大阪の「空気」(2)──行政都市の毛細血管

私たちがふだん住んでいる街って、どんな街だろうと思う。どんなっていうか、この街は「なにから」できているのか。

適当に見つけたワンルームか2LDKぐらいのマンションを借りて住んで、休日はIKEAとか無印で買い物する。朝起きたら電車やバス、車に乗り、出勤する。あるいは家の掃除をして近所のスーパーで買い物をしたあとスタバかドトールでお茶を飲む。仕事が終われば同僚や友人、恋人と待ち合わせして一杯やりにいく。あるいはまっすぐ帰る道でツタヤに寄ってDVDを借りる。家に帰ったら風呂に入ってビール飲んで、テレビやネットを見てから寝る。

たとえば、帰り道で立ち寄った居酒屋で、店員がなにか失敗をしたとする。何でもよい、グラスを倒したり、オーダーが通ってなかったり。私たちも大人だからむやみに怒鳴ったりしない。にこにこ笑ってグラスを取り替えてもらう。店員だけでなく、店長が出てきて謝ることもある。かなりひどい粗相の場合は怒ることもあるけど、だいたいの場合は店側が客を怒らせないように謝ってその場をおさめようとする。

私たちはこの街で、カネをもらったりカネを払ったりして暮らしている。カネは払うほうがえらいけど、だいたいの場合はカネを払うだけの人というのはいなくて、一日のうちにカネをもらう立場になったり払う立場になったりする。だからちゃんとした大人は店員がなにか失敗したぐらいで怒ったりしない。お互いさまだからだ。

こうやって私たちはカネを払ったりもらったりして毎日を暮らしている。

こういう街、こういう世界で私たちは暮らしているんだけど、たまにまったく異質の論理で動いている世界に触れることがある。しかもその世界は触れたくないものは触れなくてもよいというわけにはいかない。強制的に私たちの暮らしのなかに入ってくるのである。お役所である。

お役所、あるいはお役所的な場所(銀行とか学校)の窓口で不愉快な思いをしたことがないひとは、おそらくひとりもいないだろう。俺は最近そういうところで怒らなくなったけど、これは諦めてるだけであって、ときどきあるいはしょっちゅう、区役所や銀行の窓口で怒鳴っているひとを見かけることがある。

もうあの役所の窓口の態度はいったい何だろうと思う。窓口だけじゃなくて、仕事柄いろんな「長」がつくひとと会うこともあるんだけど、良心的で誠実で熱心なひとも多いけど、まあアレだ、「お役人」はしょせん「お役人」だな。

私たちが住んでいるこの街で、私たちが従っているロジックにまったく従わないひとたちがいる。私たちからカネをもらっておいて、わけのわからない決まりごとを勝手に作って、絶対に謝らなくてもクビにならないひとたちがいる。

素朴に考えるとこれはもうものすごい、大変におかしなことである。

公務員に対する素朴な反発というのは、もちろん雇用が守られ、給料も高くて、仕事もラク(そんなことないけど本当は)な存在に対する妬みや恨みもあると思うんだけど、ふつうの人びとのふつうの感覚でいうと、こういう不愉快な体験がかなりもとになってるんじゃないかと思う。

そして実は、私たちが暮らしているこの街のなかのそういう「異質な部分」は、思っているよりもずっとずっと広がっていて、都市のもうひとつの顔を形成しているのである。

「行政都市」っていうと意味が違ってくるんだけど(キャンベラとかブラジリア?)、何ていえばいいんだろうか。大阪でいえば、大阪市長の下に中之島の巨大な大阪市役所があり、それが各区役所に枝分かれしていくんだけど、フォーマルな公務員の世界はここまでだが、実はこの先にさらに「毛細血管」のように広がっているものがある。

たとえば、どこでもいいから大阪の各区のウェブサイトを見ると、たくさん書いてある。地元生まれの作曲家をしのぶミニコンサートが開かれました。連合振興町会で防災マップを作成しました。□□商店街振興組合主催のジャズフェスティバルがおこなわれます。淀川河川敷公園の清掃ボランティア募集中です。○○区運営会議を開催しました。医師会館講堂にて健康づくり講演会を開きます。△△区地域福祉アクションプランの基本テーマは「住民みんながいきいきできる安心の街づくり」です。

普通に暮らしていたらこういう世界には触れることがないと思うけど、膨大な数の市民がこういう「毛細血管」から「養分」を補給されているようにみえる。(もちろんここでいう養分とは単純にカネのことをさしているわけではない)

橋下ブームの底流に公務員へのルサンチマンがあることはよく言われるけど、ただそれは、非常に曖昧なかたちではあるが、もうちょっと大きな都市の構造と結びついているような気がするのである。

まあ「気がする」っていうだけだけど。てへぺろ☆ (最近覚えた)

たとえば、大学や高校を卒業して普通にバイトや会社員やOLとして一人暮らしをしていたら、こういう行政都市というか都市行政の姿は絶対に見えない。結婚してタワーマンションを購入したりしても、たぶんまだ縁がないと思う。地べたに一戸建てを買うか、古い街の小さなマンションを買うか、あるいはいちばん確実なのは子どもを産んで育てることだと思うけど、そういうことをして「地域に根をおろして」はじめてわかる都市の顔なのである。

こういう毛細血管を伝って養分がすみずみにまで行き渡っていくのだが、町会なんかによくありがちなんだけど、いや俺はべつによくは知らんけど、一般論ですよ一般論。たとえば10年も20年も同じおっさんが町会長やってて、いろいろよくない噂があったりとか、あそこの町会は今年は大晦日の火の用心の巡回も中止になったらしいけど、どうもその予算を幹部が云々だとか、そこらじゅうに「小さな飛鳥会」みたいなものがある話をよく聞くのである。

もちろんそういう町会ばかりではなく、地域のために全力で頑張っているところも多いのだが、問題なのはそういう町会や町会長が「退場」してくれないことである。他にも、「なぜこの予算をこの団体が……?」と首をかしげることもある。このあたりのロジックはまことに異質である。10年も20年も私腹を肥やしているともっぱらの噂の町会長がいまだに町会長だったりする。みんな知ってるのに何も言わないし言えない。市や区ももちろん何もしない。村落共同体かお前ら。

おそらくこういう「地域の中間集団」との付き合いに苦労しているひとは多いと思う。

おそらくこういうさまざまな市民団体のかたちをとって都市の隅々にまで広がる「税金再分配のための毛細血管」のシステムにうんざりしているひとは多いと思う。

橋下の支持層が「共産党と公務員をいっしょくたにして税金泥棒扱いする」ときに、その言葉を文字通りに受けとってはいけない。それが「実際には」何を意味しているのかを考えたほうがよい。

もういいかげん長くなってしまった。他にももっと書きたいことはたくさんあるけど、結論を急ごう。

(1) 私たちは橋下がなぜ75万票取ったかだけではなく、なぜ平松が50万票も集めることができたのかを考えるべきである。この票はどのような「毛細血管」を伝って中央に集まってきたのか。
(2) 伊丹空港や御堂筋や柴島浄水場をゼネコンに売り飛ばすことで橋下がやろうとしていることは間違いなく、この世界を巨大な資本とバラバラな個人でできている世界にすることである。そこでは仕事も教育も保障されないし福祉も医療も何にもない。それはカネを払うひととカネをもらうひとだけでできている世界である。そしてその世界は、私たちにとって非常になじみがある。
(3) 私たちは橋下が作り出すような世界に住みたくない。それはスラムと巨大タワービルでできている世界である。だが、もし市役所がこれまで通り税金を再分配するとすれば、そのルートは間違いなく従来通りの「毛細血管」になるだろう。私たちはすでにそのような「行政都市」のありかたにうんざりしている。

要するに、ゼネコンとスラムでできた世界と、公務員と町会でできた世界のどちらかを選べと迫られているのである。そんな選択は勘弁してほしい。それでは「反橋下」的な運動は、何を構想すべきだろうか。

なんかうまくまとめられなくてごめんなさい。


「大阪の「空気」(2)──行政都市の毛細血管」への1件のフィードバック

  1. 面白いです、なんか民間企業に勤めてきたせいか・・・すごいなあ、と感じました。

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