想像された人生

那覇とか台北とか香港を歩いていると、こういう街の片隅の、誰も知らない路地裏に生まれて、ひっそりと暮らす人生もあったんだろうかと思うが、たぶん那覇や台北や香港に生まれて、そういう街の片隅の路地裏で暮らしていたら、たとえば大阪なんかに遊びに来たときに、「こういう街の片隅の路地裏に生まれて、ここでひっそり暮らす人生もあったんだろうか」と想像するだろう。

いま、大阪の片隅の、誰も知らない路地裏でひっそりと暮らしているが、これはもしかしたら、那覇や台北や香港に生まれた俺が想像している人生なのかもしれない。

どこに生まれていても、街の片隅の誰もしらない路地裏でひっそりと暮らすだろう。でもそれがどこでも、犬か猫は飼っていたい。

「セルヒオ君の証明」

先日、コロンビアで、ひとりの成績優秀な少年が投身自殺した。16歳だった。彼はゲイで、クラスメートの男子生徒と付き合っていることが学校にバレて、退学まで追い込まれた。そして恋人の両親が、彼を自分たちの息子に対するセクハラで告訴した。彼が自殺したあと、校長は彼の死を悼むどころか、「アナーキストの無神論者の同性愛者」と罵った。葬儀に参加したクラスメートたちは、学校を無断欠席した罰として土曜日の補講を言い渡された。

あまりにも悲痛なこの事件の記事を、友人のきじぇーろ君(@quilleroinjpn)が日本語に翻訳しました(日本語の文章表現は私が多少手直ししました)。

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「セルヒオ君の証明」

─セクハラで訴えられた息子の名誉を挽回するため両親が動く。16歳のセルヒオ君の自殺の経緯。

エル・エスペクタドール紙
2014年9月7日  11:28 AM

http://www.elespectador.com/noticias/bogota/pruebas-de-sergio-articulo-515085

「私の元恋人の両親が、セクハラで私を訴えました。そのことで、いくつか明確にしておきたいことがあって、手紙を書きます。手紙のかたちにするのは、私はもう自殺しているからです。私は、私の16年間の人生に、嘘に満ちた黒い汚点を残したくないのです。」

これは、セルヒオ・ウレーゴ君が自殺する1時間前に自宅に遺した遺書の冒頭部分だ。8月4日に彼は、ボゴタの北東部にあるショッピングモールで投身自殺した。世界中で40秒ごとに1人が自殺しているが、セルヒオ君もWHO(世界保健機構)が発表するこの無機質な数字のなかに入ってしまった。ただ彼は、そうする前に、ゲイであることで学校で受けた差別が、自分の自殺の原因であることを手紙に書き残したのだ。

まだ息子の死の傷の痛みが癒えないなか、彼のご両親、アルバ・レジェスさんとロベルト・ウレーゴさんが、この事件の詳細を話してくれた。

「私のセクシュアリティは私が背負う罪ではなく、私の楽園です」このメッセージは、いまだにセルヒオ君のFacebookのウォールで読むことができる。この青年はそう信じていた。彼にとって、愛は性別の問題でも、結婚して子供を産む男女の問題でもなかったのである。彼は6年前から、約600人の中流・上流階級の子供が通うGimnasio Castillo Campestreという、「平和を希求し、価値観を取り戻す」ことをうたうカトリック校に通っていた。

セルヒオ君は地元の小学校を特待生で卒業した。両親の希望で、地域の学校よりも規模が大きくて設備が整ったこの学校に入学した。彼は今年、11年生[日本でいう高校3年生]になっていて、クラスの同級生と恋人同士だった。

ことの発端は2014年5月。セルヒオ君の携帯を没収した教師が、彼が恋人とキスをしている写真を見つけてしまい、これを上司に報告した。2人はすぐに呼び出され「心理的な指導」を受けさせられた。

その場で「学校内外で、わいせつで、グロテスクで、下品な愛情表現を行うこと」を禁じた学校規則に違反していることを告げられ、彼らの交際は両親が認めたものでなければならないとも告げられた。

セルヒオ君と恋人は何度も学校の心理士(イボン・アンドレア・アコスタ氏)のところに呼び出された。心理士は、学校のワーカーと4人の教師とともに、その交際について説明させるために、彼らを6月12日に呼び出した。さらに、両親ともそのことを話し合うために、6月20日に呼び出すことを伝えさせた。クラスの生徒によると、このことで、セルヒオ君と恋人の二人はとても不安を感じていたという。セルヒオ君は、勇気を振り絞り、まずは信頼していた父親に話し、つぎに母親とも話した。両親は、全面的にセルヒオ君をサポートすると言って、性的指向が何であろうと息子であることに変わりはないと、何度も彼にくり返した。しかし、恋人のほうは、こうはいかなかった。彼の両親はショックをうけ、彼を閉じ込め、学校にも通わせなくなった。

6月20日に、セルヒオ君の母親アルバ・レジェスさんが学校に足を運んだ。到着するやいなや、校長のアマンダ・アスセナ・カスティージョ氏が、父親はどこにいるかと尋ねた。仕事の関係で来れなかったと言うと、校長が、セルヒオ君の父親と話すまでは登校を認めないことを告げた。「ぼくが教育を受ける権利を侵害するんですか?」とセルヒオ君が尋ねると、校長がきっぱりと、「そうだ」と答えた。

うちひしがれたアルバ・レジェスさんとセルヒオ君は、クンディナマルカ県の教育委員会に苦情を申し立てた。その申し立てのなかでは、何度も学校から出された、意味のわからないお金の請求や、息子の性的指向が原因で受けた差別について述べられていた。また、校長がセルヒオ君の成績表を渡そうとしないことについてもふれられている。

本紙(エル・エスペクタドール紙)がクンディナマルカ県教育委員会委員長のピエダード・カバジェロ氏に取材したところ、この苦情に対してはまだ何の措置も取られていないことが判明した。しかし、委員会は何度か学校を訪問し、苦情の内容を確認していたらしい。委員会の職員の報告書では、セルヒオ君が家族から放置されている子どもであると記されていて、学校からの根拠のないお金の請求や差別については一切触れられていなかった。カバジェロ氏は、お金の請求の件についてはまだ調査中であるとしているが、セルヒオ君が所属していたUnión Libertaria Estudiantil(学生自由連合)という「アナーキズム組織」から、セルヒオ君の自殺をきっかけに学校に圧力がかかっているとして、学校側から委員会の訪問調査を一時中断するように要請されているとのことだった。

学校側とセルヒオ君の両親が最後に面談したのは、7月12日。出席者は理事長、校長、心理士と1人の教師。

面談では、学校側は、セルヒオ君の性的指向を差別していることを否定した。異性愛者の恋愛が発覚した場合にはここまでの対応はしていないにもかかわらずである。そしてこの件で、セルヒオ君が逆にセクハラの苦情を申し立てられていて、そのために通常とは異なる対応を取らざるをえなかったと説明した。

セルヒオ君はセクハラを驚いて否定した。両親は証拠を求めたが、カスティージョ校長は今は手元にないと言い、卒業するまでの毎月、心理鑑定の提出が卒業を認めるための条件だと警告した。

7月14日の月曜日に父親がこの鑑定書を学校に提出。しかし、次の日セルヒオ君が通学用のバスを待っているときに学校の心理士から電話があり、提出された鑑定書が要求される条件を満たさないため通学を認めないことを告げられる。「心理士に電話して、学校側に投稿を認めてもらうための鑑定書の訂正を必死に頼みました。そのあいだセルヒオは、とても不安そうにしていました」とアルバ・レジェスさんは言う。

そんななか、検察からロベルト・ウレーゴさんに電話があり、セクハラの告訴が実際になされたことを伝えられる。告訴したのはセルヒオ君の恋人の両親。7月22日の告訴状では「セルヒオ君が息子の意思に反して公の面前で愛情表現を行い、強制的に交際している状況をつくりあげた」と述べられている。「その告訴で、セルヒオの心は砕け散った」と父親は言う。両親はセルヒオ君をその学校から退学させ、以前に通っていた学校へ再入学させた。

同級生は彼にメッセージを書いた色紙を渡して見送った。再入学した小さな学校の校長で教師を務めるオルガ・ミレーナ・ヤンコヴィッチ氏は、セルヒオ君のことを、自分の教え子の中で一番出来のいい子で、彼から事件のことを相談されたと話している。彼はただ単に卒業したかっただけだと。

7月28日に両親は、退学の申立書に、学校側から受けた差別と屈辱的な扱いについても記し、卒業資格の再認定と納付済証明を求めた。学校側は8月1日に、卒業パーティーの予約と、開催費用の納付がすでになされたことを理由にこれらの要求を拒否した。

悪夢はさらに続く。アルバ・レジェスさんがカリ市に住んでいて、セルヒオ君がボゴタで90歳の祖母と2人暮らししていることを根拠に、ネグレクトとして児童相談所に告発される。「私はそのとき行けなかったけど、児童相談所の職員が家庭訪問を行い、セルヒオにいくつか質問して、最終的にこの件は虐待とは全く関係ないと結論づけた」とアルバ・レジェスさんは言う。

8月3日、登録の関係で、セルヒオ君は、退学した学校の名前でIcfes試験[コロンビア教育評価委員会試験。センター試験のようなもの]を受験した。アルバ・レジェスさんは次の日、カリに戻り、勤務先の支店長に、児童相談所に寄せられた告発で息子から離されたくないため、もうカリまで戻れないことを伝え、ボゴタに戻った。アルバささんが帰宅したとき、食卓に「問題が発生した。学校には戻れない」と書かれたメモを発見する。不思議に思いセルヒオ君の部屋まで行くと、そこに2つめのメモを発見する。「ここにある物はお母さんかお父さんしか触れてはいけません。封のしてある物は開封せずにそのまま渡すこと。」メモの横には何冊かの本と友人へ宛てたメモがあった。

そしてそこには、愛情をもって両親と祖母に別れを言う、もっとも悲しい、絶望的な手紙が入っていた。

「どうぞ、ここにある死人の言葉を読んでください。その死人は、いままでもずっと死んでいたのです。元気いっぱいの幸せそうな、愚かな男の子や女の子の横を歩きながら、ずっと自殺することばかり考えていた人物の言葉を。希望していたほど本が読めなかったのは残念なことです。多くの音楽が聴けなかったこと、たくさんの絵、写真、イラストなどを見れなかったことも、とても残念です。たぶんこれからは、ただ永遠の『無』をみることになるのです。」そうセルヒオ君は書いた。そして、臓器を提供する意思があることと、神父や祈りのあるような葬式は不要であることを書いたあと、彼の自殺は、学校で最近起こった出来事が原因であると告発していた。

母親の化粧台にあった3枚目の手紙は、「関係者へ」という書き出しで始まり、恋人の両親が起こしたセクハラの告訴に反論している。「携帯のメモリーに、私と彼のWhatsapp[LINEのようなアプリ]のスクリーンショットが入っている。それをみれば、恋人を追いつめるようなことなんてしていないことがはっきりするし、恋人が友だちとWhatsappでした会話で、彼が両親に性的指向をカミングアウトしたときの母親のリアクションが、彼を深く悩ませたこともわかる。また、彼が私たちの行動を証言してくれる。私はセクハラなんて一切したことありません。セクハラは非難に値する行為だと思う。」

8月4日。セルヒオ君は19時にシャワーを浴び、祖母の世話をしている人に新しい学校の制服を見せて、夕食を食べずに家を出た。ティタン・プラザ・ショッピングモールに行き、友人らにお別れのメッセージを送ったあと、そのテラスから身を投げた。3時間後に病院で脳死が宣告され、8月8日に葬儀が行われた。匿名を希望する彼の同級生が、その日にクラスの42人中40人が出席したと証言している。

8月26日に生徒が学校で集められ、学校の心理士から、セルヒオ君の死に関して誰にも何も言うなという要請があった。校長からは、生徒たちが無断で欠席して葬儀にでたため、土曜日が補講になることが告げられた。校長からはセルヒオ君の死を悼む発言は一切なかった。そのかわり彼を「アナーキーな無神論者の同性愛者」呼ばわりした。本紙は5回にわたってこの件で校長と連絡とることを試みたが、校長が会議に出席しているとのことで話ができないと繰り返された。

セルヒオ君を知り、親しくしていた人は、校長の発言に関してとくに悪いことはなく、彼がクラスでトップの成績を誇っていたのと同時に、ゲイであり、アナーキストであり、学生自由連合に所属していたことは自明のことだったと証言した。彼が批判的かつ不遜なスタイルで宗教を非難していたこと、また、セクシュアリティに関してとてもオープンでそれを表現していたと。

セルヒオ君は、卒業したあと、オーストラリアで英語を勉強して、そのあと環境工学を勉強したいといっていた。彼の父親は、すすり泣きながら、彼が自殺したのは抗議の意味もあったと言う。

母親は彼の名誉を挽回するまであきらめないと言っている。そのためにコロンビア・ディベルサ[コロンビアのLGBTI団体]から支援を受け、来週にも法的な訴えをおこす。セルヒオ君の友人や親族は、通っていた学校と、彼が自殺したショッピングモールとで、抗議運動を展開することを予定してる。

セルヒオ君は、彼が遺した3通の手紙の中で、祖母にお別れを言っている。彼女の手、彼を見る目、彼女の夢、いつまでも若くあろうとするところを恋しく思うと書いている。「彼女より先に死にたくはなかった。けど、もうたくさんだ。本当に申し訳ない。」

彼の死は、私たちの心に深く刺さる。彼の死は、こんな教育制度にあらわれているような自由の少ない社会に対して、多くの深刻な教訓を残したのではないだろうか。

講演会「橋下改革とその現実」のお知らせ

大阪社会調査研究会特別講演会「橋下改革とその現実」のお知らせ

橋下徹がタレントから政治家に転向し、府知事に当選してから6年半、大阪市長になってから3年半が経過しています。この間、橋下と彼が率いる「維新の会」は、メディアを巻き込んだブームに乗って、強力な勢力を築きました。

その後、強引な府市統合政策などをめぐって批判があいつぎ、両議会で過半数を割るに至り、最近ではその勢いにもかげりがみられます。

いくつかの過激な発言や手法から、橋下徹は「ポピュリズム」「ハシズム」などと叩かれてきました。

しかし、私たちは、橋下がおこなってきた一連の「改革」について、どれくらいのことを知っているでしょうか。

今回、政治学・行政学がご専門で、「橋下改革」について詳しい名古屋市立大学の三浦哲司先生をお招きし、具体的なデータから、「橋下はいったい何をしてきたのか/してこなかったのか」について、じっくりと勉強したいと思います。

一般の方、大歓迎です。予約不要、参加無料です。ぜひ皆様お越しくださいませ。

講演会「橋下改革とその現実」

日時
2014年8月30日(土)
13:00〜

場所
龍谷大学大阪梅田キャンパス
大阪市北区梅田2-2-2 ヒルトンプラザウエストオフィスタワー14階
http://www.ryukoku.ac.jp/osaka_office/access/

講演
名古屋市立大学准教授 三浦哲司先生

お問い合わせ
龍谷大学准教授 岸政彦
kisi あっとまーく soc.ryukoku.ac.jp

一般の方歓迎、予約不要、参加無料。質疑応答もあります。

里親募集です。

里親募集は終了しました、ご協力ありがとうございました!(2014.5.11)

緊急の里親募集です。

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友人が路上で保護しました。推定1ヵ月ぐらいの女の子です。通りすがりに大きな鳴き声が聞こえたので近づいたところ、地面に張りつけられた板の下に挟まれて動けなくなっていたそうです。警察とレスキュー隊に板をはがしてもらい、ようやく救助されました。警察にこのまま預けても殺処分になるというので、急きょ保護することにした、とのことです。

一度、里親が見つかりかけましたが、事情によりお流れになってしまいました。

とってもかわいい女の子です。ふわふわしてるので、ひょっとしたら長毛になるかも。

病院で検査済み。とっても元気に走り回っているそうです。

いちど会ってみようかな、という方は、ご連絡ください。こちらから、保護した方に連絡ができます。

http://www.satoya-boshu.net/keisai/c2-207303.html

よろしくお願いします!

図書館で疲労困憊した話

先日、マイクロフィルムの資料を閲覧しようと、ある大学の図書館に行きました。

■電話

「すみません、2002年の3月にそこの博士課程を出たものなんですが。図書館を利用したいんですけど」「はい、できます。2階カウンターに来てください。卒業生データがあるのは2003年以降ですが、もちろん2002年以前もできます」「マイクロフィルムのコピーはおいくらですか」「1枚40円です」「たっか!(笑)」「あすみません50円です」「たっか!!(笑)まあいいや、いまから行きます」

■図書館2階カウンター

「すいません卒業生カードを作ってください。2002年3月に博士課程を出ました」「しばらくお待ち下さい。(めっちゃ待たされる)すみません、2003年より前は、学生センターのほうで卒業証明書をもらってきてください。学生センターは、この図書館を出て、道を渡って、正門から入って左の方に進むとあります。そこの1階です」「……わかりました(図書館でもできるって電話で言ってたのに……)」

■学生センター1階(総合受付)

「すいません図書館を使いたいので卒業生カードを作りたいので卒業証明書をください」「はあ?」「いや、図書館からここにくるように言われたんだけど」「……たぶん2階の庶務のほうだと思います」「……わかりました」

■学生センター2階(庶務)

「すいません、図書館を使いたいので卒業生カードを作りたいので卒業証明書を作りに来たらここへ行けって言われたんですけど」「ああ、それなら1階の文学部の窓口にどうぞ」「……いや、1階で聞いたらここに行けって言われたんやけど」「……あ、すいません、文学部のほうに電話しておきますね。そちらのほうへどうぞ」「……わかりました」

■学生センター1階(文学部)

「あの……」「あ、電話で聞いてます。こちらで卒業証明を出します。卒業年と研究科を」「2002年3月、文学研究科の社会学専攻です」「お待ち下さい(めっちゃ待たされる)」

「こちらです」「ありがとうございます」「そこの卒業日は24日にしておいてください」「は?」「だいたい24日にしてるので」「いや、この書類、年と月までしか書くとこないけど?」「……そうですね」「……」

※ふたたび図書館へ。

■図書館2階カウンター

「こちらがカードになります」「ありがとうございます」「卒業生カードですと、地下書庫と上層階は使用できません」「は?」「大阪市民カードなら使えます」「え?? おれ大阪市民だけど?」「そうですね、じゃあそっちのカードのほうがよかったですね」「……(じゃあ卒業証明も要らんかったんや)もうめんどくさいから今日はこれでいいです。とりあえずマイクロフィルム見せてください」「はい、こちらの書類を、5階マルチメディアコーナーまでお持ち下さい」「それで、マイクロフィルムのプリントアウトは1枚50円なんですね?」「はい、そうです」

■図書館5階マルチメディアコーナー

「すみません、マイクロフィルムの閲覧お願いします」「はい、こちらです」

※4時間後

「今日はこれで終わります」「お疲れさまでした」「1枚50円ですよね」「20円です」「え?? さっき電話でも下のカウンターでも何回も50円って言われたけど?????」「いえ20円です」「ほんとのほんとに20円?」「はいそうです」

※とりあえず60枚コピーしたので1200円。

「それではまずこの(1200円と書かれた)用紙を持って、いったん2階カウンターに行って、そこで支払いをして、領収書を受けとってください。そのあとそれを持って5階のこちらへ戻ってきてください。コピー現物はそのときにお渡しします」「……わかりました」

■図書館2階カウンター

「はい、それでは1200円になります。ありがとうございました。こちらが領収書です」「ありがとうございます。あ、料金(1200円)だけじゃなくて、コピーした枚数も明記してもらえますか? 60枚です」「はい、わかりました。しばらくお待ちください」

※めっっっちゃ待たされた。奥をみると3人がかりで何かやってる。

「はい、どうぞこちらです」

※単に手書きで枚数が書いてあるが、「24枚」になってる。

「60枚って言うたやん?」「え、あのー、1枚50円なので」「えーと、ちょっと待ってて」

■図書館5階マルチメディアコーナー

「すみません、これ下で24枚って書かれたんですけど、やっぱり1枚50円って思ってるみたいなんですけど」「ええっっ! ほんとですね。ちょっと電話してみます」

※2階カウンターに電話して20円であることを説明

「すみません、書き直しますので、もういちど2階カウンターに行ってもらえますか」「で、そのあと5階に戻ってこないといけないの?」「そうです」「……いや、すみませんけども、もうあちこち何回も何回も行ったりきたりしてるんで、新しいのを作って持ってきてもらうよう、言うてもらえませんか?」「はい、わかりました」

疲労困憊。でも基本的にみんな親切な、いいひとばかりでした。いやマジで。みんな契約職員だし、膨大にある複雑な規則を、覚えきれるわけないよな。

鈴木涼美『「AV女優」の社会学──なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか』書評

私たちはジェンダーやセクシュアリティに関する話が好きだ。とくにセックスワーカーや風俗嬢などに関する噂話が大好きだ。なかでも、そういう仕事をなぜ好んでしているのか、どういうきっかけでその仕事に入ってきたのか、あるいは、そういう仕事に就くような女の子は、どういう家族構成で、どういう暮らしをしていたのか、という、動機や原因を探るような話が大好きである。

しかし、おそらく、セックスワーカーに関するこういう話し方は、彼女たちをなにか逸脱したもの、規範から外れたもの、おおげさにいえば「異常」なものとして扱ってしまうことになる。

本書の筆者にとって、序文にも書かれているとおり、風俗やキャバクラ、そしてAVの世界は身近な世界だった。だから、筆者はそういう場所にいる女性たちを、なにか私たちと異なるものとして描きたくなかったのだろう。

性を売る女性たちのなかでもAV女優はとくに、動機や原因を語る圧力につねにさらされている。そしてそういう圧力は、彼女たちを異物化する圧力とおなじである。もし社会学者がAV女優を調査するときに、おなじことを聞いてしまったら、世の中の、彼女たちを異物化しようとする力と共犯者になってしまうだろう。

だから、筆者はAV女優のことを本に書くときに、なぜAV女優になったのか、という問いかけを封じた。そこからいったん距離をおき、とにかく私たちが一切知らないこと、つまり、AVの業界や撮影現場や取材現場などで何が起きているか、彼女たちはそういう場で、どう行動し、なにを語っているか、ということを描こうとした。

筆者は、AV女優の労働現場での語りを分析する際に、「面接とインタビューの場で自分をどう語るか」に焦点を合わせた。これは素晴らしい着眼点だと思う。同時に、彼女たちに直接インタビューし、自分たちをどう語るかについても耳を傾けた。

結果として、非常に興味ぶかい、考えさせられる、おもしろいエスノグラフィーになった。私たちは本書を通じて、あるひとがひとりのAV女優になっていくプロセスに触れることができるし、業界や撮影の現場がどのように構造化されていて、どのような規範が作動しているかについて、多くを知ることができる。

私が面白いと思ったのは、まず、AV女優のキャリアを積んでいって、その場に慣れ親しんだプロになる過程がある一方で、歳をとったり飽きられたりして、その価値が下がっていく過程が、同時に進んでいることだ。これによって、AV女優たちの戦略は複雑になる。

例えば、若さと美貌で売り出した女優が、やがて仕事が減り、企画AV女優になっていくと、自らを売り出す必要性から、プロダクションや制作会社にむけて自分のキャラをはっきり打ち出していくことになる。業者や監督との面接のなかで、彼女たちは、「ロリ巨乳」とか「淫乱な痴女」のようなよくある物語を組み合わせて自己をつくりあげていく。また、彼女たちは、はじめに書いたような世の中の圧力のなかで、動機についても語らされる。

おそらくこれは、AV女優にだけ特別なことなのではない。そもそも私たちの自己というものは、雑多な物語の寄せ集めである。自己が物語を語るというよりも、物語があつまって「ひとつの」自己があるようにみせかけているのだ。

そして、筆者の分析はもうひとつ先へ進む。こうして集められた語りは、やがて自己を追い越していく。キャラを売り込むために組み合わせた物語だったはずのものを、自ら内面化していくのである。

自分を売り込む必要性から、自分のキャラや動機の物語について何度も語っているうちに、その物語を自ら信じ込み、思い込むようになる。こうして、たとえば「セックスが好きで仕方なくて、そしてそれが上手になりたくてこの仕事をはじめた」という物語を何度も語っているうちに、「そう考えるのもアリかな」と、自らの内在的な動機として再構成していくのである。

そして、私が次に面白いと思ったのは、彼女たちに語らせる場の構造や規範についての描写だ。AV女優は、さきほども書いたように、一方で、加齢や飽きられることで価値が下がっていくが、他方で、キャリアを積むことで業界のなかではベテランになっていく。このふたつの圧力が同時に働くことで、たとえば撮影現場での差異化のゲームが非常に複雑になる。つまり、若さや外見で勝負できなくなっていても、過激なシーンをこなしたり、スタッフとのあいだで円滑なコミュニケーションをすることによって、自らを差異化/価値付けすることができるのである。

「若くて可愛くてギャラも高い新人女優が撮影現場で居場所なさそうにしていて、ギャラの安いベテラン女優がスタッフと打ち解けて話したり、てきぱきと仕事をこなしたりしている」という語りに、私はうならされた。こういう場面って、いろんなところで見るよね。

こうした場の構造や規範は、本書ではそれほど強調されないけども、実は私が個人的にいちばん面白いなと思ったのはここだ。ひとつの撮影現場で、複数のルールが同時に走っていて、差異化/価値付けのやりかたも複数ある。若さや新鮮さで勝負できなくても、仕事ぶりや顔の広さ、場に慣れ親しんだ感覚などで勝負すればよい。

おそらくAVの現場には、こうした小さな「勝ち負け」が、たくさんあるのだろう。自分の価値が加齢などで失われていっても、まだ他のやり方で承認を得ることもできるし、居場所をつくることもできる。

筆者は、こうしてその場の小さな勝ち負けを通じてこの世界に埋め込まれていく女性たちを「中毒(ホリック)」と表現している。この言葉が良いかどうかはよくわからないが、これは実は「なぜ彼女たちはこの仕事を続けているのか」という問いに対する、筆者なりの回答になっているのだ。

本書は実は、自らが避けた「なぜそんなにしんどいことを、自ら好んでしているのか」という世の中の問いに対する、筆者なりのひとつの回答に、結果的になっているのである。(そこまで意図していたかどうかはわからないが。)

性を売る現場に限らず、「なぜそんなにしんどい場所にずっといるのだろう」ということが、社会学のなかで問題とされることがある。労働者階級出身の子どもたちが、自ら好き好んで労働者の仕事の世界に再び入っていく物語を描いたP. ウィリスの『ハマータウンの野郎ども』もそのひとつだろう。最近の例でいえば、丸山里美の力作『女性ホームレスとして生きる』にも、公園での暮らしを「良いもの」として語るホームレスの女性の語りが出てくる。

AV女優たちは、こうした複数の差異化のゲームに埋め込まれながら、果てしなく自己について語り、そして語りを内面化し、自己をふたたび作り直していく。鈴木涼美がAV女優たちの語りを通じて描いたのは、こうした、自己についての普遍的な物語である。

そして、こうした普遍的な物語を描くことができたのも、はじめに彼女たちのきっかけや動機、原因を、虐待や貧困などの生活史や家族史のなかにもとめる世の中の視線から、いったん距離を置いたからだろう。

もちろん、虐待や貧困を通じてセックスワークに入っていく女性たちを描く必要がなくなった、ということでは決してないだろう。それはそれで別の研究によって追求すればよい。たとえば荻上チキの『彼女たちの売春(ワリキリ)』は、その膨大なデータと見事な分析で、セックスワークと貧困との問題を考えるうえで必読の作品になっている。

だから、別に、社会学者でも誰でも、AV女優たちに動機を聞く、ということ自体に、それほど禁欲的になる必要はないと思う。そういう視点から、新たな物語を描くことは可能だし、必要なことだろう。

しかし本書に限っていえば、その秀逸な問題設定によって、まったく新しい世界を広げることに成功していると思う。

それにしても筆者の筆力には驚かされる。本書全体のなかでAV女優の語りが直接出てくるところはそれほど多くない。実は、本書の大半の部分を、筆者自らが描く「場の構造と規範」が占めているのだ。それは、多くのものがまったく知らないことについて説明しなければならない、という課題のせいでもあるのだが、撮影現場を生き生きと描く筆者の描写力は、正直すごい! と思った。

ひとつだけダメ出しをしようと思う。筆者は東京のことを「この街」「私が育ったこの街」「私が暮らしたこの街」とか言う。これは別に、普通に「東京」って言えばいいやん、と思った(地方在住者)。

ひさしぶりにめっちゃ面白いエスノグラフィ読んだ。書評っていうより、内容の要約になってしもた。

あと、関係ないけど、帯の小熊英二の「汚れる前の魂」ってどうなん。「汚れる」て。

『「AV女優」の社会学──なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか』
鈴木涼美 、2013、青土社

オランダのおっさん

わずか三日の駆け足で、おさいと香港に行ってきた。

帰りの飛行機で隣りになったおっさんが、またこれがありえないぐらいせわしないおっさんで、ずっと新聞広げてばっさばさめくったり、何回も何回も靴下伸ばしたり、立ったり座ったり、そのたびにシートベルトを忘れて立とうとして腹にくいこんで「ぐっっ」と低いうめき声をあげたり、機内テレビにヘッドホン差そうとして何回も何回も読書ライト点けたり、靴を脱いだり履いたり、ビールと水とコーヒーを一緒に頼んだり、うわあこんなおっさんと4時間も一緒か、つらー。と思っていた。

無料で配ってたお菓子(ピーナッツ)をおかわりして貪り食ったと思ったら、ピーナッツにむせたせいかそのうち激しく咳き込みだして、トイレに立とうとしてまたシートベルトが腹にくいこんで「ぐっっ」ってなって、よけいげっほげほ咳き込んで、小走りでトイレに駆け込んだら中からおっさんがぐえっほげほ咳き込む声が聞こえる。

こっちもだんだん限界になってきて、でも別に悪いことしてるわけじゃないし、動くなじっと止まっとけって言うのもかわいそうやし。

こういうときって、おたがい他人だから不快になるだけで、話しかけて友だちになっちゃえばこっちも別になんてことなくなるの経験的に知ってるから、トイレから帰ってきても咳き込んでるおっさんに「だいじょぶッスか?」って聞いたら、こっちみたおっさん、意外に小動物みたいなかわいらしい目をしてた。

いまイギリスの帰りですねん。

あ、イギリス行ってたんですか。帰りに香港に寄ったんですか?

いえいえ、キャセイで帰るので、いったん香港でトランジットなんですわ。イギリスに友人がおりまして。友人っていうか彼女なんですが。泊めてくれますので

あ、いいですね。イギリスに彼女ってかっこええな。

かっこええことなんかおまへんて。私なんか独り身なもんで。家族がオランダにおりますやろ。

(「おりますやろ」って言われても知らんがな)あ、そうなんですか。家族がオランダに。

子どもらみんなオランダで独立したので、もうヒマで

あ、お子さんがみんなオランダに移住したんですか。

いや違いますねん。元の家内がオランダ人で。

あ、そうなんですか

ほんまは私も、会社リタイアしたら家族みんなでオランダで永住しようと思ったんですが。元の家内は私おいて先に行きやがりましたわー。

で、お子さんも一緒に付いてったんですか?

いや、子どもらは高校卒業したらもうずっとオランダに。

あ、日本で生まれて、高校まで日本に? じゃバイリンガルですね

そうですねん。家内とは別々にみんな暮らしてるんやけど。みんなオランダにおりますねん。いや今でこそ笑ろてますけども、出ていかれたときは本当に悲しくて悲しくて(とつぜん涙ぐむ)。

ああ、ああ、そうでしょうねえ、そりゃあね。ええと、でももうイギリスに彼女つくっちゃったんですね、すごいですね

(笑顔にもどる)いやいやそないすごいいうほどでもないですが。外国人と交流する雑誌があって……(このあたりてきとうに聞いてたので覚えてない)……そこで知り合ったんですが。年に4回ぐらい逢ってますわーでも移動が長くてしんどいですわ。30時間ほどかかりますねん。

30時間! (そのあいだずっと貧乏揺すりしたりせわしなくちゃかちゃか動いたりしてるんだろうか……)すごいですねー元気ですね。

ほんまもうしんどいですわー。

なんでオランダで元の奥さんと出会ったんですか? 日本で出会った?

いやいや、私オランダで長いこと仕事してましてん。

あ、そうなんや。旅行社か何か?

いえいえ、現地で銀行マンやってましてん。

えええ、オランダで銀行勤めてたんですか。すごいやないですか。

いえいえ、そんなすごいことないですわ。わたし大学中退して1年ほどヨーロッパぶらぶらしてまして。それで現地でもっかい大学入り直して、そのままオランダで就職したんですわ。

(そんなふうに見えない、こんなに庶民的なおっさんなのに……)へええすごいっすねー。オランダで大学出て銀行とかあこがれますわー。奥さんも。

いやそうなんですが、でもその家内に出ていかれたときは(また涙ぐむ)

あ、でもいまはイギリスに彼女がいるんですね

(笑顔で)私もう移動が大変で、この歳になると長距離恋愛もしんどいですわー。ところでおたくさんは仕事何されてますの?

あ、俺は大学の教員です。研究者です

ほー、そんなふうには見えまへんな!(おっさんもな)ご専攻は何ですか

社会学ですー

あ、そうなんですか。ほな移民とかそういう、カルチャーギャップ(この発音が妙によかった)とか、そんな研究とかどうでっか、おもろいでっせ

(どうでっかって言われてもな)ああ、そういうの興味あるんで、勉強してますよ、移民とか外国人労働者とか

いやもういまイギリスでもひどいもんでっせ移民が増えて

そうなんですか、香港もインド人やアフリカ系移民が多くてすごい面白かったですよ

でもあんなんおらんほうが暮らしやすいでっせ。あいつら黒人とか、何かというとすぐ差別だ人権侵害だって騒いで

いや、それはそれだけ生活条件が過酷なので、

あいつらね! みんなベンツとか乗ってまっせ! 国民より優遇されてまっせ移民は! それで何かといえばすぐ差別だの人権だの

(MacBookを開いて)すみません、ちょっと急ぎの仕事があるんで

そうでっか。

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くったくたに疲れて関空に着いて、すぐに梅田行きのシャトルバスに乗るのがしんどかったので、自販機でコーラ買って到着ロビーのソファにへたりこんで休憩していた。

もう22時ぐらいで、空港は静かで、あんまり旅行客もいない。

ときどき通りかかる観光客とか見て、ああやっぱり日本の人たちは身なりがいいしおしゃれだなあ、見ててすぐわかるな、とかおさいとしゃべってた。

左のほうからゴーっていう音がしてきたので、そっちを見ると、でっかいカートに大量の荷物を載せたオランダのおっさんが、満面の笑顔で真正面をむいて、全力で走りながらカートを押して、すごいスピードで俺たちの真ん前を、左から右のほうに通り過ぎていって、どこかへ消えていった。

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香港、楽しかったです。

34年前の未来

写真

 

 

これは、1960年1月1日の、『沖縄タイムス』の紙面です。こども向けの記事のなかで、20年後の世界について、こんなふうに予測されています。

空に浮かぶ遊覧船までエレベーターで上り、「アメリカの友だち」となかよく話したあと、フランスやソ連を一周。空を散歩したあとは、ホテルのように設備がととのった潜水船で水深1000mの世界へ。船のなかにはプールや遊園地まであります。

 もし、家にいるお母さんと話したかったらテレビのスイッチをひねったらいいのです。お母さん、お早う、と世界のどこにいてもみなさんは朝のあいさつをすることができるのです。

空まで届く高い塔がいくつもそびえ、海には小島のような原子力観光船が浮かびます。食料はクロレラや空気中の窒素(!)から合成し、ビタミンなどの栄養を配合した化学食料を食べます。月までたった2日間で行けるようになります。

 沖縄は景色がいいから東京からも多くの人たちが遊びにくるのです。緑のしばふをしきつめた丘の上にはきれいなおうちがたっています。空中ステーションからは毎日旅行者が行ったり来たりしています。そのころになると道路を走るバスはなくなり、ヘリコプターのような小型の飛行バスにかわるだろう。

病気も戦争も貧困もない、このバラ色の「20年後の未来」が描かれてから、54年が経ちました。

2013年12月27日、仲井真沖縄県知事は辺野古埋め立てを承認。

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 

 

 

ブラジル人学校にて。

ブラジル人学校の支援をしていた。去年まで毎週月曜日、3年間ずっと通って、日本語教室のボランティアをしたが、いまはいろんな事情があって、お休みさせてもらってる。そのうちまた再開したいと思う。

いろんな思い出がある。みんな、日本語がほとんどできないのに、いっしょうけんめいそれぞれのやりかたで、気持ちを伝えてくれた。

いま、なんとなく思い出したので、いくつか書きます。

ある小学生の女の子は、他の学校にうつるときに、たどたどしい文字で書かれた手紙をくれた。一緒に、タオルをくれた。タオルには、私の名前が刺繍されていた。

「きし」

いつも「きし先生」と言っていたので、ファーストネームと思ったようだ。

ある男の子は、とてもやんちゃで、ほんとに言うことを聞かないやつだったのだが、どつきあってるうちに仲良くなり、友だちみたいになった。

あるとき、ノートにふたりの男のひとの絵を書いて、これお父さん、これきし先生、って言った。そして、「pareser」とノートに書いた。「似ている」、と言いたかったようだ。

彼の父親はさきにブラジル本国へ帰っている。もう長いあいだ会っていない。

「でも、きしのほうが、背が高い」

また、あるとき、みんなで歌おうと思って、ギターを持ってきた。あらかじめ、何の曲をしようかと、みんなに、「どんな歌が好き?」って聞いた。

ブラジルはまさに「音楽大国」で、サンバやボサノバのような日本でも有名なものから、セルタネージョやアシェなど、地元のひとびとが大好きな、さまざまな音楽がある。

私も、ほんとに下手ではあるが、多少サンバやボサノバをギターで弾いたりする。

そういうわけで、みんなでサンバの有名な曲を一緒に歌えたらいいなと思って、「どんな歌が好き?」って聞いたら、みんなが口々に、

「レディー・ガガ!」

 

 

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結局、セルタネージョ(ブラジルの演歌みたいなロックみたいな歌謡曲)の、有名な曲にしました。

ブラジル人学校については、いくつかここでも書いてます。http://sociologbook.net/?s=%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%83%AB

 

 

 

すばらしい表

こないだ出張で沖縄に行った。タクシーに乗った。俺が古いGF1を首からぶらさげてるのを見て、60ぐらいのパンチパーマの、いかにも夜になったら桜坂のスナックで泥酔してそうな運転手のおっちゃんが、

お客さん。写真撮るんですか。カメラが趣味ですか。

え、いや別に。何で。ああ、これか。いや、ちょっと仕事で。

ああ、仕事ですかー。すごいですね、カメラで仕事って。

いやまあ、そういうアレでもないけど。

てっきりカメラが趣味だと思いました。

まあ、そういうひと多いだろね。沖縄に写真撮りにきたりするひと多いんちゃう

そうですね。でも写真が趣味ってかっこいいさーね

んー、まあそうやね。運転手さんなんか趣味あるの(いま考えたらこの質問が分岐点だったな)

まあ、私なんか遊び人で。

遊び人。かっこいい(笑)。酒とか?

いえいえ。あのー、船です。

ああ、船。釣りとか?

いえいえ、そんなんじゃなくてですね。船の、競争

え、ひょっとして競艇か

そうです。

へええ。でも沖縄に競艇って無いでしょ。ていうか沖縄って公営ギャンブルないよね。パチンコぐらいか。

(鼻で笑う)パチンコなんてあんなもん。みんな昼間っから何してんだって思いますよね。くだらないですよパチンコなんか

ああそうか(笑)。競艇は面白いの? ていうか、内地まで行くん?

あーそうですね、ぼくはもっぱら尼崎ですね。お客さん尼崎ってわかります?

わかるよ近所だよ。えー、わざわざ沖縄から尼崎まで行くの?

いや、こないだ一回だけ行っただけなんですけどね。そのときにね、駅、行ったんですよ。尼崎の。でも場所わからないわけですよ。で、そしたらね、知らないおじさんがね、このひとはとっても親切なひとだったんですけど、私をね、競艇まで連れていってくれたんですよ。そしたら、そのときに、あなたのことが気に入ったってね、こう言うんですよ。それで、あなただけにこの表をあげるから、って、素晴らしい表をくれたんですよ。

ひょ、表? 紙の、表?

はい。その表を見るとね、競艇の結果がわかるんです

へえ……

そのね、結果がね、すべてそこに書いてあるわけですよ。でも、そのままだったら、その表はわからないわけですよ。でもね、お客さん、私ね、そこから大変勉強してね、その表を読めるようになったんです。ですからね、競艇の結果はね、すべてわかるんです。そういうすばらしい表をね、

あ、じゃあ、運転手さん、すごいお金持ちなんだね

その表をね、これから使うところなんですよ。で、私考えたんですけどね、人を雇ってね

人をね。

会社を作って、たくさん人を雇ってね。それでね、そのひとたちをね、尼崎にやってね。派遣してね。それで舟券を買わせてね、こちらに送らせようと。そうするとね、もうね、

あ、そこの信号のところでいいよ。その信号通り過ぎたとこで。そうそうこのホテルの前。

そうですか。