ブラジル人学校プロジェクトが大学のウェブサイトに掲載されました

ここ数年にわたって実施している、滋賀県のブラジル人学校「コレジオ・サンタナ」との交流ですが、大学の地域連携事業のひとつとして、ウェブサイトに掲載されました。

龍谷大学 地域連携事例集第3版 ブラジル人学校の日本語識字教室

学部単位や全学レベルでやってる事業と並んで、この小さなプロジェクトが掲載されて、とてもうれしく思います。あいかわらずブラジル人学校の(そしてブラジル人社会の)状況はたいへん厳しいですが、できることをできる範囲でコツコツやっていきます。

今年は教材を印刷・製本して無料で配布しようと思います。どんくまが世界に広がります(笑)


大阪社会調査研究会のお知らせ

研究会の告知です、おヒマな方はぜひどうぞ。

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http://www.facebook.com/events/280207335364512/

大阪社会調査研究会のお知らせです。

2012年2月4日(土) 15:00~18:00
龍谷大学大阪梅田キャンパスにて

高史明さん http://www.facebook.com/fumiaki.taka をお迎えして、「差別と偏見の社会心理学」というテーマで研究会を開きます。一般の方も歓迎。参加無料。懇親会あり。予約不要。差別と偏見についての国内外の最新の研究動向やご自身のご研究についてもご紹介いただきます。

場所はこちらです。ゴージャスすぎるビルですが、お気軽にどうぞ。エレベーターは先に階数ボタンを押してからでないと動きません。

http://www.ryukoku.ac.jp/osaka_office/access/index.html

研究会というより気楽な勉強会です。みなさまのご参加をお待ちしております~~~


放置される子どもたち──日系ブラジル人の教育問題──

某大学から依頼されて新入生用の人権パンフレットの原稿を書きました。そのうちの一部をこちらにも置いておきます。

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放置される子どもたち──日系ブラジル人の教育問題──

現在、日本に住む外国籍の住民はおよそ200万人、これは全人口の約1.5%にあたります。もっとも多いのが中国人で67万人、ついで(在日コリアンを含む)韓国・朝鮮籍の人びとが55万人。3番目に多いのが、知らないと意外に思うかもしれませんが、ブラジル人で、21万人です。リーマンショック以降の製造業不況や東日本大震災の影響などで、ブラジル人は若干その数を減らしていますが、日本経済の長引く低迷にもかかわらず、中国人を中心として、日本社会に暮らす外国人たちは着実にその数を増やしています。日本はすでに「多民族・多文化国家」になりつつあるのです。

大阪には非常に多くの在日コリアンの方々も暮らしていますが、ここでお話するのは、90年代以降に新しく日本にやってきた「ニューカマー」と呼ばれる人びとのことです。特に滋賀県に住む日系ブラジル人と、その子どもたちについてお話ししたいと思います。

ニューカマーの中国人や韓国人が比較的都市部に多く、留学生として大学や専門学校で勉強したり、飲食業などのサービス産業で働いているのに対し、日系ブラジル人たちは、どちらかといえば群馬県や静岡県、そして関西では滋賀県などの郡部で、大きな工場で派遣労働者として働いている人が多数をしめています。

時はバブル期にさかのぼります。1990年、人手不足に苦しんでいた製造業を救うために、日本政府はほんのちょっとだけ、外国人に対して門戸を開放しました。

ハワイや南米には、戦前の貧しい時代に日本から移民に渡った膨大な数の日本人移民とその子どもや孫たちが住んでいるのですが、この「日系」の人びとに対して「定住者」資格を与え、事実上日本国内での居住と労働を認めたのです。ただ、この定住者も、いわば「里帰り」のような名目で国内居住を認められたにすぎません。同じ南米人でも親族に日本人がいる場合に限られます。「ほんのちょっとだけ」というのはこういう意味です。

さて、このように日本の閉鎖的な門がほんのちょっとだけ開いたのですが、そのわずかなすきまから大量の日系南米人、特にブラジル人が入ってきました。もっとも多いときで30万人以上のブラジル人が日本で暮らしていました。ここ数年、不景気でややその数を減らしていますが、それでも20万人はブラジルに帰国せず、日本国内で暮らす道を選んでいます。なかには日本企業の正社員になり、マイホームを手に入れた人びともいます。ブラジル人の多くは、さきほども書いたように、日本の地方で自動車部品などを作る大きな工場で、派遣労働者として働いています。ブラジル本国から日本に連れてくるリクルート会社もたくさんあります。

ブラジル人の給料は日本人の派遣労働者とかわりありませんが、雇用の不安定さが生活ぜんたいの不安定さに結びつくリスクが、日本人と比べて非常に高いです。リーマンショックのときに多くの製造業が会社を守るために(日本人を含めた)労働者を切り捨てました。そのなかでもブラジル人たちは特に深刻な状況になりました。遠い国から単身や少人数の家族でやってきて、誰も頼る人もなく、住むところは会社の社宅、という人がたくさんいました。こういう状況で首を切られ、仕事や家族、住居まで、すべてを失うブラジル人が、いまでもいるのです。

日本には、外国人の出入国管理政策はあるが、外国人の定住政策は存在しないとよく言われます。「定住者」資格は与えられましたが、病気になったとき、失業したとき、家を失ったとき、家族が困ったとき、そのほか生活していくなかで誰でも遭遇するトラブルにたいする保障がまったくありません。日本の政策は「外国人を入れただけ」に等しいものがあります。

特に深刻な状況になっているのは、ブラジル人の子どもたちです。現在、日本には100近くのブラジル人学校があると言われていますが、そのほとんどすべてが私設の学校であり、日本政府からは補助金がおりず、学費がとても高くなります。基本的に授業はブラジルでの使用言語であるポルトガル語でおこなわれ、日本語教育は不十分なところがほとんどです。また、失業や給料切り下げなどで、ブラジル人学校の高い学費が払えず、子どもたちを学校に通わせられない家庭も少なくありません。私が知っているある小学生の女の子は、両親が工場で一日中働いているあいだ、たったひとりで家の中でテレビを見ているだけ、という暮らしを数ヶ月にわたって送っていました。そのあいだ彼女はずっと孤独に耐えていただけでなく、何も教育されず、言葉も覚えないままでいたのです。

それでは日本の学校に通えばいいのではないか、と思います。しかし、日本の公立小学校や中学校に外国人の子どもももちろん通うことはできますが、いまのところポルトガル語しか話せないブラジル人の子どもを受け入れて、いちから日本語をつきっきりで教え、いじめも多い学校のなかで友だちができるようにサポートしてくれるような学校は、ほとんどありません。

さきほどの例とはまた別の女の子は、まったく日本語ができないまま日本の公立小学校に入ったものの、ポルトガル語ができる教師が誰もいない学校で、ただ教室のいちばん後の席に座らさせられ、白い画用紙だけを与えられ、毎日1時間目から学校が終わる時間まで絵を描いているように言われたそうです。その子は耐えきれず一週間ほどで辞めてしまいました。みかねたブラジル人学校の校長先生が、学費が払えないのを承知したうえで、自分の学校に編入させ、いまでは元気に通っています。

そうしたブラジル学校が、日本全国にたくさんあるのですが、補助金もおりないためにどこも経営が非常に苦しく、閉鎖してしまったところもあります。設備も教材も祖末で、雇っている先生やスタッフに払う給料にも困っています。

こういう状況で、やはりもっともしわよせをくらっているのが子どもたちです。正式な日本語教育もポルトガル語教育も受けられないまま大きくなってしまう子たちもいます。「セミリンガル」や「ダブル・リミテッド」といいますが、日本語もポルトガル語も上達しないまま、つまり「どの言葉も正しく使えない」まま、大きくなってしまう子どもたちがいるのです。これは本当に、本当に恐ろしいことです。

滋賀県の愛荘町に「コレジオ・サンタナ」という小さなブラジル人学校があります。私は個人的にここの校長先生と出会ったことをきっかけに、龍谷大学から助成金をいただき、毎週学生有志を連れて、日本語教室のボランティアをしています。私はプロの日本語教師でもありませんし、教材も手作り、週に一回だけの授業ですから、たいしたことはできません。でも、学生たちがブラジル人の底抜けに明るい子どもたちと仲良くなり、言葉が通じないのにまるで家族のように仲良くなっていくのを見てきました。「小さなとこからコツコツと」私たちにできるのはこれしかありません。

閉鎖的な日本の政策や世論が、何の罪もない子どもたちを傷つけてしまうことは許されません。今後も、できる範囲ですが、支援活動を続けていこうと思っています。


新聞にのりました……

めっちゃ写真が恥ずかしいですが、中日新聞広域滋賀版で、ブラジル人学校のプロジェクトを報道していただきました。ありがとうございます!

ちょっと前なんだけど自分の写真が恥ずかしくて誰にも見せてなかった。もうこの笑顔がめっちゃイヤ……ほんま汚いおっさんやな……お恥ずかしいかぎりでございます。

 

しばらく夏休みだったんですが、今日、1ヵ月半ぶりに行ってきました。

小さい子増えたな。

 

ひとり海賊がいる(笑)

授業が終わったあとiPhoneで写真撮ってたら、やっぱりそういうときには女子が集まってくるね。

ホラ、キミもかわいく撮れてるで〜〜(関西系日本語)

 

ちょっと前の授業風景。学生さんたちも頑張ってます。

 

というわけで、いつもFaceBookで書いてるけど、ひさしぶりにこっちで書いてみた。詳しくはこちらのページで。

ブラジル人学校のための「素人向け」日本語教材

最初に作って放ったらかしですが……教材はもうかなり進んでおります。ちなみにGoogleで「ブラジル人学校 日本語教材」で検索すると1位です(笑)。みなさまのおかげです、ありがとうございます!

 


科学と政治

先日、扁桃腺がめちゃくちゃ腫れて痛くて眠れなかったのでFBの方に書いたメモ。

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ポストコロニアルの「当事者の証言」の話や、解放社会学系の構築主義のライフストーリー論、それから臨床社会学に導入されたナラティブ論なんかをぱらぱら読んでると、実証主義を批判する議論がけっこう多い。

例えば、沖縄の集団自決の規模や形態、実際のプロセスや指揮系統などについて、事実のレベルで争うことは、証言者の「語る権利」や、もっといえば「思い」みたいなものを裏切ることになる(あるいはそれ自体が「権力=暴力の作用である」)ので、われわれはそうした語りに「共感的態度」で臨むべきだとされる。

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ときおり左翼というか「解放的認識関心w」のもとで研究してる人たちは、実証主義や科学のことを忌み嫌う。まず科学というものは「支配階級のイデオロギー」であるとされる。次に、なにかを科学的研究の対象とすることは、それを切り刻み、脱感情化し、その「価値」を否定し、きれいに脱色消毒消臭してカテゴリーのなかに並べ替えることだとされる。

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科学が政治的である、というのは、それはそうだろうと思う。それはいろんなレベルにおいてそうだろうし、そうでない科学はないだろう。でも「科学は政治である」といえるだろうか。

(1) 科学は政治的イデオロギーに左右される
(2) 科学的研究の対象にすることは、対象に対する暴力である

確かに、どちらも「そうである場合もありうるし、実際に歴史的にそうであったことも少なくない」とは言えるだろう。

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私たちは、「AはBである」ということを日々決定しながら社会を動かしているのだけど、たとえば「ある行為がセクハラである」ということが、どのように決定されるのだろうか。

私は実は、ある大学での人権問題担当(!)の教授がセクハラをおこしてクビになったときに、及ばずながら被害者の側の支援に回ったことがある。そのときわかったのは、セクハラの定義は「被害者がそれをセクハラだと思った行為」というように組み立てるしかないのだが、実際にある行為がセクハラであると「認定」されるまでには、かなり膨大な「社会的な手続きと相互作用」を経てなされるしかない、ということだ。

被害者が勇気を出して申し立て、良心的な弁護士が横につき、周辺に支援の輪が広がって、学内の良心的な教員も見方について、フォーマルな申し立て手続きに入ると、大学側にも調査委員会が立ち上がり、複数回の慎重な調査がなされ、繰り返しおこなわれる会議に何十時間も費やされる。

もちろんやる気のない大学も多いし、実際はもみ消されたりすることの方が多いと思うし、逆に冤罪でハメられた運の悪い教員もいるだろうとは思うけど、それでも「ああこうやって物事は『社会的に決定』されていくんだな」ということがよくわかった。

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このプロセスはまぎれもなく「社会的」で、おそらくはかなり「政治的」でもあったはずだが、それでもとにかく何らかの「結論」に到達していった。繰り返すが、この結論はまるっきり間違っていることもありえただろうし、被害者加害者双方にとって納得のいくものではまったくなかったであろうことも考えられるのだけど、それでも他のやり方によって何らかの結論に至るということは考えられないし、とにかく私たちはこういうやり方によって社会を動かしてきたのである。

そして、これは私個人の無根拠な信念かもしれないが、個々のケースのレベルにおいては、膨大なもみ消しや冤罪その他の「社会的プロセスの挫折」を含みながらも、全体としては少しずつ進歩していて、社会全体としてセクハラというものに敏感にはなってきているのである。

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もしこうした「物事の決め方」が、恣意的で政治的なもの「でしかない」のなら、それは私たちの歴史をすべてひっくるめてその全部を否定することになる。

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デイヴィドソンの「寛容の原則」を、「社会的に決定すること」にまであてはめることはできるだろうか。もちろんそのときは「意味」(あるいは「真理」)という概念の意味をかなり変えないといけないけど。

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私たちは自由に何でもやってるんだけど、でもそれはいつも必ず何かの規範や規則に従っている。熟練した音楽家のように。

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まず、社会的に決定されるということと、恣意的な政治によってどんなふうにでも決定できるということとは別のことである、ということがちゃんと言えるなら、たぶん上記の(1)のような考え方は成り立たなくなるだろう。

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(2)に関して何が言えるかは、今はちょっとまだわからない。

しかし、もし私たちが「解放的認識関心w」を持っていて、たとえば沖縄の集団自決について、それが真実であり、旧日本軍に相当の責任があるということを主張したいのなら、それは「公共の空間」で主張される必要がある。そうするとその「それがそうかどうかについての決定」は、通常の決定と同じ程度には、完全に普通の通常の世俗的な「社会的な手続きと相互作用」のなかにおいてなされなければならない。

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(別に左翼の業界に公共性がないとまで言いたいわけではない。)

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性暴力犯罪の裁判における被害者の扱われ方が参考になるかもしれない。顔をかくす、ついたてを立てる、ビデオで証言する、などなど。これは「当事者の語りをまるごと受け入れて共感する」ということからはほど遠いが、しかし「当事者に直接の傷を負わせないためにできることを何でもする」ということではある。世俗的ではあるが、だからといって効果がないということはないだろう。

そういえば「当事者の語りをどれくらい尊重したか」についての基準を作ろうと言い出したひとをまだ私は知らない。

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「公共の場での議論」にコミットする気なら、「当事者の思いにまるごと共感する」ことよりも、「いかに当事者の気持ちを直接傷つけずに公共の議論の場で勝利するか」を考えたほうがいいんじゃないかと思うけど、これってやっぱり乱暴なんだろうか。冷たい奴だと言われちゃうのかな。

でも、公共の場での議論を歴史修正主義にリードされて定義権を握られてしまったのが、ここ10年ぐらいに起きたことじゃなかっただろうか。特にネットでは。

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まあ(2)についてはちょっとあとで考えるとして、まず(1)について、「科学的に決定される」ことと「社会的に決定される」がそんなに違わないことを両方の意味で述べることが必要なのかな。両方っていうのは、「科学的なことは社会的ですよ」と、「社会的なことも(けっこう)科学的なんですよ」っていうことを両方っていう意味である。

あとはまあ、規範や規則に従った行為の話とか、あと何かな。要するに私は、「ちゃんと事実のレベルで争いましょうよ」ということを言いたいのだが、そのために何が必要なのかは、ちゃんと理論的な勉強をしたことがないのでぜんぜんわかりません! 以上です!


告知:全国大学同和教育研究協議会 シンポジウム

告知です。以下のシンポで喋ります。「申し込み不要」ということですので、どなたでもお越しください。

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全国大学同和教育研究協議会
シンポジウム
法終了後10年目を迎えた都市部落の現在(いま)を考える

 1990年代半ば以降、全国各地で実施された部落実態調査の結果から、経済的安定層の流出と不安定就労者の流入による新たな貧困化が都市部落で顕在化しつつあるという傾向がみられるようになりました。そして、2002年3月の「地対財特法」の終了以降、こうした貧困化がさらに進んでいるとの指摘もあります。
 今回のシンポジウムでは、2009年に大阪市の日之出地区の実態調査を行われた岸政彦さん、法終了後の都市部落の変容を部落内から見てこられた住田一郎さんをお招きし、法終了後10年目を迎えた都市部落の現在について考えます。なお、お二人の報告に対するコメントを水内敏雄さんにお願いしました。

□ 日時  2011年6月12日(日)  午後1時半~5時(午後1時より受付開始)
      

□ シンポジウム
報告1 「複合下層」としての都市型部落
 岸 政彦(龍谷大学)
報告2 法終了後、大阪の都市部落はどのように変容したのか
 住田 一郎(関西大学人権問題研究室委嘱研究員)
コメンテーター 水内 敏雄(大阪市立大学)
司会 石元 清英(関西大学)

□ 参加費 1,000円

□ 会場  関西学院大学大阪梅田キャンパス(梅田アプローズタワー14階) 1406教室 大阪市北区茶屋町19-19  TEL06-6485-5611

阪急「梅田駅」茶屋町口より北へ徒歩5分、JR「大阪駅」御堂筋出口から徒歩10分、地下鉄御堂筋線「梅田駅」から徒歩7分。
ホテル阪急インターナショナルや梅田芸術劇場が入っている34階建てのビルの14階です。関西学院大学大阪梅田キャンパスの地図を同封しています。

* 申し込みは不要です。当日、会場に直接お越しください。
お問い合わせ:06-6368-0705(石元) ishimoto@kansai-u.ac.jp


ブラジル人学校のための「素人向け」日本語教材

私がかかわっている、ブラジル人学校の日本語識字教室のための教材を公開するためのページを新たに作りました。

私は2010年度より、龍谷大学社会学部学会から助成を受け、滋賀県愛荘町にあるブラジル人学校「コレジオ・サンタナ」の子どもたちに、ボランティアで日本語を教えています。20名ほどの有志学生たちも、毎週交替で来てくれます。

不景気でブラジル人社会も打撃を受けていて、とくに子どもたちはたいへん深刻な状況にあります。でもまあ、毎週学生たちと子どもたちとで、わいわい楽しくやっております。

下記ページでは、ブラジル人学校の現状と、オリジナル教材について、簡単に書いてあります。教材へのリンクはページのいちばん下にあります。まだぜんぜん揃ってませんが、今後、随時揃えていきます。

お時間のある方はどうかご覧になって、ご批判やアドバイスをいただきたいと思います。よろしくお願いします。

ブラジル人学校のための「素人向け」日本語教材

子どもたちと学生たち

子どもたちと学生たち


笑いを擁護する

以下は、2011年1月9日に奈良女子大でおこなわれたシンポジウム「社会運動で語ること/伝わること/繋がること」で私が話した内容をもとに書いて、シンポの報告書に掲載してもらった文章です。一部細かい間違いは直しましたが、だいたいそのままです。

このシンポジウムは、奈良女子大の鶴田幸恵さん、名古屋大学の渡辺克典さんたちが中心になって企画されたもので、それぞれ関西の有名な運動家(という言い方が正しいのかどうかいまだにわからないけど)の、土肥いつきさんと上野久美さんのお話を中心にして、それになにかコメントしてくださいということだったので、だいたい以下のようなお話を……するつもりが、土肥さんのトークに引きずられて結局あっちゃこっちゃ脱線し、自分自身のカミングアウトもおりまぜながら、何かようわからん話になっちゃったので、以下に文章をあげときます。

テーマは「関西らしい社会運動について語る」ということだったんですが、やっぱり大阪とか関西のひとは、深刻な問題に取り組む運動家でもトークに笑いを取り入れないと気がすまないひとばっかりなので、私の報告もこういうテーマになりました。

まあ、社会運動そのものを真面目に研究してるわけでもないんですが、毎日こういう業界でいろんなひとに接していくなかで、普段から漠然といろいろ思っていたんですが、そういうことを言葉に出してまとめる、よい機会をいただきました。鶴田幸恵さんには本当に感謝いたします。ありがとうございました。

会場に来ていただいた金明秀たん @han_org 、Bonくん @Bong_Lee にもお礼を申し上げます。飲まずに帰って悪かった。

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シンポジウム「社会運動で語ること/伝わること/繋がること」
2011.1.9 奈良女子大学
報告原稿

「笑いを擁護する」

0. はじめに

 このシンポジウムでの私の役割は、土肥いつきさんと上野久美さんの語りを、社会運動という視点からとらえなおすことだった。もとより私は社会運動について専門的に研究してきたわけではないが、私なりに沖縄や部落でのささやかな「かかわり」を、調査や教育を通じてつくってきた。こうした「かかわり」のなかで、社会運動の歴史や現在について、私なりにいろいろ目にしてきたことがある。本稿では、土肥さんや上野さんの語りに耳を傾けながら、同時に私なりに「語り」と「かかわり」について述べてみたい。ここでは、さまざまなタイプの語りのなかでも、特に「笑い」について考える。

1. 語りと社会運動

 日本で社会運動を研究することは困難である、といわれることがある。それも、専門的に調査研究しているひとたちからである。たしかに、ときおりロンドンやパリから、あるいは2011年2月現在でいえば中東から聞こえてくる、街角での大規模なデモのニュースと比べると、この国にはいわゆる「社会運動」にかかわる一般市民が、あまりにも少ないように思える。
 この傾向は特に若者で顕著で、たとえば昨年、ロンドンとパリにおいて教育予算削減に反対する大規模なデモがおこなわれたが、ふりかえって日本の若者たちは、ネットやケータイの世界にひきこもって、なかなか路上に出てこない。いまや日本の学生たちの最大の関心事は、国の政策や社会問題ではなく、「シューカツ」と呼ばれる独特の通過儀礼である。
 しかし、こうも考えられる。この国の30代から下の世代における恋愛や結婚が激減し、それにともなって子どもの数も急速に減っている。もしかしたらあと数十年とたたないうちに、私たちが知っているかたちでの「家族」はこの国からなくなって、単身世帯ばかりになってしまうかもしれない。この国をおおう閉塞感はあまりに重苦しいので、市民は路上に出るかわりに自分たちのワンルームマンションにとじこもり、じっと静かに、何かに耐えているようにみえる。外に出るかわりに内にこもる、ひきこもり社会、あるいは「リストカット社会」になっているのだろうか。
 しかし、こうした状況においても、私はこれまで、各地にたくさんのネットワークや自助グループがあって、決して多くはないけれども、それでもいく人もの人びとが支え合っているのを見た。そこでは静かだが確かな交流が維持され、そこかしこで状況や自己が再定義され、知識が交換され、つながる喜びが再確認されている。たとえば、短期間ではあるが摂食障害の自助グループをお手伝いしたことがあるが、そこでは自らの「病い」についての観念が語られ、定義され、疑われ、揺さぶられ、そして再定義されていた。もし、「エタであることを誇りに思うときがきた」「Black is beautiful」といった、「自己の再定義」というものが社会運動のもっとも本質的な要素であるならば、これらの場は、確かにこの国の姿をうつしだす「静かな社会運動」であるといってよいだろう。
 私はいちど、摂食障害の自助グループのスタッフに、これは社会運動ですね、と言ったことがある。そのときは私が言っていることはすぐには理解されなかったが(当たり前だが)、私との対話を重ねるなかで、やがて理解してもらえた、ということがあった。そのうち、そのグループの中では、摂食障害の当事者たちは医療や福祉の現場、あるいは家庭などで不愉快な経験をたくさんしていたのだが、そういう経験が「差別」というものだ、と、自らの状況が再定義されていった。

 もちろん、語ることそれを聞くことがすべて社会運動であるとまで言うつもりはないが、それでもこの国にはこの国なりの社会運動があり、それぞれがそれぞれの持ち場で懸命に闘っているところを見てきたのである。
 さて、このシンポジウムの目的のひとつは、「関西の社会運動を考える」ということであった。こうした括りには、どこかしら関西に対するオリエンタリズム的まなざしを感じないでもないが、たしかに土肥さんの「語り」には、独特の戦略がある。それはいうまでもなく「笑い」である。

2. 真面目と不真面目

 この静かで陰鬱な国において、関西という地域は例外的なほどの社会運動の蓄積があるところである。部落解放運動、在日コリアンの民族運動、釜ヶ崎を中心とする労働運動など、これまで全国の運動をリードしてきた歴史がある。こうした蓄積はいまでも、たとえば大阪では、同和推進校だった高校が外国人の子どもを受け入れたり、部落のなかの識字学級がニューカマーの外国人労働者にとっての日本語教室になっていたりと、新しい問題に対処するための資源として機能している。あるいは、同和教育を中心的におこなってきた高校が、現在では「反貧困教育」を掲げて、この時代において要請される教育のあり方のひとつのモデルケースを提供してもいる。
 これらの運動が強力に展開されるなかで、関西らしい「運動の語り」が醸成されてきた。
 社会運動は個人の経験や定義を変更することなしにはありえない。むしろ、個人の経験や定義を変えることが社会運動である、ともいえる。したがって社会運動は個人的な感情、情動といったものに訴えかけるものでなければならない。少人数の自助グループから戦後の部落解放運動にいたるまで、すべてに共通していえることである。
 ところで、個人的な情動に訴えるには、「涙」か「笑い」が手っ取り早く効果的である。したがって、関西の社会運動家は、そろってみな語りが、あるいは関西風にいえば「しゃべりが」得意である。このあたりの「動員のためのテクノロジー」の発達が、「関西っぽい」と言われる側面かもしれない。
 さらに、ひとつの運動のなかで人びとをつなげる、あるいは運動と運動をつなげるためには、目標や「理論」を抽象化する必要がある。そうするともともとの当事者性と矛盾したり離れてしまうことになる。様々な問題領域で活動する人びとを幅広く結集するためには、「当事者性にある程度の制限を加えたうえで」集まる必要がある。つまり、「当事者性だけ」で集まることはもうできない。ここでますます、「ひとを集めるための技術」のようなものが問われることになる。たとえば、「人権」という概念がどのように使われてきたか。それは異なる世界のひとをつなげるために問題を抽象化する装置だった。アジェンダを抽象化する一方で、もっとも感情的で直接的なテクニックが問われるということが同時に起こる。抽象化と具体化が同時に進行するのである。そのときにはおそらく、笑いというものが重要な武器になるにちがいない。
 ただ、こうした「技術」は、どこかで運動の当事者性や「しんどさ」や運動のそもそもの目標と矛盾することがある。たとえば、私は70年代の大阪の沖縄人運動や、現在の摂食障害の自助グループや大阪の被差別部落を調査してきたのだが、どんなかたちでもほとんどすべての社会運動で、「なにか楽しいイベント」や「楽しいトークができるひと」のところにひとが集まり、「真面目」なことをしようとするとひとが来ない、ということがあった。べつにこれらは矛盾ではないとするひともいたが、運動体内部では矛盾だと捉えられることが多い。少なくともバランスをコントロールする必要があることは何度も言及されている。その意味で、運動の方法論において、こうした「楽しさ」「不真面目さ」あるいは「笑い」というものは、矛盾をはらんだ存在である。

 戦後の関西のほとんどあらゆる社会運動において、こうした「ひとを集めるための面白さ」と、「出発点としての原理的なしんどさ」とは、対立してきたとまでは言わないにしても、つねに緊張関係にあった。これを「政治」と「当事者性」との緊張関係と置き換えてもよいだろう。

3. 当事者性としての笑い

 たしかに、土肥さんや上野さんを始めとして、関西の運動家にはトークの上手なひとが多い(他にもコリアNGOセンター事務局長の金光敏氏の語りはぜひ聞いてほしい)。だが、そうした方々とお付き合いしてみると、演説や講演だけではなく、日常会話でもつねにボケたりつっこんだりしているひとが多い。私は、そうしたひとたちに、部落や在日や沖縄や障害や女性など、さまざまな問題と闘う場面で、数多く出会ってきた。それどころか、これは個人的な経験だが、「信頼できる」と思わせるような方(不遜な言い方かもしれないが)にかぎって、そうした方が多かった。みんな、プロの芸人でもないのに、鉄板でウケるネタを持ってるとか、今日は笑い取れたから勝ちやとか(こうした場合の「勝ち負け」とは一体ぜんたい何だろうか?)、トークの序盤で笑いを入れて全体の構成を見事に計算していたり、まるで自らのセクシュアリティや民族性、差別や排除の問題よりも、今日その講演会でどれだけ笑いが取れたかどうかの方が大事にしているように見えることもあった。
 社会運動も人間関係である。ふつう、ひとというものは、楽しい話をするところに集まるものだ。したがって、社会運動、あるいはもっといえば、ひとを動員するということにおいて、楽しく笑いを取ることができるひとは重宝される。しかしまた他方で同時に、運動の現場では、笑いを取るのが上手なひと、ひとを集めることができるひとは、商業主義、上手、器用、政治家、便利……そして不誠実とも、言われることがある。あるいは、そうした笑いというものによってなにかを排除してしまうのではないか、とも。
 たしかに笑いというものは、まずは政治的なものであり、ある種の器用さや臨機応変さという才能が必要なものである。さらに、場を「身内(ミウチ)化」することで、「空気の読めないひと」を排除してしまうかもしれない。
 しかし、土肥さんや上野さんの語りを聞くときに思ったのは、あるいは関西で頑張っている多くの若手の活動家に接したときにいつもいつも思うのは、あれは動員のために「わざと計算して」やっているのではないのではないか、そういう部分もあるだろうけども、むしろ笑いで自分の「バランスを取っている」のではないか、ということだ(土肥さんには「いや計算してやってます」と言われるだろうが……)。
 例えば、日常的につきあっている、一部の仲のよい「当事者」や社会運動家たちで、ことのほか不謹慎な笑いが好きな友人がいる。ときにほんとうに笑えないぐらいの自虐的な冗談を飛ばす。こうした、非常に内密の、個人的な場における不謹慎な笑いについて、私たちはどう考えたらいいのだろうか。
 こうした私的な場における笑いは、ひとを動員するためでも、政治的にうまく立ちふるまうためでもない、どうしてもその場でしか出せないような、ひじょうに密やかな笑いである。たしかにそれは一面では、その場の連帯感を高めて統合するよな、なにか「罪悪感を共有する」ような、同時にその笑いを共有できないものをはじき出すような、広い意味で政治的なはたらきを持っているものなのかもしれない。しかし、ともすれば酒の席でのトラブルを招きよせるようなそうした危険な笑いは、私は思うのだが、身をひきはがして逃れることができない、客観化も対象化もできないような何らかの状況に埋め込まれているいわゆる「当事者たち」にとって(あるいは少なくともその一部のひとたちにとって)、それなしにはやっていけないようなものなのではないだろうか。
 人びとを動員するための政治的な技術としての笑いでもなく、あるいはまた、被抑圧者や被差別者たちが権威や権力をからかって一瞬のうちにそれを無効化するような「抵抗としての笑い」でもない、一見すると無目的で衝動的で、ときには自己破壊的ですらある笑い。例えば被差別部落の若者たちが自分たちの出身家庭の貧しさを笑う笑い、在日コリアンの運動家が自分たちのしたたかさを笑う笑い、沖縄出身の社会学者が自分たちの「肌の色の黒さ」を笑う笑いというものに、私はこれまで触れてきた。ときには場が凍りつくようなそうした笑いによって、私たちはなんとか現実と折り合いをつけ、バランスを保っているのではないだろうか。

 「当事者」という言葉は、あまり良い言葉ではないが、それでもなにかの状況に埋め込まれ、他人事ではなくなり、切実なコミットメントが発生し、「にっちもさっちもいかなくなっている」ひとのことをよくいいあらわしている。こうした状況への埋め込みから逃れ、離れ、客観視し、「解離する」ために、こうした笑いという装置が必要なのかもしれない、と思うのである。
 このようにかんがえると、社会運動やマイノリティのアイデンティティにおける笑いというものは、単に動員のために手段的に使われるものではなくなってくる。笑いというものそのものが、ある種の「当事者性」ともいえるのである。もちろんこのことは、当事者であればそういう笑いを生み出すはずだとか、すべての当事者がこのようなことをする、という意味ではない。ここで私は、それはたくさんある「当事者性」のひとつなのかもしれないという、控えめな提案をしているにすぎない。
 社会運動における笑いを、動員のための政治戦略にも、「弱者のたくましさの武器」みたいなものにも、単純に転換してしまってはならない。それは何かもっと複雑で深刻で、実は「あまり笑えないもの」でもある。だから、笑いというものを、単に動員や組織化のために必要だから肯定する、ということではなく、それ自体が当事者性の現れであるという理由で、もっと根底から肯定したい。私は土肥さんや上野さんのような、「人びとに語る言葉を持っているひとたち」に接するたびに、そう思うのである。笑いを、その機能や役割からでなく、それ自体として考えていきたいと思う。