スイッチ

ぼくの友だちのことなんですけど。

うん。

35すぎの、もういいおっさんで。職場にわっかい、22ぐらいの女の子が入ってきたんですて。

うん。

ほんで、仕事の現場に行ってて、ちょっと夜遅くなって。ふたりとも自分の車で来てて、

うん

たまたま同じ駐車場に停めてて。ほな、その女の子が、現場終わって帰るときに、「駐車場まで一緒に歩いて行きましょう」って言ったんですて。

うん

で、そのおっさんスイッチ入ってしもて、「俺のこと気があるんちゃうか」って

(爆笑)ありえへん。

え、ないすか

ないよ! 

マジすか

ないない! だって同じ駐車場に停めてあったんやろ? ほんなら帰るとき、一緒に駐車場まで行きましょかって、そら俺でもそれ言うで。

いや、まだあるんですよ

ほう

そのあとなんか普通にしゃべってて、なんかのイベントの話になって

うん

で、おれ行くねんって言ったら、その子が、いいなーいいなー私も行きたいって

うん

これ脈あるでしょ

(爆笑)ないわ!

ええ!

ないよ! ただイベントに行きたいんやろ! そら「人間的に嫌いではない」ぐらいの人が相手なら、「一緒に行きましょー」ぐらい言うやろ!

いやー。あのぐらいの歳の子って、上手っていうか、なんでそんな思わせぶりな態度を。

思わせぶってないよ(笑)

そしたもうそのおっさん、スイッチ入ってしもて。

うんうん

そのあと、自分の電話番号を紙に書いて、いきなりその子に渡したんですて

マジで(笑)やってもたな。

ほんで、そのあとぜんぜん連絡も来えへんし、

そりゃ来んやろ

おっさんめっちゃ落ち込んでしもて。

ぎゃはは

それ以来、職場で目もあわしてくれんと。

あははは

ちなみにたこ焼きみたいな顔してるおっさんなんですけど

知らんがな。たこ焼きみたいな顔のおっさん、たまにおるけどな。

めっちゃ悩んでるんです。

はー。

で、「あれはいったい何やってんやろ。俺に気があるんちゃうかったんか」って

まあでも、そういう「勘違い力」がなかったら、この世から恋愛というものがほとんどなくなってしまうけどな……

第5回大阪社会調査研究会 「排外主義って何だろう」

第5回 大阪社会調査研究会のお知らせです。

テーマ
「排外主義って何だろう」

日時
2013年11月30日(土)
13:00〜19:00

場所
龍谷大学大阪梅田キャンパス
http://www.ryukoku.ac.jp/osaka_office/access/

関西学院大学教授・金明秀氏をお迎えして、外国人への差別である「排外主義」について、最新の調査結果を報告していただきます。一般の方歓迎、参加無料、予約不要、懇親会あり。

いよいよみょんす先生のご登場です!

1000円

あそこに、○○○っていうスナックあったんですよ、知ってます?

いや、知らんなー

そのママさんが、80過ぎてるんですけど

マジで

よう店の前にパトカーとまってて、なんかケンカしてるんですて

へえ

ほんで、なんでって言うたら、その80のママさん、店で、お客さんに「ぺろーん」って出すんですって

おっぱいを?

そう

マジで。ほんまかいな

ほんで、お客さんが帰るときにレシート見たら、それで「1000円」って書いてあるんですて

ひどい(笑)

「アホんだら! こんなもん払えるか!!」て、ほんで払わへんかったら、ママさんブチ切れてその場で警察に電話して、「無銭飲食や!」言うて

ぎゃははは

それでパトカーよう停まってるんですて

へええ

行ったんですよ

行ったのか

「ひとりですけど」っておそるおそる入ったら、いきなりめっちゃすごいテンションで抱きつかれて

マジで。

「こんな若いひと来たん久しぶりやわー、なんでもタダで出すから飲んでってー」って

恐い(笑)

恐いでしょ(笑)。すぐ帰りました

なんや帰ったんか

で、そのスナック、今はもうないんですけど

えーないの。そりゃ残念

ボヤ騒ぎになったんですよ

へえ、焼けたの

そうなんですよ。なんか、噂によると、自分で火ぃつけたらしいですよ

(笑)

ほんで保険金えらいもらって、それで店やめたんやって

へええええ

—————————————

いまその店があったところはコンビニになってる。

おはぎときなこのこと

夜中によく散歩をしている。

もう何年か前、いまの家に引越す前に、夜中に近所を歩いていて、甲高い声で泣いている、「鳴いている」ではなく泣いている犬がいた。3階建ての建て売りの家の、一階のガレージにつながれっぱなしになっていたその雑種の犬は、たまに散歩のときに見かける子だったけど、そのときはべったりと横たわって、甲高い声でか細く泣いていた。

思わず近寄って声をかけながら撫でてやると、すぐに大人しくなって、ぱたんぱたんと尻尾をふると、やがて静かになって寝てしまった。

次の日、その子はいなくなってて、紐や水皿もなくなっていたので、たぶんあのときに死んだのだと思う。死ぬ直前になってさみしくなって泣いていたんだろうか。撫でてあげられてよかった。

    * * *

おはぎときなこを拾ってから13年ぐらいになる。結婚してすぐにおさい(連れ合い)が職場から拾ってきた。当時のおさいの職場は某県の部落解放同盟の研究所で、荊冠旗がでかでかと印刷された段ボールに入れて、電車で大阪まで連れて帰ってきた。子猫の鳴き声がする荊冠旗の段ボールというのは、なかなかシュールな光景だったのではないだろうか。

おはぎは毛むくじゃらのバカで、すぐにぴーぴーなついてきた。そもそもおさいの職場で子猫がいることがわかったのもこいつのおかげで、誰かれかまわずエサをねだって鳴いていたらしい。

そのとききなこはまったく人になつかずに、逃げてばかりいた。連れて帰るのも一苦労だったらしい。

ちなみに連れて帰るときに、この二匹は大量のノミを置き土産においていった。しばらくはこの研究所の方々は苦労されたのではないだろうか。ウチでも大量に発生した。

    * * *

実は、おはぎときなこと、もうひとり兄弟がいたらしく、真っ黒な子で、その子は連れて帰る前に死んでしまった。

その子は研究所の庭の、「部落解放の偉人」たちの銅像の足もとに埋められた。

    * * *

おはぎが3階のベランダから落下したり(無傷)したほかは、なにごともなく健康でずっと可愛い。

ひとにはあんまりなつかないけど、飼い主にはもうべったりで、とくにおはぎは俺が仕事しているとかならずデスクに乗ってくる。デスクにはおはぎ専用のスペースがある。これを書いているいまも真横で寝ている。

きなこは愛想はないが美少女で色っぽく(若干デブだが)、ついついめろめろになってしまう。寒がりで、冬は必ず布団に入ってくる。

13歳とは思えないぐらい元気で、若いときとぜんぜん変わらない。さいきんはちょっと、爪とぎがおろそかになっていて、爪が伸びがちなので、人間が切ってやっている。変化といえばそれぐらいである。あ、あと、きなこがちょっと痩せたかな。

    * * *

拾ってくる前に死んでしまった黒猫は、おさいが後に「くろみつ」という名前だけを付けた。一緒に連れてかえればよかったと、そればかり言っている。

    * * *

動物を飼う、ということは、動物の死にも出会う、ということで、おはぎときなこがいなくなったときのことを考えるとどうしようもなく恐い。それまではせいいっぱい可愛がろうと思う。

    * * *

人格、という点において、基本的に猫でも犬でも人間と違いはない、と感じている。ふだん人間とかわしているのとそれほど変わらないコミュニケーションを、犬や猫ともしている。もちろん狭い意味での「言葉」は使わないが、それでもわずか2匹のおはぎときなこでもそれぞれ性格に大きな違いがあり、それぞれのやりかたで自分の思うところをこちらにぶつけてくる。会話の量も質も、人間とまったく変わらない。

こちらもだいたいふたり(どうしても2匹ではなくふたりと言ってしまう)のことはわかっているので、それぞれが過ごしやすいように、それぞれの寝床や居場所を作ってやっている。煮干しが嫌いで風呂の残り湯が好き、という共通点も多い。

俺はあまり動物は擬人化しないので、言葉をかけることはないけど、人と猫と犬の区別は日常生活では実はあんまりつかない、ということは、毎日の実感として、ある。

よく「犬派?猫派?」みたいなくだらない話があるが、子どものときは犬を飼っていて、家のなかでいちばん会話をしてたのがそいつだったので、犬も猫も身近な存在である。

    * * *

犬も猫も人間も、進化の過程でどこかが間違ってしまって、ほんらいは自分の友人や家族に向けるための友情や愛情という感情が、ほかの種族にも向いてしまうようになったんだろうと思う。

考えたらものすごくおかしな話で、われわれ生き物というものは、他の生き物を殺して食うということ以外に生きる道はない。このこと自体もきわめておかしな話だが、とにかくそれはそもそもそうなっているものとして受け入れた上でも、ほんらいは殺して食うはずの存在と、これほど深くて細やかな愛情をもって共に平和に楽しく暮らしていけるということは、まったく驚くほかない。

    * * *

もちろん焼肉も焼き鳥も好物である。

動物も好きだが動物の肉も好き、というのは、もうこれは少なくとも俺にとっては、この世に生きて存在する上での最大の謎であり矛盾である。

    * * *

そもそも犬や猫を虐待するやつも、ごく少数だがいるわけだし。

子どもや犬や猫を虐待する人間、というものは、おそらく普通に犬や猫よりも、俺にとってはコミュニケーションをとることが難しいだろうなあと思う。

    * * *

もう昔の話だけど、どこかの小学校のクラスで豚を飼ってて、みんなで可愛がって育ててたんだけど、最後にその豚を殺して子どもたちに食わせた教師があって、話題になってたな。詳しいことは調べてないし、いまも調べる気もないけど(子どもがその選択肢を選んだんだっけ?)、毎日まいにち殺された牛や豚や鶏や魚を食ってるものとして何を言っても説得力がないけど、俺が子どもだったら耐えられなかっただろうなあと思う。

    * * *

他の生き物を殺して食う以外に生きるすべがない、ということも人生の真理だけど、それと同時に、その他の生き物とこれほど深く愛しあうことができる、ということも、またひとつの真理ではあると思う。

まあ、生きるためには食っていくしかないけど、それでも。

    * * *

まあ、食うしかないんですが(笑)。

    * * *

まあこの話はええがな。

    * * *

しかしまあ、殺されたり虐待されたりする子もいるなかで、ウチのおはぎときなこはほんとうに可愛がられてるなあと思う。われながら、ムダに金をかけたりするのではなく、ほんとうに猫としての快適さを考えて、こいつらにとって暮らしやすいようにしてあげていると思う。ウチの猫どもは幸せである。

躾なども一切することなく、ただおはぎときなこの自然な行動や習性に合わせた家になっている。

というか、そのために安いマンションなどではなく、わざわざ土地を買って家を建てたのであった。猫のために設計したのだ。そのかわり超ローコストですが。窓に網戸も付いてないし、お湯をためるだけのバスタブなので、風呂の湧かし直しもできない。
    * * *

暑い夏に涼しい部屋でのびのびと横になっていたり、寒い冬に灯油ストーブの前でぐっすりと寝ていたりするのを見ていると、猫がうらやましくなるが、それでも「猫になりたい」とは思わない。リスクが高すぎるからである。捨てられて野良になるならまだしも、保健所行きになったり虐待されたりする可能性があることを考えると、猫になりたいとは思わないが、おはきなになりたい、とは思う。

猫になりたいのではなく、猫になって良い飼い主に飼われて、これぐらい溺愛されたいのである。さぞかし幸せな一生を送ることができると思う。

    * * *

ところが悔しいことに、というか、面白いことに、あるいは当然のことだが、おはぎもきなこも、自分たちがどれくらい幸せな猫であるか、まったく気付いていない。動物というものは比較とか想像とかが(おそらく)できないので、「他のかわいそうな子たちと比べて自分たちがいかに幸せか」ということを理解することができないのだ。

    * * *

なんとなく、「動物であること」の本質は、そこかな、と思う。自分の境遇を「他の視点から見てみる」ということをしない。こちらとしては若干悔しいというか、ちょっとぐらい理解してほしいとも思うけど。

逆に、そういうことを理解せずに、ただそこにいて、ほしいものを食べて、撫でてほしいときに撫でてもらって、寝たいときに寝てる、というのが、犬や猫の可愛さの本質なんだろうなと思う。

自分が幸せで、可愛がられていることを「理解」していない、ということが、その幸せや可愛さの本質である。

そして、自分が可愛いことや幸せなことを理解していなくて、ただこの家で一緒に暮らしているだけなんだけど、そういうおはぎやきなこのことが本当に好きだ。

そして、ぜんぜん飼い主に感謝もしないしありがとうも言わないけど(笑)、それでも毎日まいにち甘えてきて仕事の邪魔するこいつらは、感謝も理解も抜きで、たぶん本当に飼い主のことが好きなんだな、と思う。

    * * *

他の人間から、そんなふうに好かれることって、めったにない。うらやましいけど、もし自分が同じ境遇になっても、「自分が幸せであること」に気付くことができない、っていうのは、何か幸せとか愛とかいうものがもつ、本質的なところなんだと思う。

路上に出たつぶやきたち── 「OSAKA AGAINST RACISM 仲良くしようぜパレード」

最初に在特会が路上で汚い言葉を喚きちらしたとき、私もふくめてみんな、あんな頭のおかしな連中はすぐいなくなるだろう、世の中にたいした影響はないだろう、だいたいあんな少人数で何ができるんだ、と思っていた。

その活動がやがてひろがってきて、全国に支部ができ、関西でもひどい街宣がされるようになって、だんだんと不安になった。いったいあれは何だろう。あれは「右翼」なのだろうか? いったい何をやっているのだろう? なにが目的なんだろう?

この問題にかんして既存の組織はほとんど役に立たなかったといってよい。目立った抗議活動をするわけでもなく、ほとんどフリーハンドで活動をさせているうちに、そのうち新大久保や鶴橋という「聖地」にまで堂々と大手を振ってやってくるようになった。その段階になっても、古くからある大きな組織はなかなか動いてくれなかった。

おそらく、われわれと同じように、在特会の活動の「舞台」が見えてなかったのだろうと思う。あんな少人数で、あんな狂ったことをしているような集団は、すぐに消えてしまうだろうと、誰もが思っていたのだ。

安田浩一さんの本などを通じて、やがて徐々に明らかになってくるのだが、実は在特会の活動の目的は、街宣そのものにはなかったのだ。

かれらは、自分たちの街宣をビデオにとって、その動画をネットに流すことを目的としていたのである。

広大なネットの世界で、かれらの動画は膨大な人びとの視線を集め、急速に支持を拡大することに成功した。正規の会員は公称1万3000人、ネットにおけるその支持者は百万単位で存在するだろう。

既存の大組織を運営する、はるか上の世代の人びとにとっては、まったく目に見えないところでその勢力を拡大する在特会は、何の害もない、ごく一部の狂った連中としか見えなかっただろう。

大手メディアも、沿道を埋め尽くすほどのカウンターが出現するまでは、在特会の活動をニュースとして大々的に報道することはほとんどなかった。そもそもニュースバリューがあるのかどうかすら判断しかねていたのだろう。

そうこうしているうちに、「ネットの雰囲気」の少なくない部分を、ネット右翼が左右するようになってしまった。

ネットを通じた個人の集まりというその組織形態、ネットが主で現実が従というその活動スタイル、これらにおいて在特会はわれわれの想像をはるかに超える「新しい」存在だった。既存の組織には太刀打ちできなかった。

しかし、ちょうどこのときに、カウンター行動が現れ、そしてついに「仲よくしようぜパレード」はおこなわれたのである。

それらは、ネットを通じた自主的な個人と個人の小さな集まりが可能にした巨大なイベントだった。それはまさに魔法のような瞬間だった。ネットのなかの電子的なつぶやきたちが、ネットのなかから飛び出して、現実世界に実体化した瞬間だった。あのパレードで歩いていたひとたちは、みな初対面だったが、みなどこかでつながっていた。

TwitterやFacebookで現れては消えるつぶやきたちが突如として、人の姿をまとって都市のリアルなストリートに出現し、直接対面してことばを交わしたのである。そしてそのつぶやきたちは、中之島から難波までの長い道のりを、炎天下、誇りとプライドに導かれ、笑顔で、踊りながら、太鼓を鳴らしながら、プラカードを掲げながら、顔をまっすぐ前に向けて最後まで歩いたのである。

だが、いきなり電子的つぶやきが血肉をまとって現実化したわけではない。おそらく、少人数のオフ会や飲み会、食事会というかたちをとった、ゆっくりとしたささやかな、個人的な集まりからそれは始まったのだろう。このままじゃいけない、なんとかしないといけないという小さな声から、それは始まったに違いない。(それはひょっとしたら、初期の在特会にも共通するものがあったかもしれない。)そしてそれはまずカウンター行動として出現し、徐々に拡大し、今回の大阪のパレードへと続いてきた。

われわれが何もできないでいるちょうどそのとき、われわれが指をくわえてレイシストたちの派手な行動を眺めているちょうどそのときに、カウンターや「仲パレ」の中心メンバーたちが、おなじようにネットから、個人的なつながりを通じて、現実世界に出現したのである。

おそらくここでも、既存の左翼や右翼、社会の「メジャー」なところにいる人びとには見えていないものがある。たしかにあれほどの人数でパレードを派手におこなって、それは大変立派なことだが、だがあれが何の意味があるのだろう? あれで世の中を変えることができるんだろうか? たんなるお遊びの、気楽な、能天気な単発のイベントだったのではないか?

在特会が見えていない人びとにとっては、「仲よくしようぜパレード」の意味も見えてこないだろう。

パレードは、それが終了したあと、そこに直接参加した人びとによってだけでなく、参加しなかった人びとによっても、引き継がれているのだ。ネットのなかで、あのパレードは、いまでも続いている。

パレードの様子は膨大な参加者たちによってリアルタイムでtweetされ、実況され、シェアされていた。各人がスマホで写真や動画を録り、歩きながらすぐにネットにアップしていた。パレードが終了してからも、画像、動画、音声、テクストの莫大なデータがネットに流され、世界に広がっていった。メジャーなメディアの記事にもなり、あらゆるSNSでその記事へのリンクが貼られた。ネットのありとあらゆる場所でパレードは語られ、賞賛され、定義され、批判された。そのデータはさらに何度もRTされ、シェアされ、複製され、ローカルに保存された。

人びとのパレードは終わったが、データたちはいまもネットの中でパレードを続けている。

いちどネットに広がったデータは二度と回収することはできない。あの日あのとき、大阪であのようなイベントがあったという事実は、決定的にインターネットに「刻み込まれた」のである。

おそらく、これから新しくネットの世界に入ってくる若いひとびとは、ネトウヨの情報だけではなく、このイベントの情報にも触れることになるだろう。そして、こうした活動があることを、こうした人びとがいることを知ることになるだろう。

これがこれからの世界をどう変えるのかまではわからない。だが、たしかにパレードの先頭で、マイクを握ってサウンドカーとともに歩む誇り高い @Bong_Lee の姿は、ある種の「アイコン」としてネットのなかで今後も語り継がれ、RTされ、シェアされていくだろう。その画像や動画は、今後も多くの人びとによって閲覧されていくだろう。

ところで、@Bong_Lee を始めとするパレードの運営スタッフたちを遠くから見ていて気がつくのは、かれらがこういう運動を始めるようになる前から、そもそもTwitterなどで「遊んでいた」人びとだったということだ。

おそらく、ネットが主戦場になったいま、その闘い方はネットの作法に則ったものになるはずだ。既存の運動団体の政治的パンフレットをhtml化しただけのような静態的な「ほめぱげ」では、人を集めることはできない。同じように、ブログ時代の現代思想風の、高尚で難解な言葉も、せいぜい同じようなクラスタでブックマークされて終わりになるだろう。

今後、人びとを集めるのは、たぶん、もっともくだらない、意味のない、ささやかで個人的で小さなつぶやきたちになるだろう。ネトウヨを罵倒し、不謹慎なギャグに爆笑し、下ネタでスベり、マニアックな音楽や映画や小説やマンガの話で盛り上がり、ときには理不尽な世の中の出来事に涙を流し、そしてたまにささいなことで炎上するような、そのような「普通のつぶやきたち」になるだろう。

たとえばこのような。

https://twitter.com/rinda0818/status/357311783175847936

ネットの世界にどっぷりとつかり、その作法に習熟し、新しいもの好きで好奇心旺盛な、不謹慎な笑いとくだらないネタに目がないような、そういう「つぶやきたち」によって、これからのネットの闘いが始まるのだろう。

あらゆる差別に”NO”を! ”ヘイトスピーチ”へのカウンター行動から生まれた「OSAKA AGAINST RACISM 仲良くしようぜパレード」

Osaka Against Racism 仲良くしようぜパレード7.14 秋山理央さんの動画と写真
途中に出てくる切り絵のプラカードは、私の長年の連れ合いである「おさい」の手製。持っているのは私ではありません(笑)

最後の沖縄にいつか行く

今年も夏休みにおこなう学生の調査実習の段取りで、ある離島に行ってきた。もう、とにかく、人も親切で、集落も美しく、そして海がほんとうにきれいだった。

最初に沖縄に行ってから、もう25年ぐらい経って、たぶん4、50回は通っている。友だちも知り合いもたくさんいる。

いままで沖縄でいろんな人に出会ったこと、いろんな店でべろべろに泥酔したことなど、すべてよく覚えている。

さいきんよく思うんだけど、最初の沖縄があれば、最後の沖縄もあるんだろうなあと思う。そのうち大学の仕事も退職して学生を連れていくこともなくなり、研究者としての調査や研究で行くこともなくなり、あとは個人的に友だちに会いに行ったり純粋に沖縄に行きたくなって行くようになるんだろうけど、そのうち、70歳か80歳かしらないけど、だんたん体も動かなくなってきて、それも行かなくなり、そして死ぬ直前に、ああいま思えば、あのとき行った沖縄が最後の沖縄だったんだなあ、と思うんだろう。最初の沖縄は「これが最初だ」ってはっきり思いながら行くけど、最後の沖縄はそれとは気付かずに行くから、行ってる最中は最後だってわかんない。死ぬときになってやっと、あのとき行った沖縄が最後の沖縄だったんだ、と思うんだろう。

戦争と女

 それでまぁ、俺ら子どもって、17(歳)か。だからある程度は、引き揚げに対してなんかいろいろなことがあるだろうなぁと、暴動が列車襲ったり、な、することもあるだろうなって、子ども心に思っとったんや。

 17のとき。列車、貨物列車やで。日本でも走ってるやろ。貨物列車にな、何両あったかな、結構長かった。10両くらいあったかな。お互いにこうわかれて乗って引き揚げてきたんや。

 子ども心に何かあるだろうな〜って、何か暴動でもけーへんかなーっ思いよった。そしたらそんなにないんや、最初のうちはな。かえってな、駅に止まるでしょそしたら、チャイナ、いうたら怒られるけど、向こうの原住民がいろいろと物を持って売りに来るわけや。いろいろとね、食べ物を。あれ買ってくれこれ買ってくれやって。まだ日本人金もっとったから、ようみんな買って食べよった。

 俺はそんな持ってなかったけど。それがな親父がな、負けたときに何かあったら困るから、あんとき、あそこの価格で1000円か。兄弟に、これ持っとけよと。間違いあったらこれで生活しろよって。で終戦になって金を貰たんだけど、その金をな、性格通りあほやからな、その金をな、いらんことに使ってもうて。

 持ってへんかったけど、引き揚げの最中は金要らないから、一銭も俺らは。結局弁当買うのにも何買うのにもまんじゅう買うのにも親父が出してくれよったからな。だから、金使うことはなかったけどな、最初はそういう調子やったからな、「あぁ引き揚げってそんなたいしたことない」って思っとった。

 そしてあるときな、途中で、一晩列車のそばで寝たことがある。列車が動かんから。で、中国の兵隊さんが来て、今晩一人女をだせっていうてきたんや。それで初めて「負けたんだな」「負けたらこういうことがあるんだな」。

 女だせったって、簡単にあんた行ってくれ、こっち来てくれって言えへんやろ?

 そしたら、引き揚げる前に遊郭をしてた、ここでいう飛田みたいなとこ、そういう子が、まぁどんな話をしたんかしらんけども「じゃー行ってきます」いうて、一晩中国、中国軍の政府軍の兵隊の、こう、夜伽みたいなもんで一晩泊まったわけ。「あぁやっぱりな」っと思ってな。

—————————————

17歳で満州からの引き揚げを経験した元ホームレスの男性の語りです。今年出版される(予定の)私のインタビュー集に掲載される生活史の、ほんの一部です。

ある政治家の発言の影響で、戦争と性暴力が話題になっていたので、ふと思い立って掲載しました。書店に並んでいたら買ってください(笑)

差別的な表現も含まれていますが、語られたまま記録しました。

戦争、戦時性暴力、あるいは性暴力一般、さらにセックスワークの問題についてここで議論はしませんが、例の発言やそれに続く論争を見ていて、「戦争とはそういうものだ」「男とはそういうものだ」という一言で片付けたりせず、野蛮なものは野蛮だと、嫌なものは嫌だと、言いつづけることが大事なのかもしれない、と思いました。

第4回 大阪社会調査研究会

**追記/会場に変更はありません、予定通りおこないます**

第4回大阪社会調査研究会のお知らせです。

日時:2013年5月18日(土)13時~
場所:龍谷大学梅田キャンパス

報告:齋藤直子(大阪樟蔭女子大学非常勤講師)

テーマ:「部落問題の現在──都市部落の変容と結婚差別を中心に」

部落問題の基礎的な知識から、最新の調査結果を踏まえた都市部落の実態、若者の暮らし、結婚差別の現状まで、詳しく議論します。

部落問題についてイチから学ぶチャンスです! 参加無料、予約不要。

エレベーターを待つあいだ

こないだ大学の研究室から授業に行くときにエレベーターが来るのを待ってて、このエレベーターがクソほど遅い。時間が迫ってたのでイライラしてた。イライラしながら一瞬、しょうもない空想をしてた。

これ、1階から2階や3階に行く学生がたくさん乗ってくるんだよな。だからどうしても授業の合間の、ちょうどこっちも乗らないかんときにノロノロ運転になって、こっちは仕事なのに、いつもイライラさせられるんだよな。

学生がエレベーター乗るの禁止しろって教授会で言うたろか。

(笑)アホか、通らんわそんな話。ていうか学生かわいそうだし。

でも、もし通ったら、そっちのほうが怖いっていうか、学生がかわいそうなことになるな。

学生にエレベーターの使用を禁止したときに、やっぱりたまたまそのとき体調が悪いとか、体に障碍があるとか、いろんな事情でどうしてもエレベーターを使わないといけない学生が、いちじるしい不利益を蒙るよね。それは避けないといけない。

だから、たぶん、もしどうしても事情があってエレベーターを使いたい学生がいたらどうするの。っていう話になるな。

たぶん、教授会で誰かが「教務課で使用許可を出せばいい」って言い出すんじゃないかな。で、「エレベーター使用許可願い」みたいな書類の様式ができて、使いたい学生はいちいち教務課に申請に行くの。理由書とか、そのつど一筆書かされて。さらに、やっぱり官僚組織のことやから「診断書出せ」とか言いかねん。

身体障碍のある学生はどうするの。医師による「障碍証明書」とか。事務で手帳を見せる?

で、教務課で朝イチで「エレベーター使用許可願い」を出したら、その学生にはネームプレートみたいなものが貸し出されて、学生はそれを首からかけてエレベーターに乗るねん。で、たまにそれをかけ忘れてたりとか。教員とか職員は、ネームプレートを首から下げてない学生がエレベーター乗ってきたら注意しないといけない。

友だちと一緒にいても、許可を得た学生しかエレベーター乗れないから、他の学生たちは階段を使わないといけない。

車椅子を使用する学生には「定期券」みたいなのが支給される。その学生はずっとそれを表示してないといけない。車椅子乗ってるのに。

授業の最中に急に気分が悪くなった学生が、許可申請せずにエレベーターに乗って、それを見とがめて叱った教員とトラブルになって、ハラスメントの訴え起こされるとか。

もう、手にとるようにわかる。目に見える。

そこまで勝手に空想して心底うんざりしたところでエレベーターが来た。

組織が苦手です。

橋下徹は美魔女である

美魔女っていうひとたちがいるらしく、まあ広告会社がなんかやってるだけだと思うんだけど、たまに雑誌に載ったりネットで流れてきたりする。めっちゃおもしろいし、なかには「すごい!」っていうひともいる。

で、こういうエクストリームな企画(笑)は反発されることも多く、そこらじゅうで陰口叩かれてたりする。そういうのも織り込み済みで企画してるんだろう。

なんとなくだけど、さらっと見ただけの印象だけど、なんとなく40過ぎても若くて可愛いままでいたい、っていうだけじゃなくて、ほとんどの美魔女タレントさんが、自己実現とか成長とか出会いとか、そういう要素というか属性というか主張というか、そういうものを混ぜてるみたいだ。

このへんが支持されるところでもあり、反発をくらうところでもあるんだろうと思う。

あるゼミ生女子が「女子力」という言葉で面白い卒論を書いたんだけど、ここ20年ぐらいの雑誌の記事や広告を調べ上げて、「女子力」ということばのなかに、ただ女として可愛くてモテるっていうだけじゃなくて、同時に仕事ができてコミュ力も高い、っていう意味が含まれてることを書いていた。面白いと思う。女も社会参加しないといけなくなってるんだけど、でもそれは「女であるままに」そうなんだろうか。

「商品」としての、あるいは「つくりもの」としての美魔女タレントが言う自己実現についてマジレスしてもしょうがないと思うが、だいたいこういうときの自己実現って、「心理学を学ぶために社会人大学院に入学する」ならかなりまともだけど、なんかちゃらちゃらしたカタカナ横文字の、何の役に立つのかもひとつわかんないような資格取るためのスクールに通うとか、そんな感じで、金持ちのお遊び感が半端ない。

いま「半端ない」ってブログで初めて使いましたけども。

ゼミの学生、とくに女子学生でも、美魔女企画に対して違和感をもつやつが多くて、雑談のときにいろいろ話を聞いてると面白い。どのへんがイヤなの? って聞くと、ものすごい答えに困ってる。

違和感あるっていう学生から出てくることばが、「いい歳してみっともない」とか、そんなんだったりする。で、それは言うたらあかんのちゃうかな、それって「25すぎた女には価値はない」とか、そういう言い方とどこが違うんやろ? っていうと、よけい困ったりしてる(笑)

美魔女への違和感の面白さって、うまく言語化できないところにあるんだよね。俺もうまく言えない。こういう一見ちゃらちゃらしてるようにみえる自己実現だって、それ自体は別に悪いことじゃないし。

どっかもやもやした、なんかウソっぽいなっていう感覚があって、それを言語化しようとすると、とたんに「単なる保守的な意見」になっちゃう。たとえば「いい歳してミニスカはくな」とか。でもミニスカートははきたきゃいくつになってもはけばいいんだよ。ほんとはね。「でも、そのミニスカはないんちゃうか」っていうのが、すごく言語化しにくい。けっきょく「いい歳してみっともない」みたいな言い方になっちゃう。

それはたぶん、美魔女タレントの企画が、いま現在俺たちを縛ってる規範への抵抗っていう形をまとってるからかな、って思う。

美魔女っていうのは、「年齢でひとからの評価がまったく変わってしまうことはイヤだ」とか、「主婦とかキャリアOLとかっていう不自由な枠組みから抜け出して、ほんとの自己実現をめざしたい」とか、それじたいはすごくみんなが共感するようなところから出発してるんだよね。

でも、なんとなくそこで言われてる自己実現って、ほんとにそれでいいのかな、って思うようなことが多いし、あと「いくつになっても女でいたい」っていうのは、ものすごく正当で真っ当な、肯定すべき欲望だと思うけど、でもそれは20代の女性と同じ体型を維持して同じ服着て同じ巻き髪にするっていうだけのこととは違うんじゃないかなあ、って思うことも多い。

だから、俺たちがそれに対する違和感を表明するときに、一周回って、俺たちを縛ってる規範と同じような言い方になっちゃうのかもしれない。

美魔女のほうは「抵抗の仕方が保守的」だし、それに対する違和感も「批判の仕方が保守的」になってしまう。こういう事態って、もし俺の妄想じゃなければ(笑)、どうやって一言で表現したらいいんだろう。

ここからむりやりに橋下維新の会の話になるんだけど……「保守的な抵抗」、っていえば、やっぱりさいしょに思い浮かぶのがこの人たちだ。官僚制打破とか、既得権益粉砕とか、そういう革命的なことを言ってるんだけど、やってることはものすごい保守的だったりする。日の丸君が代強制とか。

それに対して批判するときに、共同体を解体するなとか、教育現場の独立性を守れとか、どうしてもそういう話になるんだけど、町内会や自治会、商店街が地元でどんなことをしてるかについて、個人的事情から(笑)よく知ってる俺は、なんかちょっとそれも違うなあと思うし(このへんのことはちょっとだけここで書いたことがありますが)、ものすごく独立した教育現場で体罰やらセクハラやらいろんな問題が起きてるんだなっていうことは、もうほんとにみんな思ってることだと思うんだよね。だから橋下に対する批判がなかなか票につながらないのも、そういうことなんだと思う。批判するときに持ち出してくるのが、めっちゃ古い、時代遅れのものだったりするよね。組合とか。まあ組合大事だけど。

「なんとなく似てる」以上のたいしたオチがあるわけではないので、以上で簡単ではございますが私のエントリとかえさせていただきます。タイトルは釣りです。