のぼりとハチマキと、ファストファッション

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昨日、都構想に反対する集会をのぞいてきた。のぼりがたくさん立って、みんなハチマキとかゼッケンをつけて、おやじバンドが「満月の夕」とかのコピーとかを演奏してて、なんとなく「昭和レトロ」な感じだった(笑)。

まあ、それはともかく、実際に自民党と共産党ののぼりが一緒に立ってるのは、なかなか感動的な光景だった。

集会は、地域政党、労働組合、商店街など、「中間集団」そのものの総決起集会のような光景だった。とにかく来賓が多くて、挨拶が長いのにはまいった(笑)。暑かったので、パレードが始まるまえに疲れ切ってしまい、途中で帰ってしもた。

なんとなく、戦後のながい歴史のなかで、まず「労働者」という存在が弱くなって、次は「市民」あるいは「住民」が攻撃されているんだな、と感じた。労働運動の担い手としての労働者から、地域活動や住民運動の担い手としての市民や住民というものが標的にされている。私たちはバラバラにされ、「消費者」というものになっていくのだろうか。

総資本 vs 中間集団、か。

大学もある種の中間集団だ。そして大学もまた、激しく攻撃されている。

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しかし、古典的な中間集団、町内会とか組合とかいうものは、たしかに、それと関係ない私たちからみると、ある種の「既得権」を抱え込んだ集団にみえる。

あるいは、ただ単に、「ださい」。

連れ合いが非常勤をしている女子大の話が面白かった。地元にたくさん、優良企業があるのに、そういうところには就職したがらない。多くな地味な中小のメーカーで、いくら残業が少なくて福利厚生がしっかりしていても、学生たちの間で、心理的な抵抗感がとても強いのだそうだ。そういうところに入るぐらいなら、チェーン店の居酒屋やファストファッションの店でバイトしたほうがよいのだという。

それはそれで、合理的な選択だと思う。

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そういえば実は、私自身、地元の商店街でいろいろとごたごたに巻き込まれたことがある。そして、そのとき、たいへん「興味深い」ものを見た。それはひとことでいえば、「維新的なもの」が、中間集団そのものの内部から生まれてくる瞬間だった。

とても面白かったので、いつか本に書く。

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とにかく、組合を作ったりするような「労働者」は、とても少なくなった。市民も住民も要らない。学者も学生も要らない。(いまや、学生は、現実的にみて、「サービス産業の低賃金労働者」として、経済にがっちりと埋め込まれている。)

消費者だけ、いればいい。あとは、戦争をするときのために、「国民」だけいればそれでいい、ということなのかもしれない。

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それでもやっぱり、軽々しく悲観せず、だけど楽観もせずに、いろんな現場でがんばっているひとが、たくさんいる。社会的な問題に関心を持つ学生も、たくさんいる。

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あとやっぱり、中間集団のみなさんも、もうそろそろのぼりとハチマキとゼッケンはやめたほうがいいですよ……

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参考リンク「いちばん簡単な「都構想」の問題点」
http://sociologbook.net/?p=840


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