返さなあかん)になりました。
で、先日、この返さなあかんはずの奨学金がぜんぜんまったく返されてなくて、いまさら返せとも言えないので大阪市が債権を放棄したとか、京都市にいたってはいままで返した人がひとりもいない(笑)とか、そういうニュースが流れていました。関係ないですが、さいきん同和行政や解放同盟に対するネガティブキャンペーンが盛り上がってますな。まあ、大阪市も京都市も、骨が太い父と子と精霊がどうのこうのという政策のせいでいっぱいいっぱいのはずなので、同和事業については引き際を探っていたところに、うまいぐあいに朝日新聞や一部の関西の夕方のニュース番組なんかで反同和キャンペーンはってもらって、腹の中では助かったって感じちゃうかな。
話を戻しますと、こういう奨学金制度っていうのは、たしかに必要だったし(今も必要なままだと私は思いますが)、それによって大学へ進学することが可能になった、という人も多いわけで、非常に重要な役目を果たして来たということは否定できません。私は一般的に「同和施策は逆差別」というようなバカなことを言う人を信用しません。歴史見ろ。
ただ、運動として意味があったかなかったか、ということじゃなくて、感情抜きに冷静に客観的に、この奨学金がどのくらい有効だったか、を考えると、まあ統計にもよりますが、微妙な結果になってることを示す論文もあります(←微妙な書き方だが)。
それこそ統計の集め方や地域や時代にもよりますが、機会の平等を保証するための政策がどれくらい効果をあげているかというと、それは確かに部落内での進学率を劇的に上昇させましたが、それを上回る勢いで日本全体の進学率も戦後上昇してまして、結果として両者の格差は微妙に残ったままになってます。
まあ、だから何、ということもないんですが、なんとなく機会の平等を達成するよりも結果の平等を達成する方が、社会全体としてコストが少なくすむんじゃないか、と思ったり。
だって、機会の平等って何? 進学率? よくある話で、東大生の親は金持ちばっかりとか、でもそれって当たり前じゃん。東大ですよ東大。簡単に入れませんよ! ずっと前に「いやボクは他の人ほど勉強してませんよ」って言う東大の院生がいたんですが(ていうかよくいる)、「キミむしろそれは自慢してることにしかならんよ」と言うたら黙り込んでしまったことがあるんですが、まあこの話全然関係ないですが、そんなもん金持ちだったら自分のガキに金つぎ込むの当たり前やん? なんか知らんけど何ちゃら塾とか、進学塾入れるやん普通。そうすると、他の平均的な収入の家庭の子どもと、学力に差がつくの当たり前やん。機会の均等を保証するって、どうするの? 金持ちが自分とこの子どもにお金使うの、禁止するんか?
もっといえば、進学率をあげる方法って、ほんとにわかってるのか? というか、わしらは、ある集団の進学率をあげたりさげたりできるほど、自分たちの社会(経済じゃなくて)をコントロールできてるんか? そんなことできるんやったら、そもそも差別なんかなくなってるんちゃうか?(笑)
これは少子化問題でも同じで、育児や進学に経済的負担がかかることは事実だけど、じゃあそのぶん幾らか支給したからといって数字があがるわけでもないやん? 因果関係を逆にすることはできない、というか。
進学や結婚っていう社会的イベントって、たとえばポール・ウィリス的、バジル・バーンスタイン的、ピエール・ブルデュー的、オスカー・ルイス的な「下位文化」の問題だから、そんなに簡単に手が付けられないんだよ。
そういえば、いま被差別部落で問題になってることのひとつに流出・流入の問題があるんだけど、たとえば同和奨学金とかでいい大学に入った地域出身者はどうするかっていうと、都会や他地域に流出しちゃって、もとの地域社会に残らないんだよ。だから、一部の良心的な運動家のあいだでは、同和奨学金がコミュニティからの流出を促進してるんだ、っていう冗談が言われてたほどなのだ。
機会の均等を保証するって言うけど、具体的にどうやるのか、イメージが見えないし、どういう状態になったら成功といえるのかも、わかりにくい(進学してコミュニティから消えちゃうのが成功?)。だったらもう、社会的なことや文化的なことはほっといて、一律に生活保護の水準を引き上げるとか支給者を増やすとか、金持ちからたくさん税金取るとか、する方が簡単だしコストも安くすむんじゃないですか。
何が言いたかったかというと、「実はこっちの方がコストが安いから」っていう根拠で「結果の平等」を擁護する議論ができないか、と考えたってことなんですが、まあそんなことはもっと賢い人たちがとっくにやり尽くしているであろう。
ていうのを、これ読みながら考えました。
日本でもありますよ。これも60年代からだったと思いますが、大阪や京都には通称「同和奨学金」っていうのがあります(ました)。もう長い歴史を持ってます。「同和対策事業(いわゆる同対事業)」の一環です。同対事業っていうのは、1967年の「同和対策審議会答申(いわゆる同対審答申)」に基づいて68年にできた「同和対策事業特別措置法(いわゆる同対法)」に基づくいろんな施策です。被差別部落のなかに団地作ったり人権センター作ったり福祉施設作ったり銭湯作ったり(それまで銭湯さえ無かった地域が多かった)してます。
この奨学金は、ずっと給付(返さへんでもよい)だったんですが、20年ぐらい前から貸与(返さなあかん)になりました。
で、先日、この返さなあかんはずの奨学金がぜんぜんまったく返されてなくて、いまさら返せとも言えないので大阪市が債権を放棄したとか、京都市にいたってはいままで返した人がひとりもいない(笑)とか、そういうニュースが流れていました。関係ないですが、さいきん同和行政や解放同盟に対するネガティブキャンペーンが盛り上がってますな。まあ、大阪市も京都市も、骨が太い父と子と精霊がどうのこうのという政策のせいでいっぱいいっぱいのはずなので、同和事業については引き際を探っていたところに、うまいぐあいに朝日新聞や一部の関西の夕方のニュース番組なんかで反同和キャンペーンはってもらって、腹の中では助かったって感じちゃうかな。
話を戻しますと、こういう奨学金制度っていうのは、たしかに必要だったし(今も必要なままだと私は思いますが)、それによって大学へ進学することが可能になった、という人も多いわけで、非常に重要な役目を果たして来たということは否定できません。私は一般的に「同和施策は逆差別」というようなバカなことを言う人を信用しません。歴史見ろ。
ただ、運動として意味があったかなかったか、ということじゃなくて、感情抜きに冷静に客観的に、この奨学金がどのくらい有効だったか、を考えると、まあ統計にもよりますが、微妙な結果になってることを示す論文もあります(←微妙な書き方だが)。
それこそ統計の集め方や地域や時代にもよりますが、機会の平等を保証するための政策がどれくらい効果をあげているかというと、それは確かに部落内での進学率を劇的に上昇させましたが、それを上回る勢いで日本全体の進学率も戦後上昇してまして、結果として両者の格差は微妙に残ったままになってます。
まあ、だから何、ということもないんですが、なんとなく機会の平等を達成するよりも結果の平等を達成する方が、社会全体としてコストが少なくすむんじゃないか、と思ったり。
だって、機会の平等って何? 進学率? よくある話で、東大生の親は金持ちばっかりとか、でもそれって当たり前じゃん。東大ですよ東大。簡単に入れませんよ! ずっと前に「いやボクは他の人ほど勉強してませんよ」って言う東大の院生がいたんですが(ていうかよくいる)、「キミむしろそれは自慢してることにしかならんよ」と言うたら黙り込んでしまったことがあるんですが、まあこの話全然関係ないですが、そんなもん金持ちだったら自分のガキに金つぎ込むの当たり前やん? なんか知らんけど何ちゃら塾とか、進学塾入れるやん普通。そうすると、他の平均的な収入の家庭の子どもと、学力に差がつくの当たり前やん。機会の均等を保証するって、どうするの? 金持ちが自分とこの子どもにお金使うの、禁止するんか?
もっといえば、進学率をあげる方法って、ほんとにわかってるのか? というか、わしらは、ある集団の進学率をあげたりさげたりできるほど、自分たちの社会(経済じゃなくて)をコントロールできてるんか? そんなことできるんやったら、そもそも差別なんかなくなってるんちゃうか?(笑)
これは少子化問題でも同じで、育児や進学に経済的負担がかかることは事実だけど、じゃあそのぶん幾らか支給したからといって数字があがるわけでもないやん? 因果関係を逆にすることはできない、というか。
進学や結婚っていう社会的イベントって、たとえばポール・ウィリス的、バジル・バーンスタイン的、ピエール・ブルデュー的、オスカー・ルイス的な「下位文化」の問題だから、そんなに簡単に手が付けられないんだよ。
そういえば、いま被差別部落で問題になってることのひとつに流出・流入の問題があるんだけど、たとえば同和奨学金とかでいい大学に入った地域出身者はどうするかっていうと、都会や他地域に流出しちゃって、もとの地域社会に残らないんだよ。だから、一部の良心的な運動家のあいだでは、同和奨学金がコミュニティからの流出を促進してるんだ、っていう冗談が言われてたほどなのだ。
機会の均等を保証するって言うけど、具体的にどうやるのか、イメージが見えないし、どういう状態になったら成功といえるのかも、わかりにくい(進学してコミュニティから消えちゃうのが成功?)。だったらもう、社会的なことや文化的なことはほっといて、一律に生活保護の水準を引き上げるとか支給者を増やすとか、金持ちからたくさん税金取るとか、する方が簡単だしコストも安くすむんじゃないですか。
何が言いたかったかというと、「実はこっちの方がコストが安いから」っていう根拠で「結果の平等」を擁護する議論ができないか、と考えたってことなんですが、まあそんなことはもっと賢い人たちがとっくにやり尽くしているであろう。
ていうのを、これ読みながら考えました。








