にゃーのウィルスと貧乏ゆすり

さっき研究室に学生がふたり遊びに来てて、ちなみにカップルなんだけど(笑)、彼氏がガタガタ貧乏ゆすりしてるのを彼女がその膝を叩いて「貧乏ゆすりやめーやー」と言った。

なにお前ら夫婦みたいやねんな(笑)。

わたし貧乏ゆすり嫌いなんですよー。先生も貧乏ゆすり嫌いでしょ

いやー、そういや歳のせいか、おれのまわりで貧乏ゆすりするやつさいきん見んな。おれもしないし。

あー、じゃあもう貧乏じゃなくなったんですね。

なんか知らんけど、笑いながらもグッときた。しみじみしてしもた。そんなに意味はない。こういうのに意味なくいちいちしみじみする年齢なんだろう。

そういえば、先週も、2回生あいての少人数のゼミで、2回生ももう12月になると、学生生活も半分終わりやな、という話をしてた。

どうやねん、キミらもう大学生活半分終わってんねんで!

わー、いややー

まあ、おれなんかもう人生の半分以上終わってるけどな。

ここでも笑いながらなんか知らんけどしみじみしてしもた。おれももういつのまにか48歳で、人生の半分以上使っちゃったんだな。頑張ってもあと生きて30年か40年だろう。そのあとはもう死ぬだけ。

若いときみたいな貧乏ゆすりこそしなくなったけど、さいきんはよくため息をつくようになった。いままでなかったことだ。家に帰ってきてダイニングテーブルのチェアにどっかりと座ると、はぁぁぁぁああああと、深いため息が出る。

ため息と一緒に、にゃーとか、どっこらしょとか、やれやれまったくとか、にゃーとか、にゃったにゃんきちにゃったったとか、そういう意味のない声が出る。こういう声が出るようになると、もう人生も残り少なくなっているんだろうと思う。

まだ48歳で「残り少なく」ってこともないけど、さいきんは連れ合いが死ぬことばかり想像する。体力的にいってたぶんおれがひとりで残るので、そうなったら淀川が見える本庄か長柄か豊崎か中津の小さなアパートで、ひとりで古本でも読んで暮らそうと思う。そして野良猫に餌をやるのである。なぜなら、その歳で猫を飼うと、最後までちゃんと飼ってやれないからだ。

こないだ学生が、先生があんまりにゃーにゃー言うから、うつっちゃいましたよーと言っていた。ゼミ中にそんなににゃーにゃー言うてるかおれ。言うてます。

知らんかった。授業中に無意識で「にゃー」とかつぶやいているようだ。

もっとたくさんの学生に「にゃー」が広まって、にゃーウイルス感染者も増えて、おれが死んだあとでも「にゃー」だけが生き残って世の中に広がっていけばよい。

もちろん「にゃー」とつぶやくやつはおれだけじゃないけど、にゃーウィルスの遺伝子の何%かは岸政彦に由来します、ということになったらよい。

“にゃーのウィルスと貧乏ゆすり” への1件の返信

  1. 初めまして、先日たまたま岸さんのTwitterを見つけた者です。

    「断片的なものの社会学」今読んでます。

    ライブハウスで出会った人とTwitterで繋がり、その人が藤岡拓太郎さんの漫画のことをツイートし、藤岡さんの漫画の表紙が面白くて興味を持ち、藤岡さんのツイートを読み漁っていたら、岸さんにたどり着きました。

    それから今に至ります。

    これまで勉強、ましてや社会学なんて1ミリも興味がなかったのですが(というより、「興味がない」とすら思わなかった)、なんとなく岸さんのツイートが心に残り、なんとなく本を読んでみたくなって、今その本からいろんなことを学んでいます。

    高校の教科書に「断片的なものの社会学」が掲載されるとありましたが、10代でしかも高校の時に、岸さんと出会えるなんて良いなーと本気で思いました。

    だから、私の人生で一番若い今の時分に、岸さんの言葉に出会えて良かった。

    これから私の中で岸さんの言葉がどうやって生きていくかは分かりませんが、なんとなくそんな気がします。

    お礼を言うのはおかしいのかもしれませんが、岸さんの言葉に救われました。

    ありがとうございますにゃー。

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